【やり直し軍師SS-496】南征(5)
「お、それが例の光る貝か」
洋上で背後から声をかけてきたのはノースヴェル様だ。僕が手に持っているのは夜行貝の殻。
スイスト出発前、見本にオザルドさんがいくつか譲ってくれたのである。
「はい。貝が光るわけじゃないんですけどね」
言いながら僕は一枚の殻をノーズヴェル様に手渡す。
「内側は真っ黒か。これが光を反射するとはな。皇帝もお前も、面白いところに目をつけたもんだ」
「ノースヴェル様も知らなかったんですか?」
「まあな。言われてみれば確かに、妙に歩きやすい夜道があるなとは思ったが、そこまで気にしたことはない。酒場ではほとんど見かけねえ貝だから、ってのものもあるな」
そう。この夜行貝。身も食べられはするけれど、不味いとまでは言わないが美味くもない。空腹時、我慢すれば食べられないこともないというお味らしい。また、傷みやすいらしく、わざわざ食用に穫る物好きは稀。
そのような食材のため、地元の人は昔から、貧民の食べ物と言う認識があるそう。なので、お店で供されることなどまずない。
オザルドさんも『こんなものが、北の大陸むけの商品になるのか』と、やや訝しげであったので、ノースヴェル様が知らなくても無理ないか。
ちなみにこの貝、光を反射するのはこの内側の黒い部分だと言うので不思議なものだ。
「と、そうだった。貝の話をしにきたんじゃねえ。多分、そろそろ着くぞ」
「あ、いよいよですか」
スイストの港を出発してからさらに数日。幸いにして海は大きく荒れることなく、僕らは順調に南下をしていた。ついにモリネラ王国が近づいてきている。
「おうよ。ちょっと面白えもんが見られるから。このまま甲板にいろよ。特に右手側を注目しておけ」
それだけ言い残して戻ってゆくノースヴェル様。入れ違うように陛下や双子、ウィックハルトなど主だった面々が甲板へとやってくる。みんな同じようなことを言われてやってきたらしい。
そうしてノースヴェル様の言葉の通りに船の右手方向を眺めていると、
「……こりゃあ、確かに一見の価値があるな」
陛下が呟いたその光景は、南の大陸の先端の姿であった。
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「ル、ルデクの船団がやって参りました!」
慌てて報告に駆け込んできた伝令に対して、モリネラの右大臣、ラダーロは苦言を呈する。
「何をそんなに慌てているのだ。我らが呼び出したのだから、やって来るのは当然だろう」
むしろ到来を心待ちにしていたのだ。これで、ブラノア将軍の狙い通りの展開となる。
「しかしながら、その数が!」
「落ち着くが良い。王の御前である」
ラダーロはもう一度伝令を注意すると、王へと一礼。
「北の大陸の大軍師が餌に食いつきましたな。あとは手筈通りに」
「うむ。さすがブラノアよの。どうにか我が国に引き入れられぬか」
「左様ですな。しかし、優秀すぎる男を懐に置くのも考えものかと」
「ほほう。ラダーロはブラノアに嫉妬するか?」
「お戯を。あのお方は味方としては大変頼もしくございますが、人を惑わすに長けた御仁。下手をすれば国内で不要な騒乱を呼びましょう」
「それは恐ろしいな。ま、戯言ぞ。気にするな。わしにはお前らがおるゆえ、何も心配はしておらぬ」
「恐れ入ります」
ラダーロはことさら余裕を見せるようにして、伝令へと声をかける。
「それで、ルデクはどれほどの兵数でやってきたのだ? その驚きようを見ると、10艘やそこらではあるまい。国力を考えれば30を超える程度か?」
船の大きさにもよるが、乗船しているのはざっと5千程の兵数。北の強国なら、このくらいは連れてくるだろうと踏んでいた。とはいえ大変な数だ。本当に5千の兵を南の端まで輸送してきたなら、大したものではある。
「い、いえ……もっと多いかと……」
「もっと?」
ラダーロも、モリネラ王も首を傾げる。
「はい。おそらくは100では収まらぬかと。見たことのないような大船団にございます!」
100以上? それでは2万を超える大兵団ではないか? 小国の兵力に匹敵する、いや、それ以上の。
「大袈裟なことを言うな! ちゃんと数えたのか?」
「100までは正確に数え、急ぎ報告に上がった次第にございます!」
ラダーロの背中を冷たいものが伝った。それでもなるべく動揺を抑えつつ、モリネラ王をみれば王も顔を引き攣らせている。
「王よ、私は出迎えを兼ねて状況を確認して参ります」
「う、うむ。頼んだぞ」
ラダーロは謁見の間を出ると同時に、生涯で一番の全力疾走で、港へと急いだのであった。