【やり直し軍師SS-376】牧場の娘①
「つ、疲れたぁ〜〜〜〜〜」
ブーツを脱ぐのも億劫なほどの疲労の中、私は何とか靴を脱ぎ捨てると、そのままベッドへ倒れ込んだ。
シーツが汚れるかなとも思ったけれど、このふかふかの魅力に抗えなかったのだから仕方ない。さすがは王都のお宿、牧場の藁の匂いのするベッドとは全然違う。まあ、私は牧場の藁の寝具の方が好きではあるけれど。
そのままうつ伏せでいると眠ってしまいそうだ。だめだめ。ちゃんと身支度してから寝ないと。汗や泥汚れだってそのままだ。
どうにか体を起こそうとして、昼間の一件を思い出す。フレイン様の突然の言葉。あれはいったい何だったのだろう。
いや、分かっている。私は単に揶揄われたのだ。第10騎士団の中心人物で、顔もよく、尚且つ貴族の子息様でもある。さぞやモテるのだろう。歯の浮くような言葉、日常的に女性に投げかけているに違いない。
それにしてもやってしまった。フレイン様にあの様な言葉。頂いて、恥ずかしさのあまり逃げ出してしまったのだ。私は今回の商談会の責任者。取引先の大切なお方に対して、あまりにも礼を失した行為ではないか。
少しして我に返った私は、急いでセシリアお嬢様の元へと戻った。もちろん、皆様に謝罪するためだ。けれど、フレイン様はすでに帰ってしまわれたという。お怒りのためかと色をなくす私に、セシリア様はお優しい言葉を投げかけてくれた。
『気にしなくても大丈夫。それよりも……』
最後まで言わずに、私の顔をジロジロとみたセシリアお嬢様。何だったのだろう。やっぱり、フレイン様に揶揄われた私がおかしかったのだろうか。けれど仕方がない。あんな場面など、物語の中にしか存在しないものだと思っていた。
『美しい手だ』
またフレイン様の言葉が頭をぐるぐると回る。
「〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!」
私は枕に顔を押し付けて、足をバタバタさせる以外に、その言葉を追い出す方法が思いつかなったのである。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
翌朝、気持ちを切り替えて馬達の体調を見ていた私。
いずれにせよ、フレイン様には一言お詫びをしなければならないだろう。あとでセシリアお嬢様にお願いしなくては。
そんなふうに考えていたら、セシリアお嬢様の方から私のところへやってきた。
「あ、やっと見つけた。おはよう、トゥリアナ」
「おはようございます! セシリアお嬢様! あの、昨日は本当に……」
私は最後まで言い切る前に、セシリアお嬢様は手で制してくる。
「その事はもう良いって言ったでしょ。それよりも、お昼、空けておいてね。会食が入ったの。トゥリアナにも同席してもらうわ」
「会食、ですか……。あの、どなたと?」
「ロア=シュタイン様よ。今後の商談の方法について、今日までに感じた問題点を聞いておきたいのですって」
「ロア様……」
「あら? ロア様は苦手なのかしら?」
「い、いえ! 滅相もありません!」
「じゃあ決まりね。昼前に迎えにくるから、渡しておいたお仕着せに着替えておいてね」
「はい」
セシリアお嬢様が去ってから、私は小さくため息を吐く。顔に出ていたのだろうか? 実は私は少し、ロア=シュタイン様に苦手意識があるのだ。
もちろん、ロア様に直接何か嫌な気分にされられた事などない。苦手というのは、全て先入観によるものだ。
私の生まれた村は、ハクシャから少し南に行ったところにある。
ルデクは他国よりも豊かというけれど、全ての人々にあまねく富が余っているわけではない。私の家族は5人兄弟で小さな畑を耕して暮らしていたから、暮らし向きは決して良くはなかった。
だから、一番の年長である私は、早くから仕事を求めてハウワースの牧場に転がり込んだのだ。ある程度経験を積んで、私のお給金もそれなりになり、家族の生活はだいぶ楽にはなった。“ハクシャの戦い”が起こったのはそんな頃である。
給金と短いお休みを頂いた私が、家族の喜ぶ顔を見に実家へと馬を走らせると、村では『ハクシャの戦い』の話題で持ちきりだった。
第10騎士団と第六騎士団が、ハクシャでゴルベルの敵兵を蹴散らしたのだという。
その話題の中で、ハクシャ周辺に荒屋を建てて住み着いていた、無法者達が駆逐されたという話があった。
何でも、無法者の一人が第10騎士団に嘘の報告をしたらしい。それに怒った第10騎士団の指揮官が、無法者達を追い出し、荒屋を破壊して薪にして燃やし尽くしたのだと。
あの辺りにいる無法者にはみんな苦い思いをしていたから、好意的な意見が多かったけれど、私は『随分と苛烈な事をされる人がいるのだなぁ』というのが第一印象だ。
その後しばらくして、その苛烈な指揮官がロア様だと知ったので、私が一方的に苦手意識を持っているのである。
ちなみにロア様はその後何度かハウワースに来たこともあるけれど、私は何となく避けていたので、ちゃんとお会いするのは今回が初めてと言っていい。
何か粗相をしなければいいなぁ。
普段は楽しみにしているお昼だけど、今日はなるべく時間が遅く来るように、心の中で密かに願った。