【やり直し軍師SS-173】デリクの受難(上)
更新再開いたします!
今回はまさかの16話更新。
年末年始、ゆっくりとお楽しみいただけると嬉しいです!
―――まいったな―――
デリクは苦々しい思いで斜面を睨む。ぬかるみが酷いし、腐葉土が積もっている。ここを登るのは難しそうだ。
デリクだけならどうにかなるかもしれないが、この場所には女性も2人いる。特に、そのうちの一人がドリューとなれば、落ちてきた場所まで登るのは無理と断言できる。
無理を押して登れば、再び斜面を転がり落ちる未来しか見えない。
唯一の救いは、誰にも大きな怪我なかったことだ。相当な距離を滑り落ちたが、腐葉土がクッションになって助かった。こんな谷底で大怪我でも負っていたら目も当てられないところだった。
「……ここを登るのは難しそうですね」
デリクの横で同じように斜面を睨んでいた同行者、モリスが諦めたように首を振る。
「ああ。さて、どうするかな。流れている沢を下るか?」
デリクがそのように提案すると、モリスは即座に「それは愚策です」と答える。
「これは遭難です。遭難した時に沢を下ると言うのは、絶対にやってはいけないと祖父が言っていました」
モリスのはっきりとした物言いに、デリクはそう言うものかと引き下がった。
モリスはデリク同様、王都の文官の一人だ。そんな彼女が北ルデクの北端まで連れ出されたのは、ドリューとの関係性にあった。
元々文官の中でも孤立していたというか、触るな危険という認識でやんわりと避けられていたドリュー。そんなドリューの面倒を以前から何くれとなく見ていたのが、ドリューの部屋の隣の部署にいたモリスなのだ。
今やドリューはルデクにおける重要人物の一人として認識されている。そのドリューが、かの大戦で使用された“燃える水”の調査研究を望んだ結果、こうしてドリューと交流があるデリクやモリスが助手として抜擢されたのだ。
デリクから見たモリスは、内向的で大人しいといった印象しかなく、正直帯同に際して不安であった。
しかしモリスはルデク西側の山間部の出身で、山の知識を最低限わきまえていたのである。
デリクの心配をよそに、燃える水の調査に当たって、モリスは想像以上の活躍を見せていた。場合によってはデリクよりも。
もちろん調査に従事しているのは文官ばかりではない、というか、主な面々は第10騎士団の兵士たちだ。
にも関わらず、デリクたち3人だけがこのような状況に陥っているのは、ひとえに全員に“緩み”があったからに他ならない。
燃える水の調査でこの地にやってきたのは実に10回目。年に2回ほどの頻度で訪れており、ここまで大きな問題がなかったことで全員がすっかり油断していた。慣れきっていた。
本日の調査開始のために兵士たちが拠点を作り始めたところで、ドリューが一人動き出してしまい、こうしてデリクとモリスだけが追いかけた。兵士は背後から「あまり遠くには行かないでくださいよ」と声をかけるにとどまったのだ。
モリスは「戻ったほうがいい」と忠告したのだが、デリクも近場をうろうろする分には問題ないだろうと、あまり真剣にモリスの言葉を聞き入れなかった。そのため人のことをとやかく言える立場ではないが、結果は見事に迷った。
さらに誤って斜面を滑り落ちてしまったので、自業自得としか言いようがない状況である。
デリクからすれば、完全に自分たちの責任ではあるが、ドリューの護衛を怠った兵士達は大失態だ。後でロアに怒られそうだなと、少しかわいそうになる。
ロア自身はのほほんとしているし、デリクが取り成せば、もしかするとあまり厳しい罰を課さないかもしれない。けれど周囲がそれは許さないだろう。
いや、今は兵士の心配をしている場合ではない。自分たちの脱出が最優先だ。
ちなみに先ほどから大声で助けを呼んでいるが、反応はない。もしかすると当初の調査範囲とは全く違う場所に迷い込んでしまったのかもしれない。
「下流がダメなら、上流へ登る……のも無理か」
デリクでなくでも分かる。少し進んだ先にあるのは滝だ。水量はちょろちょろ程度で大したことないが、濡れて滑りやすそうだし、高さもある。
「やはりここで助けが来るのを待つのが無難ですね。定期的に声を上げて居場所を知らせたいところですが、万が一を考えて体力は温存しておく必要があります。大まかに時間を決めて、交代で声を上げましょう」
すこぶる頼りになるモリス。デリクもなんの異論もない。
そんなふうに2人が真剣に打ち合わせている背後では、
「綺麗な水です! 美味です!」
と、無邪気にごくごく水を飲むドリューの姿があった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「おーい!! 誰かー! おーい!!」
デリクの声は虚しく響く。
「……駄目か」
谷底に落ちてから、体感ですでに2刻ほどが経っている。流石に誰も探していないとは思えないが、残念ながら今のところ反応はない。
「お腹が減りました〜」
ドリューが力無くあうあう言っている。
山に入る前に軽い朝食をとって以降、何も口にしていない。本来は設営が終わったところで昼食を食べてから動き出す算段であったので、デリクも空腹だ。
「モリス、食べ物は……持ってないよな?」
「ええ。不覚です。周囲に食べられそうなものがあれば良いのですが」
「せめて、川魚でも取れればな……」
「うーん、どうでしょうか。火を起こす方法もありませんし……」
「それもそうか」
とにかくデリク達にできることは、なるべく早く発見されることを期待して、ただただ声を張るしかなかったのである。