【やり直し軍師SS-568】リヴォーテの日記(29)
アルラゼーナが呆気に取られている中、オゼットは人々にペコリと頭を下げると、鍋の蓋に手をかけた。その姿は宴衣装ではなく、裏方のそれだ。
―――あの子、一体何を―――
思わず駆け寄ろうと足を踏み出したところで、オゼットが鍋の蓋を開ける。すると、突如としてものすごい香りが部屋中に広がる。
南の客人が時折纏っている香辛料の香り。ただ、その香りの量が尋常ではない。嗅ぎなれていないと、気圧されてしまうほどに。
圧倒的な香りの暴力に身体が動くのを躊躇した直後、隣にいたフェザリスの外交官ダスが、ぱんと大きく手を叩いた。
「この芳醇な香り、なるほど間違いなくカロですな! まさか、北の大陸でこの香りを楽しむことができるとは!」
と両手を広げて満面の笑みを見せるダスに、夫が、
「失礼、ダス殿、カロとは一体?」
と問い掛ければ、ダスは声の音量を上げた。おそらく、この会場にいる人々に伝えようとしているのだろう。
「カロは南の大陸の有名な料理です。すでに皆様が体感されておられる通り、複雑な香辛料の組み合わせが織りなす、絹のような香りが魅力の一品ですな」
「ほお、確かにこの香りは南の大陸の風を感じます。やはりフェザリスでも、よく食べられておられるのですかな?」
夫の言葉に、ダスは軽く首を振った。
「いいえ。フェザリスでは珍しいですね。……南の大陸にはこのような言葉がございます。“四方色食”という」
「初めて聞く言葉です。どのような意味が?」
「南の大陸もそれなりに広くございます。その中で大雑把にですが、色の好みや食の方向性で、4つの地域に分けることができるという意味です」
「なるほど、それは興味深い。折角です、それぞれの特色をお教え願えますかな?」
「ええ、もちろんですとも。まず我がフェザリスは南の大陸でも北東寄り。この辺りは比較的“酸味”を好む民です。グリードルへ輿入れいたしましたルルリア様が、貴国のポージュを好んでおられることはご存知ですかな?」
「もちろん、有名なお話ですから」
「ポージュの味を決めるトリットは、酸味と甘味が特徴的な野菜。ゆえに、ルルリア様も心惹かれたのではないかと愚考いたします」
「我が国と貴国は嗜好が似ていたということですか」
「左様ですな。そして大陸でも北西の地域では“甘味”の強い料理が広く好まれてます。これは地域の特色によるものです。北西地域は砂糖の一大生産地を多く抱えておりますゆえ。次に南東の地域、先だって貴国の遠征軍が足を踏み入れたあたりになります。こちらは“辛味”が重要視される地域にございます」
「ルデクの民はあまり辛さに強くないと思いますが、それでは騎士団の皆様方は大変だったことでしょうな」
「まあ、これはあくまでざっくりとした分けであって、全ての料理が辛くはありませんので、ご安心ください。もしも全てが辛い料理の地域であったら、さすがの私も口から火を吐いてしまう」
ダスの大げさな物言いに、各所から笑いが溢れる中、ダスは続ける。
「そうして最後の南西、ここは少々面白い地域です。さて皆様、酸味、甘味、辛味と出て参りました。最後の一つはなんだと思われますかな?」
ダスの問いに、いくつかの声が上がった。
しかしそのいずれも正確に辿り着けない。
「ダス殿、降参だ。正解を教えてくれぬか?」
最後はゼウラシア王がそのように促し、ダスはこほんと咳払いする。
「少々意地の悪い問題でした。実は南西のあたりは“香り”を好んで食うと言われておるのですよ」
ダスの答えに人々がざわつく中、ダスはしたりとばかり手を叩いた。
「これも地域性が関係しているのですが、南の大陸の中でも、南西の地域はとりわけ香辛料の生産が盛んです。他の地域よりも気軽に、贅沢に香辛料を使うことができるがゆえに、彼らは香りを食うと言われるようになったのです。……そして、その香りの代表格の一つが……」
ダスが視線を鍋に向ければ、すでに配膳の準備は完了し、給仕がカロの入った皿を皆に配っている。
「どうぞ」
そうしてアルラゼーナにも差し出された皿。
アルラゼーナは一瞬の躊躇ののち、その皿をおずおずと受け取った。




