【やり直し軍師SS-167】ノーレスのお使い①
「ここがルデク……」
ヨーロース回廊を抜けて国境を越えたノーレスは、馬を引いたまま回廊の下りで立ち止まり、眼下に広がる風景を見渡す。
どこまで行っても平野が続くグリードルや、国そのものが盆地となっているフェザリスとは違い、随分と起伏に富んだ大地だ。
今回ノーレスがルデクにやってきたのは、ルルリアの命である。
『ロアにお手紙を届けて欲しいの。ついでにルデクを観光してくれば?』
そのようにして預かった手紙を携え、ノーレスは出発したのだ。
観光してこいと言われたものの、ルルリアの配下として遊び歩くわけにはいくまい。道中の町村に積極的に立ち寄り各地の状況を探りながら進もうと決める。
『地方の不満というのは馬鹿にできぬものだ』
そのように口にしていたドランの言葉を思い出す。
ルルリアの話を聞く限り、当面ルデクで大きな政変が起きるとは思えないが、自らの耳目で確認するのも大切な仕事のうちである。
「すみません、通ります」
後ろから馬車がやってきて、御者が声をかけてきた。
「ああ、失礼」
ノーレスは道の端に避けて馬車を見送る。その横を商隊の列がゆるゆると通り過ぎてゆく。
ヨーロース回廊の人通りは多い。
かつてここが極度の緊張状態に置かれていたとは、想像できないような光景だ。
商隊が完全に通り過ぎるのを待って、ノーレスは「さて」と一人呟き、再び足を踏み出し始めた。
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その日ノーレスが宿を求めたのは、ワイルという中規模の町だ。3軒あった宿のうち、町の繁華街に一番近い場所を選んだ。
旅装を解くと、やおら夜の町へと繰り出す。
それほど長くはない大通りを歩き、一番荒っぽそうな声が聞こえた酒場に滑り込んだ。
店を見渡せるテーブルに場所を確保すると、ゆっくりと店内を見渡す。
先ほど聞こえていた喧騒は、どうやらカードに興じている声であったようだ。これだけ大っぴらにやっているということは賭け事ではないか、酒代程度の遊びであろう。
その隣の席からも楽しげな声が聞こえている。いずれも深刻そうな表情をしている者はいない。それにどの席もテーブルに並ぶ品数が多い。食材も、それを頼む客の懐にも余裕があるのだろう。
ノーレスは軽く酒とつまみを楽しむと、早々にその店を後にして、次の酒場へと場所を移す。
そうして5軒目、大通りにあった最後の酒場で、今までと同じように注文を終え、席に落ち着いたところで、不意に声をかけられた。
「あら、旅のお方かしら?」
声の方を見れば、女が一人で酒を楽しんでいる。切れ長の目が特徴的なかなりの美人だ。
「ああ。グリードルからやってきたばかりでね」
男装を始めてから男から声をかけられることは減ったが、こうして女から言い寄られることがたまにある。しかし、このような酒場で男に声をかけるような容姿ではないように思うが。そう言った生業の女なのだろうか。
「グリードルから……てっきりゲードランドから来たのかと思いましたわ」
なるほど、ノーレスの髪と目の色を見て、南の大陸からの旅人と判断したのか。
「いや、私はドラーゲンからだ」
グリードル帝国の誇る巨大港、ドラーゲン。主人が管理を任されているこの港には、連日多くの異国人がやってくる。ノーレスの言うことに違和感はないはずだ。
現に女も納得顔でなおも話しかけてくる。
「あちらの港も見事な物ですね。では、北の大陸には商売でいらしたの?」
「いや、私は知人に会いにね。……君はドラーゲンに行ったことがあるのか?」
「ええ。私も知人が帝国におりますので。それではルデクを観光されて、南の大陸へお帰りになるのですか?」
「いや、その知人からのお使いでルデクトラドに向かっているところだ」
「そうでしたの、宜しければ南の大陸のお話など聞かせていただけませんこと?」
女は一人で暇をしているのかもしれないが、これ以上は面倒だなとノーレスは判断する。
「すまないが軽く飲んだらすぐに宿に帰って寝るつもりなんだ。明日も早いからな」
「あら、残念ね」
執拗に誘ってこないことにホッとしながら、「君のような美人と席を共にできないのは、こちらも残念だ」と添えておく。
こうして言葉の通りさっさと盃を乾かすと、ノーレスは店を後にした。
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その客が店を出るのを確認したネルフィアは、料金をテーブルに置いて席を立つ。
ネルフィアの動きに気づくものは誰もいない。
店を出て先ほどの客の姿を探せば、しっかりとした足取りで通りを歩いていた。距離をとってしばらく後を追うと、そのまま宿へと戻ってゆく。
―――多分どこかの諜報だと思いますが、何かをする気というよりは、情報収集といったところでしょうか―――
たまたま見かけた不審者であるが、経験上それほど危険性は無いように思う。それでも念の為、宿で誰かと会ったりしないかだけ確認しておくことにする。
ネルフィアは時間を置いて同じ宿に入ると、言葉巧みに先ほどの客の部屋を突き止め、その隣の部屋を確保。
翌朝、対象に危険無しと判断したネルフィアは、再び町に溶けるように消えてゆくのだった。




