issue#03 I I I I Dreamed A Dream CHAPTER 03 16
霧多町は、まるで時が止まったかのような寂寥感に包まれていた。その町で唯一、
昼間から人の出入りがある、古びた喫茶店「ランプ」。はちるは、ごく普通の観光客を装い、その回転扉をくぐった。
カラン、という乾いた小さなベルの音がする。店内には、焙煎されたコーヒーの香りと、バターの染みたトーストの残り香が満ちている。
カウンターの奥で、銀髪の老女――サチコさんが、ポットの湯気越しにこちらを見た。
「いらっしゃい――」
「どうも。すごく……静かで綺麗な町ですね」
「観光の人かい?」
「そです」
穏やかに応じながら、はちるはカウンター席に腰を下ろす。店内に他に客の姿はなく、流れるラジオの音がかすかに響くだけだった。
「じゃあ、コーヒーをお願いします。……あ、町のあちこちに『熊出没注意』の看板があって、ちょっとびっくりしました」
はちるの、いかにも旅行者らしい無邪気な問いかけに、サチコさんは「ああ、熊ねぇ」と、遠い目をし、コーヒー豆を手慣れた所作でミルにかけ始めた。
「……今は有名無実なもんだから安心しな。ただ、昔は本当にひどかったんだよ。畑を荒らすし、たまに人里に下りてきては大騒ぎでね。猟友会のハヤカワさんたちが、命懸けで追い払ってた時代さ――あの人も、もうずいぶん見ないけど」
「……ハヤカワさんって、有名な方なんですか?」
「そうさね、この町じゃ知らない人はいなかったよ。熊が多かった頃は、あの人たちが頼りだったんだからさ」
ふと、サチコさんは磨いていたカップを止め、小さくため息をついた。
1件目にして、はや“脈あり”と見たはちるは、その機を見計らってカウンターの下から小さなメモ帳とペンを取り出し、申し訳なさそうに切り出した。
「……あの、実はウc……わたし、本州の大学で地方史を勉強しているんです。この辺りの、人と自然の関わりの歴史について調べてまして……。もしご迷惑でなければ、少しだけ、お話を聞かせてもらえませんか?」
学徒を装ったその真摯な眼差しに、サチコさんは一瞬驚いたように目を見張り、やがて、ふっと口元を緩めた。
「……なんだい、あんた、学者の卵みたいなもんかい。まあ、こんな寂れた町の歴史に興味を持ってくれるなんて、物好きもいたもんだね」
そして、彼女はふと声を潜めた。
「……でも、それも昔話になっちまった。あの会社が来るまでは、本当に、ただのいたちごっこだったのさ」
「あの会社?」
「カムイ・ディベロップメントって言うんだよ。あんたも道すがら見ただろう、湖のほうの大きなホテルや施設。あれねぇ、全部その会社が作ったんだよ?観光開発って名目で、町にどんどんお金を落としてくれて、最初はみんな歓迎してたのさ」
サチコさんの声には、諦めと、かすかな棘が混じっていた。
「へぇ……じゃあ、その会社のおかげでクマがいなくなったんですか?」
「そうではあるんだけど、そこが、どうも不思議でね――」
サチコさんは声を潜め、カウンター越しに身を乗り出す。
「――”クマよけ”だとか言って、見慣れない機械を農家に配って回ってさ。そしたら、あれだけいた熊が本当にぱったり消えちまった。誰もクマを見なくなって、農家も最初は助かったって喜んでたけど――」
コーヒーが静かに注がれ、カップが目の前に置かれる。
「……すごい会社なんですね!」
そこではちるが、純粋な感心を口にすると、サチコさんは「だがね」と、さらに声を低くした。その目には、長年この土地で生きてきた者だけが持つ、深い疑念の色が浮かんでいる。
「熊がいなくなって喜んだのも結局は束の間さ。今じゃ、この町はあの会社にすっかり乗っ取られちまった。農家は、法外に安い値段で契約させられて、逆らえば、あんた、文字通りの村八分だよ。役場も、新聞も、警察もみんな会社の言いなりさ。何か不都合なことがあっても、決して表には出ない」
「そんなに、ですか……」
「ここだけの話だけどね。あたしの知ってる農家の子も、契約断った途端、誰にも口をきいてもらえなくなった。昔はみんな助け合ってた町だったのに、今じゃ何かとギスギスしてて……。
あんた、変に詮索なんてしない方がいいよ。若い人が何かに巻き込まれるのは見たくないからね」
彼女は、窓の外に広がる、さびれゆく町の景色に視線を移す。
「湖の周りじゃ、外国の金持ち相手のリゾート開発がどんどん進んで、土地の値段ばっかりが上がっていく。昔から住んでる人間は、日々の暮らしもままならないっていうのにね。
……あ、ごめんねぇ。なんか、シケた話しちゃったから、クロワッサンもおまけしとくわ」
と、彼女は皿を1枚余計にカウンターに差し出した。
「あっ、どうも」
はちるは頷き、それをひと口かじる。
バターの香りが口いっぱいに広がるが、重苦しい空気は晴れない。
サチコさんの言葉のひとつひとつが、はちるの胸に重く突き刺さる。
「……でも、どうしてそんなことができたんでしょうか?熊を、いなくさせるなんて」
はちるが、かろうじて絞り出した問いに、サチコさんは、まるで世界の真理でも語るかのように、
静かに、しかしはっきりと告げた。
「さあね。……ただ、この町で、カムイ・ディベロップメントに逆らおうなんて人間は、もう誰もいやしないよ。あんたも……まあ、あまり変に嗅ぎ回らない方がいい。この町にゃ、今や熊より怖いもんが、たっくさんいるからね」
その言葉は、忠告であり、そして、この町に生きる者の、声なき悲鳴のようでもあった。
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本家:ページ中にキャラのコンセプトアートなどあり
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