【やり直し軍師SS-16】自問と答え③
「……本当に、良かったのであるか?」
ゴルベルでのサクリの策謀は、いよいよ最終段階に入ったところで、その悉くをレイズ=シュタインに破られ頓挫した。
だがサクリにはさしたる痛痒もなく、「まあ、ここは流石、レイズ=シュタインであるな」と言って余裕を見せる。
密かに王都を抜け、ゼッタ平原での戦いの結果を確認し、ゴルベル王を見限ったサクリとムナールはそのままリフレアへの帰還を決めた。
サクリが不意に質問してきたのは、その道中のこと。
「良かったとは、何がだ?」
「……お前はこのままゴルベルに止まることも、いや、ゴルベルから他の国へと安寧の地を探しても良かったのだ。無論、ルデクは勧めぬが……」
そうか、そんな選択もあったのか。サクリに言われるまで、一度も考えたことはなかった。目から鱗が落ちるような気分だ。
サクリの言いたいことは分かる。リフレアに戻れば、また人々は俺のことを蔑みの目で見るだろう。不快な気持ちを抱くことも少なくない。
それにネロはまた、俺を暗殺の駒として使うこともあろう。だが、この混乱の中で逃げたことにすれば、おそらくネロは俺のことなど探しはしない。
あれは俺を視界に入れていない。人として認識しているかも怪しい。
最近気づいてきた。あのネロという男、多分、何かが狂っている。
立ち振る舞いや言動におかしなところはない。だが、確実に何かがおかしい。ムナールには腹の底にある狂気が滲み出ているように見えた。
他の国に逃れ、新たな生活、か。
それはどのような物であろうか? 想像もつかない。
そしてふと気付く。
「お前はどうなのだ?」
逆に問い返されたサクリは、きょとんとして、それから僅かに頬を歪めて小さく首を振った。
「私には、いや、私と兄上にはやるべき事がある。他の選択などないのだ……」
自分に言い聞かせるようなサクリの言葉に、ムナールの胸の中に、ほんの僅かに「哀れ」という気持ちが湧き起こる。
それは本当にサクリのやりたい事なのか? そのように問い詰めたい衝動に駆られるが、グッと言葉を飲み込んだ。
俺が口を出すことではない。俺にとってサクリはネロから命じられた監視対象で、ネロは飯を提供する信用はできない雇い主、それだけの相手だ。
しかし、もし俺がこのまま他国へ逃げ出した場合、サクリの監視はどうなるのだろうか?
あの国に”赤髪”は少ない。おそらく次は赤髪でない人間が派遣されるだろう。日々蔑みの視線を浴びながら策謀を巡らせてゆくのか……。
別にムナールも愛想の良い方ではない。用がなければただ黙ってそこに居るだけ。必要以外の会話などほとんどしない。だが、少なくとも、サクリに対して赤い目を馬鹿にするところもなければ、下に見ることもない。
ここで自分だけ他国へ逃れるのは、サクリを見捨てるようで、なんだか気分が悪かった。自分がなぜそのように感じるかはよく分からないが。
考えてみれば、別に今逃げずとも良い。俺はリフレア以外の国を知った。そして、今ならその気になればリフレアから逃れることは容易い。ならば、もうしばらくはコイツの策謀に付き合ってやってもいい。
「……俺は、お前の監視と、暗殺と、残飯漁り以外の生き方を知らん」
様々な思いはともかく、ムナールはただそれだけ答える。
「……そうか」
ムナールの返答を聞いたサクリは、ほんの少し、嬉しそうに見えた。
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ーーー敗れたのか。この男がーーー
ゴルベルから撤退して以降、ルデクとリフレアの関係性、そして取り巻く情勢は瞬く間に激変することとなった。
サクリの渾身の一手によってレイズ=シュタインは傷付き倒れ、ルデクの喉元にまで刃を突きつけたかと思えば、レイズは見事な帰還劇を見せて反乱軍を撃退する。
更に第一騎士団を中心とした再侵攻も、新顔の軍師ロアにより大敗。立て直しを模索している間に、ルデク、帝国、ゴルベルの三国同盟が成立し、リフレアは一転窮地に陥った。
最大の脅威であったレイズは死んだ。だが、全体的に見れば、リフレアは厳しい立場に追い込まれてゆく。
しかしそれでもサクリは次々と対抗策を打ち、巻き返しを図る。
ムナールから見ても、サクリの打ち出す手はロアと互角かそれ以上だったように思う。だが、人と時はサクリに味方しなかった。
元々リフレアにサクリの味方などいない。サクリの一手を愚かな上層部が台無しにする場面は、これまで幾度となく見てきたのだ。
そしてついに、時までも。
想定を遥かに超えた未曾有の凶作。しかも、ロアはそれを予見して準備していたという。とんでもない怪物。というか、未来でも見えるのかとさえ思う。
必然、リフレアは乾坤一擲の総力戦を強いられることになる。それでもサクリは常に新たな一手を生み出し、フェマスでは勝利の目前まで詰め寄っていた。
だが、敗れた。
ムナールにも信じられないことではあったが、残ったのは敗北という事実。
その日、
サクリとムナール以外、誰もいない隠し砦の司令室で、ムナールは初めて、サクリが涙を流すのを見た。




