【やり直し軍師SS-334】リヴォーテの日記12
片眼鏡の男が店内に入った瞬間、部屋の温度が少し下がった気がした。
「やっているか?」
「……どうぞ」
短いやり取りで、客はカウンターに座る。
「つけそばを、くれ」
「……あいよ」
元々今夜は色々試すつもりだった、供する準備は整っている。
と、いつもと変わらぬ準備を進めようとしてヤイールは、ふと思うところがあり、片眼鏡の男へと視線を向けた。
相手はすぐに気がつき、ヤイールの視線を受け止める。
「なんだ? どうした?」
「……アンタ、名前は?」
「リヴォーテだ。それが何か?」
「リヴォーテ、料金はいらん。代わりに少々頼まれてくれないか? 俺は、店主の……」
「店主の名は知っている。ヤイールだな。で、頼みとは? 内容次第では聞いてやる」
「リヴォーテ、アンタは覚えちゃいないとは思うが、前にこの店に来た時、つけ汁に不満を言っていた」
「無論覚えている。今日はその後、店主がどのような答えを見つけ出したのか、それを確認しにはるばる来たのだ」
「そりゃあ、光栄な話だ。だが同時に、残念だ。まだ俺は、満足のいく“つけ汁”を見つけちゃいねえ」
「む、そうなのか?」
「ああ。そして今日もこれから、いくつか新しい味に挑戦するところだった。そこで、だ。リヴォーテ、アンタに味見を頼めないか?」
「ほう。面白い。構わん、受けよう。だが、俺で良いのか? 見たところ店も大きくなっている。弟子の一人や二人、いるだろうに」
「どいつもこいつも今の味に満足している。それでは駄目だ。高みへはいけねえ」
「なるほど、その心意気や良し。では、こちらも加減なしに言葉を届けよう」
「望む所だ。じゃあ悪いが少し時間をもらうぞ。と、その前に閉店の札を出しておかねえとな」
「それは俺がやっておく。お前は料理に集中しろ、ヤイール」
リヴォーテの言葉に甘え、ヤイールは早速準備に取り掛かる。
最初に選んだのは、エルルケンの骨だ。木の実を主食とする小動物のエルルケンは、味と香りの良い肉が特徴。難点は可食部が少ないこと。
注目したのは骨の方。本来は捨てられるばかりのエルルケンの骨を煮出したら、面白い味わいが出るかもしれん。
だが流石にエルルケンだけでは獣臭が勝ちすぎる。エルルケンを煮込む鍋には、ソウレイの葉を数枚投入。これだけでも随分と違うはず。
同時進行で、別の鍋にはサンクト茸を干したものを削って入れる。これも香りが有名な茸だ。
今回の修練のテーマは『香り』と定めていたので、他にも食欲をそそるような芳醇な香りを生み出せそうな食材を用意してあった。
「……なるほど、“香り”を主題にしたか。悪くない方向性だ」
ヤイールが語らずとも、リヴォーテは正確にこちらの目的を見抜いてきた。本当にこの男は何者なのだろう。名のある料理人であるのかもしれない。
「まずは、これからだ」
サンクト茸のつけ汁が一番最初にできた。蕎麦と一緒に供すると、リヴォーテはまずは真剣に香りを確認する。
「サンクト茸はハーヴィットの巨木の香りがするというが、これは少々弱い気がするな。せいぜいが若木と言ったところか」
ヤイールも自分用に用意したつけ汁に鼻を寄せる。確かに、やや香りが弱い気がする。分量か、それとも煮出した時間か?
「しかし、香りそのものは悪くない。蕎麦にあっていると思う。もう数手間工夫すれば面白くなるやもしれん」
リヴォーテの評価は正確だ。この男に頼んで間違い無かったと確信する。
「俺も同意見だ。サンクト茸は一旦保留だな。じゃあ次だ」
こうして幾つかの候補をリヴォーテに差し出してゆく。
「エルルケンの骨を煮出したものは、俺も初めて味わった。思った以上に力強く、素直にうまい。しかしやはり、奥底に残る獣臭が気になるな。肉のスープならばこのままでも帝都で出せるレベルだが、蕎麦には合わん」
リヴォーテの口から溢れた“帝都”と言う言葉。こいつは帝国人であったか。こんな辺境までご苦労なことだ。まあ、何人でも構うまい。
それよりも、今日予定していた食材は、今のエルルケンで最後だ。結果的に可能性があったのは、サンクト茸くらいなものだった。
「手伝ってもらって悪かったな。今日はこれで終いだ。せっかくだから、普通のつけ汁も用意するか?」
リヴォーテがやってきたのはたまたまではあったが、なかなかに有意義な時間を過ごせたように思う。
気持ちを切り替えて、いつものつけ汁を作ろうとするヤイールを、「いや、ちょっと待て」とリヴォーテが制する。
「実はヤイールに試してほしい食材がもう一つある」
「何? もう試したいものは一通り……」
言いかけたヤイールの前に、ゴトリと大きな麻袋を置くリヴォーテ。
「なんだこれは?」
「開けてみろ」
言われるがままに麻袋に手をやる。手に、ゴツゴツした硬いものが当たる。即座に干物の類であると判断した。
そうして出てきた物を見て、流石のヤイールも驚いた。
「……これは、蛇か?」
ヤイールの反応が予想通りであったのか、
「そう、見えるか?」
と言いながら、リヴォーテはニヤリと口角を上げた。