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こころのみちしるべ  作者: 110108
ルクレティウス編
90/102

088.『疫病神』2

 それから数日後、マナの目の前で重篤(じゅうとく)な状態に(おちい)った患者が再び現れた。医師は慢性的に人手不足であったためその患者の応対もマナ一人で行っており、辺りに他に人はいなかった。

「こりゃ死ぬな」

 マナの口から出た少年の声がいたずらっぽく言った。

「わかってる!」

 マナは怒鳴った。認めたくはないが彼の命の火はこのままでは確実に消えてしまうだろうという状態だった。彼女はオーガの言葉を無視して目の前の患者を救うことに専念するよう(つと)めた。彼女は可能な限りの治療を(ほどこ)した。しかしオーガの予言通り、患者の命が(つい)える瞬間は残酷にも目の前に迫ってきていた。マナは自分の力のなさを恨み、歯噛みし、固く目を閉じた。

「俺の力を使えよ」

 オーガが(ささや)くように言った。マナはそれを(こば)もうとした。しかし患者を救いたいという使命感が彼女を責め(さいな)んだ。彼女は眉根を寄せて苦悩した。再び目を固く閉じて歯噛みするとついに彼女はオーガの提案を受け入れた。

「ほんとにちゃんと助けてくれるんでしょうね…?」

 しかし返ってきたのは予想外の言葉だった。

「おいおい、何だその上から目線の問いかけは?」

 マナは抗議した。

「仕方ないでしょ!? あんたのこと信用できるわけないじゃん!」

「あーそうかい、ならいいんだぜ。コイツが死んでも俺は知らねえよ」

 マナは困惑した。

「ちょっと待って! さっきは力を使えって言ったじゃない!」

「気が変わった」

 マナは自身がいいようにからかわれていることを悟り、悔しさに歯噛みした。しかし患者の命を救う方法はもはやオーガに頼みその力を借りること以外に思いつかなかった。マナは仕方なく(たず)ねた。

「…どうしたらいいの?」

 すると嬉々とした声が返ってきた。

「まあお願いしてみることだな。そうしたら検討くらいはしてやるぜ?」

 マナは鼻に(しわ)を寄せた。しかし彼女は従うしかなかった。

「お願い…。力を貸して」

「え? それじゃよくわからないよ。何にどんな力を貸せばいいの?」

 マナの口調は荒くなった。

「治癒の魔法の力を貸して! この人を助けて!」

「おいおいおいおい、頼み方考えようぜ。それが人にものを頼む態度かよ」

 マナは悔しさの余り目に涙をためてベッド脇にしゃがみ込んだ。体を乗っ取られた挙句自分の力不足を認め卑屈な態度まで取らされることになったのだ。しかしこうしている間にも患者の命は尽きてしまうかもしれない。

「…お願いします。治癒の魔法の力を使ってこの人を助けてください…」

 すると少年は哄笑(こうしょう)した。

「あははははははははははは!」

 マナは黙ってその屈辱に耐えた。

「あっはっはっはっはっはっは!」

 マナはついに耐え切れなくなった。

「早くして!」

(みじ)めだな。体を乗っ取られた挙句に下僕みたいに懇願(こんがん)なんかして」

「お願い…」

 マナは悄然(しょうぜん)とした。

「やだよ」

 マナは目を見開いた。

「そんな…」

「お前の願いなんて聞かねえよ。この体はもう俺のもんだ。いつだって自由に使える。お前の意思なんて尊重する理由はどこにもない。お前の自我だっていつでも消せる。お前は俺の傀儡(かいらい)だ。傀儡(かいらい)嘆願(たんがん)に耳を貸す道理はどこにもない。勝手に泣いてろばーか」

 つかの間呆然としたあと、マナはうつむいて(つぶや)くように言った。

「出てって…」

「は?」

「あたしの体から出てって!」

 オーガは意地悪く笑った。

「やだよ」

「お願い出てって!」

「やーだーよー」

 マナは再びうつむいた。彼女は自分の無力さに打ちひしがれた。そんな彼女に少年の嘲弄(ちょうろう)の声はさらに容赦(ようしゃ)なく浴びせかけられた。

「この体はもう俺のもの。自殺することだってできる。そこら辺の汚い男を誘惑して犯されることだってできる。人を殺すことだってできる。どんな犯罪だってできる。お前の意思なんて知らねえよ」

