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こころのみちしるべ  作者: 110108
ルクレティウス編
96/102

094.『こころのみちしるべ』2

 しかし——

 スレッダは目を(すが)めた。その直後に彼は自身の得物である巨大な大剣をハクに向かって真っ直ぐに放り投げた。それは大剣の質量からは想像できないほど素早く正確な投擲(とうてき)だった。ハクは目を見開いた。彼は必死に横に転げてそれを(かわ)した。立ち上がった彼はさらに目を見開いた。ほんの数メートル先にスレッダが立っていたからだ。一気に距離を詰められた。そう一瞬焦ったハクだが、その心にはすぐに余裕が戻ってきた。スレッダの手にはすでに武器がなく、彼は息を切らしていた。ハクは(あざけ)りの笑みを浮かべた。

「今のはびっくりしたぜ。最後の最後にあんな一撃を取っておいたとはな。だが今ので武器もなくしちまったな。そんでこっちには武器がある。お前の体力ももう限界だろ。さあ、負けを認めて——

「いや、負けたのはお前だぞ」

 そのスレッダの言葉をハクは(いぶか)った。

「は? 何言ってんだお前」

 スレッダは笑った。

「この距離を見てわからないか?」

 ハクは考えた。彼はにわかに思い出した。ハクは訓練兵時代に模擬戦をサボっていた。「俺ほどの超人的な能力の持ち主に模擬戦は要らない」というのがその理屈だった。教官もそれを認めざるを得なかった。しかし訓練兵になったばかりの頃に一度だけ体術の模擬戦に参加させられたことがあった。そのときの相手がスレッダだった。試合開始と同時にスレッダは一瞬にして距離を詰めてハクを殴り飛ばしていた。その一撃をもってハクは動けなくなり、そのまま敗北した。今二人の間にあるのはそのときとまったく同じ距離だった。ハクは焦りを顔中に(にじ)ませ、慌てて錫杖(しゃくじょう)(かか)げスレッダに雷を落とそうとした。

「神仙杖技・裁け——

 しかしスレッダが右の拳でハクの腹を(えぐ)り上げる方が早かった。ハクは体をくの字に折り曲げ、目を見開いた。彼は地面に膝をつき、どさりと音を立てて横に(くずお)れた。それとともに錫杖(しゃくじょう)は地に落ち、光となって霧散した。それをスレッダは悠然と見下ろした。

「お前の雷が雑になる瞬間を俺は待ってたんだよ。あとはお前の隙を作って距離を詰めるだけ。お前の雷より俺の拳の方が先に当たる距離に入っちまえば俺の勝ちって寸法だ愚図(ぐず)が」

 ハクは腹を押さえ倒れたまま悔しさに顔を(ゆが)めた。

「だったら最初からぶん殴れば良かっただろ。何でわざわざこんな場所まで…」

 スレッダは肩をすくめて答えた。

「わざわざこんなとこまで移動した理由か? まあ三つだな。一つはてめえの出鱈目(でたらめ)な雷で他のヤツ巻き込みたくねえから。一つは山火事を起こしたくねえから。枯れた沢とはいえここは木が少なくて岩がちだ。これ以上火が燃え広がる心配もねえだろ。最後の一つはまあ情けだな。お前がたった一撃で無様に負けるとこを部下に見せるのは忍びねえだろ? 『同じ六大騎士』としてよ」

 ハクは痛烈な皮肉に返す言葉もなく冷や汗だらけの顔に悔しさの(しわ)を刻んでいた。スレッダはさらに痛烈な捨て台詞を吐いた。

「俺がお前に負けたことが一度でもあったか? まったく、お前みてえな軟弱なヤツが同じ六大騎士だなんて恥ずかしくて反吐(へど)が出るぜ」




 ハクとスレッダは去った。真琴はもう動けない。ジンの相手はゲレーロが務めているし悠樹と杏奈の相手はビショップが務めている。それならば魔女の相手は自分がして良い道理となるはずだ。グレンは顔に笑みを浮かべて魔女へと歩を進めた。

