【やり直し軍師SS-166】リヴォーテの日記⑧
「なんだなんだ? 大人しいなリヴォ太郎」
「腹でも痛いのか?」
双子の言葉を無視し、俺はただ空を仰いだ。
負けた。
胸の中に去来したこの気持ちを表現するとすれば、敗北の一言が最もしっくりくるように思う。
「リヴォーテ、大丈夫?」
ルファが心配しているが、今はそれどころではない。大いなる味わいとの出会い。俺はただ、その余韻に浸っていたいのだ。
そんな俺の横では、ゼウラシア王がこの度の菓子の祭典を総括する言葉を民に向けて話していた。
「―――故にこそ、平和な世になった今、このような催しが民の活力になることを期待する!」
ゼウラシア王の演説に、俺はローメート様の言葉を思い出す。
「お菓子とは平和の象徴です!」
王の言葉は、この一言を受けてものであったのだろう。人々からは大きな歓声が巻き起こっていた。
こうして、初めての菓子の祭典は盛況のまま、その幕を下ろした。
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―――サクサクとして香ばしい薄皮。わずかに顎を動かすと、それは枯れ葉のように砕け、中から雪泡が溢れ出してくる。
雪泡は口の中で瞬く間に溶け、ただ恍惚という名の名残を残す。
ああ、私はかつて、これほどまでに悔しい思いをしたことはない。
ロア=シュタインがどれほど奇抜なことをしようと、ルデクに対して我がグリードル帝国が後塵を拝するようなことはないと信じていた。
だが本日口にした、数々の菓子。
祖国でこのような菓子を味わったことはない。菓子といえばシューレットが本場。故にグリードルがわざわざ菓子に力を入れる必要はなく、シューレットから得るか奪えば良いと思っていた。
グリードルは全てを併呑するつもりで走り続けていたのだ。シューレットもいずれはグリードルの一部になるか、従属国へと成り下がる、と。
なんと愚かで、間抜けなことであったのか。我が国は菓子に対して無意な時間を過ごしてしまった。
本日何度目かわからぬため息と共に、俺はこの日記を書いている。
この日記の隣には今、シュークリームと幾つかの菓子が置いてある。それらが視界に入ると悔しくて仕方がないが、それでもついつい手を伸ばしてしまう自分にも憤りを感じている。
シュークリームだけではない。例えば、手にしたこの焼き菓子。
雪泡の質はもちろん、それを挟む焼き菓子の工夫が素晴らしい。
2枚の焼き菓子は、それぞれに別の歯触りと舌触りになるように工夫してあった。これは一体何を練り込んでいるのだ?
異なる2種類の焼き菓子と雪泡をまとめて口にすれば、口内で新たな世界が広がる。
ゼウラシア王の妹君であるローメート様は、「お菓子とは平和の象徴です」と述べておられたが、あれは名言だと、俺は思う。
今こそ我が国も菓子に力を入れるべきなのだ。
最早俺の溢れ出る思いを止める者はいない。グリードル帝国のためにも、今日の出来事を事細かに書き記した手紙を帝都に向けて送り出した。
聡明であらせられる陛下のこと、俺の意を汲んで、ルデクにも負けぬまだ見ぬ菓子の研究に着手してくれるはずだ―――
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「……いかんいかん、どうも筆が乗りすぎてしまった」
俺は自室で一人呟く。
それから残っていた菓子を平らげ、満足して眠ろうとしたところで、
『お菓子食べっぱなしで寝たらダメだよ! ちゃんと歯を磨いてね!』
というルファの言葉を思い出し、少し頬を掻いてから、歯磨きをするために立ち上がった。
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「……どんな怪文書だ? こりゃあ? 暗号か何かか?」
皇帝ドラクにしては珍しく、困惑の混じった声音で手紙から目を離した。参加できなかった催しだ。あとでロアに恨みタラタラの手紙でも送ってやろうと思っていたが、リヴォーテの報告を読んですっかり毒気を抜かれてしまう。
「リヴォーテはなんと?」
ロカビルに問われ、黙ってその手紙を手渡した。
「…………これはまた、確かになんともいえぬ内容ですね……まあ、熱量は伝わりますが……」
ロカビルのいう通り、熱量だけは目を見張るものがある。『お菓子とは平和の象徴です』という言葉に共感した、という部分などはペンに力を入れすぎたのか、少し文字が歪んでいた。
「まあ、平和と菓子になんの関係があるかはわからねえが、ルデクに、いや、ロアに負けるってのは聞き捨てならねえな。うちでも何か、やるか?」
「……はあ」
ドラクもロカビルも、元来はあまり甘いものを好んで食べるタイプではない。催しもなしに、ただ新しい菓子を作れと言われても、なんとも扱いに困る。
「……確か、ツェツェドラとルルリアは菓子、結構食べたよな? この手紙、あいつらに回しとけ」
こうして皇帝より丸投げされた手紙。
物持ちの良いツェツェドラの手により、ロアの手紙と同様に大切に保管され、後世にまで残ることになることは、リヴォーテも想像だにしていなかったのである。




