【やり直し軍師SS-335】リヴォーテの日記13
今回の更新はここまで!
次回は8月28日からを予定しております!
ヤイールの前に現れたのは、どう見ても大蛇を干したようにしか見えない代物だった。
しかし良く見れば、口にギザギザとした歯が生えているので、蛇ではないのだろう。
ここ数年、様々な食材に触れてきたヤイールであったが、この生き物は初めて見る。
リヴォーテに素直にそのように伝えると、
「こいつはビベール。知らなくても無理はない。ルデクの漁村の一部でしか食べられていない珍味だからな」
という返事。
「ルデクの?」
リヴォーテは帝国人だと思ったが、そのような地方の食材にまで精通しているのか。おそるべき料理人である。
「ビベールはそのまま煮ても十分に美味いが、こうして乾物にすると、海の旨みの塊のような存在となる」
「海の旨みか……」
この辺りは山裾の田舎で、あまり海の物の流通は良くない。まあ、海の物を手に入れる事が難しいというほどでもないのだが。
特に最近は、各所で道が大きく広くなり始め、より簡単に、希少な食材を入手が可能となった。
既にヤイールも、乾物をベースにしたつけ汁は何度か試してみた。今の所の結論としては、悪くはなかったが決め手にかける。そんな印象である。
「とにかくまずは、それを削ってスープにしてみるといい。自分の舌で確認するのが一番早かろう」
リヴォーテの言うことは尤もだ。俺たちは料理人、見た目に惑わされず、味で物を語るべき。
リヴォーテの助言に従い、ナイフで身を薄く削ぎ落としてゆく。
「湯に入れたら、あまり煮立てる必要はない。ゆっくりと旨みを滲み出すようにしろ」
「ああ。分かった」
2人黙って、鍋を見つめることしばし。
「そろそろいいはずだ。濾してみろ」
言われた通りにビベールの身を濾すと、残ったのは黄金色に澄んだ美しいスープ。
「強い香りだな。だが、嫌味は全くない」
「だろう」
小皿に移し、慎重に口へと運ぶと、強烈な旨みが舌を包む。
「……これは素晴らしい出汁だ」
「うむ。そう判じると思っていた。これをつけ汁の土台にしたらどうだ?」
リヴォーテの提案を断る理由はない。
「少し集中したい。こちらから誘っておいて悪いが、今日はここまでにしてくれるか? この礼は明日、必ず」
「了解した。では明日、また遅い時間にやってこよう」
「構わん。閉店の札は下げておくが、勝手に入ってきてくれ」
こうしてリヴォーテを見送ると、ヤイールは夜を徹してつけ汁の研鑽に励むのだった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
久しぶりにつけ蕎麦が食べたくなったので、こうして北ルデクまでやってきた。
店は一回り大きく、新しくなっていた。随分と繁盛しているようで何よりだ。今回はちょっとした土産も持ってきたが、店主にも喜んでもらえたようだ。
ビベールの乾物。トランザの宿から譲り受けた代物である。
トランザの宿で、この乾物を使ったスープを食した時からずっと思っていた。これはつけそばに合うのではないかと。
香りの良い北ルデク産の蕎麦に、あのワビという香辛料。そしてこのビベールのスープ。これは素晴らしい出会いとなるのでは、と。
果たして俺の予想は正解であった。
店主はたった一晩で素晴らしいつけ汁を仕上げてきた。素人の俺ではなしえぬ技術には脱帽するしかない。
そうして出来上がったつけそばは、素晴らしい味わいとなって、俺の舌を楽しませてくれたのだ。
大袈裟かもしれんが、今の段階ではこれが一つの完成形と言っても過言ではないように思う。
店主も満足げであった。『これでようやく……』と言葉に詰まらせていたのは、俺の胸にも込み上げてくるものがあったほどだ。
もちろん、あの男はこの程度で満足などしないであろう。
また時間ができたら食べに来よう。
そうだ、忘れぬうちにスールに話しておかなければならない。ビベールの乾物の定期的な仕入れについて。
いや、この場合ロアの方が良いか? まあ両方に聞けばそれで済む。
それにしてもこの味が王都で楽しめないのはつくづく惜しい。
いや、こうして遠方まで足を運んで楽しむのもまた一興か。
そういえば複数の弟子がいると言っていた。すぐには無理かもしれないが、弟子の一人が王都に店を開いてくれたら嬉しい。
まあ、それでもこの場所までやってきてしまうかもしれないが。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
のちに、ヤイールの元を巣立った弟子たちの手により、北ルデクの名物として、確固たる地位を確保することになるつけそば。
神の舌とまで謳われたヤイールは、晩年、己の人生を振り返りこう語った。『私は身の丈に合わぬ評価をもらっているが、本来その名に相応しい料理人はリヴォーテただ一人である』と。
この一言はごく近しい弟子にのみ語られ、表に出たのはヤイール没後実に160年の後。弟子の覚え書きが、かろうじて判読できる状態で発見されて、初めて広く知られるようになった。
この覚え書きの真偽については多くの意見があり、未だに議論の的となる。が、かのリヴォーテ記の記述にある“つけそばの店主”とは、このヤイールのことではないか。そのような指摘をする者もいる。
しかしヤイールは『料理人リヴォーテ』という言い方をしており、現在においても、鋭見のリヴォーテと同一人物であるかの結論は出ていない。