 マナは悄然(しょうぜん)とし「彼」との会話をやめた。

「…」

「あーあ、この患者死んじゃったかもね」

 マナはその一言で我に返り患者の顔を凝視した。たしかに先ほどの容態に照らせばタイミング的にはすでに手遅れになっていてもおかしくない。

 しかし意外にも患者は息をしていた。それどころか彼の表情からは苦悶(くもん)の色が消え、それは穏やかだった。マナは困惑した。よく見れば患者の体からは緑色の光がうっすらと発せられていた。マナは目を疑った。しかし決して見間違いではなかった。マナはその光の出所を探った。それは自身の左手だった。彼女が何気なくベッドの上に置いた手から緑色の光があふれ出てそれが患者の体を包んでいた。マナはその現象をただただ不思議に感じた。それを(いぶか)しんだ。その現象の原因について考えたが、それは一つしか思いつかなかった。

「どうして…?」

「…」

「治してくれるの?」

「…ん? ああ」

 すると患者が(うめ)き声を発した。

「ん…んん…」

 彼の顔にははっきりと赤みがさし、彼の呼吸は穏やかだった。彼は今にも意識を取り戻しそうに見えた。先ほどまで重篤(じゅうとく)な患者であった彼とただ睡眠をとっているだけの健康な一般人との差異はもはやどこにも見当たらなかった。すると患者を覆っていた緑色の光が消えた。マナの手からもそれは消えていた。

「終わったぜ」

 そうオーガが言った。マナは戸惑いながらぽつりと礼を言った。

「ありがとう」

「別に。俺の気まぐれだからな」

 患者が助かったことにマナは安堵(あんど)した。彼女は涙で濡れた顔をほころばせた。

「ねえ、名前、教えて」

「…」

 オーガは答えなかった。

「教えてくれたっていいでしょ?」

餓幽(がゆう)

「…がゆう…?」

「そうだよ」

「ガユウちゃんて呼んでいい?」

「好きにしろ」




 その後もオーガの力を使いマナは患者を救い続けた。マナは重篤(じゅうとく)な患者の治療を専用の治療室で行うことを新しい院長に提案し、激しい説得の末認めてもらった。彼女はそこの専任医師になった。『治療には集中力が必要』という名目で外部からは隔離された状態で治療を行った。また、治療中はマナと患者以外の人物の立ち入りは、たとえそれが医院長であっても固く禁じた。たまに意識を保っている患者もいたが、その場合はオーガの力で患者を一旦昏睡(こんすい)状態にさせた。はじめは重体の患者をオーガの力で昏睡(こんすい)状態にすることに罪悪感を覚えたマナだが、ある種の麻酔だと思えば自分自身を納得させることはできた。

 病院の患者の死亡率は急激に下がった。マナのもとに運ばれて来た時点で死亡していた患者だけはどうしても救えなかったが、それ以外の患者はオーガの緑色の光の力で例外なく治すことができた。

 その効力は不治の病と呼ばれる拘束斑(こうそくはん)にも及んだ。彼女の力は「奇跡」と呼ばれ、その噂は(またた)く間にルクレティウス中に、さらにはムーングロウ中に広まった。ルクレティウスには五つの病院があるが、そのすべての病院から重篤(じゅうとく)な患者や、今後そうなる可能性のある患者、また自身を根拠もなくそう思い込む「患者」までもが中央の病院を訪れ、マナの治療を受けることを望んだ。そういった来院者の多くは受付で選別を受けた上でまず一般の診察を受けた。そこでマナの治療が必要と判断されればそれを受けることができたが、多くは居住区域の近くの一般の病院に回された。そうせざるを得ないほどマナの治療は人気を博し、病院側は対応に苦慮した。門前払いに遭った患者の怒りは病院への多数のクレームに繋がった。そのため病院の特に受付とマナの治療室周辺には兵が常駐することになった。

