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こころのみちしるべ  作者: 110108
ルクレティウス編
85/102

083.『恋路』1

 真琴は気分が悪そうに見える魔女の様子を気にかけた。

「由衣?」

 魔女はその声で我に返った。

「ごめんなさい…」

 真琴は唐突な問いを投げて困惑させてしまったことを申し訳なく思った。

「いや、やっぱり話さなくていいよ。話しづらいよな」

「いえ、そうじゃなくて…」

 魔女は真琴に話したいと思った。しかし同時に話したくないとも思った。それでも誰かに話さないことには前に進めないとも思った。しばらく逡巡(しゅんじゅん)したのち彼女は一歩だけ前に踏み出してみることを選んだ。

「今度…聞いてくれる?」

 真琴は魔女の気持ちを()んだ。

「うん、話したいときに話して。いつでも聞く」

 真琴は魔女が心を許してくれたことを嬉しく思った。お茶を飲み終わって少し話をした真琴は「日が暮れる前に」と家路についた。魔女は広場まで見送ってくれた。




 先刻魔女の記憶に浮かんだ男はルクレティウスの騎士の一人だった。色白の顔、禿頭(とくとう)、高い鼻、細い目、尖った耳、痩身が特徴の壮年の男だった。彼はため息をつきながらその高くそびえる塔を見上げていた。これで何度目になるかわからない。今回もおそらく断られるだろう。だがどうしても諦めきれない。この気持ちを何度押さえろと自分に言い聞かせことか。何度断られたことか。だがどうしてもこれは運命だとしか思えない。彼は(つぶや)いた。

「マナ、僕はどうしても君の肌の温もりが忘れられないんだ」

 男は今一度自身を奮い立たせ、その学術と政治の最高機関の門扉(もんぴ)に自身の体を押し進めた。




「ビショップ。何度言ったらわかる。相手は魔女だ。この国最大の懸案事項の一つだ。どこにそれを君に託す道理がある」

 目の前に座るパウロはうんざりした顔でもう何度目になるか知れない断りの口上を淡々と述べた。すげなく断られることをあらかじめわかっていたビショップはそれでも深く落ち込んだ。今日こそはきっと思いが通じると淡い望みを抱いていた。彼は落ち込むと同時に怒りと使命感を同時に心に(たぎ)らせた。それはわずかながら表情に現れた。それを見たパウロは「またか」とばかりに嘆息した。ビショップはそんなパウロの胸中をよそにいつものように熱く語った。

「彼女の能力をもっとも直接的に目撃したのは私です。彼女が危険であるとおっしゃるなら、彼女と対峙(たいじ)した経験のもっとも豊富な私こそが選ばれるべきです」

 パウロは短く刈り込んだ丸い頭をかいた。

「君は六大騎士ではない」

「ですが六大騎士に次ぐ六中騎士です。それにゲレーロだって六中騎士でありながらフラマリオン総督に任ぜられました」

 いつものやり取りにうんざりしたパウロは、しかし否応なくいつも通りの反論をせねばならなかった。

「フラマリオンの総督を務めることと、魔女という高い戦闘力をもつことがわかっている存在の討伐にあたることはまったくの別物だ。いわば前者は調査と管理。対して後者はオーガと目される危険生物の討伐だ。どちらが危ういかは比べるまでもない。場合によっては戦闘になるし、そうなれば君に勝ち目はない。実際君は魔女を目の前にして為す術もなく逃げたんだろう?」

 いつもの通り返す言葉を失ったビショップはいつも通り歯噛みした。あとはパウロがビショップの怒りをなだめるだけ。それはパウロへの謁見(えっけん)が年に数度許されるビショップにとって年に数度訪れる定例行事だった。パウロは決まりきったそれを遂行しようとした。しかしその日のビショップはいつもと違った。

「だったら…」

 パウロは眉をぴくりと上げた。

「だったら、魔女の捜索だけでもやらせてください。決して魔女に手出しはしません。ただその痕跡や隠れ家を見つけ、それを上官に報告するだけです!」

 パウロはビショップの提案が軟化したことに驚き戸惑った。たしかにそれなら危険性は低くなる。しかし捜索だけならばより下級の兵士が担うべきではないか。これまで何度も捜索は行われてきたが成果は上がっていない。

「それこそ六中騎士の君には不相応だ。魔女の捜索は下級の騎士にやらせている。つい先日も新兵がそれを行って何の手柄もなく帰って来たところだ。それをなぜ君ほどの騎士に任せなければならない。君には他にやるべきことがあるだろう」

 ビショップは引き下がらなかった。

「失敗に終わっているのは彼らの経験不足からです。ベテランの私のような騎士にそれを託すべきです」

 ビショップの嘆願(たんがん)は熱を帯びてきた。それを鬱陶(うっとう)しく思ったパウロは違う切り口でビショップを説得することにした。

「なぜそこまで魔女にこだわる?」

 ビショップは(よど)みなくこの問いに応じた。

「彼女を止められなかったのは私です。因縁あればこそ、それに決着をつけるまで。それが騎士ではないですか? 私はあの日何もできずにオーガの子を(はら)んだ化け物を逃したことをそれ以来毎日悔いているのです」

