Issue#01 I I I Don't Want to Set the World on Fire CHAPTER 01 01
サブタイトルの元ネタ:THE INK SPOTSの曲名(ゲーム『Fallout』シリーズでの楽曲使用を念頭において)。
空縁州は白走市――その郊外に広がる山林の地には、
上空から見たとき、ひときわ鮮やかに開けた一角がある。
まるで、大地にぽつんと浮かぶ10円ハゲさながらのその場所には、古雅な趣をたたえた建築群がひしめいてる。特徴ある意匠に目をとめれば、誰もがその正体を即座に知ることだろう。
――そう、これは寺だ。
仏教伝来のごく黎明期に創建されたこの古刹。
私有地となってからは、寺院としての名も役割も失われ、もっぱら「吉濱さんの家」で通っている。
……ここの本堂は広い。外観こそ、ひどくくたびれてはいるが、
その、砂気を帯びた鉄鋲打ち扉の向こうに広がる空間は、建立以来の端正な美観を保ち続けている。
床は一面の板張りで、満ちている空気には目をみはるほどの澄明さがあった。
やや高い位置に設けられた長方形の窓は、建物の長辺の壁面に等間隔で連なり、
そこから差し込む陽光は、框の真下の白壁にほんのりかかって、柱をなでながら、
微妙な角度で室内に降り注ぐ。
ひな壇の上にひしめく諸天の小像をはじめとした仏像群と、それを取り囲む荘厳具の数々――香炉、
幢幡、華鬘にいたるまで――素人目に見てもひととおりが過不足なく揃えられた調度品が
どうにも美しく見えてしまうのは、けして、物そのものの豪奢さだけに起因することではないだろう。
1辺が数mある結界の内にだけ、そうした宗教の華美が施され、でないところは極端に
がらんとして武張ったこの空間。そこに1枚だけ敷かれた座布団には、着物の女が座していた。
彼女の姿は一見するとあどけない子供のようだが、はたして実際のところはどうだろうか。
少なくとも、彼女が身に纏う着物は、とても「童女」にあてがうような物ではない。
そもそも和装というだけで相応の値が張る現代において、彼女のそれは明らかに次元が違っていた。
まるで絵巻物から抜け出してきたような――往時の公家を思わせる、息を呑むほどに格式高く、
重厚な逸品だったのだ。
さらにその上には、丹後ちりめんで仕立てられた白の羽織まで着重ねている。
淡く光を散らすそのしなやかな生地からは、焚き染められた白檀の香さえほのかに漂ってくるかのようで、ラメのように微細な光沢を帯びたその布地には、袖や裾の縁に近づくにつれ、
オレンジ色の鱗模様が、横線の本数によって徐々に現れてくる仕掛けが施されていた。
白く長く、まっすぐな髪もまた、遠目にもよく手入れが行き届いた上品な仕上がりをみせている。
その髪が額の左右で自然にかき分けられているのは、
そこに人ならざるものの証――すなわち、角が生えているからだ。
緑、白、桃色。まるで三色団子を思わせる配色の、鋭利な構造の突出だった。
「十二」単とはいかぬまでも、幾重にも着重ねられた衣の袖々が醸し出す段彩の文様は、
色とりどりの水がごとく、床へと静かに流れていく。その中心にあって背筋を真っすぐ据えた彼女の姿は、
まさに、完美なるひとつの山体としてそこに存在していた。そして、その沈黙の中には常に、思念の霊妙なるゆらめきが含まれていた。
――まもなく我々は、ひとつの気づきを得ることになる。
このままずっと続くかと思われた彼女の瞑想にも、じつは終わりどきがあるのだ……と。
2本角の淑女は、そういった事実を、ごくわずかな身動きによって、効率的に外界へと示す。
研ぎたての刃物で、横一文字のきざみ目を入れられていく皮のうすい果実のように、
両のまぶたが音もなく半開きにされていった。よく熟した赤い色の瞳が、
事の始まりのみずみずしさを保つがまま中からゆっくりと現れる。
けして険しくはないが、真剣なことにはかわりないその目つき……!
(――聞くがよい、わが子らよ。
これより我は母ではなく、かつて出雲の地に顕現した神のひと柱――
吉濱尚猛尊として、お前たちに命を下す。
ひっじょ~に大切な話があるゆえ、今すぐ本堂に集まるのじゃ。
この声を耳にした以上、遅れることは断じて許さんぞ――!)
