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こころのみちしるべ  作者: 110108
ルクレティウス編
94/102

092.『クラスメイト』2

しかし悠樹の反応だけは他の二人と違った。彼は愉快そうに笑い、剣を持つ手を震わせた。それは武者震いだった。

「願ってもねえ相手だぜ…」

 彼はゲレーロを鋭く睨みつけ、剣を握る手に力を込めた。

「翔吾の敵! 今こそ討つ!」

 杏奈はその後ろ姿を心配そうに見つめて言った。

「由衣ちゃんの援護はあたしに任せて!」

 悠樹は目を眇めた。悠樹も杏奈が到底ハクに敵わないとわかっていた。しかし今はこうするより他にない。ゲレーロは必ずすぐに仕留める。その上でできるだけ早く杏奈に加勢する。その思いを込めて悠樹は言った。

「済まない…!!」

 杏奈は力強く頷いた。

「大丈夫!」

 しかしそのとき、一連のやり取りの蚊帳の外に置かれている状況に耐えかねて我慢の限界に達しつつある男がいた。彼は唇を震わせ、腕を震わせていた。彼は絞り出すように言った。

「僕のマナちゃん…!!」

 彼の目は充血していた。

「せっかく会えたのに…、お預けなんてあんまりだ…!!」

 ビショップだった。彼は自身の欲情が満たされない不満を内に抱えきれなくなっていた。彼はそのはけ口を求めていた。彼の視線の先には杏奈の体があった。マナと再び対峙すれば「横取りするな」とハクに咎められかねない。また「命令外の行為をするな」とレオに咎められかねない。しかしゲレーロやハクの援護として杏奈と対峙する行為にはさほど咎められる道理はないのではないか。彼は迷った末にその欲望を押さえるのをやめた。

「もう我慢できないっ!」

 そう言ってビショップは走り杏奈に勢いよく後ろから抱きついた。

「きゃっ!」

 杏奈は悲鳴を上げた。真琴は叫んだ。

「杏奈!」

 ビショップは杏奈の耳元でハクやゲレーロに聞こえるように言った。

「この女は俺が押さえます! ハクさんとゲレーロの邪魔はさせません!」

 レオもハクもそれを気にも留めず咎めもしなかった。杏奈は自身の体から男を引きはがそうともがいた。

「やめてください!」

 しかし力ではビショップに敵わなかった。杏奈は仕方なく手にした剣をビショップに向けた。するとビショップは剣を持つ杏奈の腕を両手で掴み、素早く後ろ手に捻り上げた。杏奈は痛みに呻いた。

「ああっ!」

 杏奈は剣をぽろりと地に落としてしまった。ビショップは背中から体重をかけ杏奈をうつ伏せに地面に組み伏せた。杏奈は勢いよく頭から地面に倒れた。彼女は体を必死に捩ろうとしたが、ビショップは自身の頭を彼女の頭に、自身の腰を彼女の腰に密着させ、彼女の自由を許さなかった。ビショップは杏奈を組み伏せながら女の柔らかさと香りを愉しんでいた。彼の顔には自然と恍惚とした笑みが浮かんだ。

「てめえっ!」

 翔吾の敵討ちをするよりもまずはすぐ近くで辱めを受ける仲間を助けようと悠樹は杏奈の上に重なる「汚いもの」に剣を突き刺そうとした。しかし彼の背後から急激に接近するものの気配を感知し悠樹が振り向くと、そこにゲレーロの拳と笑顔が見えた。強烈に顔面を殴られた悠樹は体を仰け反らせ、背中から倒れた。彼はすぐにふらつきながら立ち上がったが、その鼻からは赤黒い血がどぼどぼとこぼれた。ならばと真琴が杏奈を助けにかかったが、彼を横合いからグレンが蹴り飛ばした。真琴は二三度転げて大の字に倒れた。彼はなおも起き上がろうとしたが、首をもたげるのが精一杯だった。その間もビショップは杏奈の服越しの尻の柔らかさと髪の香りを堪能した。杏奈はなおも必死にもがいたが状況は好転しなかった。悠樹はゲレーロに憎悪の目と剣を向けていた。

(まずはこいつを何とかしねえと…)