 パウロの質問は想定と逆の効果を(てい)した。彼はそのことを悔いた。ビショップはより真摯(しんし)な声音で言った。

「あの日の(あやま)ちを取り戻すチャンスをください。必ず成し遂げます」

 パウロは少しだけ思考を巡らせたが、ビショップをうまく丸め込む言葉は出てきそうになかった。




 許可を強引に取り付けたビショップは早速嬉々として魔女討伐作戦の報告書を漁った。どれも要領を得なかったが、その中に一つだけ気になるものを見つけた。それは真琴の手によるものだった。そこにはこう書かれていた。

『北の森へ行ったが、崖のため奥へと進めなかった。崖周辺に水場や洞穴がないか探したが発見には至らなかった。魔女の捜索の失敗は私の力不足によるところであり、誠に遺憾(いかん)である。当任務については機会をいただけるなら北の森以外も候補地に入れて今後も取り組む所存である』

 ビショップはそのうちの二か所に違和感を覚えた。

「崖のため奥へと進めなかった…。北の森以外も候補地に入れて…」

 猜疑心(さいぎしん)の強いビショップは直感した。

「藤原真琴、こいつは何かを隠している…」

 彼は鋭く目を細めた。




 土曜の朝。真琴は先週と同じく馬に(またが)り家をあとにした。行き先は魔女の家。魔女に会うことは今の真琴にとって、生活の中でもっとも大きな楽しみだった。それを思うだけで心がはずみ、温かくなった。真琴は門の係による検閲(けんえつ)を受け、記録簿に記名し、東門を出た。真琴が北へ行くのに北門ではなく東門を使うのは、北の森へ向かっている事実を少しでも隠すためだった。北の道に出た真琴は、馬を駆りながら念のため辺りを少し見渡した。彼は兵士の姿がないことを確かめると、さらに意気揚々(ようよう)と北を目指した。

 だが真琴は気付いていなかった。開いた北門の内側の陰から馬を従えた一人の熟練兵士が真琴の様子を(うかが)っていたことを。それはビショップだった。彼は真琴が北へ向かったことを目の端で確かめると門の陰で口の端を(ゆが)ませた。




 いつもの通り広場に真琴が来ると、魔女はすでにそこにいて微笑んでいた。その笑顔を見た途端に真琴は大きな荷物を抱えて長時間馬を駆り山を登った疲れが(やわ)らぐのを感じた。

「やあ」

「いらっしゃい」

「鶏の調子はどう?」

 魔女は少し言いづらそうにした。

「実はちょっと…お願いしたいことがあって…」

 話を聞くと鶏の室内飼いにこだわり、小屋も自作すると言った魔女だが、うまく作れずに困っているという。仕方なく鶏は室内で放し飼いにしているが、糞をそこいら中にしてしまうし、羽根も散らばるため室外に広い小屋を作ってあげたいが要領を得ないという。慣れない環境のためか玉子はまだ生んでおらず、飼料が思っていたよりも早くなくなりそうで困っているという。真琴はそれを聞いて一緒に鳥小屋を今日作ること、さらに飼料を定期的に届けることを提案した。申し訳なさそうにする魔女に真琴は「気にしないで」と言った。魔女は「ありがとう」と言って協力を受け入れてくれた。

 真琴はその日もって来た「お土産」の話もした。その日は本を二冊とボードゲームとカードゲームをもって来ていた。娯楽のない山での生活の退屈しのぎになるようにとの配慮だった。あとで一緒に遊ぼうと言うと魔女は弾けるような笑みを見せてくれた。

 そのとき、その二人の様子を遠くから眺める二つの瞳があった。いつもは魔女のセンサーが感知するポイントのそこは内だったが、真琴が来たことで彼女はいったんそれを解いてしまっていた。瞳の主は口を開けていた。目は涙で潤んでいた。その禿頭(とくとう)に残るわずかな毛髪を森林の穏やかな風がなびかせた。今まさに願望が成就した彼の鼓動は高鳴っていた。今すぐ彼女に会ってその思いを告げたいほどに。しかしこれは任務である。それに(そむ)けば処罰されるのは魔女ではなく自分である。それに魔女の脅威は変わらない。自身の真の(たくら)みを確実に成就させるため、彼は欲望を押し殺した。彼はほくそ笑みながら息を潜め、その心に誓った。必ず君をこの手で捕まえると。彼は足音を忍ばせて茂みの中へ消え、真琴よりも早くルクレティウスへ舞い戻るべくその軽い体を素早く躍らせて森を駆けた。




