【やり直し軍師SS-63】漂流船騒動(南)①
商人ダス。
南の大陸では、それなりに名の知れた商売人であると自負している。
一年の半分は、南の大陸を巡り商品を仕入れ海を渡り、残りの半分は北の大陸で品物を売り捌く。そんな暮らしを20年続けてきた。
ダスは、この生き方に何の不満もなかった。旅はいつだって新鮮な発見がある、出会いがある。飽きることなどない。
……はずだった。
各国に顔の利くダスは、今までに南の各地で度々仕官の誘いを受けることがあった。
しかし、どの国においても、一度たりとも首を縦に振ったことはない。いつだってダスの返答は一緒。
「今の生活が性に合っておるのですよ」と。
そんな言葉を翻意させたのは、たった一人の、ダスからすれば娘ほども歳の離れた小柄な姫。
その娘は、
「貴方はもっと、大きなことができるのに、沢山のものを見ることができるのに、勿体ないね」
と、まるでダスを哀れんでいるかのような口調でのたまう。
この言葉を聞いたダスは、相手が年端もいかぬ小娘であったにも関わらず、些か驚いてしまった。
南の大陸において、ダスは成功者に数えられる人間である。少なくともこの10年は、羨んだり僻まれたりすることはあっても、憐憫を投げかけられた記憶はない。
「私が見たことのない物とは、一体なんですかな?」
ダスは商人らしい笑顔を見せながら、まだ幼さの残る姫へと問いかける。
「だって、貴方はお父様や、沢山の王様から仕官を請われているのでしょう? なのにどれも受けていない。面白いのに」
その返答に、ダスは少しがっかりする。所詮は子供の戯言か。
「……確かに仕官のお誘いは受けておりますが、今も十分に楽しく暮らしておりますよ」
「違うわよ。もっと面白い事ができるのにって言っているの」
「……どう言う意味ですかな?」
「どこの国の王様も、一癖も二癖もある人たちよ。そんな相手を自分の掌で転がすことができたら、とても面白いでしょう?」
「それは面白いと言うよりも、恐ろしいではないですかな? 一歩間違えれば首が飛びますぞ」
「いいえ、面白いわ。こんな小さな国が、各国を翻弄できたら」
「……もしかして、私を勧誘しておられるのですか?」
姫とはいえ、このような小国の娘が、この私を?
「他にどんな風に聞こえたのかしら?」
本気で不思議そうに私の顔を覗き込む姫。
「いえ、私はどこかの国に仕官するつもりは……」
ダスの言葉を遮り、姫は続ける。
「あら? 商人なのに、商機が見えないの?」
「商機?」
姫は胸を張る。
「私がフェザリスを大きくするの。貴方、手伝ってくれない?」
一笑に付すのは簡単だった。こちらは大陸に名を馳せる歴戦の大商人。相手は継承権は高くない年若い姫。
だが。
この娘が持つ、得体の知れぬ空気。
長く人を見てきた商人として、娘から立ち上る商機を確かに感じる。
ダスは素直に、この姫の行く末を見てみたいと思った。
これが、フェザリスの外交大臣としてのダスの第一歩であり、フェザリス王の娘、ルルリアとの最初の出会いだ。
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ルルリア姫に縁談が持ち上がったのは、ダスが仕官して3年ほどたった頃。
ダスは今まで通り商人としての顔を持ちながら、外交官も務めるという奇妙な生活を続けていた。
フェザリスは小国であるが、タールなどの特殊な資源が豊富で商売人にとっては旨みのある国だ。しかしそれは同時に、周辺国からすれば狙い目の国と言える。
この国は今までも危うい立場に立ちながら、どうにか切り抜けてきたが、いよいよ風向きが怪しくなってきた。
アンダードという隣国が、他の国をそそのかして俄にフェザリスへの魔手を伸ばしてきたのである。
ダスから見ても中々に狡猾なやり口で、フェザリスはかなり厳しい立場に追いやられつつあった。
現状打破を求める中で、ダスと、後に大陸に名を馳せる軍師、ドランが提案した策こそが、北の大陸で最も勢いのあるグリードル帝国との婚儀を成立させ、助力を願うことであった。
実際問題として大陸統一は難しいだろうが、皇帝ドラクにはそう思わせるだけの勢いがある。
当初は難色を示した王も、現状を鑑みてついに折れた。
小国ながら、貿易と外交で生き延びてきた国だ。この辺りの感覚はさすがだと言える。海を隔てた国だが、勢いのあるグリードルと誼を通じたい国は南にも多い。
それらの国がグリードルに恩を売るために、フェザリスの味方をする可能性を考えれば、分の悪い賭けではないように思う。
しかしそう簡単に同盟が成立するとは、ダスも思ってはいない。グリードルにとってフェザリスとの同盟にあまり利を感じるものがあるとは思えない。それでもこの策が成立しなければ、フェザリスには厳しい未来が待っているだろう。
ーーーーダスは後年、思い返す。この決断こそがフェザリスとルルリア、そしてダスの運命を変えるものであったと。