【やり直し軍師SS-533】怠惰な男(下)
同期の話を聞いたその日の夕方、レイズは同期を連れて、早々に街に繰り出そうとしていたスランジに声をかける。
「スランジ副隊長、今、よろしいですか?」
こちらを振り向き、怪訝な顔をしたスランジ。視線を同期の顔に移すと、ややめんどくさそうな表情へと変わる。
「誰だお前は」
「アッシュ隊、一般兵のレイズと言います」
「一般兵? 一般兵が何の用だ? 先に言っておくが、そいつの借金は互いに納得づくの話だ。金額をまける事はない」
何の用だと言いながら、借金についてはすぐに釘を刺す。おそらくだが、こいつは一般兵に対して常習的に似たようなことをしているのだろう。
「ええ。しかしその点について、提案があります」
「提案? 分割で支払いたいとでも?」
「いいえ。こいつの負け分と同額を賭け、私と盤上遊戯で勝負しませんか?」
「断る」
「こちらは4枚落ちでも?」
「何? 今何と言った? 貴様は俺を侮辱しているのか!」
スランジが声を荒らげたのも無理はない。
酒の席に盤上遊戯を持ち込む程度には、腕に覚えがあるのだろう。ある程度打てる人間であれば、駒落ちの意味は通じる。
盤上遊戯において主要なコマを落として戦うハンデ戦では、2枚落ちでも結構な格下扱いになる。まして4枚落ちとなれば、素人相手に教えを与えると同義。
つまりレイズの発言は、意味がわかる人間であれば、小馬鹿にしている以外の何ものでもない。
「……それでも私と戦うのは御免だと言うのならば、これ以上は引き止めは致しません」
猛るスランジと対照的に、淡々とレイズが口にすれば、
「……受けてやろうではないか。だが、お前が負けた時は即日金を払ってもらう。まずはその金を用意しろ」
と、安い挑発に乗ってきた。
「ご安心を、先日こいつが負けた分とまとめて、ここに」
普段無駄遣いをしないので、金はある。金貨の入った革袋の中身を見せれば、スランジの目が弓形に変化した。金を前にして、笑みが隠しきれなくなったようだ。
「よしでは、条件を確認する。俺が勝ったらこの金は全て俺のもの。万が一俺が負けたら、そいつの先日の借金をチャラにしてやる。それでいいな」
こざかしい男だ。本来であれば、負けたらレイズが賭けた分も支払うのが道理。それを自らが損のないように条件をすり替えた。
これをゴリ押ししても通じるという思い上がり。実に第一騎士団の士官らしい。
しかし別に構いはしない。レイズの目的は金を得ることではないのだから。
「ええ。問題ありません」
すぐにレイズが承知すると、スランジは満足げに頷いた。
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「どうされました?」
盤上遊戯を挟んで、レイズとスランジは対峙している。先ほどから度々スランジの手が止まり、表情を歪ませながら盤面を睨んでいた。
「もう少し待て!」
鼻先が盤面につくのではないかと言うほどに、顔を盤面に近づけているスランジ。
もはや、その鼻先で駒を動かす不正くらいしか、状況を打破する方法はない。
否。多少駒を動かしたところで、すでに戦況は定まっている。何をどうしようと、レイズの勝ちは揺るぎない状況になっていた。
ちなみに盤上遊戯を行なっているのは一般兵の食堂であり、レイズたちの周りには時間を持て余していた兵士が多く観覧している。
場所の指定はレイズの提案だが、スランジも気軽に応じた。スランジからすれば損のない条件であったがゆえ『証人は必要だな』などと乗り気であったのだ。
「……そろそろ良い時間です。いかがでしょうか? こちらの蝋燭が終わるまでを制限時間といたしましょう」
レイズの言葉に、スランジがぎりりと歯噛みをする。
そうして手にしていた駒を投げつけると、
「覚えておれよ!」
と、捨て台詞を残して去っていった。
スランジとの一戦以降、一般兵の食堂ではちょっとした盤上遊戯のブームが起こる。もちろんこれもレイズが起こしたものだ。
これはスランジを煽るための行為。同時に、スランジとの一件を、レイズが吹聴せずとも広める狙いがあった。
盤上遊戯が流行れば、急な盛り上がりに何があったのか聞いている兵士がいる。
スランジから話すなと命じられていない以上、当日の観戦者が事情を話す。情報が出回るのはあっという間。
結果的に逆恨みしたスランジが動いてもいいし、噂を耳にして、事態を放置すべきでないと判断する上層部が出てくればそれでも良い。
レイズを第一騎士団から追いやろうという動きになれば、得られる成果は同じである。
こちらから転籍を願えば『一般兵風情が偉そうに』と腹を立てる者も出てくる。だが、向こうから問題のある兵士を追い出す形になれば、そういった者たちにとって追い出す行為そのものが『罰』と考える。目的を達したのちの、無名の兵士のことなど早晩、忘却の彼方。
まあ、どの騎士団に移籍しても、多少不利な状況からのスタートにはなるが、そこは己の才でなんとかするしかない。第一騎士団を快く思っていない人物も一定数存在するはず。全くどうにもならないということはなかろう。
と言うわけで騒動の中心人物となったレイズは、日々、空き時間を盤上遊戯で過ごす。元々盤上遊戯は好んでいたので、毎日でも何ら苦痛はなかった。
ところがこの策は、結果的に思わぬ展開を呼ぶ。
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王宮、ゼウラシア王の私室では、王とジャスターが盤を挟んで、盤面を睨み合っている。
盤上遊戯で王都随一と名高いジャスターは、時折王に招かれて盤上遊戯の指南を行なっていた。
互いに集中し静かな時間が続いていた中、ふと、王が口をひらく。
「そういえば第一騎士団の間で、盤上遊戯を嗜むものが増えているらしい」
「左様でございますか。盤上遊戯は戦術の強化にも繋がりますゆえ、好ましいことでございますな」
「うむ。その件で少し面白い話を聞いた。盤上遊戯で無敗を誇る一般兵がいるらしいのだ」
「一度も? それは大層なお話で」
「そこで、だ。ジャスターよ、試しにお前も戦ってみぬか?」
「その兵士とですか?」
「ああ。ただ私が手配したとなれば遠慮も出よう。ひとまず、たまたま噂を聞きつけたことにして、うまく段取りせよ」
「はあ。そこまでして、何をお調べになりたいのでございますか?」
「何、騎士団無敗と王都最強を戦わせてみたくなった、それだけの話だ。あとで茶飲み話になれば良い」
「……御意に」
この、ジャスターとレイズの一戦が、王とレイズを繋ぎ、のちにルデクの命運さえ左右することになるとは、今はまだ誰も、知る由もない。