-73- 鰻(うなぎ)
出世する前の方がよかった…と思えることがある。出世して後は決して味わえない妙味というか、そんな掛け替えのない無形の財産がある訳です。^^
出世する前は鰻屋の裏塀前に腰を下ろし、いい匂いをおかずにして家で詰めた大麦混じりの飯で食べていたな…と、貧しかった昭和三十年頃を思い出した錦戸ホールディングスの会長、錦戸は高級料亭の和室で天然鰻の白焼きを頬張りながら美酒を口に含んだ。出世によって齎された、匂い⇔天然鰻の白焼きという食物の違いが錦戸の心を鮮烈に射抜いたのである。ただ、あの頃、匂いで食べたときは実に美味かったが…と、今、食べている白焼きの美味さが劣ることにふと、疑問が残った。
「あの…失礼いたします。お連れ様がお付きになられました…」
料亭の仲居が正座しながら襖を開け、錦戸に伝えた。
「ああ、入ってもらって下さい…」
錦戸は小声で返した。しばらくして、美形の女性が現れた。社長が手配した女秘書の一人である。その後、アンナことやコンナことがあり、次の朝となった。錦戸は思った。シコシコ励んでいた頃の方が美味かったな…と。
下卑た話にはなりましたが、確かに出世する以前の方がよかった…と思えることは、鰻に限らずあるようです。^^
完




