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王宮で不遇な扱いを受けた聖女は、辺境伯に溺愛される ~妹と浮気した王子が「復縁して欲しい」と婚約破棄を後悔してももう遅い~

作者: 上下左右


「調理人が怪我をした。誰か、聖女を連れてこい」

「え~、嫌ですよ。私、あの人、嫌いですもん」

「私も行きたくないで~す」


 王宮で使用人が怪我をすると、毎度広がる光景だった。柱の陰に隠れていた聖女のアリスは、陰口が悔しくて下唇を噛み締める。


 聖女は代々、王家に嫁ぐ習わしだ。アリスもまた例に漏れず、第一王子のヒルメスの婚約者となり、王宮で暮らすことになった。


 嫁いだ当初は新婚生活への期待で胸を躍らせていた。しかし、現実は使用人たちから腫れ物のように扱われる毎日。本来、聖女は王国の救世主であるため、皆から慕われる存在のはずなのに、アリスは王宮で陰湿ないじめを受けていたのだ。


 陰口を叩かれるのは序の口で、食事が提供されなかったり、私物を隠されたりしたこともあった。理不尽な扱いにアリスの心は擦り減っていた。


(私の救いはヒルメス殿下だけ……)


 地獄に差した光明のように、婚約者であるヒルメスだけはアリスに優しくしてくれた。


(殿下に会いたい……)


 柱の陰から逃げ出し、ヒルメスの私室に向かう。早足になっていたのは、一刻も早く彼に会いたいとの想いからだった。


(あれは……ナルス様……)


 廊下の先で見知った顔が近づいていた。辺境伯のナルスだ。見上げるほどに高い長身と、美しい黒髪、そして丸太のように太い腕と凛々しい顔立ちは、女性なら誰もが振り向くほどに魅力的だ。


 さらに彼は、辺境伯の立場であるが、国王にも負けない権力を有している。国境沿いを守る軍事の要であり、王国が平和を維持できるのは彼の存在が大きな要因となっているからだ。


 魅力と実力を兼ね備えたナルスだが、アリスはそんな彼に苦手意識を持っていた。


(以前、使用人を叱りつける光景を見てしまったせいですね)


 なぜ怒っていたのか理由は知らない。だが凄い剣幕で怒りを露わにしていた光景が脳裏に焼き付いて離れない。


 怒っていた相手が、いつもアリスをいじめる使用人だとしても、ナルスに対しての苦手意識を払拭できなかった。


「アリス、こんなところで奇遇だな」

「え、ええ……」


 ナルスは満面の笑みを浮かべる。凛々しい顔がさらに輝いていた。


「どこかへ行くのか?」

「ヒルメス殿下に会いに行くつもりです」


 正直に答えると、ナルスは困ったように眉尻を下ろす。


「今はやめておいた方がいいと思うぞ」

「どうしてですか?」

「それはなぁ……」


 要領を得ない反応に、アリスは「失礼します」と頭を下げて、その場を後にする。


(悪いことをしてしまったでしょうか……)


 ナルスはアリスに対してはいつも親切に接してくれる。笑顔を向けてくれるし、いじめたりもしない。だからこそ塩対応をしてしまったことに罪悪感を覚える。


(いつか謝るとしましょう……いまはそれよりも……)


 廊下を進み、とうとうヒルメスの私室に辿り着く。扉をノックすると、慌てるような音と共に、扉から男が顔を出す。


 アリスと同じ黄金を溶かした金髪と、澄んだ青い瞳が特徴的だった。見惚れるほどに美しい顔だが、何かに慌てていたのか、不自然な笑みが浮かんでいた。


「どうしたんだい、アリス」

「殿下の顔が見たくて……もしかして、お忙しかったですか?」

「ま、まぁね。大事な仕事をしていたんだ」


 ヒルメスの声は震えていた。さらに彼から女性の香水の匂いが漂っている。悪い予感が頭を過るが、アリスは無理にその考えを引っ込める。


(殿下が浮気なんてするはずがありません。きっとこの匂いも仕事相手のものに決まっています)


 部屋の中を覗かせて欲しいと一言伝えれば、不安は払拭される。だがそれを請う勇気がアリスにはなかった。


「忙しいから、もういいかな?」

「あ、はい……」


 ヒルメスは扉を閉める。二人を分断した扉をジッと見つめるが、何かが変わるはずもない。諦めて帰ろうとした時、見知った顔が近づいてきた。


「ヒルメスに会うのを拒絶されたのか?」

「ナルス様……私を追ってこられたのですか?」

「心配だったもんでな」


 ナルスは気恥ずかしそうに頬を掻く。少年のような態度に心が救われた気がした。


「ナルス様を誤解していたかもしれませんね……」

「俺の印象はそんなに悪かったのか?」

「いえ、私が勝手に怖い人だと思い込んでいただけです」


 二人は肩を並べながら廊下を歩く。静かなのはヒルメスが人払いをしていたからだと、アリスは察していたが、それを口にすることはない。


「ヒルメスがあの扉の向こうで何をしていたか気づいているんだろ?」

「私も察しが悪い方ではありませんから……ですが扉を開けさえしなければ、浮気の事実は確定しません。私にはヒルメス殿下だけが救いですから、愛されていると信じていたいんです」

