第五話『悪魔』
真新しい門を潜ると、その先には砂利が敷き詰められていた。そこに浮島の如く飛び石が置かれている。わたし達の歩幅だと、ちょっと幅が広い。亜里沙は大股になり、わたしはジャンプしながら渡った。紗耶だけは軽やかなステップで渡り切っていた。
「これ、なんて言うんだっけ?」
「石灯篭だよ』
お祖父ちゃんの家にも小さい物があるけれど、ここの石灯籠はかなり立派だ。
「……なんか、チグハグって言うか、ギャップが凄いね」
亜里沙が言った。
「うん」
同感だ。村の寂れ具合に対して、この旅館だけが洗練され過ぎている。
「村興しの助成金を全部注ぎ込んだんじゃない?」
紗耶が言った。なるほど、助成金を一点に集中したわけだ。
「村全体を綺麗にするより、お金の使い方としては正しいのかもね」
「先行投資って奴かー」
助成金が具体的にいくら位なのかは分からないけれど、村全体の家々を建て替えたり、道路を舗装したら瞬く間にお金が溶けてしまっていた筈だ。
幸い、この村には龍玉湖という観光名所がある。そこを一望出来る場所に助成金を全額投じた旅館を立てる事で観光客を招き、そこから収益に繋げていこうとしているのだろう。
わたしだったら、まずは目先の事から改善する為にお金を使っていたと思うから、この村興しを考えた人は相当な切れ者なのだろうと思った。
「ようこそお越しくださいました」
本館に辿り着いて中に入ると、直ぐに仲居さんが出迎えてくれた。
ずっとスタンバっていたのだろうか? 彼女からも並々ならぬ気合いを感じる。
「よろしくお願いします! わたし、予約した三上です!」
「三上様、お待ちしておりました。まずはお荷物をお預かり致します」
亜里沙が代表して挨拶をすると、建物の奥から屈強な男性達が現れた。彼らに荷物を預けると、部屋まで運んでくれるようだ。前に家族で泊まった旅館よりもサービスが良い。
「お手数ですが、こちらの書類にサインをお願い致します」
「はい!」
亜里沙が仲居さんに渡された書類にサインをしている間、わたしは辺りを見回してみた。
まず目についたのは天井近くの壁だ。木目の壁に龍の姿が掘られている。靴箱の上にも木彫りの龍の置物が置かれていて、受付の傍には龍玉湖らしき緑の湖面の上に浮かぶ龍の絵が飾られている。
何処もかしこも龍尽くしだ。
「あっ、龍のぬいぐるみだ!」
「かわいい!」
受付にはお土産のコーナーもあった。漬物や佃煮といった渋いお土産の中央にふわふわの龍のぬいぐるみがドドンと置かれている。
「あっ、地図もある!」
ぬいぐるみの傍には村の地図があった。
「『御自由にお取り下さい』って、書いてあるね」
わたしは三人分の地図を取った。
お土産コーナーから戻ってくると、丁度受付も終わったらしい。
「それでは、お部屋に御案内致します」
「はい!」
「お願いします!」
「ありがとうございます!」
靴を靴箱に仕舞い、わたし達は仲居さんの後に続いて旅館の奥へ進んでいった。
すると、微かに木の香りがした。どうやら、かなり新しい建物らしい。
「こちらがお客様のお部屋になります」
そこには引き戸があった。
「こちらの機械にカードをタッチすると、扉が解錠される仕組みになっております」
そう言うと、仲居さんは亜里沙にカードキーを三枚渡した。これが部屋の鍵になるわけだ。
試しに仲居さんがカードを端末にタッチすると、扉からカチャリと音がいた。どうやら、無事解錠出来たようだ。
「それでは、ごゆっくりとおくつろぎ下さい」
「はい! ありがとうございます!」
「ありがとうございます!」
「ありがとうございます!」
声を揃えてお礼を言うと、仲居さんは上品に微笑んで去って行った。
「なんか、すごいハイテクだね」
さすがは助成金一点集中旅館だ。
「わお! 中も良い感じじゃん!」
「畳だー!」
「謎の空間もある!」
わたしと亜里沙は畳に寝転がった。
紗耶は窓際になる謎の空間にある座椅子に座りはしゃいでいる。
「謎の空間って、ほんと謎だよね。なんであるんだろ?」
「しらなーい」
「わかんなーい」
この謎は迷宮入りになった。
「畳って、なんか良いよねぇ」
「うん。気持ちいい」
「わたしもそっちいくー」
畳の上でわたし達はしばらくイモムシになった。
「あっ、お茶菓子あるよ!」
「龍玉だって、どんなのかな?」