 それから数時間後、すでに夜の(とばり)の降りたルクレティウスの象牙の塔の高層には執務が終わらずになおも働くパウロとシェリルの姿があった。ペテロはすでに帰宅した。彼らの懸案事項は山ほどあった。オーガ、アーケルシア騎士団の残党、野盗、魔女、フラマリオンのレジスタンス、ルクレティウスの犯罪組織。二人には手に負えないため、その多くは部下へと調査依頼をし、二人の仕事の大半はその調査レポートに目を通す事であった。しかし、レポートの多くに進捗(しんちょく)はなく、ほとんどそれは益体(やくたい)のない業務であった。部下の調査能力が決して低いわけではないが、あまりにも謎の多い事象において、あまりにも難しい調査を彼らは課せられているのだ。二人は絶望と疲労にたびたびため息をついた。

 その日も成果の上がらなかった業務を諦観とともにそろそろ切り上げようとパウロが思ったとき、それは起こった。何か声が聞こえた気がしたのだ。正面に座るシェリルを見ると、彼女もそれを聞いたらしく、二人は目を見合わせ、彼女は耳をそばだてた。もう一度声がした。およそ学術と政務の最高機関に似つかわしくない尋常(じんじょう)ならざる響きをもった声だった。それは階下から今度こそはっきりと聞こえた。

「パウロ様ぁ~」

 その声と話し方が彼に想起させるのは、厄介(やっかい)きわまる人物だった。彼はそれに気付いて疲れがどっと押し寄せるのを感じたが、しかしその声は何かいつもと異なる響きを含んでいた。

「パウロ様!」

 やがて声は部屋の入口から聞こえ、その主はノックもせずにドアを開けて入って来た。ややうんざりした顔で「どうしたビショップ」と応じたパウロに、ビショップは息を整えながら歓喜に満ちた顔を向けた。

「私ビショップは魔女を発見いたしました…!」

 パウロとシェリルは同じ驚きの顔をビショップに向けた。やや疑いの念をもってそれを聞いた二人だが、ビショップの笑顔を見るとそこには「嘘ではありません! 本当に見つけました!」と書いてあった。




 会議は早速その翌日に行われた。軍事部門の事実上のトップに位置するパウロによる緊急招集により、六大騎士全員及びビショップが象牙の塔に召集された。すでに魔女の発見があった次第はパウロの口により説明がなされていた。

「俺にやらせろ!」

 そう食いついたのは長身痩躯(そうく)の騎士グレンだった。

「俺も連れてってくれ!」

 好奇心からそう言ったのは銀髪の騎士ハクだった。

「待て。まずはパウロの作戦を聞け」

 スレッダがそう言って二人を(いさ)めた。あらためて全員の視線がパウロに注がれた。彼はあらたまった口調で全員に伝えた。

「相手が魔女とはいえ、アーケルシア残党とオーガの脅威(きょうい)は消えない。ルクレティウス騎士団の半分の勢力で魔女の包囲戦を決行する」

 それは妥当な決断だと六人には思えた。グレンとハクの興味は自身がその「半分」に含まれているかどうかだった。パウロの口上は続いた。

「それと、本作戦は秘密裏に行う」

 スレッダが(いぶか)った。

「どういうことだ?」

「魔女を発見したのはビショップだ。彼が魔女を発見した際、魔女は藤原真琴と親し気に会話をしていたそうだ」

 スレッダは愕然(がくぜん)とした。

「真琴と!?」

 ビショップは口を開いた。

「本当です。彼の最近の行動を不審に思い、尾行して魔女に辿り着きました。彼の外出記録も調べましたが彼は何度か魔女に会っているものと思われます」

 スレッダの戸惑いをよそにパウロは言った。

「よって本作戦は軍内部・特に藤原真琴と親密な人物に魔女との内通者がいることを想定し秘密裏に行う。レオ、作戦準備にどれほどかかる?」

 レオは答えた。

「秘密裡とはいえ包囲戦なら大規模な作戦になる。人選と作戦の立案、その周知。それから攻城戦に似た準備が必要になるし対象が森であればそのための準備も必要になる。作戦は最長二週間を想定したい。そのための物資調達も必要になる。急いで四日間ってとこだな」

 パウロは(うなず)いた。

「わかった。魔女がもっとも警戒を解くタイミングはおそらく藤原真琴と会うとき。彼は毎週土曜に魔女に会いに行く。よって予備日を含めて一週間後決行としよう。人選はレオに一任する」

 レオは(うなず)いた。

「わかった」

 まだ戸惑っているスレッダにレオが言った。

「スレッダ。藤原真琴の身辺の調査をお前とジンに依頼したい。彼の後見人はお前だったな」

 スレッダはなおも戸惑う顔で(うなず)いた。

「ああ…」

 レオは他の六大騎士に向かって言った。

「人選は後ほど伝える。他は国の防衛に専心しろ。俺からは以上だ」

 そう言ってレオはパウロを見た。パウロは(うなず)いた。

「では各自作戦準備に移ってくれ。本日の会議は以上とする」

 会議の終わりにパウロは目を鋭くし、今一度全員に確かな気構えを求めた。

「国の安全に関わる最重要事項だ。確実に魔女を殺せ」

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