 マナは自身の新しい役目を精力的にこなした。疲れを感じはしたが、人の命を救うという使命感と、それを成し遂げる達成感が彼女に活力を与えその小さな体を突き動かしていた。

 しかしあるとき、マナは医院の廊下でふらついてそのまま座り込んでしまった。近くにいた医師に助けられ、彼女は職員用の保健室に連れて行かれた。特にどこを打ったわけでもないため怪我もなく意識もはっきりしていたが、熱と発汗があり少し呼吸も荒かった。彼女は「大丈夫ですから」と言って仕事に戻ろうとしたが、医師に止められてしばらくベッドの上で安静にすることになった。医師が部屋から出て行くと彼女の口を借りてオーガが声を発した。

「人間ってほんともろいよな」

 餓幽(がゆう)の挑発にすっかり慣れたマナはそれに平然と応じた。

「おかしいな。前はこの程度の仕事量平気でこなしてたのに…」

 餓幽(がゆう)は目をしばたかせた。

「ん? お前、気付いてないのか?」

 今度はマナが目をしばたかせた。

「? 何が?」

「お前が衰弱してるのは仕事量が原因じゃねえぞ。俺の力の使いすぎが原因だ」

 マナは呆然とした。

「どういうこと…?」

「いや、言ったそのまんまだよ。俺はお前に憑依(ひょうい)してんだ。俺の能力と意識はお前の中にあるけど体はお前のもんだ。だから俺の力を使えばその分消耗(しょうもう)するのは俺じゃなくてお前の体だ」

 彼女は驚いて起き上がった。

「何でそれ早く言わなかったの!?」

 餓幽(がゆう)はマナの体を借りて呆れ顔を浮かべた。

「…いや、それくらい言わなくてもわかるだろ…」

 オーガのその指摘は考えてみればもっともだった。マナは嘆息した。

「それになあお前、俺が指摘したところでお前どうせ力使うのやめねえだろ」

 マナはその指摘も認めざるを得なく、仕事熱心な自分に呆れて苦笑した。

「それもそっか」

 マナは翌日から仕事に復帰した。病み上がりにも関わらず普段と同じ仕事量をこなした。




 そういったマナの努力のかいがあって拘束斑(こうそくはん)の患者は急激に減っていった。その結果ついにルクレティウスから拘束斑(こうそくはん)の患者は一人もいなくなってしまった。世間はマナのことを「女神」、「天使」あるいは「将来の賢者」などともてはやした。しかしマナはシェリルと違い治療室に閉じこもっていて表に出ることはないため、マナの素顔を知る者は多くなかった。その噂は同様に大陸中に知れ渡った。中には拘束斑(こうそくはん)の治療のためアーケルシアから亡命する貴族まで現れた。

 ある日マナは中央病院の医院長になることを依頼された。他ならぬ医院長本人の要請だった。マナはそれを固辞した。

「私は治療法を確立しただけです。医院の経営には(さと)くありませんし、重篤(じゅうとく)患者の治療と一般患者の看護、それに雑務以外には何もしたことがありません。経験不足であり不相応です」とマナは答えた。医院長はしぶしぶ納得してくれたが、ならばその治療法を他の医師と共有してほしいと頼まれた。頼まれるのはそれが初めてではなかったが、一対一の話し合いの場で直接的に強く要請されるのは初めてだった。マナは心苦しい思いを抱えながら毅然(きぜん)とした口調で答えた。