「救いか……何もかも奴の狙い通りの結果だな」

「どういうことですか?」

「こっちの話だ。それよりも困ったことがあったらいつでも相談してくれ。俺はあんたの味方だからな」


 ジッと真剣な眼差しを向けてくれるナルスに感謝する。辛い記憶を塗りつぶすために、彼が優しい人だと知れた幸運を言い訳に使うのだった。


 ●


 王宮での出来事から数日が経過した。ヒルメスの浮気の疑いを忘れるため、聖女としての務めを果たすアリスに召集がかかる。


(玉座の間への呼び出しですか……いったい何の用でしょう……)


 疑問を覚えながら玉座の間に辿り着く。赤絨毯が敷かれた部屋では、玉座に座るヒルメスと、アリスをいじめる使用人たちが待っていた。


「よく来てくれたね」

「殿下の頼みであれば、いつでも馳せ参じます」

「それでこそ僕のアリスだ。正確には、もう僕のものではなくなるけどね」

「どういうことですか?」

「実はね、もう一人の聖女が発見されたんだ」


 ヒルメスが手を鳴らすと、使用人たちの影に隠れていた女性が顔を出す。その女性はアリスと瓜二つの容姿をしている双子の妹のミシェルだった。


「どうしてミシェルがここに……」

「実は私にも癒しの力が目覚めましたの。お姉様には悪いですが、聖女の立場も、ヒルメス様の婚約者の立場も私が頂きますわ」

「そういうことだ、アリス。残念だが、君との婚約は今日限りで破棄させてもらう」


 無慈悲な婚約破棄に、アリスは膝を折る。ヒルメスの存在だけが辛い王宮での暮らしの中で唯一の救いだった彼女にとって、それを奪われることは命を奪われるに等しい絶望だったからだ。


「アリス、きっと君は諦めきれないだろう。だから引導を渡するために本音を語ろうじゃないか……実はね、君の事は最初から愛してなんかいなかったんだ。ただ聖女だから利用していただけさ」

「で、ですが、あなたは私に優しくしてくれました」

「聖女の力は貴重だからね。他国に亡命されないように僕に依存させるのが目的だったのさ」


 ヒルメスの言葉に、アリスはすべてを察する。彼に依存したのは、王宮で使用人たちから虐められていたからだ。そして彼らはヒルメスの部下である。


「まさか、あなたが首謀者だったのですか?」

「お察しの通りさ。砂漠でなら一滴の水を与えられただけで恩を感じるように、劣悪な職場環境で救いを与えれば、僕に依存させることができるだろ。どうせ愛してもいない女なら、心も痛まないしね」


 アリスの記憶の中の思い出がすべて砕け散っていく。虐められて泣いた夜、優しく頭を撫でてくれたのも嘘だったのだ。


「僕はミシェルと婚約するよ。本当に愛している人と幸せになるんだ」

「ふふ、私もヒルメス様を愛していますわ」


 愛おしげに抱き合う二人を前にして、アリスは奥歯を噛み締める。彼らを喜ばせないためにグッと涙を我慢したのは、彼女なりの抵抗だった。


「そういうことで、これから君は自由だ。僕はもういらないから、誰かアリスを貰ってあげなよ」


 ヒルメスが嘲るように提案すると、使用人たちは醜悪な口元を作り上げる。


「いりませんよ~、こんな根暗な女」

「生涯、独身間違いなしでしょ」

「好きになる男なんているわけないですよ~」


 嘲笑にアリスの肩が震え始める。そんな時、玉座の間の扉が勢いよく開かれた。


「なら俺が貰おうか」

「ナルス辺境伯!」


 国王に匹敵する権力者の登場に、空気が凍る。醜悪な笑みを浮かべていた使用人たちも、緊張感で顔が固まっていた。


「どうしてナルス辺境伯がここに……」

「アリスとの婚約破棄を画策していると聞いてな」

「その情報は僕の部下しか知らないはず……そんなお喋りが紛れ込んでいるとは思わなかったよ」


 ヒルメスが睨みつけると、使用人たちは視線を逸らす。咎められるのを恐れて、名乗り出る者はいない。それがまた彼をイラつかせた。


「僕を裏切って、ただで済むと思っているのか⁉」

「命令されて、罪のない少女を虐めるような小物たちだぞ。自分の意思で裏切ったわけじゃない」

「まさか……ナルス辺境伯が脅したのか?」

「ああ。以前、アリスへの虐めを見かけたからな。二度とやるなと釘を刺すのと同時に、許してやる代わりに悪巧みを知ったら俺に報告するように命じておいたのさ」


 ナルスが使用人を怒鳴りつけていたのは、アリスへの虐めを止めさせるためだった。それを知り、彼女は湧き上がった感情と共に息を飲む。


(私のことを本当に気にかけてくれていたのは、ナルス様だったのですね)


