【やり直し軍師SS-146】軍師と姫君10
―――砦に敵兵が殺到している―――
その第一報を受け、ロゴスは静かに目を閉じた。
「ロゴス様、すぐに味方を呼び寄せましょう!」
側近が悲鳴のような声を上げるも、ロゴスは小さく首を振りながら、周辺が見渡せる場所へと立つ。そこから見た風景は、ロゴスがおおよそ予想した通り。
「やられた」
奴らはこの時を待っていたのか。我々が兵を吐き出すその時を。悔しいが全てにおいて裏を書かれた。もはや、私がこの地から生きて帰ることはできぬ、か。
どこに潜んでいたかは分からぬが、篝火の数からして平原に配していたフェザリスの兵4000だ。こちらの出陣を待っていたのだろう。
まだ不完全な砦にたった1000の守備兵。4000の敵兵相手には守りきれぬ。しかも、突然のことに兵士たちが混乱している。もはや、命運は尽きた。
降伏は……認められぬだろうな。フェザリスがここまで明確な敵対行動を起こしたのは、当国に対する明確な怒りと報復を見せつける、心づもりと考えて良い。
ロゴスは送り出した7000の兵に思いを馳せる。ここに4000のフェザリス兵がいるならば、通常なれば、予備食料庫を襲撃したフェザリスの兵は少ないはずだ。
だが、ここまで用意周到に策を練った人物がいるのなら、話は違う。なにか、ロゴスが想定していない罠を仕掛けているのは間違いない。
それが送り出した兵にどれほどの損害を与えるものか。残念ながら、もはやロゴスにそれを知るすべはなかった。
7000の兵が壊滅、というとこは考えにくいが、あまり大きな被害になる前に、祖国へ退く決断ができるかどうか……
アンダードにとって、8000という兵数は動員可能な兵士のうちの三分の一だ。被害の大きさにもよるが、場合によってはアンダードの戦力を大きく削がれかねない。
せめて、送り出した兵に撤退命令を出せれば良いが、砦は完全に包囲されているのは篝火で分かる。
「ロゴス様」
沈黙したまま押し寄せる兵を見つめるロゴスに、先ほど援軍を進言した兵士が再び声をかける。
側近の声に反応したロゴスは、そばにいた何人かの兵士に、混乱に紛れ、砦を抜け出すように指示を出した。目的はもちろん、送り出した味方の元だ。援軍ではなく、撤退命令を携えて。
……あとロゴスにやれることは、伝令の脱出を手助けするためにフェザリス兵を引き付けることくらい。
「……私は、影で臆病者などと呼ばれることもあったようだな」
「決してそのようなことは!」
「良い。最期くらいはせめて、勇敢に戦い、破れたと伝えられたいものだ」
覚悟を決め、ほんの少しだけ微笑んだロゴスは、手にしていた己の兜をゆっくりと被った。
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「陥落しましたな」
未完成の砦で4倍もの敵を跳ね返すのは不可能。分かっていた事ではあるが、小国のフェザリスが格上のアンダードをこうまで簡単に翻弄するとは。
パーナルは指揮を預かる身でありながら、些か信じられない心持ちで状況を見ていた。
「パーナル殿。のんびりしている時間はありませんぞ」
やや呆けてしまっていたパーナルを、ドランが引き締める。
「う、うむ。そうであるな。それで、敵将は?」
報告にあがってきた兵士は興奮冷めやらぬように、やや大きな声で報告を続ける。
「ロゴス=ジェナ=ブラッハと思われる将を打ち果たしてございます!」
おお、とパーナルが感嘆の声を上げる横で、ドランが再び「パーナル殿」と声をかけてくる。
ドランのいう通り、まだ戦は終わっていない。急ぎ出立し、7000の兵士の背後を狙わねばならない。
「食糧庫の方はうまくやっているであろうか?」
「我らが来るまで守備に徹しろと伝えてありますので、問題ないでしょう」
予備食料保庫の方では、“7000のフェザリス兵”が、7000のアンダード兵を待ち構えているはずだ。
ドランの提言により、フェザリス王はここを乾坤一擲の戦いと定め、可能な限りの兵士を投入したのである。万が一負けでもすれば、フェザリスは滅亡待ったなしの危険な賭け。
だが、砦が落ちた以上、4000の兵士がアンダード兵の背後に殺到する。合計11000の兵で挟み撃ち。もはや、大勢は決したのだ。
この日の翌朝、朝日が差し込む頃。予備食料庫のあった辺りには、夥しいアンダード兵の骸が転がることとなった。それは斜面に赤い川ができるほど。後にこの地の地名を変えるような凄惨な状況が広がっていたのだ。
それはアンダードにとって、歴史に残る大敗の証となったのである。
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アンダードとの戦いに勝利したフェザリスの動きは早かった。
各国に「アンダードの無礼な行為と、一方的な領土侵犯」を非難する檄文を発し、同時にグリードル帝国との婚儀を知らせる。
特に、今回の騒動の一翼を担った六州の一国、メビアスに対しては「何か誤解があるようなので、不満があれば聞こう」と一文を添えて送った。
メビアスは慌てて使者を送って寄越し、ルルリアの婚儀の祝いと共に、「今後ともフェザリスとは友好を保ちたい。フェザリスを頼りにしたい」と泣きついてきた。
六州連合はそれぞれ上下のない小国同盟であったが、これにより事実上、メビアスはフェザリスの風下に立つことになり、必然、フェザリスは六州連合の中心に躍り出る。
他にも多数の国から祝いの使者がやってくる。中には、今までフェザリスなど歯牙にもかけていなかった国も含まれていた。
これらのすべての国が、真の意味でフェザリスに友好的であるかはこれから精査してゆかねばならない。だが、大きな後ろ盾と、少なくとも表面上はフェザリスを支持する国が多数現れたことで、アンダードはもちろん、水面下で動いていた各国は動きを止めざるを得なくなった。
こうして軍師ドランの名を南の大陸に知らしめた、「血河の戦い」は幕を下ろしたのである。




