090.『魔女狩り』2
真琴は愕然とし、思考を素早く巡らせた。そんな…、どうして…。一体誰が…。すると真琴の脳裏に恐ろしい仮説が浮かんだ。俺が後をつけられたのか? 俺の嘘がバレたのか…? どうすればいい…!? とにかく由衣を守らなきゃ…!! 真琴は走り出した。俺のせいだ。俺が守らなきゃ!
足がそこそこ速い真琴はすぐにマナに追いついた。
「由衣!」
呼び止められてはじめてマナは後ろから真琴が追いかけて来ていたことを知った。
「真琴!」
マナは立ち止まって振り返った。真琴は彼女の両肩を掴んで言った。
「由衣はここにいろ!」
マナは驚いた。
「どうして!?」
「ここに向かって来ているのが誰にせよ、もし俺のせいでこの場所がバレたなら俺が何とか追い返す! とにかく由衣はここにいて!」
真琴はそれだけ言うとすぐさま走り出した。
「真琴!」
真琴はマナを取り残して森の中へ消えて行った。マナは顔を顰め、うつむいた。彼女は真琴の危険と自身の恐怖との間で葛藤していた。
真琴が広場へ来ると侵入者はまだそこまでは達していなかった。真琴はここへ姿を現す者が誰であれ、ここで待つのが良いと判断した。お互い隠し立てもできない視野の開けた場所で話し合いができる。さらに仮にそれが決裂することがあれば…。
それから約五分後だった。広場で待ち構えた真琴の前に現れたのは彼が見たことのない騎士だった。痩身で禿頭。色白で鼻と耳が大きく尖っている。その男はへらへらと笑っているように見えた。もしかしたら笑い顔なのかもしれない。真琴は男を見た第一印象として不気味さを覚えた。騎士にしては弱そうで、しかも魔女の森に行軍したというのにまったく魔女を恐れていないように見える。男は真琴と十メートルほどの距離に近づいてから歩を止めた。よく見れば彼の所作には緊張のようなものがわずかに感じられた。顔にはやや脂汗のようなものが浮かび、手と唇は少し震えている。しかしやはり顔は笑っているように見える。それは緊張というより狂気の表れのようにも感じられた。真琴は少し目を眇めた。先に口を開いたのは相手の方だった。
「藤原真琴君だね」
真琴は自身の名を知られていることに驚いた。だがなぜ知っているかは聞かなかった。相手は明らかにマナを狙うために現れた敵。心の隙は見せられない。真琴は無言を貫き通した。ビショップは気にした様子もなく笑った。
「答えてもくれないのか。これでも一応上官なんだがね。僕の名前はビショップ。六中騎士の一人さ」
精神的弱みを顔に出すまいと固く誓った真琴でさえ六中騎士と聞いて顔に緊張を走らせた。六中騎士といえばゲレーロやジンも属する階位。真琴の体には彼らに与えられた痛みの記憶が蘇った。それを押し隠すように真琴は淡々と口を開いた。
「用件は何ですか?」
ビショップの声には少しだけ興奮とも怒りともとれる色が滲んだ。
「魔女はどこだい?」
真琴は少し迷ってから口を開いた。
「もしあなたが彼女に会うことができたとして、あなたは彼女に何をしますか?」
ビショップは笑って小さくかぶりを振った。顔は笑っていて言葉は紳士的だが内心は決してそうではないことがよくわかる口調だった。
