【やり直し軍師SS-471】香水花(6)
ついにこの日を迎えた。
お祝いの空気が満ち溢れている大通りは、すでにたくさんの人たちが笑顔を浮かべ、その時を待っている。
そんな中、私はお店の中で一人ぐったりしていた。昨日の深夜から今朝まで、ほぼ休みなしで準備していたのだ。
先ほどようやく全ての仕事を終え、こうして椅子に座れる時間ができたのである。
お店には「本日お休み」の札がかかっているけれど、それを気にせずに押し開けてきた人物が一人。
「シャーリー、大丈夫? 生きてる?」
「あ、スールさん。お疲れ様です。なんとか生きてます」
「軽くつまめるもの作ってもらってきたの。食べる?」
「あ、助かります! もう何か作る気力もなかったんです……」
「そうかなと思って持ってきたの」
私がここにお店を構えて……構えさせてもらってからおよそ1年。道を挟んだ向かいにあるトランザの宿の娘、スールさんには何かとお世話になっている。
商売をするにあたり、王都で気をつけることや、通しておいた方が良い筋は、だいたいスールさんが教えてくれた。
スールさんがテーブルに置いたバスケットから顔を覗かせているのは、色とりどりのサンドイッチだ。
本当にいろいろとギリギリだった私は、目に涙を浮かべながら、改めてスールさんに感謝する。
「いただきます!」
一口で分かる美味しさ。
「うまぁ……」
頬に手を当てる私をみながら、スールさんは苦笑した。
「そんな大袈裟な。お茶、入れるわね。キッチン借りていい?」
「もひろんへす。…………ごくん。何から何まですみません」
「いいのよ。シャーリーはルファちゃんのために頑張ってくれたんだから、ちょっとくらいは協力しないとね」
そう、今日はルファ様の晴れ舞台。王都での婚儀のお披露目である。
初対面の時から可愛らしい娘さんだとは思っていたけれど、後日、王子様の婚約者であると聞いた時は、心の底から驚いた。
その後も当たり前のように私のお店に遊びにきたり、街をふらふらしていることにも。
さらに驚くべきは、そんなルファ様を街の人たちが知人の娘さんのように笑顔で出迎えていることだ。
お肉屋さんの親父さんも、雑貨屋さんのおばさんも、ルファ様とはまるで昔からの顔馴染みであるかのような対応をする。
聞けばルファ様、以前はよく騎士団のお使いでちょくちょく買い物に来ていたらしい。
『昔はよく、少しサービスしてあげたもんさ』
なんて目を細めて、思い出話を語る肉屋のおじさん。
『私のところで、お店にあるだけの空き瓶を買って行ったこともあるのよ』
そんな風に両手を広げる雑貨屋のおばさん。お店の空き瓶をあるだけなんて流石に大袈裟だろうけれど、とにかく街の人たちとルファ様の思い出話には事欠かない。
そのようなお方が王太子妃になるというので、この日を心待ちにしていた人たちは多いのだろう。
「さ、どうぞ」
差し出されたカップを受け取ると、口の中のパンを洗い流す。
「ふー。生き返りました」
「それは良かった」
言いながら、自らもカップを手にして椅子につくスールさん。
ドア越しであっても、通りの喧騒が聞こえるほどの騒ぎ。対照的に静かな店内は隔絶の世界の感があった。
「そういえば、スールさんとルファ様はどうして知り合ったのですか?」
思い返せば、その話は聞いた記憶がない。スールさんはちょっとびっくりした顔をして、それから少し天井を仰ぐ。
「話したこと、なかったっけ?」
「はい」
「てっきり話したつもりになっていたわ。といっても、大して面白い話でもないわよ?」
「でも、興味あります」
「そうね、最初はサザビーさんが連れてきたのよね。新しい同僚との親睦会だって」
「同僚、ですか……」
若い頃から王宮で働いていたのだろうか?
「そうそう。宰相のロア様と、第10騎士団のディックさんと、サザビーさんと、ネルフィアさんと、そしてルファちゃん」
「宰相様の同僚!?」
「違う違う。いえ、違わないのだけどね。あの頃はまだロア様も一般兵で、王都でも全くの無名だったと思うわ」
「そうなのですか……」
「で、うちの味を気に入ってくれてね。何かある毎に、トランザの宿で会食してくれて……そうだ、王様がお酒を差し入れに来たこともあったっけ! あの頃からうちの評判も上がり始めたのよね」
聞いてはみたものの、全然状況がわからない。宰相様が無名で、なんで王様がお酒を差し入れるのだろう? そもそも王様は宿にお酒を差し入れるような真似をするのだろうか? でも、スールさんが嘘を言っているとは思えないし。
興味本位で質問した結果、ただただ謎が増えるばかり。たたでさえ寝不足で頭が回っていないのだ。これ以上聞いたら寝てしまいそうである。
そんなことを考えていたら、一際大きな歓声が通りから聞こえ始めた。
「あ、そろそろ始まりそう! ルファちゃんのドレス姿、見に行きましょう!」
スールさんに促され、私も慌てて立ち上がると、急ぎ通りへと飛び出した。