【やり直し軍師SS-58】ネルフィアのお仕事④
宿屋の一室。
3人の男女が薄暗い部屋にいた。
それぞれが適度な距離をとって話しているのに、扉を隔てた廊下には物音ひとつ、聞こえない。
「それで、どうでしたか”小鳥”」
小鳥と呼ばれたシヴィは、ニコニコしながらネルフィアに一通の封書を差し出す。
「デミススの”餌”に喰い付きました。ブルク=バーミントンはデミスス家に泣きつくつもりですね。随分と熱烈なお手紙を認めておりましたよ」
すでに開封済みの封書を手渡されたネルフィアは、さっと目を通し麦穂に渡す。ウーノも素早く読み終えると、再びネルフィアに手紙を戻した。
「なるほど。全てキンズリー=インブベイに押し付けるつもりか。良くもまあ、これほど都合の良い理由を書き連ねたものだ」
呆れる麦穂は続ける。
「ブルクの元には以前から再三に渡り、ヒューメットからの使者が来ています。俺の方で証拠は既に充分に。キンズリー共々処分しても良いのでは?」
ネルフィアもウーノの報告は把握している。やろうと思えばいつでもブルクを追い詰めることはできる。しかしネルフィアはウーノの言葉には答えずに、シヴィへ視線を向ける。
「ここにブルクの手紙があると言うことは、貴方が差し替えたのでしょう。差し替えた方にはどのような内容を?」
シヴィはよくぞ聞いてくれたとばかりに大きく頷く。
「今回の一件には触れずに、親交を深めたいという文面と、使者はバーミントン家を長く支えてくれた人物で、王都で長期の休みを与えてやりたいので、なるべくしっかりと労ってもらえないか、と」
デミスス家は唐突な手紙を受け取って小首を傾げるだろうが、親交を深めたいという有力貴族の要望を無碍にはしないはずだ。手紙を携えた使者はしばし、王都で歓待を受けることとなる。
「しかし、良く封蝋印を手に入れられましたね」
蜜蝋に刻印する封蝋印は、偽造を防ぐためにも貴族にとって非常に大切なものだ。きちんと保管されているはず。
元々ネルフィア達はブルクが餌に喰いつく可能性は高いと見ていたが、ブルクが書いた封書は使者から奪い取る方向で動いていた。
結果的に、差し出し前に偽書とすり替えることができたのは最上の展開と言える。
そのようにネルフィアに言われたシヴィは「そこは私の腕で」と、自分の腕を叩いてから舌を出す。
「……と、言いたい所ですが、今のブルクは毎晩深酒をして眠りに入りますから。手応えのない楽な仕事でした」
「そうでしたか。それでもお見事です」
ネルフィアに褒められたシヴィは、言葉を発さずに拳を握って天井に揚げる。ネルフィアはそんなシヴィから視線を外して、ウーノへと移した。
「麦穂に改めて問います。潰した方が良いですか?」
問われたウーノの表情は無表情だ。
「……利用しようと?」
「まあ、それが良いかなと、私は思っています」
「……貴方がそのように決めたのなら、俺は文句はありません」
そのように言いながら、ウーノは髪を掻き上げる。
「ねえ、麦穂、あなた食べ物扱っているんだから、髪切れば?」
シヴィが茶化すと、ウーノは手首の動きだけで正確にペンを投げつける。対するシヴィは何事もなかったように飛んできたペンを掴むと、指先で器用に回しながら、ウーノに挑戦的な視線を向けた。
不穏な風気が漂うかと思われた直後、
「仲良くなさい」
ネルフィアの一言で、二人はすっと感情を消す。
「既に冷静な判断のできない当主と、使い物にならない息子。北の貴族の情報を探るにはちょうど良い道具です。適当に網にかけ、あとは麦穂、貴方に任せます。小鳥、もう暫くはあの家に滞在してください」
「はい」
「了解です〜」
二人は返事をするとすぐに、窓から闇夜に溶けていった。
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「おお、デミスス家の返事が来たか!?」
喜び使者を招き入れたブルクは、そこで一度眉を顰める。
「……当家から送った使者は一緒ではないのか?」
デミススの使者は男女2人組。質問を受け、代表して答えたのは女の方だ。ルデクではよく見る平凡な人相。明日には忘れそうな顔をしている。
「実は、ブルク様のご使者は体調を崩されまして……ご安心くださいませ。当家で面倒を見させていただいております」
女の言葉を受けたブルクは「それはそれは、ご迷惑をおかけし」と言いながら、両手を広げ、続けた。
「それで、使者に送ったリッツはどのような病状で?」
女は微笑みを絶やさぬままに「あら?」と不思議そうな顔をみせる。
「当家にいらした使者の方はラオヌと名乗られておりましたが……リッツというのは?」
その返答を聞いたブルクは、大仰に手をひたいに当て、
「ああ、これは失礼。別の者と間違えてしまった。送ったのはラオヌでしたな。どうも、歳をとると物忘れが多くてかなわぬ」
「左様でございましたか。安心しました。使者様が偽物であったなら大事ですから」
「全くですな。では、早速だが返事をいただいても宜しいかな」
ブルクの言葉に動いたのは男の方だ。恭しく封書を取り出すと、慎重な手つきでブルクに手渡した。
ブルクははやる気持ちを抑えながら、しかし我慢できぬように乱暴に封書を開くと、一心にその文面を見つめ始めた。
「……おお、ラゴー=デミスス様は、我らの窮状に心を痛めて頂けるのか」
ブルクの言葉に答えるのは女の方。
「はい。主人はバーミントン家ほどの名家が、不幸な行き違いで王のご不興を買っていること、大変心配されておられます」
「ありがたい。我々はあくまでゾディアック家のことを思っての行動であったのだ。そこに、何の悪意もありはせぬ。しかしながら、我が愚息が少々配慮の足らぬ態度をとってしまったことで、思いもよらぬ疑いをかけられているのだ」
「第九騎士団のこともございましたので、中央も少々過敏になっているようです。そこで、主人より伝言がございます」
「伝言? 文面に残せぬものか?」
「はい。主人も一考されたようですが、残さぬほうが良いだろうと」
「何かな?」
「北部貴族の柱石たるバーミントン家には、北部の監視役をお願いできぬものかと。ご存じのとおり、我が国はリフレアと戦争中です。北部の安寧は、主人や王にとっても非常に重要でございます。要らぬ混乱を起こしたくはございません」
「……なるほど、それは当家にしかできぬ重役ですな」
「ご理解いただきありがとうございます。色良い返事をいただければ、リフレアとの戦いに勝利の暁には……」
ブルクは心の中でほくそ笑んだ。
予想外の展開になってきた。うまくすれば、ルデクが勝っても、リフレアが勝っても、バーミントン家には栄達が待っていることになる。
「無論、このブルク=バーミントンにお任せいただきたい」
「聡明と名高いブルク様ならばそのようにおっしゃって頂けると信じておりました。では、今後のやり取りはこのペーターを活用ください」
女から紹介された、髪を短く刈り込んだ男はゆっくりと頭を下げた。
「うむ。分かった。本日はゆっくり休まれよ。今日のうちに返事を認めよう」
「ありがとうございます」
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ルデクがリフレアに勝利して10年ほど経った頃の、ルデクの貴族の一覧。
それを端から端まで眺めてみても、バーミントンという貴族の名は、無い。
 




