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第一話『再起』

 ゆうちゃんの死から一ヶ月が過ぎた。

 浩介が自首した後、ママは茫然自失となり、パパは荒れた。


 ―――― 一体、何を考えていたんだ!?


 彼が仕分けた手紙を持って来た時の事を思い出す度にパパは家の物を壊した。そうしなければ抑えられないくらいの強い怒りを抱いている。


 ―――― 何が蘭子を見てやってくださいだ! 殺人鬼め!


 悲しみと怒りでパパの心はグチャグチャになってしまっている。

 事件解決後に裁判所で刑事記録を見せてもらい、浩介が殺したくて殺したわけではなく、ゆうちゃんにも非があり、本当の巨悪は他にいた事が明らかにされたけれど、そんな事は何の慰めにもならなかった。

 失われた命は帰ってこない。わたし達家族の幸せは永遠に失われてしまった。

 もう二度とゆうちゃんの笑顔を見る事が出来ない。

 もう二度とゆうちゃんの声を聞く事が出来ない。

 もう二度とゆうちゃんを抱きしめる事が出来ない。

 もう二度とゆうちゃんの為におもちゃを買ってあげる事が出来ない。

 もう二度とゆうちゃんに学校の勉強を教えてあげる事が出来ない。

 もう二度とゆうちゃんの大好物を作ってあげても、食べてもらう事が出来ない。

 もう二度とゆうちゃんの我儘を聞いてあげる事が出来ない。

 完璧だったわたし達の日常には無数の穴が空いてしまった。その穴に気が付く度に深い悲しみが襲ってくる。

 だけど、パパも浩介を本当に邪悪な存在だとは思っていない。浩介の両親が真っ青な顔で謝りに来た時は必死に理性を働かせて、彼らに許しを与えていた。ただ、感情を抑え切れなくなる可能性があるから、二度と顔を見せないで欲しいとも告げた。その時の浩介のパパの絶望を宿した表情は今もハッキリと覚えている。

 パパ達は昔からの親友同士だった。時々、二人っきりで釣りに行く事もあり、お互いを掛け替えのない存在だと信じ合っていた。その絆が決定的に断たれてしまった事を浩介のパパは受け入れきれなかったのだと思う。それはパパ自身に対しても言える事で、二人が帰った後、パパは泣きながら深酒をした。度数の強いお酒で酔わないと耐え切れなかったからだ。

 一度はまとまり掛けていた家族はまたバラバラになってしまった。

 その引き金を引いたのはわたしだ。

 

 ―――― 自首して……、浩介。


 浩介の罪が少しでも軽くなる事を望んで、わたしが事件を終わらせた。

 ママとパパに真相を話し、浩介に自首を求めて来た事を話した時の二人の表情を思い出すと胸が苦しくなる。

 二人にとって、わたしは裏切り者だ。

 必死に抑えようとしてくれているけれど、二人は間違いなく怒っている。憎んでさえいるかもしれない。

 だけど、許しを得る為に心にも無い事は言えないし、正当性を主張する為に理屈を並べようとすれば、それは家族全員に対する糾弾となってしまう。そして、そんな事をしても事態が改善する事はあり得ない。今度こそ、家族は二度と一つになれなくなる。

 

「……逃げちゃダメだよ」


 わたしは鏡に向かって言った。

 鏡の中のわたしはメイクをして、髪型を整えて、制服を着ている。

 学校に行けば、わたしは奇異の目に晒される事だろう。だけど、いつまでも引き籠もっているわけにはいかない。見知らぬ土地で心機一転する気もない。

 後退りたがる足に活を入れ、わたしは必要な物を詰め込んだカバンを持って、玄関に向かった。それから振り返って、口を大きく開けた。


「ママ! パパ! 行ってきます!」


 その途端、二箇所から大きな音が響いた。

 

「蘭子!?」

「ら、蘭子! どこへ行くんだ!?」

「学校!」


 ポカンとした表情を浮かべる二人に、わたしは改めて「行ってきます」と言った。

 家を出て、しばらく歩くと亜里沙と紗耶がいた。

 わたしは目を大きく見開いた。

 そこはいつもの合流場所だった。だけど、それは一ヶ月前までの話だ。今日から登校する事を二人には言っていなかった。二人の助けを借りずに、この試練を乗り越えなければいけないと考えていたからだ。だから、二人がここで待っている筈は無かった。相変わらず、ここを二人の合流場所にしていたとしても、二人が合流した時点で学校へ向かっている筈だからだ。来る筈の無い三人目を待つなんて、一週間も続けてくれていたら奇跡だ。


「……二人共、何してんの?」

「開口一番がそれかい!」

「何してんのって、決まってんじゃん」


 二人はやれやれ呆れたものだと言いたげに大きく肩を竦めて見せた。まるで海外ドラマのようなオーバーリアクションにわたしはやれやれ呆れたものだと肩を竦めた。


「待ってたよ、蘭子」

「んじゃ、行こっか」

「……うん!」


 一ヶ月の間、彼女達はずっとわたしを待ってくれていた。

 その事実はわたしの心を炬燵に放り込んだ。ポカポカと通り過ぎて、熱くなり過ぎてしまう。

 