「さて、ハクもいなくなったことだし、魔女は俺がいただいちゃっていいんだよな」

 それを聞いた真琴は再びにわかに立ち上がりグレンに斬りかかった。

「やめろおおお!」

 しかしグレンは蠅を払うように剣を一振りするだけで体ごと真琴の剣を弾き飛ばした。すでに体力の限界を超えていた真琴は力なく仰向けに倒れた。グレンはマナを見下ろした。体はボロボロだったが彼女は辛うじて息をしていた。魔女を化け物と信じて疑わないグレンはハクの雷を何度も受けた彼女がそれでも力をふんだんに残しているものと考えていた。彼は手にした剣の()を顔の横にまで上げ、ニヤリと(わら)った。彼の(かか)げた剣には彼の(よこしま)な笑みが反射した。()ってでもグレンを止めようとしていた真琴は到底間に合わないと悟ると叫んだ。

「やめろてめえ!」

 しかしグレンがそれに耳を貸すわけもなく、彼はマナの太ももに鋭く剣を突き立てた。失いかけていた意識を痛みで覚醒させられたマナは悲鳴を上げた。

「きゃあああああああああ!」

 自身の目論見通り魔女が悲鳴を上げたことにグレンは歓喜した。

「ほおらまだ元気じゃねえか!」

 突き立てた剣をグレンが事も無げにマナの脚から抜くとそこからは鮮血が噴き出てどぼどぼとこぼれた。真琴は目を見開いた。

 ハクとグレンとの間には魔女に関する決定的な認識の違いがあった。ハクは魔女をいたぶるためのオモチャと認識していた。彼にとっては正直相手が魔女であっても一般人であってもいたぶることさえできれば誰でも良かった。ところがグレンには魔女をその身にオーガを宿す強敵と認識したうえで彼女と凄絶(せいぜつ)な戦闘を繰り広げ(たの)しみたいという願望があった。

 ところが魔女の怒りと反撃を促すつもりでグレンは彼女の脚に剣を突き立てたにもかかわらず、いくら待っても足元のマナは痛みに(うめ)くばかりでそれ以上の変化を見せなかった。グレンの顔から笑みが消えた。

「おい、お前魔女だろ。何か反撃して来いよ」

 しかしマナからは返事すらなかった。グレンは仕方なくもう一度マナの脚に何気なく剣を突き刺した。

「うああああああ…!!!」

 マナは(うめ)いた。ようやく立ち上がることのできた真琴はグレンに背後から斬りかかった。グレンは先ほどと同じように真琴の剣を弾き返そうとしたが、同じ(てつ)を踏むまいとした真琴はそれを(かわ)した。しかし再び真琴が斬りかかるとグレンはその剣を叩き伏せて顔面に強烈な殴打を見舞った。真琴は大の字に倒れた。グレンは邪魔者が倒れた様を一瞥(いちべつ)するとマナに向き直り冷たく言い放った。

「おい、純情ぶってるとほんとに殺すぞ」

 しかしやはり(うめ)くばかりのマナからはまともな返事はなかった。グレンは落胆した。彼は再びつまらなさそうに剣を振り上げた。それを振り下ろした先にあるのはマナの首だった。それを見た真琴は気力を振り絞って立ち上がった。彼は念じた。

(光よ…!)

 グレンは剣を振り下ろした。到底間に合わない位置と体勢にあった真琴の剣がそれを食い止めた。真琴の足から立ち昇る白い光の(もや)が彼を素早くそこまで運んでいた。グレンは呆れた。すでに魔女に興味を失くした彼は淡々と吐き捨てた。

「お前いい加減にしろよ。魔女もお前も死ぬんだよ。どっちが先かってだけの話だろ」

 真琴は何かを(つぶや)いた。しかし彼は息を切らしていたため何と言っているのかグレンには聞き取れなかった。

「あ? なんだ?」

 真琴はもう一度言った。

「こんなのおかしいですよ…」

 グレンは目を(すが)めた。

「何言ってんだテメェ」

 真琴はレオにも聞こえるように声を張り上げた。彼の胸中には一つの感情が去来していた。それはジンに講義で習ったときに感じたことであり、シェリルとの会話で感じたことであり、杏奈を守るためにマナに薬をもらった際に感じたことであり、マナの過去のいきさつを聞いたときに感じたことだった。