 そう悟った悠樹は言った。

「杏奈! 耐えろ!」

 杏奈は叫んだ。

「私は大丈夫!」

 しかしそう返事する間にも彼女のうなじをビショップの舌先が這ってその肌の甘さを愉しんでいた。悠樹はゲレーロに言った。

「そんなに死にてえならてめえから殺ってやる。翔吾の敵め…!」

 彼は瞳に怒りを滾らせた。

「フラマリオンで会った日からてめえに勝つために俺は鍛錬してきたんだ…!」

 ゲレーロはそれを聞いても鼻で笑うばかりで言い返しもしなかった。悠樹はさらに続けた。

「お前の弱点は真琴との戦いを見て研究済みだ」

 悠樹は口の端を歪めた。

「あんときの屈辱をもう一度味わわせてやる…!」

 そう言うと悠樹はゲレーロに向かって突き進んだ。それは鋭く素早い疾駆だった。彼の剣は基本の型通りに足腰の力を無駄なく活かして素早く正確にゲレーロを突いた。しかしゲレーロは半身の姿勢をとるだけでそれをあっさりと躱した。悠樹は目を見開き勢い余ってつんのめった。その尻をゲレーロが蹴った。悠樹はうつ伏せに倒れた。

 悠樹は素早く横に身をひねって立ち上がった。しかしそのときすでに悠樹に向かってゲレーロの脚が伸びていた。悠樹は鳩尾を思い切り蹴られて息ができなくなった。正座するように頽れた彼は苦しそうに咳込んだ。その顔面をゲレーロは蹴り上げた。悠樹の鼻からはさらに血が飛び散った。彼は仰向けに倒れた。ゲレーロは吐き捨てるように言った。

「お前なんか剣使わなくても簡単に倒せるわ」

 息を切らし、鼻血をこぼし、体の力が入らない悠樹は、それでも全身に力を込めて起き上がろうとした。彼の上体は十センチ、二十センチと地を離れ起き上がった。しかし、その頭をゲレーロが靴の裏で踏みつけた。悠樹の上体は再び地に叩きつけられた。彼はなおも立ち上がろうとしたが首と腕がだらりと重たく動くばかりで上体は地面を離れなかった。

 ビショップに押さえ込まれていた杏奈は状況を少しでも好転させようと力一杯身を捩ってうつ伏せの状態を脱し、仰向けになった。しかしそれが良くなかった。彼女の美しく整った顔貌を真正面に見る格好になったビショップはさらに欲情した。彼はその整った美しい顔貌とそこから伸びる身体を汚したくてたまらなくなった。彼は杏奈の腕を左右に広げた状態で押さえつけ、その豊かな胸に自分の胸を押し当ててその柔らかさを味わった。さらに女性と唇を重ねたことのない彼は自身のその念願を成就させることを思いついた。彼は彼女の唇にその欲望の滴る汚い割れ目を近づけようとした。杏奈は彼のその意図を悟ると必死に顔を背けて拒んだ。ビショップはあと少しで自分の長年の望みが叶うとあってさらに嬉々として彼女を「捕縛」することを愉しんだ。

「なんかもういいや。終わりにしようぜこんな茶番」

 それらの顛末を俯瞰していたハクがつまらなさそうに言った。彼は再び錫杖を空に掲げた。それに気付いた真琴がにわかに上体を起こし叫んだ。

「由衣!! 逃げろ!!」

 ハクはぽつりと言った。

「神仙杖技・裁決」

 しかしそのとき、ハクは何かに気付いて技の発動をためらった。それはわずかな気配だった。彼は気配のした方向に訝し気な目を向け、手を下ろした。グレンもまたそれに気付き、そちらを鋭く見た。その気配はゲレーロと悠樹のいる方向からした。そこではもうすでにほとんど動かなくなっている悠樹の頭をゲレーロが踏み潰そうとしているところだった。しかしハクとグレンに遅れてゲレーロも何かの気配に気付き、その足を止めて彼は慌てて後方に跳び退いた。悠樹をゲレーロからかばうようにその気配の主はそこに素早く姿を現した。