鬼女の脳内にひらめいたこの言語性の思念は、ほどなくして公共の念波となり、
寺の境内を、ゆるやかに、けれどもたしかに、円を描くように渡っていった。
――その余韻がまだ堂内に漂ううち、
「なんなの母さん?テレパシーで呼ぶのいつもドキってなるからやめてほしいんだけど……」
「どうした?DAZOOMの解約ページにようやくたどり着けたのか?」
「あとにならない?お母さん!?いまデッキビルドしてるんだけど!」
「……みんな、ママの話真面目に聞こうって!」
ポップコーンが弾けるように、堂中あちらこちらの障子と扉が立て続けに開き、
追って4人の少女が姿をあらわした。しかもそれは……ほとんど同時と言ってよかった。
カルテット・マジコ
The Most Magically Chaotic Quartet on Earth!
issue01 I Don't Want to Set the World on Fire
極上のインディーズ!
カルテット・マジコは、小説の文法に従って設計された小説ではありません。
この言い方だけでは伝わらないと思うので、ゲームの世界から補助線を引かせてください。ローグライトという言葉があります。
ソウルライクという言葉があります。どちらも、ある特定のゲームが確立したデザイン思想を抽出し、それをジャンルの名前として独立させたものです。
ローグライトは『ローグ』から、ソウルライクは『ダークソウル』から。元になった作品の核心部分を受け継ぎながら、
そこに新たな解釈と変奏を加え、別の開発者の手で無数の派生作品が生まれていく。私がカルテット・マジコで試みているのは、それと同じことを小説という媒体で行うことです。
本作を、私は「マーベルライト」あるいは「アメコミライト」と位置づけています。
マーベル・コミックスが数十年にわたって築き上げてきたスーパーヒーロー・ユニバースの設計思想――複数のヒーローが同一の世界を共有し、
それぞれの物語が交差し、影響し合い、やがて巨大なクロスオーバーへと収束していく、
あの構造。個々のキャラクターが固有の出自とテーマを持ちながらも、ひとつの宇宙の法則の下で共存する世界観の厚み。
そうしたアメリカン・コミックスが練り上げてきた物語の骨格を、カルテット・マジコは日本語の散文という器の中に移植しようとしています。
ただし、移植するのは現在進行形のマーベルではありません。
ここで、もう一度ゲームの世界に目を向けてください。任天堂が『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』や『ティアーズ オブ ザ キングダム』で3Dオープンワールドの最前線を切り拓いている。スクウェア・エニックスが『ドラゴンクエスト』を最新のグラフィック技術で送り出し続けている。
本家が時代の要請に応え、技術の進歩に合わせて作品を進化させていく。その過程で、かつてのシリーズが持っていた特定の手触り――2Dのドット絵が生む独特の空気感、
容量の制約が生んだ想像の余白、少ないピクセルに凝縮された表現の密度――そうしたものは、進化の代償として少しずつ手放されていきます。
それは必ずしも悪いことではありません。本家には本家の使命があり、前に進み続ける義務がある。
しかし、その本家が進化の過程で置いていったものを拾い上げ、現代の技術と感性で磨き直し、新しい作品として送り出す者たちがいます。
インディーズの開発者たちです。彼らは過去の2Dシリーズが持っていた核心を抽出し、そこに自分たちの解釈を加え、
本家が開発の大規模化やユーザーからの多様な要求や進化への強迫観念ゆえにもうやらなくなったことを、自由にやり続けている。
『Hollow Knight』が『メトロイド』の精神を継承しながら独自の傑作となったように。『Shovel Knight』がファミコン時代のアクションゲームの文法を現代に蘇らせたように。
彼らの作品は懐古趣味ではありません。過去の形式を現代の水準で再構築することで、本家とは異なる方向の「最前線」を切り拓いているのです。
カルテット・マジコが目指しているのは、まさにそれです。
アメリカン・コミックスの文脈に置き換えるなら、本作が参照しているのは1960年代のシルバーエイジです。
スタン・リーとジャック・カービーがマーベル・ユニバースの礎を築いた時代。ヒーローたちが荒唐無稽な敵と戦い、
科学と魔法が同じページの上で共存し、宇宙の果てと街角の日常が地続きに繋がっていた時代。
物語がまだ政治的な正しさやリアリティラインの整合性に縛られる前の、純粋な想像力の噴出がそのままページを駆け抜けていたあの時代の躍動を、
現代の散文技術と物語構築の知見でブラッシュアップし、より良い形で再現する。
オマージュであると同時に、更新でもある。その反復の中から、本家とは別の系譜に属する新しい何かが立ち上がってくることを信じています。
時代の潮流に背を向けているわけではありません。時代の潮流とは別の場所に、もうひとつの最前線を立てているのです。
小説の世界において、これはまったく新しい試みです。しかし、傑作であることだけは保証します。
メトロイドに対するホロウナイト。マイクラに対するテラリア。マザーに対するアンダーテール。
牧場物語に対するスターデューバレー。ディアブロに対するPoE。
そしてマーベルコミックに対するカルテット・マジコ……。本作は間違いなく、そうした位置にある一作です。




