【やり直し軍師SS-438】秘密の生徒(3)
翌日、夕方。
ゼクシア達は王都随一の呼び声高い、トランザの宿の一室にいた。昼食を奢るとした約束を変更し、夕食ついでに情報交換もまとめてやってしまおうと思ったのだ。
「ゼクシア王子様。いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
ゼクシアを出迎えたのは、トランザの宿の女将、スールだ。
「スールさん、急に部屋を押さえてすみません」
「大丈夫ですよ。例の部屋でしたら今日は予定がないので。あ、そうだ王子様、大変申し訳ないのですが、お帰りの際に一つお願いをしてもよろしいですか?」
「なんですか?」
「ルファちゃ……王妃様にお借りしていた物があるので、お返しいただければ、と」
「ああ、その程度、お安い御用です」
ここの女将と母上は旧知の中である。母上は今でも時折、トランザの宿にお忍びで遊びに来ていると聞いた。トランザで下手な事をすると、母上に即連絡が行くという恐ろしい場所なのだ。
「なあ、ゼクシア。“例の部屋”ってなんだ?」
興味津々に聞いてくるコナー。コナーは王都出身ではないので、かの有名な部屋の事は知らないようだ。
「トランザの宿には、特定の人間のみ予約ができる、特別な部屋があるのだ。突然の来客のもてなしや、密談などに使われるやつだな。普段は私も使わんのだが、今回は急だったからな、無理を通させてもらった」
「へえ。王族専用か?」
「いや、どちらかといえば、主に宰相殿やその関係者のためだ。王族は基本的に王宮でもてなす」
「それもそうか。へえ。英雄宰相様専用のお部屋か。物凄い調度品とかあるんだろうなぁ」
「いや、至って普通の部屋だ。むしろ簡素と言ってもいい」
だが、過去にその部屋に出入りした数々の人間を思えば、歴史的な価値は計り知れない。
宰相殿も若かりし頃は、一階のテーブル席で普通に食事を楽しんでいたらしいから、ゼクシアにはそちらのほうが凄い話ではないかと思う。
嘘か真実か、帝国のシティバーク大公ご夫妻やゴルベルのシャンダル王も、一般席で食事を共にしたなどと聞いたことがあった。
尤も、それをゼクシアに話して聞かせたのが教育係のサザビーであるので、内容を盛っている可能性は否定できないのだが。
あれはいつも、面白おかしく真偽不明な話をする。
ともかく部屋に案内されると、コナーはもちろん、セルジュとオーリンまで興味深そうに部屋を観察し始めた。
「セルジュはともかく、オーリンも初めて入ったのか?」
ゼクシアからすればやや意外な反応だ。セルジュは地方の弱小貴族の子息。学院に入っても費用節約のために寮暮らしをいているほどなので、知らなくてもまあ分かる。が、オーリンは有力な中央貴族の娘だ。母上とも交流があるような。
そんなオーリンは、おっとりとした口調ながら呆れたように口を開く。
「もちろんお部屋の存在は存じておりましたわ。ですが、普通、このお部屋に入ることなど叶いません。先ほどゼクシアが仰った通り、ここは“宰相様の別室”ですもの」
「そんな通称があるのか?」
「ええ。別室の扉は歴史の扉、などと噂されておりますわ」
「そんな大袈裟な」
今度はゼクシアが呆れる番だが、そんな話をしているうちに、注文をとりに給仕が入ってきたので一旦話が途切れる。
その後も雑談をしながら料理を待っていると、芳醇な香りと共に、待望の一品目がやってきた。
「ビベールのスープでございます」
配られた皿に皆の歓声が乗る。ビベールスープは王都の名物の一つだが、トランザの宿のは一味も二味も違う。
そもそも、ビベールスープを王都で初めてメニューに加えたのは何を隠そう、この宿であるらしい。さすが、一流の店は目の付け所が違うのだ。
トランザでは同じ面々で何度も食事をしているが、このスープだけは欠かせないというほど、皆の好物であった。
澄んだ黄金色のスープを含めば、凝縮された旨みが口の中で弾ける。
「スープだけでもうまいんだが、これ、この“つけそば”もたまらないんだよな」
コナーがいそいそと、別皿のそばをスープに浸して食べる。これはトランザの宿の裏メニュー。
いつ誰が始めたのか私は知らないが、北ルデクで有名なつけそばを、ビベールのスープに浸せば、新しい世界が開くのだ。
ゼクシアは初めてトランザに来た時から、つけそばが付いてきたので、最初は裏メニューとは知らなかった。
なので、コナー達とトランザに来て、ビベールスープにつけそばが添えられていなかった時は、随分と戸惑ったものである。
一度スールさんに『こんなに美味いのなら、表メニューにしたら良いのでは』と言ったことがある。
しかし残念ながら、このそばは特別に仕入れているもので、数も限られるらしい。『当店で作れないものを日常的に出すのは難しいのです』と返ってきた。
そんなビベールスープとつけそばを、あっという間に平らげたコナーが、残念そうに天井を仰ぐ。
「いっそ、この組み合わせだけで腹一杯食べたいくらいだ!」
屈託のないコナーの言葉に、皆から笑いが溢れる。
入学以来、護衛役のレゼット、ラゼットの存在もあって、遠巻きに見られるばかりであったゼクシアに、最初に声をかけてきたのがコナーだった。
あまりに気軽に声をかけてきたので、どこかで対面した事のある、貴族の子息かと記憶を探ったほどである。
後で聞いたら、王族とは思っていなかったというから、苦笑するしかない。ゼクシアの事は入学式でもずっと噂になっていたのにも関わらずだ。実はコナー、入学式の間はずっと寝ていたという。
『いや、俺、昨日の夜中に王都に到着したばかりでさ、寝てなかったんだよ』
などと言い訳していたが、学院の入学式で居眠りとは、なかなかの大物といえた。
セルジュとオーリンも、コナーからのつながりである。
オーリンはゼクシアも顔見知りであったが、特別親しいわけでもなかった。コナーはオーリンにも似たようなノリで声をかけ、困惑するオーリンをゼクシアがとりなして、今に至っている。
次々に出てくる絶品料理を堪能し、場が落ち着いたところでゼクシアは表情を改めた。
「では、集めた情報を精査しよう」
こうして俄かに、密偵ごっこが始まったのである。