「僕が聞いているんだ。質問に質問で返すのは良くない」
真琴はその言葉をもって両者の対決は避けられないものと悟った。彼は腰の剣を抜いた。ビショップは嘆息した。しかし悲観する様子はなく、彼は笑みを保ったままだった。
「上官に向かって剣を抜くとは」
ビショップもまた腰の剣を抜いた。それは細く鋭いレイピアだった。彼の双眸はにわかに鋭くなった。
「君は反逆者だ。斬る」
真琴は闘志を瞳に宿しビショップを見据えていた。そこへ後ろから声が聞こえて来た。
「真琴!」
真琴は驚いた。それはマナの声だった。ビショップもまた驚いた。彼は口を開けて眉根を寄せ、運命の相手との再会に今にも涙をこぼしそうな顔をした。後目にマナを見て真琴は尋ねた。
「由衣! どうして来た!」
真琴の数メートル後ろで立ち止まり、両手に膝をついて息を切らしていた彼女は、それが整わないうちに答えた。
「だって…真琴が心配で…」
しかしそのとき、目を上げて侵入者の姿を視認した彼女は自身の記憶に生ぬるい男の肌の感触を植え付けた者の姿を見て慄いた。
「そんな…」
対するビショップは歓喜の声をあげた。
「マナちゃん!」
彼は急に苦しみ悶えるような顔をして言った。
「あのときは悪かった!」
真琴もマナもその言葉に驚いた。二人にはビショップがここに来た意図がわからなくなった。
「君を密告して追い回して! 君に拒絶されて頭にきてしまったんだ! 僕は復讐のことばかり考えてた!」
しかしマナはそれを聞いても彼への恐怖を拭うことができなかった。ビショップは言葉を継いだ。
「でも僕は本当の自分の気持ちに気付いたんだ!」
彼は苦しい胸の内を吐き出すように言った。
「君を愛してる!」
真琴は呆れと侮蔑を顔に滲ませた。マナもその顔に嫌悪感を滲ませかぶりを振った。
「大人しく僕に捕まるんだ! 僕が必ず君の無実を立証してあげる! そしたら二人で暮らそう!」
嫌悪感を露にするマナの顔を目の端で見た真琴は彼女を守らなくてはという気持ちを新たにした。
「あなたは由衣を襲った騎士ですね? 捕まるべきはあなただ! 勝手なことを言わないでください!」
ビショップは新兵に渾身のプロポーズへ横槍を入れられて顔中に怒りを滲ませた。
「うるさいザコが!」
そう叫んでビショップがその体に力みを見せた瞬間、真琴はやや卑怯とわかっていながら不意打ちを仕掛けた。予備動作のほとんどない跳び込みざまの素早い袈裟斬りであった。真琴の不意打ちに一瞬反応の遅れたビショップだったが、彼はそれでも真琴の一撃を後ろに跳び退きながらひらりと半身になって躱した。真琴は驚愕した。ビショップは手にしたレイピアを鋭く真琴の右の肩に突いた。真琴もまた身をひねったが、それは肩を掠めて浅い傷を作った。真琴は小さく呻いて跳び退いた。それを見たビショップは睨み上げるようにほくそ笑んで言った。
「へへへ、君、弱いね」
真琴は歯噛みした。ビショップの身のこなしはたしかに見事だった。この痩身禿頭のひ弱そうな男にこれほどの俊敏さがあるとは想像だにしていなかった。真琴は心の内で呟いた。
(さすが六中騎士か。だったら出し惜しみは無用。同じ六中騎士であるゲレーロに勝ったときのあの力を使うしかない…!)
