【やり直し軍師SS-8】王と軍師①
室内には重苦しい空気が漂っていた。
ゼランドは思わず、ごくりと喉を鳴らす。今日で3夜目だ。父とロア殿の話し合いは。
話し合いの場は王の私室である。ここに親族以外で出入りできるのは、ごく一部の人間に限られる。
今、席についているのは父と自分、ロア殿にネルフィアの4人だけだ。父とロア殿の表情は厳しい。
ネルフィアはただ静かに、2人の会談を見つめている。ここには立会人として存在しているようで、意見を発することはない。
このような状況になっている理由は、ロア殿が持ち込んだ一件にある。リフレアへの出陣時期のことだ。
ロア殿の予見通り、今年は凶作になった。事前に聞いていたとはいえ、ゼランドにとっては驚嘆の出来事だった。ロア殿はなぜ、このようなことを予測できたのだろうか。
さらに驚くべきは、凶作をリフレアの弱体化に利用しつつ、各国を牽制する策を打ち立てたことだ。本当に一体、この人はどこまで読んで話をしているのか。
……正直にいえば、時折少し、この人を恐ろしく感じることもある。
このまま放置すれば、リフレアは放っておいても弱体化してゆくだろう。それはゼランドにも予測できる。当面周辺諸国はルデクと帝国に頭が上がらない。リフレアに協力する国は現れない。ゼランドから見て、今回の策は完璧なように見えた。
にも関わらず、ロア殿は「冬もなるべく早い時期に攻め込みたい」と父に訴えに来たのだ。
内容が内容だ。大っぴらにする前に、王と軍師の意思を統一する必要がある。父はロア殿を私室へ招き入れ話合いの場を持った。私も呼ばれたのは、今後のために勉強せよ、そのような意味である。
「このまま放っておけば良いのではないですか? そうすれば冬を超える頃にはもう、リフレアは戦えないように思います」
初日の夜、話し合いの冒頭で、私は素直に疑問をぶつけてみた。するとロア殿は少し微笑んで、それから首を振る。
「王子の考えは正しいです。確実に、そしてルデクの被害を最小限に抑えるのであれば、それが一番間違いないですね」
「それでは、なぜ今なのですか?」
「……では、王子に問います」
ロア殿は私に向きなおり、ゆっくりと質問を始める。
「仮に食料を独占したのがリフレアで、食料がないのはルデクとします。すると、どうなりますか?」
「今話した通りの逆のこと、ルデクが弱ってゆくのではないですか?」
「その、”弱る”とはどういうことでしょうか?」
「……国力が減り、兵士の士気も、力も落ちるのが弱ることだと思います」
「では、国力が減るとはなんですか?」
ロア殿は続けて質問をぶつけてきた。
私は少し考える。国力が減るとはなんだろう。生産力が減る、そういうことだ。そのまま答えようとして、思いとどまる。ロア殿はもう少し先の答えを求めているような気がする。
「……民が……減る……ですか?」
ロア殿は大きく頷いた。正解であったようだ。そして一度目を瞑り、少し辛そうに顔を歪める。その表情は、まるで人が餓死するシーンをはっきりと思い浮かべているみたいだった。
「そうです。そして食料がなくなれば、真っ先に減るのは弱き者達です。決して貴族や騎士ではない。なんの罪もない子供や、老人達から死にます。さあ、もう一つ質問です。もしも、ウラル王子が飢えで亡くなったとしたら、ゼランド王子はどう思いますか? それも、リフレアが食料を止めたせいで」
「……それは絶対に許せないと思います」
それは許せない。必ずリフレアに復讐する。けれどそこで新しい疑問が湧いた。
「ですがロア殿、今回の件、リフレアに食料がないのはルデクのせいではないでしょう?」
リフレアに食料がないのは、リフレアの上層部の落ち度であって、ルデクのせいではない。ルデクを恨むのはお門違いではないか?
「それもまた正論です。同時に、それは、正しい情報を持つ為政者だから言えることです。人々はそうは思わない。隣国は他の国には支援の手を差し伸べた、なのにリフレアだけ何もしない。そのせいで愛する家族が死ぬ。彼らは思うでしょう、ルデクのせいだ、と」
「それは暴論では!」
「いや、暴論ではあるがロアの言うことが正しい。リフレアの民は、リフレアの首脳陣への絶望と共に、ルデクへの怨嗟の声を上げるであろう」
私の反論に答えたのは父だ。
「……そう、なのですか……」
「ルデクにも食料がなければ話は全く違うが、この条件下では間違いなかろうな」
「しかし、それはリフレアがルデクに攻め込んだからこそ! 自業自得ではないですか!」
「それもまた、正しい。だが、リフレアの民たちはこう言うであろう。ルデクへ攻め込んだのは指導者たちであって、自分たちではない、と」
「そんな……」
絶句する私に、ロア殿も続く。
「これは別に、リフレアの民に限った話ではないですよ? ルデクだってそうです。仮に王家が滅んだとしても、全ての人々が王家に殉ずることはありません。なぜなら戦っているのは自分たちではなく、国の責任者たちだから。この考え方は庶民の認識としてはそれほど異質ではない。目の前に被害が及んで初めて、危機を感じるのです」
ロア殿の言葉には、そのような場面を見てきたような妙な説得力がある。
「少し話を戻しましょう。ただ単純に戦いに勝った新たな統治者がやってくる場合と、大切な家族が敵国のせいで飢え死にした。そのように考える人々のところへ、その国が勝者として踏み込んできた場合、王子だったらどちらへも従えますか?」
もしもウラルが飢え死にした後……占領者がやってくる。ただ占領されるよりも、気持ちの割りきりが簡単ではないことはよく分かる。
「……後者は、どうあっても納得できないと思います」
「そのために、早めの進軍を進言しにきたのです」
ロア殿はそのように言い、私はひどく納得した気になったけれど、父は厳しい声で待ったをかける。
「ロアよ、それはあくまで一つの側面に過ぎん。分かっておるであろう。ルデクの被害のことは」
「もちろんです」
そう言って、父とロア殿は再び厳しい顔で頷きあった。