「こんなのおかしいですよ! だってそうでしょ! 彼女はルクレティウスの病に苦しむ人々を救ったんだ!」

 グレンは鼻で笑った。レオは神妙な顔をしていた。真琴は言葉を継いだ。

「たしかに由衣はオーガの力で数名の兵士に怪我を負わせました! でもそれは自分の身を守るため仕方なくしたことです! オーガに体を乗っ取られたのも自分の意思じゃありません! 由衣は俺の傷を治してくれました! 仲間の病気も治してくれました! ルクレティウスで研究してたのも医療です! たくさんの人の病気や怪我を治しました! あなたたち兵士もたくさんその世話になったはずです!」

 グレンは「それがどうした」と言わんばかりに呆れた。レオの表情は変わらなかった。真琴の口上は続いた。

「由衣の部屋には薬がたくさんあります! 自分のための薬じゃありません! 人のための薬です! いつかルクレティウスに戻ってたくさんの人たちを治すために常備してるんです! あんたたちが由衣を追い回してこんな森の奥に閉じ込めさえしなければ、由衣は今すぐにでもルクレティウスに戻ってたくさんの人の命を喜んで救うんだ!」

 マナは(うつ)ろな目でそれを聞いていた。

「真琴…」

 聞いているのが面倒臭くなったグレンは剣を振り上げた。

「ぎゃあぎゃあうるせえんだよ!」

 グレンの叩き下ろした剣を真琴は両手で剣を支えて何とか食い止めた。歯を食いしばった真琴の口の端からは一筋の血が流れ落ちた。食いしばったままの口で彼は(うめ)くように(つぶや)いた。

「殺させない…」

 立っているのがやっとの真琴の強がりにうんざりしたグレンは再び剣を振り上げた。

「じゃ二人まとめて死ね!」

 真琴は受けの構えを取る体に力を込めた。その上にグレンは剣を叩き下ろした。真琴はグレンの刃を受け止めたがその勢いまでは止めきれずに自身の刃で額と肩口を切った。真琴は血をこぼしながら、それでも再び剣で受けの構えを取った。グレンはそれを見て鼻で笑った。

「無駄な努力を」

 真琴はグレンを(にら)む目を上げた。二人は目が合った。真琴の目の光は絶望にくすんでいるようにも見えた。しかし同時に(かたく)なな意志を(たた)え鋭く輝いているようにも見えた。真琴は自身に言い聞かせるように口を開いた。

「無駄であってたまるか」

 グレンは一度肩をすくめてから唐突に強烈な斬り下ろしを叩き込んだ。真琴は歯を食いしばってそれを受けた。体力の限界を超えていた真琴がグレンの剣を受ける力は先刻より弱まり、彼は受ける自身の剣で肩と手を切った。彼は痛みにうつむき、(うめ)き声こそ上げたが、それでもグレンの前に立ち続けた。グレンは吐き捨てるように言った。

「そんなに死にてえのか、ガキ」

 しかし再び真琴が(にら)み上げると両者は目が合った。

「死にてえんじゃねえ、守りてえんだ」

「そんな力どこにあんだよ」

 真琴は顔中に怒りと悔しさを(にじ)ませて答えた。

「力があるかないかなんて関係ねえ! 何が何でも守るんだ!」

 グレンは哄笑(こうしょう)した。

「あっはっはっはっは!」

 彼は唐突に剣を叩きつけた。それは真琴の不意を突く一撃だった。彼はそれを受け止めたが、ついに痛みに(うめ)き片膝をついた。

「ザコがイキがってんじゃねえよ! 見ろ! あそこのゴミを!」

 グレンが剣で指し示した先にはビショップにいたぶられる悠樹と、その後ろで倒れたまま動かない杏奈の姿があった。

「そこに転がる(あわ)れな女を見ろ!」

 グレンが次に剣で指し示した先には脚から地をこぼし痛みに顔を(しか)めるマナの姿があった。

「ジンもスレッダもそうだ! 仮にアイツらがゲレーロとハクに勝ったとして、それでもまだ俺とビショップとレオがいる。他の兵士も大勢この森を包囲してる。てめえらに勝ち目なんてハナからねえんだよ! 新兵のてめえがどんだけイキがっても何も変わりゃしねえんだよ!」