真琴は構えた。彼は怒りや焦りを心中から滅却し、その一刃にすべての精神を集中させた。一度目を閉じた真琴は鋭い集中力の光を宿してそれを開いた。真琴の両足は白い靄に覆われた。ビショップはその細い目を見開いて驚いた。真琴は自身の両足に力が滾り、尋常ならざる脚力が備わったことを感じた。次の瞬間、彼は一瞬にしてビショップの背後を取り、同時に再び袈裟斬りの構えをとった。ビショップは唖然とした。真琴は一思いに剣を振った。
しかし次の瞬間、真琴は呆然とした。何の手応えも感じなかったからだ。ビショップは軽く身をひねってそれを躱し、再びレイピアを真琴に突いた。それは脇腹に刺さった。
「ぐあっ!」
真琴は痛みに呻いた。
「真琴!」
マナは叫んだ。ビショップは呻いて腹を押さえる真琴を見て満足そうに笑った。
「それ、ゲレーロに対してやった動きだろう? 君がどうしてそんなに速く動けるのかわからないけど、あのときの戦いは僕も見ていたんだ」
真琴は片膝をついて歯を食いしばり、ビショップを見上げた。
「僕は相手の動きを覚えるのが得意でね。同じ動きをしても僕には通じないよ」
それだけ言うとビショップは振り向いてマナを見た。マナは慄然とした。ビショップは真琴を捨て置き彼女に向かってゆっくりと歩を進めて行った。マナは恐怖に身を固くした。焦った真琴は叫んだ。
「餓幽! 由衣を守れ!」
しかしマナは不可解なことを叫んだ。
「ダメっ!」
真琴は驚いた。まるでそれは餓幽がマナを守ることをマナ自らが拒んでいるかのような言い方だった。すでにマナから数メートルの距離にまで近づいて来ていたビショップはレイピアを振り上げた。
「由衣! 避けろ!」
真琴は必死に立ち上がり、叫んだ。しかしマナは目を閉じて身を固くするだけで何もしなかった。ビショップはレイピアを斜めに振った。
——ざくり。
小気味よい音を立てたそれはマナのスカートの裾を切り落としていた。切れがはらりと落ちて彼女の下着が露になった。一瞬恐怖に体を震わせた彼女はそれでも身を固くしているばかりだった。ビショップはそんな彼女を見て恍惚とした表情を浮かべた。脇腹への攻撃が致命傷とはならなかった真琴は懸命に走り後ろからビショップに斬りかかった。その気配を察知していたビショップはさらりとそれを躱して跳び退き、再びマナと真琴から距離をとった。真琴はマナを守るように彼女の前に立ってビショップに向けて剣を構えた。目だけ振り向きながら真琴はマナに尋ねた。
「由衣、どうして!?」
マナは何か葛藤するように答えた。
「餓幽を出したらその人が死んじゃう…!!」
真琴は唖然とし、彼女に怒鳴りつけた。
「二人とも殺されるかも知れないんだぞ!」
マナは振り絞るように声を出した。
「私が捕まればいいんでしょ!?」
真琴は呆然とした。彼は何と答えて良いかわからなかった。マナは泣き崩れるように言った。
「また同じことして! また追われて! こんな森に住んで…もうやだよ…」
真琴は彼女が長い間募らせた胸の内を知って苦しくなった。
「はっはっはっ!」
哄笑する声が聞こえて真琴は憎き正面の敵に向き直った。
「ほうら彼女もそれを望んでるんだ。大人しく僕に捕まって僕と結婚すればいいんだ」
真琴は歯噛みした。ビショップは邪な笑みを浮かべて言った。
「それじゃあ、今度はこっちから行くよ」
彼はレイピアを鋭く構えた。真琴は窮地に立たされていた。マナは相変わらず身を固くしている。ビショップは今まさに真琴に跳びかからんとした。真琴もそれを受けるために下半身に力を込めた。
「ビショップ。何をしている」
するとそのとき横合いから声がした。真琴、ビショップ、マナの三人が驚いてその声のした方を同時に見た。そこには悠然と森の木立の奥から現れたルクレティウス騎士団全軍大将・レオの姿があった。ビショップは口をぱくぱくさせて動揺を見せた。
「貴様に命じたのは俺たちの道案内のはずだ」
ビショップは剣を下ろし、それを鞘に込めて佇まいを正した。
「も、申し訳ございません」
レオはマナを見た。
「ビショップ。これが魔女か」
ビショップはかしこまって返事をした。
「は、はい!」
「そうか、では——
するとレオは事も無げに恐るべき言葉を口にした。
「グレン、ハク。魔女を殺せ」
真琴とマナは愕然とした。するとレオの背後の森の暗がりから今まさに名を呼ばれた二名の六大騎士が姿を現した。二人は魔女というオモチャを与えられ、それで遊べることが嬉しくてたまらないと言わんばかりの笑みをその顔貌に湛えていた。