「わぉ! 綺麗!」
包を破くと、そこには透明感のある緑の球体が入っていた。プヨプヨしていて、何とも不可思議なお菓子だ。
「葛粉に抹茶を混ぜたお菓子っぽいね」
亜里沙が包に貼ってある食品表示ラベルを見て言った。
「見た目最高じゃん! 写真撮っとこうよ」
「いいねぇ!」
「小皿あるし、これに乗せよ!」
まずは龍玉だけで一枚、それから一人ずつポーズを取りながら数枚、最後にタイマー機能で三人で数枚。
それからわたし達は一個ずつ龍玉を食べた。
「お、おいしい……?」
「う、うーん」
「不味くはないかな」
なんというか、味が薄かった。ほのかな甘さはあるものの、本当にほのかなのだ。
「何も掛けてない葛餅……」
「きな粉とか黒蜜が欲しくなるね」
「見た目全振りじゃったか」
とりあえず、SNS映えはしそうだ。
一ヶ月前に登録したばかりのZEROに投稿してみた。すると、すぐにリアクションが付いた。
通知を確認すると、レオンで出会ったブレイバー達だった。
ブレイバーというのは、ゆうちゃんや浩介が愛好していたカードゲーム、ウィザード・ブレイブのプレイヤーの事だ。かく言うわたしも一応はブレイバーだったりする。もっとも、バトルの経験はカードショップ・アースで浩介に教えてもらいながらの一回だけだけど、二人にも布教しようと思って、デッキを持って来ていたりする。
「さーて、そろそろ出掛けますかぁ!」
「おー」
「よっこいしょっと」
わたし達は必要な物だけを持って、部屋を飛び出した。
ルームキーとなるカードは無くさないようにスマホケースに入れておく。
「たしか、虫取り網のレンタルが出来るんだよね?」
「うん。ホームページにそう書いてあったよ」
亜里沙がスマホで依坐村のホームページを開いた。旅館では自然の中で楽しめるアクティビティとして、虫採りセットやバーベキューセット、フリスビーなんかのスポーツ用品のレンタルが出来ると描いてある。
「バーベキュー良いよねぇ」
紗耶は涎を垂らしながら言った。
「良い!」
「鹿や熊の肉も食べられるっぽいよ!」
ジビエという物だろう。普段、食べる機会が無いからちょっとワクワクする。
「熊の手って、美味しいらしいよね」
「処理が大変って聞くけど、処理済みのをくれるんだよね……?」
「そりゃそうでしょ」
早めに申し込んでおけば朝昼晩のどれかの食事をバーベキューに変えてもらえるようだ。
「やっぱり、バーベキューは夜でしょ!」
「だよねー!」
「夕飯はバーベキューに決定!」
最初はどうなる事かと思ったけれど、楽しくなって来た。
「……蘭子」
「ほら、受付行くよ」
急に二人のテンションが下がってしまった。
「う、うん」
戸惑っていると、紗耶がハンカチをわたしの目元に押し当てて来た。
「無理させる為に誘ったわけじゃないからね」
彼女は言った。
「泣きたくなったら泣いていいし、叫びたくなったら遠慮なく叫びなよ。わたし達の仲なんだからさ」
無理をしたつもりは無かった。ただ、楽しくなってしまっただけだ。
ゆうちゃんが死んで、浩介が少年院で辛く苦しい時間を過ごしているのに、わたしは楽しくなってしまった。
その事がどうしても許せなくて、自分の首を締めたくなった。
―――― お前がゆうちゃんの事をちゃんと見ていなかったせいだろう?
―――― お前がゆうちゃんをちゃんと叱ってあげなかったせいだろう?
―――― お前が浩介に特別な関係を望んだからだろう?
―――― すべての元凶はお前だろう?
その通りだ。あの事件の元凶は浩介でも、ゲームメーカーでもない。
わたしのせいでゆうちゃんは死んだのだ。それなのに、わたしは浩介に真実を突きつけた。
己の罪を償う事なく、他者に罪を償わせている。
それは悪魔の所業だ。その悪魔は性懲りもなく人生を謳歌している。
そんな資格がお前にある筈がないだろうと分かっている癖に、親友達の心遣いを無為にするべきではないと言い訳をして、与えられる慈悲を遠慮なく享受している。
なんて浅ましくて、悍ましい女なのだろう。
「虫採りの次は湖を見に行こうよ」
「その次は神社を見に行ってみようよ」
「……うん」
わたしの手を引いてくれる二人の手をわたしは振り払う事が出来ない。
彼女達が与えてくれるものを捨てる事など出来ない。
ああ、本当にわたしはどうしようもない程に悪魔だ。