「申し訳ございませんが、それはできません。そのわけをお話しすることもできません。ご納得いただけないかと思いますが、私にはそう申し上げるほかありません」

 先ほどの問いとは違い、医院長はこれに執念深く食い下がった。しかしマナは折れなかった。マナが院長室を出られたのは入ってから二時間半後のことだった。

 それから数日して同様の依頼を今度は賢者から受けた。パウロと名乗る痩せた色白の賢者が医院を訪れ、マナは医院長の執務室で彼と二人きりで話すことになった。パウロと会うのは初めてではなかった。マナはシェリルの元を訪れ彼女と話す彼を何度か目にしたことがあり、軽く挨拶を交わしたこともあった。しっかりと面と向かって二人きりで話すのはこれが初めてだった。「治療法の共有」を要請されると思っていた由衣は「賢者にならないか?」というパウロの言葉を聞いて驚いた。患者の治療のことで頭がいっぱいで、日常がめまぐるしく過ぎ去っていく彼女にとって、賢者になることなど頭になく、また「将来の賢者」などという(ちまた)の評判もマナには届いていなかった。すべての医療関係者、ひいては学者の目標は賢者であり、医者として成果をあげている彼女がそれに()されるのも自然ななりゆきではあった。

 驚きはしたものの、マナはやはりこれを固辞した。

「私はここで患者を救わなくてはなりません。また、私はこの医院で雑務と看護と重篤(じゅうとく)患者の治療をしてきただけであり、他のことは何もできません。この国のことやこの世界のこともあまり知りません。先日同様の理由で医院長からの要請も辞退いたしました。私は不相応です」

 意外にもパウロはあっさりとこれを了承した。

 次に彼は彼女にやはり「治療法の共有」を要請した。マナは賢者という(たっと)い立場にあり初めて面と向かって話す相手であるパウロに対し多少言葉を選びはしたが、やはり医院長のときと同じ返答をした。意外にもパウロはこれもあっさりと承諾した。彼は去り際に「また会おう」と言って帰って行った。

 拘束斑(こうそくはん)の根絶によりマナの仕事は減った。すでに体力の限界を超えていた彼女はようやく平穏を感じることができた。もっとも忙しいときの彼女は昼食も夕食も()らなかった。食事は朝食と深夜に()る夜食だけで、メニューも買って食べられるパンなどが多く、栄養も偏っていた。また、睡眠も最盛期は一日平均三時間だった。休日もなく二か月連続で勤務したこともあった。しかしこの頃には短いながら昼休みがとれるようになり、朝昼晩にしっかり食事が()れるようになり、睡眠も平均五時間にまで増えた。また、休みも週に一日はとれるようになっていた。休みの日には掃除や洗濯で忙しかったが、たまに新しい料理に挑戦したり、散歩や読書をしたりして英気を養うようにしていた。

 そんな折に事件が起きた。その日マナはいつも通り病院に出勤した。入口の受付の脇を通るとそこにはいつもの二人の兵以外にさらに二人の兵がいた。四人は集まって何か書類を見て話し合っていた。マナは顔なじみである二人の兵に笑顔で会釈した。二人も笑顔でいつも通りの会釈を返してくれた。しかし対照的に残り二人の兵はマナの方をぎらりとした鋭い目で見てきた。マナはそこに気味の悪さを覚えた。マナはそこを通り過ぎたあと二人が誰なのか考えてみた。はじめは新人の兵であり、いつもの二人が彼らに仕事の引継ぎを行っているものと推測した。しかしそれにしては二人の態度は先輩の前とは思えないほど堂々としていて、彼らは新人らしからぬ威圧感を放っていた。次にマナは見張りの兵の増員が行われ、彼らがその追加の要員である可能性を考えてみた。しかし今はピークに比べ来院者の数は減っており、それに伴いクレームの数も減っていた。増員が行われるタイミングとしては不自然だった。また、マナは彼らが手にしていた書類が気になった。その用紙のサイズは図面にしては小さく、引継ぎをしているにしては不自然だった。そんな考察をしているうちにマナはいつもの治療室に到着し、業務を開始した。

 それから約四時間後、彼女が遅めの昼食を()るために治療室をあとにして自身の執務室に向かったところで事件は起きた。彼女が治療室を出ると向かう先の廊下に三人の兵士がいた。二人の顔はよく見えなかったが、おそらく朝入口で見かけた新人とも増員ともつかない兵だと推測できた。もう一人の顔を視認したときマナの背筋は凍り付いた。甲冑(かっちゅう)を着込んではいたが、露出している顔とその背格好にマナはおぞましい記憶の(ふた)をこじ開けられた。それはマナを襲った騎士・ビショップだった。

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