【やり直し軍師SS-475】切っ先(下)
暴風のような攻撃を凌ぎ、滅多にないわずかな隙を見逃さずに放った俺の渾身の突きは、ザックハートの左の腿を貫いた。
訓練用の木槍のため、正確には“貫く”という表現は正しくはない。
だがこれが本当の武器であったら、肉を裂き、骨を砕いたと確信できる手応えを感じたのである。
俺の一撃に対して、見ていた同僚たちから「おおっ」と短く驚きの声が上がる。すぐにその声は大きなざわめきへと変わった。ザックハートが膝をついたのだ。
老いてなおルデク最強。破壊の女神ユイゼスト、メイゼストや、双頭槍の達人トール=ディ=ソルルジアが相手であっても、決して膝をつかなかったザックハートが、俺の前で、俺の一撃で膝をついた。
当の本人は痛そうな素振りも見せず、俺に手を向け「ここまでだ」というと、ドスンと床にあぐらをかく。
そのまましばらく己の白く長い髭を触りながら、俺を頭から足元までしみじみと眺めた。
「……少し前まで、こんな小さな童であったと思っていたが、でかくなったものだな」
そのように口にしながら、親指と人差し指を広げるザックハート。
「……そんな小さいわけねえだろ」
俺の手にはまだ、先ほどの会心の一撃の感触が残っている。
「見事な一撃だった! ワシの負けぞ!」
ザックハートの言葉が、しばらく理解できなかった。
なんと言って良いか分からずに固まっていた俺。思考停止のままに、第三騎士団の同僚たちに祝いの言葉と共にもみくちゃにされて、さまざまな部分を叩かれまくる。
俺が、勝った?
あのザックハートに?
実感はあまりない。ただただ、ザックハートの言葉が何度も頭の中を駆け巡る。
とにかくひとつ、はっきりしたことがあった。
ザックハートに認められた瞬間、俺の心には、ぽっかりと大きな穴が空いたのだ。
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訓練とはいえ、ザックハートに敗北を認めさせた俺は、北ルデクの武人たちの間で一躍有名人となっていた。
見知らぬ相手から、頻繁に声をかけられる。時には対戦を申し込まれることもあった。
だが俺は適当に返事をして、日々ぼんやりと過ごしている。日課だった早朝練習もサボりがちだ。どうしても気持ちが向かないのだ。
そんな空虚な日々を過ごしていたある日、俺の元へと一通の手紙が届く。
『近々、北ルデクへ向かいます。ぜひ時間をとっていただきたい』
差出人はゴルベルの王子、シャンダル。
シャンダルはルデクの人質生活を終えて帰国するとすぐに、一つの政策を打ち出した。ゴルベル国内における水路の造成である。
現在隆盛を極め、ゴルベルの主要産業となっている造船業。その恩恵を国内のより広い範囲に分け与えるため、シャンダルは水路の建造を実父である王へと強く訴えたそうだ。
その際に理想のモデルとしてあげたのが、北ルデクの水運。
北ルデクにおいて、英雄宰相ロア=シュタイン肝入りの政策であった水運は現在、帝国やツァナデフォルとの交易や移動に欠かせない存在となりつつある。
北ルデクの成功事例により、ゴルベル王もシャンダルの提案を承認。シャンダル自身が陣頭に立ち、ゴルベル国内で大工事が進められている最中であるらしい。
今回も、その水路の視察のために北ルデクを訪れるとあった。
シャンダルは大したものだ。
それに比べて俺は……。
俺が何をするにも身が入らぬ日々を過ごしているうちに、シャンダルは北ルデクへやってくるその日となった。
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「久しぶり、ジュノス」
「おう」
俺とシャンダルは小舟の上で昼飯を食っている。シャンダルがそのように望んだのだ。
次期ゴルベル王であるシャンダルは、地上にいると、俺とは気安い会話もできないらしい。難儀なものだ。
飯を食いながらしばらく取り止めもない会話を交わすうちに、ふと、シャンダルが首を傾げる。
「何かあった? ジュノス」
「……何にもねえよ」
「いや。何かあるよ。覇気がないし、表情に迷いがある、君らしくない」
この勘の鋭さ、面倒なやつだ。
だが、シャンダルはルデクの人間ではない。俺のこの表現し難い気持ちを吐露する相手には、ちょうどいいかもしれない。
俺は小さくため息を吐くと、ぽつりぽつりと、今の俺の心持ちを語る。
全てを黙って聴き終えたシャンダルは、何度か頷き、口を開いた。
「……なるほど。そういうことか。つまり君は、仇を討つために鍛えてきたのに、仇当人に実力を認められて満足してしまった、と」
「嫌な言い方をするな。犬みてえに褒められて喜んだわけじゃねえよ。ただ、リフレアは良くなった、リフレアの民の、お袋や姉貴のことを考えれば、あのジジイには長生きしてもらった方が良いからな」
俺の言葉に、シャンダルが笑う。
「なんか文句あるのか?」
「いや、違う違う。君もちゃんと民のことを考える、素晴らしい将に成長しているのだと思ったので」
「……馬鹿にしてんだな」
「感心してるんだよ。私も頑張らないと、とね。ところで、真剣に相談してもらったんだ。私もここからは真面目に話そう。君のその心の置き所について」
「心の、置き所……」
「そうさ。時に一つ確認したい。君がザックハート様を討ち果たしたいのは、単純にザックハート様が憎いからかい?」
「……まあ、そうだな」
「では、ザックハート様が憎いのはなぜだい?」
「そりゃ、親父を殺されたからだ」
「うん。では聞き方を変えよう。君はお父様がザックハート様に劣っているとは思っていない。今でも、お父様が負けた事に納得がいっていない。だから、君自身がザックハート様を討ち果たし、お父様に代わってその実力を見せつけたかった。そう思うのは、私の考えすぎかな?」
「それはちがっ……」
いや、本当に違うのか? シャンダルの口にした通りだから、俺はザックハートが負けを認めた瞬間に、満足してしまったんじゃないのか?
俺はただ、親父が負けたことに、自分で納得がいっていなかったのか?
「別に今すぐに結論を出す必要はないさ。けれど、もしも私の言葉が少しでも君の心に届いたのならば、解決策は簡単だ」
「……一応、聞かせてくれ」
「君がザックハート様を超える将になればいい。ルデク筆頭の将軍、ジュノス。そう呼ばれるように。君が名を馳せれば馳せるほど、君のお父様の名声も上がるだろう。或いは聖騎士団の再評価も行われるかもしれない」
正直、そんな風に考えたことは一度もなかった。そうか……。そうかも知れない……。
「……お前はすげえな、シャンダル」
「いや、ザックハート様に勝った君も、相当凄いよ、ジュノス」
余人に声の届かぬ場所で、
2人を乗せた小舟は、穏やかに揺れていた。