「しばらく振り向かないように!」

「はいはい」

「へーい」


 わたしはポロポロと零れる涙を止められなかった。

 折角のメイクが崩れるし、浩介との泣かないという約束をあっという間に破ってしまった。

 前者は落ち着いたら直そう。後者は見られていないからセーフという事にしよう。


「ちなみに、オガッチも首を長くして待ってるぞー」

「一ヶ月分の宿題、頑張れ!」


 わたしは泣いた。

 オガッチこと、小笠原國光(おがさわら くちみつ)はわたし達の担任の先生だ。途轍もなくハンサムなのだけど、とにかく融通が利かない。真面目や頑固という文字の体現者であり、嫌われているわけではないけれど、苦手な先生ランキングではぶっちぎりの一位だ。

 だけどまさか、最愛の弟を失ったばかりの人間に1ヶ月分の宿題を残しておく程の人非人(にんぴにん)とは思わなかった。


「蘭子!」


 およよと嘆いていると、後ろから抱き締められた。


「遂に復活かい!?」

「ちょっ、綾子! 道端で急に抱きつかないでよ!」

「ツレナイ事を言うんじゃないよ! アンタの数日ってのはどんだけ長いんだい!」


 彼女の声は少し震えていた。


「ほら、みんなも待ってんだからね!」


 そう言って、綾子はわたしのプリティヒップを引っ叩くと、走り去って行った。


「……もう」


 綾子と前に会ったのは浩介と一緒に学校へ行った時だ。彼女には相当な心労を掛けてしまった事だろう。だけど、彼女も変わらない態度で接しようとしてくれている。おかげで不安が薄らいで、足取りも軽くなった。二人に追いついて、横並びになって歩いていると学校が近づいて来た。

 あの日以来の学校はあの日のまま、何も変わっていない。


「あっ……」

「おい、結崎だぞ」

「あの子ってさぁ……」

「あの噂って、本当なのかな?」

「不破と一緒に学校に来てたって聞いたぞ」


 その声が聞こえた時、わたしの足は止まりかけた。ヒソヒソ声なのに、ハッキリと耳に入ってくる。

 浩介と一緒に学校に来た時、まだ生徒がチラホラと残っていた。その中の誰かが広めたのかも知れない。

 覚悟していた筈なのに、その視線が切れ味の鋭いナイフのように心を抉ってくる。

 

「おっと、そろそろ急がないとヤバそう!」

「ほらほら、行くよ!」


 いきなり亜里沙がわたしの手を引っ張り、紗耶が背中を押した。


「うん」


 一人だったら立ち止まってしまっていたかもしれない。だけど、わたしには二人がいる。

 三人揃えば、わたし達はいつだって無敵だ。苦しみも悲しみも三人でならば立ち向かえる。

 わたしは紗耶の手を掴み、二人を引っ張る勢いで駆け出した。


 ◆


 教室に入り、蘭子がメイクを直してくるとトイレに向かうと、紗耶は自分の机を殴りつけた。


「よしよし、良く耐えたねぇ」


 ボクシング部のエースの一撃は木製の頑強な机にへこみを作ってしまった。その拳を蘭子に好奇の目を向けて来た連中に振るわなかったのはボクシング部主将による精神鍛錬の賜物だろう。

 超高校級とまで言われる紗耶の拳で本気で殴られたら人死(ひとじに)が出かねない。


「……蘭子が頑張ってるのに」

「よしよし」


 紗耶の気持ちはよく分かる。わたしだって、ムシャクシャしている。だけど、こうなる事は予想が出来ていた。きっと、蘭子もだ。

 テレビでは不破の名前は出ていない。だけど、不破が退学処分になったタイミングで犯人逮捕の速報が流れたから、気付く人間はそれなりにいて、その中には口の軽い者もいた。

 蘭子と不破の仲の良さはそれなりに知られていたから、邪推をする人間も現れて、それがまたたく間に広がってしまった。

 もっとも、それを表立って言う人間はもう殆どいない。何しろ、一度オガッチがマジギレしているからだ。


 ―――― 根も葉もない噂で他人の尊厳を傷つけるなど、恥を知りなさい!


 元々、全校生徒から恐れられていて、オガッチよりもオーガ呼びが多い彼に目を付けられたいと思う人間はいなかった。彼の前でうっかり噂について口にしてしまった生徒は親まで呼び出されて生徒指導室で親子共々泣くまで説教されている光景が目撃されている点も大きい。

 昨今問題視されているモンスターペアレント相手にも理詰めの説教で打ち負かす、恐怖の説教モンスター、それがオガッチだ。だから、校内にいる限りはちょっかいも掛けられない筈だと思う。

 蘭子の山盛りの宿題を一切免除しない鬼畜だけど、蘭子を守る守護神でもある。だから、彼は嫌いではないけど凄く苦手という評価になるのだ。


「ただいまんぼー」

「おかえりんぼー」

「おかえり」


 蘭子が戻って来ると、オガッチも教室に入って来た。

 彼は蘭子を見ると、ちょっとだけ表情を変えた。ほんの僅かな変化だったけれど、わたしは見逃さなかった。ちょっと泣きそうで、それ以上に嬉しいと彼は感じている。


「着席しなさい! 出席を取るぞ」


 今日も彼はイケている。

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