【やり直し軍師SS-470】香水花(5)
今回のお話はあと3話です!
本当に久しぶりに、昔のことを思い出した。
思い浮かんだのは、お母さんの顔だ。
継母ではなく、お父さんでもなく。魂を天に帰した、本当のお母さんの。
私は売られたのだと実感したのは、いつの事だっただろう。船に乗せられるまでは、もしかしたらお父さんが迎えに来てくれるかもしれないと、心のどこかで思っていた気がする。
船では窓のない部屋に閉じ込められて、いつ出航したのか全くわからないまま、南の大陸とお別れをした。
そうか。多分もう帰れないと思ったのは、船が北の大陸に到着してからだ。
船室から引き摺り下ろされた瞬間、私は知らない場所に連れてこられたのだと思い知った。空気が、風の香りが違ったのだ。
戸惑う私はけれど、北の大陸を見る余裕すら与えられず、今度は馬車に押し込められた。
船室と同じ、窓のない箱の中で、ただずっと膝を抱えて目を瞑っていた。
お父さんは『リフレアという国の貴族の養子になる。当家よりもずっと格上だ、きっと、とても大切にされるだろう』と何度も言っていた。
それは、私に説明するというよりは、自分に言い聞かせているようだった。
継母に至っては、見送りにも来ていない。
元々、私が「お母さん」と呼ぶことすら嫌がっていた人だから、私がいなくなって清々したのだろう。
お父さんの言葉を信じたかった。けれどこの道中、お世辞にも大切に扱われているという実感は皆無だった。どちらかといえば、使用人として売られたのならば納得できるような扱い。
食事は定期的に差し入れてくるけれど、ほとんど会話らしい会話もないし、とにかくずっと閉じ込められているだけ。
もしもこのまま殺されたりしても、誰も気づきもしないのだろうなとも思った。北の大陸に、私を知っている人は一人もいない。
結果的に、私の予想は悪い方に当たっていた。ただ、生贄にされるために売られたのだから。
それでもあの時はまだ、たまには帰る事ができるだろうか? などと淡い期待を抱いていたのだ。
でも、帰る事ができたとしても、もう、私の家はない。継母が私を受け入れることはないだろう。それだけは確信できていた。
「お母さんに、会いたいな」
あの時私が呟いた言葉は、揺れる馬車の音にかき消されたのを、今でもよく、覚えている。
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「ファ? ルファったら!」
呼ばれた声で我に返った私を、ラピーちゃんが心配そうに覗き込む。
「大丈夫? 緊張しているのかしら?」
「ううん。大丈夫。2回目だし」
今日は王都で行われる婚儀の当日。正確には、本来の儀式は、少し前に王家の祠の街で執り行われている。なので、今日はあくまで王都の人たちへのお披露目会だ。
「そ、少し顔色悪いわよ」
「そう?」
私を気遣って、そっと手を添えてくれるラピーちゃん。
そうだ。この手だ。この手が北の大陸で最初に触れた温もり。
私はラピーちゃんの手を、少し強く握り返す。
「どうしたの?」
「なんでもない! 今私がこうしていられるの、ラピーちゃんのお陰だなって、思って!」
「何よ急に。さ、もうすぐ時間よ」
そう笑いながら手を離したラピーちゃん。
ラピーちゃんだけじゃない。ロアだって、ディックだって、お義父様だって、もっともっと、たくさんの人がいて、今の私がある。
私は幸せだな。
もう、住んでいた国の風の香りも思い出さない。
私のお父さんはザックハート=ローデルだけ。
私の故郷は、ここだ。
かつてお父さんだった人や、母親かもしれなかった人に会うことは、二度とない。向こうが望んでも、私は決して望まない。
扉が開いた。
「準備は良いか? ルファ」
ゼランド君がやってきた。
最初に会った時は弟みたいだったのに。今は全然違う。
かっこよくなったなぁ。
「どうしたのだ?」
そっと手を差し出してくる旦那様。
「ちょっと、君に見惚れてただけ」
へへへと笑う私に、
「私はずっと見惚れているのだがな」
と言いながら、彼は私の手を取った。