 勇気を奮い立たせたアリスは、顔を上げて、立ち上がる。感謝を伝えるため、小さく笑みを浮かべると、ナルスは真っ直ぐな目で返した。


「アリスはこれからどうするつもりだ?」

「私の居場所はどこにもありませんから……しばらくは野宿になるかもしれませんね」

「なら俺と一緒に暮らさないか?」

「ナルス様とですか? ですがどうして?」

「覚えていないだろうが、昔、怪我を治してもらったことがあってな。いつか恩返しをしたいと思っていたんだ。駄目か?」


 彼ならば、今度こそ心の底から信じられる。行き場のないアリスに断る理由はなかった。


「これからよろしくお願いしますね」

「決まりだな。そういうわけだから、ヒルメス。お前の元婚約者は貰っていくぞ」

「好きにすればいい。僕にはミシェルがいるからね」


 虚勢を張るように、ヒルメスは声を上擦らせる。その声を背にしながら、ナルスはアリスの手を取ると、玉座の間を後にするのだった。


 ●


 婚約破棄から数か月が過ぎた。


 ナルスと共に辺境の地で暮らし始めたアリスは、優しい使用人と、有能な領主に囲まれて、幸せな毎日を過ごしていた。


「ただいま、アリス」


 仕事で出かけていたナルスが帰宅し、それをアリスが笑顔で出迎える。彼の手にはお土産のクッキーの袋が握られている。甘くて香ばしい匂いが、玄関に漂っていた。


「仕事で王都に滞在していたのですよね?」

「ああ。王都の土産をあとで一緒に食べよう」

「ふふ、それは楽しみですね」


 ナルスを出迎える瞬間が、アリスの一番の生き甲斐になっていた。自分のことを心から想ってくれる人がいる。その事実が、彼女の生きる喜びへと繋がっていたのだ。


「実はヒルメスたちに関する土産話もあってな……ミシェルとの婚約を破棄したそうだぞ」

「え⁉」


 アリスを捨ててまで愛し合った二人の破局に、驚きを隠しきれなかった。


「どうして別れたのですか?」

「ミシェルの聖女の力が予想以上に弱くてな。擦り傷くらいしか治療できないと判明したのがキッカケだ」

「妹は回復魔法が昔から苦手でしたからね……でもそれほど大きな問題になるのですか?」

「王家の求心力は回復魔法に依存してきたからな。人は誰しもが病気や怪我をする。そうなった時に王家の抱える聖女だけが頼りだ。だからこそ貴族たちは王家に逆らわないし、他国も王国を敬う。だがその聖女の力が擦り傷しか治せないとしたらどうだ?」

「王家は力を失いますね」

「そういうことだ。アリスを虐めた使用人たちは解雇され、ヒルメスの責任問題にも発展している。なんと、廃嫡の噂まで流れているそうだ」


 王子でなくなれば、ヒルメスはただの人となる。権力を笠に着ていた彼が、平民のように扱われる現実に絶えられるはずもない。彼は愛より権力を優先したのだ。


「だからアリスを返して欲しいと、俺の元に手紙まで届いた」


 ナルスは懐から王家の蝋印が押された手紙を取り出す。そこに記された筆跡はヒルメスのものだった。


「あの……私は……」

「分かっている。こんな手紙は届かなかったことにする」


 ナルスは原型が分からなくなるほど、ビリビリに手紙を破り捨てる。彼はヒルメスの元にアリスを返すつもりは毛頭なかったのだ。


「ありがとうございます、ナルス様」

「感謝するのは俺の方だ。俺はこれからもアリスと一緒にいたい。友でもなく、部下でもなく、一人の女性として傍に居続けて欲しいんだ」

「それって……」

「俺と結婚して欲しい」


 ナルスのプロポーズに対し、アリスは微笑む。心の底から彼女を大切に想ってくれる彼の告白を迷う理由はなかった。


「喜んで!」


 二人は他の誰にも渡さないと主張し合うように、力強く抱きしめあう。王宮で不遇な目にあった聖女は、ようやく幸せを手に入れたのだった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました

ここまで執筆できたのは、いつも読んでくださる読者の皆様のおかげです


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