「まったく、せっかく連れて来てやったのにさっさと俺を置いて先に行っちまいやがって」

 気配の主はそう言っていつもの飄然とした笑みを浮かべた。

「生きてるか、悠樹」

 真琴はその姿を見て驚いた。

「ジンさん!」

 ジンは目の端で悠樹を見下ろして言った。

「悠樹、立てるか?」

 返事をする余裕のない悠樹はそれでも呻きながら上体を起こした。

「お前は杏奈を助けて来い」

 もはや声も出ない悠樹はそれでもふらふらと立ち上がった。彼は杏奈とビショップの方へとおぼつかない足取りで歩を進めた。それを目の端で確認したジンは正面のゲレーロにその双眸を据えた。ジンはいつも通りの飄然とした佇まいだったが、その体からはいつになく怒気が滲み出ているように見えた。彼は言った。

「こいつは俺が何とかする」




杏奈の抵抗力が弱まってきたのをいいことにビショップは右手で彼女の顎を掴んで上向きに固定した。杏奈は自由になった左腕でビショップの右手を自身の顎から引き剥がそうとしたが、彼の力には敵わなかった。上向きになった彼女の唇にビショップは自身の唇を近づけた。彼女の真上まで上体をずり上がらせ頭と頭の位置を合わせた彼はあとは重力に従ってそれを下ろすだけで彼女と唇を重ねることができた。彼は最大限その柔らかい感触と潤いを堪能するために目を閉じた。彼の唇が近づくとその口臭は杏奈の鼻を突き、彼女は彼の唇の温もりと湿り気を肌で感じ、嫌悪感から思わず目を固くつむった。ついにビショップの夢が成就するかに思われた瞬間、しかし、杏奈の体はふっと自由になった。悠樹の跳び蹴りがビショップの脇腹を直撃したためだ。低く呻いたビショップは三、四度転げ回った。すでにゲレーロ戦で消耗していた悠樹は跳び蹴りの勢いで自身も一度倒れ込んでしまったが、それでも根性一つで立ち上がり、息を切らしながら杏奈に手を差し伸べた。

「待たせたな杏奈。大丈夫か」

 杏奈は親友の助けに勇気づけられ力強くその手をとった。

「うん! 大丈夫!」

 悠樹と杏奈は同時にビショップに目を向けた。思い切り跳び蹴りを食らった敵は、しかしほとんどそれによるダメージを負っているようには見えず、彼は「ああ驚いた」と言わんばかりに悠然と立ち上がった。

「杏奈、戦えるか?」

 杏奈は息を切らしてはいたが怪我などはしていなかった。

「もちろん!」

 杏奈は先ほど地に落とした剣を素早く拾い上げるとそれをビショップに向け構え直した。悠樹は杏奈に言った。

「挟撃で行くぞ」

 杏奈は力強く頷いた。

「わかった」

 二人は左右に別れた。ビショップから見て右から悠樹が、左から杏奈が攻めた。ビショップは双方に素早く目を走らせた。二人の攻撃はほぼ同時だった。ビショップはどう対応すべきか慎重に見極めようとした。悠樹と杏奈が同時に剣を振り上げた。二人がそれを下ろす瞬間、しかしそれは厳密には同時ではなかった。わずかに悠樹の方が早くなったのだ。ビショップは素早くそれを見極めて悠樹の剣を弾いた。ほとんど力を使い果たしてしまっていた悠樹はそれに抗えず剣を握る両手ごと上体を仰け反らせた。

「ぐっ!」

 さらにビショップは素早く杏奈の剣に自身の剣を合わせ、それをひねり取るように叩き落とした。杏奈は再び剣を地に落としてしまった。ビショップはさらに剣の柄で杏奈の頭を打った。杏奈はそれで昏倒した。一度体を仰け反らせた悠樹だが、素早く体勢を整えると今度はビショップに刺突を見舞った。しかし後方からの一撃であるにもかかわらずビショップはそれを半身になって躱した。勢い余って体勢を崩した悠樹の剣をビショップは叩いた。さらに勢いを増した悠樹の上体はそのまま前方へとつんのめり、彼は転倒してしまった。このとき悠樹に興を削がれ、動いて抵抗することのなくなった杏奈にビショップは性的興味をすっかり失ってしまっていた。ビショップは冷酷な目で倒れて動かない彼女の体に上から剣を振り下ろした。それが彼女の首を斬り落とす寸前、悠樹が剣を伸ばしてそれを食い止めた。彼は呻き声を上げ残る力を振り絞ってビショップの剣を弾き上げた。なおもビショップは上から続けざまに剣を振り下ろした。悠樹は杏奈をかばうように彼女とビショップの間に自身の体を滑り込ませると、必死に剣を持つ腕を上げてビショップの攻撃を受け止めた。ビショップはさらにつまらなそうに淡々と剣を振り下ろし続けた。すでに体力の限界を超えていた悠樹は今にも剣を持つ腕から力が抜けそうになりながらも、杏奈を守るために必死に歯を食いしばって剣を受け続けた。




