【やり直し軍師SS-67】漂流船騒動(南)⑤
フェザリスは内陸部にある。
ダスが一昼夜馬を飛ばしてなお、船を置いている最寄りの港に到着したのは翌日の夜中の事であった。
このオルセ港には、船を置いているだけでなく、ダスの商会も事務所を構えている。人々が寝静まった時間帯にも関わらず、ダスは己の事務所の扉を乱暴に叩いた。
窓からは仄かに灯りが漏れている。ダスの言いつけをちゃんと守り、寝ずの番を置いているようだ。本来であれば海で何かあった時のための指示だが、想定外のところで役に立った。
「誰だこんな時間に!」
不機嫌を隠そうともせずに出てきたのは、商会の若手、イッポ。その態度に普段なら商売人として注意するところであるが、今はそれどころではない。
イッポは部屋からの灯りに照らされたのがダス本人だと気づくと、目を丸くしたまま固まる。
「イッポ、今事務所には何人いる?」
ダスに話しかけられてハッとしたイッポ。
「え、は、はい! ここには10人ほどです! ……あの、どうされたんで?」
「全員叩き起こせ。出発準備をする」
「出発? こんな時間に一体どこへ……?」
「緊急事態だ。朝になったら船乗りも集めろ。急げ!」
ダスがこのように声を荒らげるのは非常に珍しいことだ。ここに至りイッポもただ事でない状況を察したようで、慌てて寝ている者達を叩き起こしに動く。
イッポに続いて事務所に入ったダスは、イッポが飲んでいたであろうワインの瓶を掴むと、そのまま口にした。思えばろくに水分も取っていない。興奮していたので気が付かなかったが、急速に腹が減ってきた。
ワインのつまみにしていたであろう、チーズと干し肉も次々と腹に押し込む。
完全にワインを飲み干したところで、ようやく少しだけ人心地ついた気持ちになった。
ダスが大きく息を吐いて椅子にどかりと座ったところで、商会の部下達がバタバタとやってきた。その中に商会の番頭を任せているグルーの姿もある。
「ダス様、一体全体、どうされたのですか?」
全員が揃ったところで、グルーが代表してダスへと問う。
用意してもらったパンと水を口にしながら、ダスは一度全員を見渡し、重々しく口を開く。
「他言無用で頼む」
全員が無言で頷くのを確認して、漸くルルリアの危機を皆に伝えると、予想外の内容に、揃って絶句。
「……ルデクがどのように動くか、まだ読めん。とにかく私はすぐにルデクへ向かう必要があるかもしれぬ。故にこそ、いつでも動けるように準備しておきたい」
「わかりました。早急に対応いたします。しかしダス様、貴方はまず、お休みになってください。ひどい顔をしておられます。このままでは海に出るのもままなりません」
グルーの提案に対して少し考え、確かに今夜、無理をしても仕方がないなと思い至る。
「……分かった。朝まで眠ることにしよう。グルー、あとは任せたぞ」
「はい。起床される頃には万事整えておきます」
グルーは長く商会を支えてきた部下の一人だ。この男なら安心であろう。
「ドラン殿から伝令が届いた場合は、いかなる状況でも叩き起こせ」
そのように申し伝えると、近くのソファに倒れ込むように横になり、そのまま泥のように眠りについた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ダスが起きたのは昼少し前。自分でも気づいていなかったが、相当疲弊していたようだ。
「起きましたか。おはようございます」
グルーがテーブルで作業をしながらこちらに声をかけてきた。
「準備はどうなっている?」
「滞りなく。いつでも出発できます。出ますか?」
「いや、ドラン殿からまずは連絡を待つように言われている。かの者ならおそらくそう待たせんだろう。待つ」
「畏まりました。では、まずは食事ですな」
「ああ。準備してくれ」
商人は健啖家であるべき。商機とあらば、祝宴の梯子も珍しくない。その時どこであってもしっかり食べ、豪胆である姿を見せることは名を馳せる上で意外に重要だ。
朝食兼昼飯をしっかりと平らげ、それから身なりを整える。これで漸く、普段のダスが完成した。
「しばらくルデクとの交渉について想定する。伝令が来たらすぐに知らせてくれ」
「はい」
ところが連絡はとんとなく、ジリジリとした時間を過ごすこと実に7日目。
いよいよ痺れを切らし、ドランに「とりあえずルデクに向かっておく」と伝えようとしたその時、ついにそのドランから伝令が来た。
「待っていた。どういう状況であるのか?」
「それが……」
「焦らすな。どうなっているのだ?」
再度聞くダスに、伝令は困った顔で役割を果たさんとする。
「ルデクより正式な通達あり。ルルリア様はグリードルへ送り、それで全て不問とするとのことです」
「何?」
「もとより、ルルリア様の乗られた船が漂流していたものを救出しただけ。人道的な観点によるもので他意はないと」
ダスの想定を超えた対応だ。ルデク王ゼウラシア、器の大きさを見せたか。いや、或いはルデク王国の双頭と呼ばれる2将のどちらかの判断か。
とにかく思ったよりもずっと良い結果を迎え、ダスは「そうか」と言って、ゆっくりと椅子の背にもたれた。
「ドラン様より、詳細を伝えるので帰国して欲しいと。帰りはゆっくりで構わないそうです」
「分かった。近々戻ると伝えてくれ」
伝令を送りだし、部下達に事態の終息を説明すると、ドランの言葉通りゆっくりとフェザリスへ帰還する。
この時ダスはまだ、ルルリアがその才能を大きく花開かせようとしていることには気付いていなかった。
そして、帰国早々に、
「ルデクがタールを大量に買ってくれるから、交渉よろしくね」
というルルリアからの手紙を受け取って、困惑することになるのである。




