【やり直し軍師SS-196】雨、上がりて③
この国の歴史において、オリヴィア姫ほど運命に翻弄された姫もいないだろう。
彼女はデドゥ王と最初の妃の間に授かった娘で、継承権第一位の歳の離れた兄もいた。
通常であれば順風満帆の立場である。だが、運命は彼女に微笑まなかった。遊興として狩りに出た兄、そして同行していた母が川で溺れ、帰らぬ人となったのだ。
運命のその日、オリヴィアも行動を共にする予定であった。しかし偶々体調を崩して自室で休んでいたのだという。
事故を目撃したという人物の説明によれば、「妃が足を滑らせ川に落ち、王子が救おうと川に飛び込んだのだが、2人とも流されてしまった」とのこと。
しかしこれは、その後の展開で随分ときな臭い話になる。
妃と後継者を一度に失ったわずか数日後、デドゥ王は有力貴族のメルドー家より、後妻を妃に迎え入れたのである。しかもだ、新たな妃はすでに子を腹に宿していた。
新たな妃の実家は、格も歴史も国内で指折りだった。デドゥ王の性格も相まって、表立って非難することは憚られたが、それでも“暗殺”の2文字は静かに世間へ浸透してゆく。
新たな后およびその実家によって、王宮内は瞬く間に掌握され、オリヴィアは幽閉に近い形で王宮の隅へと追いやられた。
オリヴィアもまた、遠からず死ぬだろう。
これは地方の小領主の息子でしかなかったドラクでも当然と認識するほど、暗黙の了解であったのだが、しかしそうはならなかった。
別に彼女の命が何らかの形で保障されたわけではない。それでもここまで生き残ったのは、彼女の行動によるところが大きいように思う。
確か、オリヴィアとドラクは1つか2つしか年が違わないはずだ。オリヴィアの方がわずかに年若い。
そんな年齢にも関わらず、ある日から突然、王に政の意見をするようになったのである。
オリヴィアに一体どのような意図があったのかはわからない。
貴族の間ではやぶれかぶれなのではとか、精神に異常をきたしたのでは、などと噂された。
中には、父への意趣返しとして、さっさと母や兄のもとに行きたいのではとの話もあり、密かに涙を誘ったりした。
ところが王はオリヴィアに対して死を賜るようなことはせず、ただ黙って意見に耳を傾けるのみだったと言う。
王としても後ろめたいところがあったのか、それとも、娘には情愛があったのか。デドゥ亡き今、父の方の思惑は永遠に闇の中だ。
ともかく、オリヴィアのこの言動によって、注目を浴び始める。そうなると新しい妃たちは、オリヴィアに手を出しにくくなった。
ただでさえ限りなく黒に近い手段で妃の座についている。オリヴィアを手にかけるには、あまりにも注目されすぎていたのだ。
デドゥ王討死の一報を受け、妃たちはすぐに実家を頼って落ち延びたという。
多くの家臣も付き従った。その一団の中には当然、継承権第一位の子息もいる。こいつらはこの息子を立てて、再起を図る心づもりと見て間違いない。
そしてオリヴィアは、お荷物どころかすでに親族として見なされているかも怪しい存在だ。むしろ、この混乱の最中で殺されなかっただけでもマシかもしれない。
「さすがに連れては行かなかったか」
ドラクの言葉に、エンダランドが頷いた。
「まあ、本人も拒否したという。当然ではあるがな」
バッファードの言葉に、ドラクも頷く。オリヴィアが旧王一派に付いてゆく理由は何一つない。
「だがそれなら、別の場所に逃げればいいだろうに」
ドラクの口からつい、不満が漏れる。
確かに王都では孤立していただろうが、全く頼れる貴族がいないわけではなかろう。だが、バッファードは小さく息を吐き、「アランカルに残ったのも、また、本人の意思だそうだ」と言う。
力関係でいえば、本来ドラクが呼びつけるところだ。しかし、あのデドゥに意見できるほどの胆力を持つ娘。何を言い出すかわからず、本人の意図を確認するまでは、公衆の面前で言葉を交わしたくないというのが正直なところだ。
そのため、こちらからオリヴィアのいる部屋へと足を運ぶしかなかった。
わざわざ敵地に独り残るってことは、俺に対して罵倒でもしたいのか?
そのように考えてドラクは顔を顰める。デドゥの件で今更何を言われたところでどうでも良いが、それこそ公式でそのような発言をされては困る。
万が一、公の場でオリヴィアがドラクを糾弾すれば、ドラクはオリヴィアを処分せざるを得ない。だがこれがなかなか厄介だ。
ドラクは反デドゥを謳って人を集めてきた。そのデドゥの実娘とはいえ、同じくデドゥを諌めていた相手を罰すると言うのは、あまり外聞が良くない。「所詮ドラクも自分のことばかりか」などと思う相手がいないとは限らない。
ただでさえ現在のドラクの足元は脆弱だ。要らぬ動揺はごめん被りたい。
だからと言ってただ黙って聞くだけでは、今度は部下や義勇兵が不満を持つだろう。彼らはオリヴィアの背景をそこまで詳しく知るわけではない。王の娘に好き勝手言われて何もしなければ、今度は「ドラクは頼りない」と思われかねない。
見逃すから、逃げてくれねえかな。
これがドラクの本音だ。面と向かってでなければ、オリヴィアがどこで何を喚こうが大した影響はないのだから。
かくして、考えれば考えるほど厄介な存在であることを認識しながら、ドラクはオリヴィアの待つ部屋の扉を叩いたのである。




