【やり直し軍師SS-15】自問と答え②
ネロに拾われて以降、ムナールの生活は確かに一変した。
余り物だが残飯ではない飯は出るし、小さいが部屋もあてがわれた。蔑む視線は変わらないが、石を投げつけられることは無い。
サクリは宣言通り、子供だったムナールを数年間はただ小間使いとして使いまわす。
対照的だったのはネロだ。時折呼び出されると、ムナールはネロの手配した男から暗殺術を教わることとなった。
教官の男は「身体で覚えろ」というタイプで、ムナールは何度か本当に死にかける。毒を飲まされ、朝まで部屋の隅で吐き続けたこともある程度に。
この頃になると、ネロとサクリの関係性はぼんやりと見えてきた。どうも、サクリはネロを一方的に慕っているようだ。ムナールが訓練のために呼び出されると、乏しい表情の中に僅かに羨ましそうな顔を見せてムナールを送り出す。
「あれが兄だとしても、あんな男を慕う理由が分からんな」今日も呼び出されたムナールは独り呟く。
ムナールが見る限り、サクリという男はかなり優秀なように思う。何をしているのか半分も分からないので、あくまで感覚的な話ではあるが。
にも関わらず、ムナールと同じように冷飯を食いながら、粛々と仕事をしている様は不思議であった。
そんなことを考えながらやってきた訓練場には、珍しく教官以外に見知らぬ神官がいた。
神官はムナールを見て顔を顰め、「コイツか?」と指を指してくる。「ええ」教官が答えると、「では、命じた通りに。失敗したら捕まる前に死ねと言っておけ」と言い残して去ってゆく。
「聞いていたな。お前に初めての仕事を与える」
教官が言った。それはつまり、ムナールにとって最初の暗殺を意味していた。
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「かはっ……」
物言わぬ骸に成り下がった男を見て、ムナールは男の喉元に突き刺したばかりの短剣を握らせる。
これで何人目か。いずれもネロや正導会の政敵らしい。まあ、どうでも良いことだ。
ムナールは誰を殺そうが、最初からそれほど大きく心が動くことはなかった。元々俺に石を投げつけていたリフレアの人間だ。ムナールにとってはネロも、たった今死んだ男も、その辺りを這い回る虫と同じである。
成長期を迎えたムナールは、瞬く間に背が伸び、もはやその辺りの兵士程度なら片手で捻ることができるほどの実力を身につけていた。
尤も、ムナールが聖騎士団に入ることはない。今も変わらず、ネロの子飼である。
この頃になると、サクリからも何かと教え込まれることが多くなった。主に、外交の場での態度や、相手をやり込めるための交渉術が中心であった。
サクリの交渉術は人の弱みに付け込み、逃げ道をなくして此方の要求を飲ませるか、或いはそこしか選択できぬ逃げ道へ誘導して思いのままに操るような類の技術。
ムナールもサクリやネロのことを言えないほど感情の起伏がなく、相手に謙るなど到底無理な性格なので、通常の交渉術よりはサクリのやり方のほうが性に合っていた。
しかし、なぜ俺にそんなことを教えるのだろう?
そんな風に思いながらも1年ほどが経過した頃、やりたいことがわかってきた。
ある時から、サクリは定期的に旅人に扮し、ゴルベルへ出向くことが多くなった。監視役のムナールも同行する。
サクリは言葉巧みにゴルベルのとある将の懐へ入ると、その将の人脈を頼りに時間をかけゴルベル王への謁見をもぎ取った。
そこからはあっという間にゴルベル王の信用を得て、王自ら「我に仕えよ」と言わせることに成功する。
「私はゴルベルへ潜入し、軍師となる。ムナールはどうするのか兄上に確認せよ」
そのように宣言するサクリ。ムナールは言われるがままにネロへ指示を仰ぐと一言、「同行せよ」とのことだった。
どうも、正導会に楯突く有力者はほとんどいなくなっていたようだ。故に、俺を使う必要も無くなったのだろうとムナールは判断した。
こうしてムナールはサクリとともに、ゴルベルへと潜入することとなったのである。
ムナールにとって初めての外の国での生活。それは驚くべき体験であった。旅人として出入りしていた時はあまり実感がなかったが、ゴルベルではムナールを髪の色や目の色で蔑む者はほとんどいなかったのだ。
むしろ、「出身は南の大陸なのか」と興味津々に聞いてくる者の方が多いくらいだった。
ムナールは正直戸惑ったが、悪い気持ちではかった。ここではネロに命じられて、部屋中に血の匂いを漂わせるような仕事もない。ムナールの人生で、ゴルベル滞在中が最も穏やかであったかもしれない。
無論、定期的にネロへと報告は必要であったし、本格的にサクリの命令で、交渉の使者としての活動も始まった。
派遣されながらムナールは確信する。サクリ達はどうも、ルデクを滅ぼそうとしているようだ、と。
サクリの手腕によってルデクは何も知らぬままに包囲され、追い詰められてゆく。ムナールから見ても、ルデクは逃げられぬよう籠に入れられた鳥のようであった。
「そろそろ仕掛ける」
ゴルベルにやってきて数年。サクリが言った。
「どこからです?」
この頃のムナールは、外交の使者として動き回った影響もあり、少なからず慇懃な口調を身につけていた。少年の面影など一切なくなったムナールが聞くと、サクリは地図のとある場所を、とんと指で叩く。
それはルデク領内の北西の端。
「ここにある廃坑。これがルデク滅亡の狼煙となるのだ」
サクリはそのように言いながら、ひどく暗い、笑みをこぼしたのだった。




