【やり直し軍師SS-257】グリードル19 もうひとつの戦い(上)
ここはランビューレの王都。敵地の只中。
海千山千のバッファードであっても、密かに手に汗を滲ませる緊張感が漂う。
そのような状況にも関わらず、
「我は身体が弱いので、椅子を所望する」
と平然と言い放ち、さも当然のように高価な椅子を用意させ、座ったままでランビューレ王に対峙するオリヴィア。
元ウルテア王、デドゥの実の娘であるオリヴィアだからこそ許される振る舞い。オリヴィアにとって、最も強く、最も悪く、そして唯ひとつの手札。
ランビューレはウルテアの復権という大義を掲げて、グリードルへ攻め込んだ。故にこそ、ウルテアの象徴の1人である、オリヴィアを疎かにすることは許されない。
とはいえ謁見の間に居並ぶ者達からは、敵意のこもった視線が遠慮なく浴びせられている。
そんな臣下の列の中で、オリヴィアに特に強く憎悪を向けている女性がいた。鋭い視線は最早殺意に近い。
その人物は、場所が場所なら、ドラクへ与したオリヴィアへありったけの罵詈雑言ぶつけていたであろう、ウルテアの元王妃、ライリーンだ。
しかしながら今、オリヴィアはランビューレ王への外交の使者。この場で発言を許されていないライリーンは、流石に大人しくしている。
一方のオリヴィアは、ライリーンに視線を向けることなく、ランビューレ王と挨拶を交わす。
無難な言葉がやりとりされた後、澄ましたまま特に何を言うでもなくランビューレ王を見ているオリヴィアに対して、王が重々しく口を開いた。
「それで、此度は何用でここへきたのか?」
来訪の目的はすでに告げられている。だがあえてオリヴィアの口から話すように促す王。
「グリードルとランビューレの休戦。その交渉のために罷り越した。期間は……そうであるな、2年ほどが良いかの」
「……随分と都合の良いことを申されるな。そもそもオリヴィア姫は一体どのような立場でこの場におられるのか? 」
「我はグリードル帝国皇帝、ドラクの同盟者である」
「同盟者? これはおかしな事を。ウルテアを滅亡に追い込んだ男と、同盟だと?」
「ランビューレ王、貴殿の申す通りウルテアが滅んだのであれば、貴国がグリードルと争う大義は無くなるのではないか?」
オリヴィアの指摘に、ランビューレ王の言葉が詰まる。
しばし、笑顔の睨み合い。
「……まあ、正論か。これは私の失言であった。我が国はウルテアと国交を結んでおり、今もその姿勢は変わりはしない。確かにウルテアは滅んではおらぬ、な」
それは暗に、戦争の継続を示唆する宣言。
「オリヴィア姫の立場は一先ず置いておこう。これ以上は水掛け論にしかならん。だが、休戦の提案とは関係のないことだ。端的に伝えよう。断る」
当然のように言い放ったランビューレ王に対し、オリヴィアは動じる事なく続ける。
「あまり答えを急ぐべきではないぞ、ランビューレ王よ。無論、ただで、と言う話ではない」
「ほお、グリードルの領土の半分でも割譲するか?」
「いや、貴国にとってはもっと良いものだと思う」
「領土半分よりも?」
「フィクス=クリアードの身柄」
オリヴィアの一言で、その場がざわめいた。密かに「まさか……」「生きていたのか……」と言う声が漏れる。
フィクス。ライリーンの現夫にて、先だって大軍を率いてグリードルに攻め込み、行方不明になっていた貴族だ。戦況から恐らくは殺されたと思われていた。
「…………フィクスが生きていると言う証拠は?」
「協定が成れば、本人を送り返すのですぐにわかる事じゃが、一応直筆の手紙を持ってきた」
オリヴィアが取り出した手紙は、兵士が駆け寄って受け取り、王へと手渡す。一瞥したランビューレ王は、「ライリーン、それからキャナンド、筆跡の確認をせよ」と手紙を回す。
両名から「本人のものと思われる」と言う返答を得たランビューレ王は改めてオリヴィアを見た。その目には苛立ちが見て取れる。
ランビューレの立場はウルテアの復興。その象徴たる存在はライリーンの息子となる。まだ幼いが、ウルテア奪還後はランビューレの傀儡政権として、王を名乗るのだ。
つまり、血は繋がっていないとはいえ、フィクスは次期ウルテア国王の父という立場にある。
そのフィクスを見捨てると言うのは、世間からウルテアの王族を軽んじているとみなされてもおかしくはない。
ライリーンをはじめ、旧ウルテア陣営も不満を募らすだろう。平野の盟主ランビューレとしてはとれぬ選択だ。
ぎりりと歯噛みするランビューレ王に代わって、金切り声を上げたのはライリーン。
「オリヴィア! そなたの父、デドゥ王を弑した逆賊に尻尾を振り、このような非道な真似をするとは、ウルテア王族として恥ずかしくないのか!」
しかしオリヴィアは今初めてライリーンの存在に気づいたかのように、
「ああ、お義母上。おられたのですかの。ドラクの影に怯えて、てっきりツァナデフォルあたりまで逃げたのかと思っておりました。国を捨てた割にはお元気そうで」
などと煽る。
「な!? オリヴィア!! 小娘の分際で!」
怒りに任せてオリヴィアに近寄ろうとするライリーンを、スキットが慌てて止める。そんなライリーンに対して、オリヴィアはさらに、
「気に入られなければ、我も殺しますか。母や兄のように」
と、冷笑を浮かべながら淡々と口にする。
「ほほほっ! それなら望み通り……」
「ライリーン!! そこまでぞ!!」
即座に怒号を発したのはランビューレ王。ここは公の場である。デドゥ王の前妻の謀殺は公然の秘密とはいえ、ライリーンがそれを口にした瞬間、ランビューレとしてもライリーンを庇えなくなる。同時に、グリードルへ攻め込む大義も失うのだ。
スキットがライリーンの口を塞ぎ、さらに数名が暴れるライリーンを拘束するようにして、謁見の間から連れ出そうとする。
オリヴィアは、口を塞がれモゴモゴ言いながら睨みつけるライリーンに向かって、今度はひどく穏やかな微笑みを浮かべて一言、
「醜悪じゃの」
という言葉で送り出した。