【やり直し軍師SS-390】牧場の娘⑥
レーレンス王妃様について、私が知っている事はあまりない。
元々雲の上のお方であり、私のような庶民が知らなくても当然なのだ。数少ない情報としては、セシリアお嬢様がよくお茶会のお誘いを受けているという話くらい。やっぱり、貴い方々はお茶が好きなのだなぁ。という印象しかない。
そんなレーレンス様に突然呼び出された。『ハウワース牧場や、今回の商談会について話を聞きたい』のだと。
まず真っ先に頭に浮かんだのは、何か失態があったのだろうか、だ。
例えば、馬の匂いが気になる、とか。
これだけたくさんの馬がいれば、当然、その分、糞も出る。私は全く気にならないけれど、独特の獣臭が苦手という人もいる。
もしかして、風に乗って王宮まで匂いが漂い、その苦情を言うために呼び出されたとか。
商談会の場所を指定したのは王都側だ。私たちがどうにかできるわけではない。でも、お貴族様は時折、滅茶苦茶な理由でわがままを言う。
「何をぼんやりしているの? そろそろ行くわよ」
不安に頭をかかえる私に、セシリアお嬢様が声をかけた。もちろん同行してくれるのだ。それだけが救いである。
もしもこれが一人だけで呼び出されたりしたら、私は緊張で倒れてしまうかもしれない。
「は、はい! すぐに!」
私は昨日買っていただいたばかりの服に袖を通すと、慌てて馬車へと乗り込んだ。
「落ち着かないの? 大丈夫よ、レーレンス様はお優しいお方だから」
「あ、いえ。……もちろんそれもあるのですが、馬車というのがどうもなれなくて……」
私にとって、馬は直接乗るものなのだ。百歩譲っても、馬車でも御者台ならばなんとなく安心できる。馬の体調や様子が分かるから。このようなお貴族様の馬車は、室内から馬の様子が見えないので、落ち着かないのである。
「まあ、らしいといえば、らしいわね」
セシリアお嬢様に苦笑されながら、私は人生で初めて、そしておそらく人生最後になるであろう王宮へと足を踏み入れた。
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「あ、トゥリアナちゃん! こんにちは!」
私を待っていたのはルファ様だ。顔見知りが増えて、少しだけほっとする。そしてその後ろで楚々とした立ち姿を見せている女性が、私に微笑む。
「貴方がトゥリアナね。レーレンスですよ。よろしく」
「は、はい! トゥリアナと申します!! 王妃様におかれましてはご機嫌麗しゅうございます!!」
「そんなに畏まらなくて良いのよ。さ、座って。美味しいお茶とお菓子を用意したわ」
「あ、えっと……」
座ってと言われても、座る場所やマナーがさっぱりわからない。困惑する私にルファ様が近づいてきて、手を握ってくれる。
「トゥリアナちゃんの席はこっち!」
ルファ様の言葉に反応するように、侍女がすっと座席を引いて私を待ち構える。それだけの行動なのに、なんと洗練されているのだろうか。
「忙しい中なのに、呼び出してしまってごめんなさいね」
「とんでもございません! あの、もしも何か、今回の件でご不満があったらすみません! 私の監督責任です!」
先ほどの不安が拭いきれず、私の口から勢い余って謝罪の言葉が勝手に飛び出た。言ってしまってから後悔がやってくる。もしかして失礼な発言だっただろうか?
けれどレーレンス様はキョトンとした顔をしてから、「トゥリアナは愉快なお嬢さんね」と、ルファ様と顔を見合わせてくすくすと笑う。
それからは、穏やかなひとときが続く。
懸念していたような叱責など微塵もない。ただ、少し不思議だったのは、馬の話が聞きたいと呼び出されたのに、大半の時間を私への質問に費やされた事だ。
例えば、実家の家族構成だったり、兄弟の話だったり、好きな事だったり苦手な事だったり。恋人はいるのか、なんて、そんな話。
私がずっと落ち着かぬ気持ちでいるうちに、あっという間に時間は過ぎてゆく。
「あら、もうこんな時間。今日はここまでにしましょうか。楽しい時間だったわ。トゥリアナ、またお話を聞かせてくださいね」
そんな言葉を最後に、結局呼び出された理由すら良く分からぬまま、私は王宮を送り出されたのである。
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そうして迎えた、フレイン様との食事の日。
私は、セシリア様に買ってもらった服の中から、個人的に一番気に入ったドレスを身にまとい、髪も綺麗に結い上げる。普段はスカートなど履くことはめったにない。それが2日連続となるとは思ってもみなかった。
自分に向かってあまり調子にのるなと言い聞かせるけれど、それは無理というものだ。ついつい、頬が緩んでしまう。
フレイン様は少し遅れてやってきた。
「すまない! 打ち合わせが長引いた」
「いえ、……お忙しいのに、私なんかに時間を使って大丈夫なのですか?」
「全く問題ない。今日を楽しみにしていたのだ。では、行こう」
連れて行っていただけたお店は、すごくお洒落で素敵なお店だった。さりげない調度品から、店の格式が伝わってくるような気がする。
出てくる料理も美味しい。
流石に2回目となれば、私も少しは落ち着いて、会話にも余裕が生まれる。と言っても、やっぱり馬に関する話が多いのだけど。
そうしてそろそろ食事も終わろうかという頃。
フレイン様が表情を改め、真剣な顔で私を見つめた。
「実は、トゥリアナに大切な話があるのだが……」
「は、はい」
一瞬漂う緊張感。
その直後だ。
大通りから
「大変だ! 郊外で馬が暴れている!!」
と聞こえたのは。
つい先程までそこにあった甘い空気など吹き飛んで、私たちは瞬時に店を飛び出した!