issue#03 I I I I Dreamed A Dream CHAPTER 03 21
「――ヤバい!」
アシュリーが、獣の喉で絞り出すように叫んだ。
「逃げよ!」
さなの一声が、すべての引き金となる。4人は一斉に身を翻し、最後の希望である森の暗がりへと、死に物狂いで駆け出した。
その背後で、今井の、天地を割るかのような咆哮が炸裂する。
それは、欺かれた王の怒り。解き放たれた何万もの獣の衝動。地鳴りのような足音が、怒りと混乱の奔流となって、たった4頭の獲物を飲み込まんと、一気に坂を駆けあがる。
……それは、自然界の狩猟ではけして味わえぬ、統制された殺意だった。山の生態系そのものが、牙を剥くひとつの巨大な軍隊へと変貌し、彼女たちを呑み込まんと迫る。
「こっち!」
最も鋭い本能を宿すはちるが、白銀の粉を蹴散らしながら進路を切り開く。
傾斜を、爪でしっかりと捉えつつ、木立の間を影のように滑走する。
踏みしめる大地は柔らかく不快に沈み、呼吸は白く、
全身の感覚が極限まで研ぎ澄まされていた――だが、背後の追撃は、
そんな野生の速度さえ嘲るように迫ってくる。
この山は、クマたちの王国だった。地形も、風の流れも、氷の帳の厚みすら、すべてが彼らの味方となる。頭上の樹氷が大きく揺れたかと思うと、追いついた集団が白い粉末を舞い散らせて斜め上の坂を先回る。岩陰からも、別の一団が爪を鳴らしつつ跳躍し、行く手に次々と群がっていく。
寄せ続ける波のように、彼らは目標に殺到していく。
突出した1頭が後ろ足に蹴り飛ばされても、次の巨体がすかさず駆け上がり、乱れた隊列を綻びなく埋めていく。
毛並みを逆立てた群れは、立体的な津波となって山の起伏に際限なく沿い続け、土壌を揺るがし、唸りを上げる大地とともに、退路を探す者たちの背を、絶え間なく脅かし続けた――。
「クソっ、包囲された!」
アシュリーが低く唸り、白銀の層を蹴って飛びかかる黒い大熊に渾身の一撃を叩き込む。しかし分厚い皮下の層が衝撃を吸収し、せいぜい毛並みをわずかに波立たせるだけ。黒熊は数m転がされてもすぐに体勢を戻し、さらに鋭い眼光で再び襲いかかる。
おせちも、さなも、不慣れな体で必死に抗うが、黒々とした波のせり出した部分が、次第に、並走と包囲の形を作り始める。
その中で何度も繰り返される爪撃が、分厚い毛皮の隙間をかすめ、牙が体表を抉り、四肢には鈍い痛みが積み重なっていく。
桁違いの戦力差に、正面から立ち向かう術など残されていなかった。
「――下だ!川へ跳べ!」
崖縁に追い詰められた瞬間、アシュリーが叫ぶ。雪解け水が白く泡立つ荒れた流れが、銀色の帯となって激しくうねる。その先にしか、進む道はなかった。
4人はためらいもなく、闇が吹き溜まる谷底へと身を投じた。
ザブウゥゥン――!!
骨まで凍てつくような激流が、全身を打ち据える。抗う術もなく岩に叩きつけられ、荒れ狂う水に揉まれながら、彼女たちは、ただ必死で岸を目指した。
ついに、苔むした河原にその身を打ち付けられた時、全員が息も絶え絶えに、
泥と血に塗れた体を寄せ合った。
だが、安息の時は、一瞬たりとも与えられなかった。
川向こうの白い原野。その中央に、月光を背にした今井の巨体が、王者のように立ちふさがる。そして、その背後の森の暗がりから、ひとつ、またひとつと、無数の光る瞳が、
まるで呪いのように浮かび上がる。逃げ場は、もうどこにもなかった。
今井が、勝利を確信した、獰猛な咆哮を上げる。その巨体が、飛沫を上げてこちらへ突進しようとした――その刹那。
岩陰の闇が、何の前触れもなく、閃光と轟音に満たされた。
松脂と硫黄の、古風で強烈な匂い。網膜を焼き切るほどの閃光と、鼓膜をつんざく爆音。それは、原始的でありながら、この場の全ての獣の五感を、根こそぎ麻痺させるには十分すぎる一撃だった。
「――こっちだ、早く!」
混乱の只中、洞窟の闇から現れた人影が、低い声で手招きを送る。誰なのか、何者なのか、考える余裕はない。ただ、そこだけが唯一の活路だった。4人は、最後の力を振り絞り、
その1条の光が差す闇へと、転がり込むように滑り込んだ。
洞窟内を、まともに呼吸する間もなく駆け抜ける。振り返れば、さっきまで背後に轟いていた咆哮も、
雪に吸われるように遠ざかり、岩の奥で微かに反響するだけになった。
やがて、逃避行の果てに、思いがけぬ空間が現れる。
男が素早く入り口に巨岩を押し付けると、外の喧騒は遮断され、内側には水底のような静けさが訪れる。狭い空洞の中央、カンテラの灯火が頼りなく揺れた。
光の輪郭に浮かび上がるのは、人の営みが染み付いた生活の痕跡。
積まれた薪、煤けた鍋、手あかの残る毛布。空気には、湿った土と焚き火の名残りが混じり合っている。
アシュリーが荒い息を押し殺し、震える声を絞り出す。
「……はぁ……はぁ……助かった。……あんた、一体、何者だ?」
男は、ゆっくりと顔を上げた。カンテラの光が、その顔に深い陰影を落とす。北の厳しい風雪が刻み込んだであろう深い皺。霜が降りたように白くなった無精髭。
その奥にあるのは、痩せてはいるが、骨格の確かさを感じさせる精悍な顔立ちだった。
だが、何よりも印象的だったのは、その瞳だ。
どこか遠い過去を見つめているかのような、静かな眼差し。しかし、その奥には、人間とは明らかに異なる、光の加減でも大きさの変わらない、黒曜石のような瞳孔が鎮座していた。
「熊沢――」
彼は、一旦そこで言葉を切った。そして、まるで長年背負い続けた重荷を、ようやく下ろすかのように、慎重に、しかしはっきりと続けた。
「――いや、この地に生まれた、最初の“クマ人間”だ」
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本家:ページ中にキャラのコンセプトアートなどあり
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