 何度も魔女へのとどめを妨害されたハクは少し考えを改めた。やはりこのままただ命を絶つのは面白くない。もう少し楽しもう。彼は錫杖を下ろしマナに向け、言った。

「神仙杖技・勅命」

彼の錫杖の先には雷が迸り、それはマナの体に伝わった。

「あああっ!!!」

 マナは体を震わせて悲鳴を上げた。それは先ほどの落雷よりも威力こそ劣るが電撃には違いなかった。ハクは歓喜の声を上げた。

「はははっ! こりゃいいぞ! コイツまだいいリアクションできんじゃねえか!」

 それを見た真琴は叫んだ。

「てめえっ!」

 ようやく立ち上がる力を取り戻した彼はハクを食い止めに行こうとしたが、その速力はあまりにも乏しく、またもグレンに簡単に蹴飛ばされてしまった。

「ぐあっ!」

 呻いた真琴は棒切れのように倒れた。

「もういっちょ! 神仙杖技・勅命!」

 そう言ってハクは電撃をマナに浴びせた。紫電は彼女の体中を蠢く虫のように這った。

「ああああああ!!!!」

 彼女は体を引き伸ばし、痙攣させた。彼女の衣服はほとんど焼けてなくなり、肌は煤け、髪は焦げた。彼女は下着を露にして倒れていた。それを見たハクは愉しそうに哄笑した。

「あっはっはっはっは! こりゃ傑作だ!」

 悠樹に剣を振り下ろしながら、顔だけはマナに向け、そのあられもない姿を目撃したビショップは再び性的興奮を覚えた。ハクによるマナの嗜虐をもっと間近で見たい。そう思ったビショップは一刻も早く邪魔な目の前の蠅を始末すべく振るう剣に力を込めた。悠樹は背中のすぐ後ろで倒れる杏奈をかばうために呻き声を上げながら腕の力と意識を必死に保った。

「ぬぐあああああ!!!」

「そおれもう一発! 神仙杖技・勅命!」

 ハクの愉悦の声とともに紫電が再びマナの体を這った。

「ああっ!!!」

 マナはさらに体を痙攣させた。しかしその動きは先ほどよりも明らかに弱々しくなっていた。それは彼女の命がついに尽きつつある証拠だった。ハクはそれに気付くと笑うのをやめて彼女に心配の声を掛けた。

「あれ? 大丈夫?」

 ハクはそう言いつつもさらに雷を放った。

「神仙杖技・勅命」

それを受けたマナは体を痙攣させたが、もはや声を発しなかった。ハクは確かめるように錫杖でマナの体をつついた。

「あれ? 死んじゃったかな?」

 マナは辛うじて息をしていた。しかしそれは弱々しかった。ハクはため息をついた。

「もう終わりか。つまんねえな」

 ハクは錫杖を高く掲げた。

「でもまあしょうがないよね。命あるものいつかは滅びる。それなりに楽しかったよ。ありがと」

 ハクはふっと笑った。

「神仙杖技・裁決」

 それを見た真琴にできることは叫ぶことだけだった。

「由衣いいいいい!!」

 雷が落ちる直前、しかしハクは再び何者かの気配を感じて攻撃をぴたりとやめた。それは真っ直ぐ自身に向かって来ていた。目を見開いたハクは大きく跳び退いた。気配の正体はマナをハクから守るように素早く彼の前に立ちはだかった。彼の手にはすでにその象徴である身の丈よりも大きな大剣が握られていた。超人的な速度で現れた彼は、しかしまったく息も乱さずに言った。

「遅くなったな真琴」

 真琴は呆然としながらその名を呼んだ。

「スレッダさん!」

 スレッダはハクに鋭い視線を送りながら言った。

「こいつは俺に任せろ」

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