 のしかかるその言葉の重みに(あらが)うように真琴は痛みに(うめ)き、肩で息をしながら立ち上がった。グレンは怒りの(しわ)を深くした。真琴は消え入りそうな声で反駁(はんばく)した。

「だったら何だ。勝ち目がなきゃ戦わねえとでも思ってんのか…」

 グレンは呆れたように笑った。

「じゃあ何のために戦うんだよ?」

 真琴はグレンを(にら)んだ。

「誓ったんだよ。仲間を守ると! 由衣を守ると! 母さんが死んで、由衣がいなくなって、自殺するって決めて、そのせいでみんなを巻き込んで、翔吾が死んで、杏奈が死にかけて、由衣が生きてるって知って、だから誓った! もう絶対に何も諦めたりしない! もう何も失わない! 何があっても守る!」

「うるせえ!」

 ()えざまにグレンは剣を叩き下ろした。咄嗟(とっさ)に剣で受け止めた真琴だったが、その勢いまでは殺しきれず両膝を地についてしまった。蓄積したダメージで体に力が入らない真琴はそれでも気力だけでふらつきながら再び立ち上がった。しかし剣を持つ腕を上げる力さえもうなかった。彼は(うつ)ろな目をしていた。肩からは(おびただ)しい量の血が流れていた。グレンはそれを見て満足気に口の端を吊り上げた。弱者の(いき)がりもここまでか。

 真琴は胸に手を当て、大切な人の姿を思い起こした。悠樹、杏奈、琢磨、翔吾、由衣、母さん…。俺は…。

 そのとき、真琴は何か声を聞いた気がした。

『それはあなたの力です』

 若い女性の澄んだ声だった。耳朶(じだ)に直接響くような、胸中に直接語り掛けるような声だった。真琴は(うつ)ろな目をしたまま顔を上げた。グレンは口の端を(ゆが)めて剣を振り上げた。声は再び聞こえた。真琴はその声に聞き覚えがあった。

『その力に波長を合わせて、それを解き放ってください』

 真琴は自身の胸を見た。グレンは今度こそ真琴にとどめを刺すために剣を思い切り振りかぶった。さらに声は響いた。

『あなたの中には剣があります。それはあなたの力です。人が何かを()したいと願うとき、剣はあなたに力を与えます』

 真琴はぽつりと言った。

「俺は…」

 すると真琴の胸は白く光った。それを見たグレンは目を見開いた。

「何だと…!?」

 レオも唖然としていた。その光に呼び起こされるようにマナも薄く目を開けた。

「真こ…と…?」

 悠樹に剣を振り下ろしていたビショップさえもがその手を止めて光のする方を呆然と眺めた。悠樹もまた真琴を見て呆然としていた。声はさらに真琴の中で反響した。

『あなたはその剣の名前をもうすでに知っています。戸惑わないで。ただ信じて。それを口にすれば、その力はあなたとあなたの大切な人を守ります』

 何の確信ももてないまま、それでもその声に促されて真琴は口を開いた。

「俺は…由衣を守りたい…!」

 光はにわかに強くなった。その光に射竦(いすく)められ目をまともに開けていることさえできなくなったグレンは(うめ)いた。

「貴様…まさか…!!」

 再び声は真琴の内に響いた。

『さあ、名前を呼んで』

 真琴はその言葉を信じ、その力に波長を合わせ、その記憶を呼び覚ました。彼は胸に当てる手に力を込め、それを握りしめ、グレンを(にら)み、その名を叫んだ。

「心の…道標(みちしるべ)…!!」

 真琴の胸の前に縦に白い一条の光が浮かび上がった。

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