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こころのみちしるべ  作者: 110108
ルクレティウス編
84/102

082.『逢瀬』2

「もしかして他の国の拘束斑(こうそくはん)患者まで私に治せなんて言わないよね?」

 真琴は魔女の怒りと警戒を予期していたが、それでもあらためてそれに触れると緊張が否応なく彼の内から(にじ)み出た。殺されかけたときの痛みを彼はまだ鮮明に覚えていた。彼は慎重に、しかし嘘(いつわ)りなく言葉を選んだ。

「今日は結晶をもらいたくて来たんじゃない」

 魔女は目を(すが)めてその眼光を一層鋭くした。

「じゃあ何しに来たの?」

 二人の距離は七、八メートルほどあった。真琴は相手を警戒させないように細心の注意を払いながら背負った大きな荷物をゆっくりと下ろした。

「ただお礼をしに来た」

 魔女は(いぶか)った。

「お礼ならもうもらったでしょ?」

 真琴は自身の真意をより正確に相手に伝える必要があった。

「君は信じないかもしれないけど、俺は違う世界から来た。元の世界で俺は大切な人を守れなかった。そして元の世界から俺たちは五人でこの世界に迷い込んだ。最初に訪れたのはフラマリオンという国だった。そこでみんな殺されかけた。でも死ぬ寸前で人に助けてもらった。助けてくれた人に連れられてルクレティウスに住むようになった。でもルクレティウスの歓楽街で五人のうち一人が誰かに殺された。犯人はまだ見つかってない。生活もだんだん苦しくなって、食べるものにも困るようになった。みんなもう生き残れないかも知れないって正直思ってた。兵士になったのはそのためだ。危険な仕事だけど生きていくためには仕方なかった。そんなときに杏奈が拘束斑(こうそくはん)で倒れた」

 魔女は表情を変えずに真琴の瞳の奥をじっと見続けていた。

「君のことは訓練兵として受けた講義で知った。杏奈を救うにはどうしても君の助けが必要だった。君に会えば俺は殺されるかも知れないって正直思ってた。でも君は杏奈を助けてくれた。生まれて初めて大切な人を守ることができた。君のおかげで」

 魔女の表情から少し警戒の色が薄れた気がした。

「いくらお礼をしても足りないと思ってる。これはほんの一部。今から中身を開けて見せるから、いらないなら受け取らなくて構わない。俺を疑うなら殺してくれても構わない」

 真琴は荷物を開けながら魔女の様子をちらと見たが彼女からは真琴への敵愾心(てきがいしん)は感じなかった。彼は相手を警戒させないようにゆっくりと一つずつ中身を取り出して見せていった。

「まず食料。干し肉。干しブドウ。塩。コショウ。それから焼き菓子、アランデュカスの」

 魔女はそれを見てくすりと笑った。

「それから服。君はいつも同じ服着てるから。服は杏奈が選んでくれた。自分で選ぼうとも思ったけど俺センスないから女子の力を借りた」

 魔女はそれを聞いてにんまりと微笑んだ。最後の手土産は大きかった。真琴は鞄の奥底からそれを思い切り引っ張り出した。毛布だった。

「毛布。冬、寒くないように」

 魔女は唖然としていた。真琴は両手を広げて見せた。

「これで全部」

「そんないいのに…」

「受け取ってほしい。邪魔じゃなければ」

 魔女はぽつりと言った。

「邪魔なんかじゃない。ありがとう…」

 ようやく真琴も心から笑うことができた。

「ありがとうはこっちのセリフだよ」

 魔女は戸惑いを(はら)む目で真琴を見た。彼は何か彼女ともう少し言葉を交わしたかったが緊張のためか何も気の利いた言葉を思いつかなかった。彼は沈黙を嫌って別れの挨拶を口走った。

「じゃあ俺は帰るから」

 彼女は何かを言いたそうにしているように見えたが、結局何も言わなかった。真琴は言った。

「ありがとう、本当に」

 彼はゆっくりと(きびす)を返して深い森の中に入って行った。湿り気を帯びた風が魔女の髪を()でた。空を見上げると薄暗い雲が空を覆い雨が降り出しそうだった。彼女はせっかくもらった食糧や衣類や毛布が濡れないように早く家に持ち帰ろうと思った。彼女は真琴が荷物を置いた場所にまで歩を進めて鞄に荷物を詰め直した。詰め終わると彼女はそれを背負ったが重たくて立ち上がることもできなかった。彼女は仕方なくそれを引きずって家に持ち帰ることにした。一メートルほど引きずったところで彼女はふと振り返って真琴の去って行った方を見た。そこにはもう彼の姿はなかった。彼はこれだけ重い荷物を自分にお礼をするためだけに届けてくれた。おそらくあの崖を登って。彼はこれから雨に打たれながらルクレティウスに帰らなくてはならない。彼女は真琴を不憫(ふびん)に思うと同時に彼に気の利いた言葉の一つも掛けなかったことを後悔した。




 お礼をしてこれで義理は果たした格好になったが、それでも真琴の気は済まなかった。彼はもっと魔女にお礼がしたかった。またそれ以上に魔女によりまともで豊かな生活をしてほしかった。何より魔女に会いたかった。

 それを話すとみなも魔女へのさらなる「お礼」に賛成してくれた。話し合った結果、すぐに食べ終わってしまうものよりも永続的に食料を確保するためのソースがあった方が長期的には良いという結論に至り、魚を獲るための罠、畑を耕すための農具と種、メスの鶏などが案として挙がった。このときすでにメスの鶏のおかげで玉子料理を毎日のように口にすることのできるようになっていた彼らは、その有難みを知っていた。運びにくさと門番の不信感を買う危険性に(かんが)みて農具は見送ることとなった。結果、次のお礼の品としては魚を獲るための罠とメスの鶏、野菜の種、鶏小屋をつくるための工具をもって行くことになった。

 馬に(くく)り付けると荷物はかさばったが、馬はそれを苦も無く軽々と運んでくれた。門での検閲(けんえつ)が最大の課題だったが、商人か何かだと思われたのか大して調べられることもなく、この分なら農具を積んでも農家だと思われて問題なく通れそうだなと思った。森の入り口で馬を繋ぐと、そこからは重い荷物を背負わなくてはいけなかったが、やはり真琴にはその重さこそが喜びであり誇りであった。きっと魔女は喜んでくれる。例の広場に辿り着くまでにかかる時間はいつもとさほど変わらなかった。その分体力は消耗(しょうもう)したがそれも気にならないほど真琴はすがすがしい気持ちだった。しばらく寒い日が続いていたが、その日は暖かかったため真琴は汗だくになった。広場には魔女が待っていた。

「どうしたの?」

 彼女は汗だくで息を切らして大きな荷物を背負う真琴を見て嬉しそうにも戸惑っているようにも見えた。しかしさほど警戒してはいなさそうだった。真琴は息を整えながら答えた。

「お礼がしたくて。こないだのお礼じゃ全然足りないと思ったから」

 魔女はため息をつきながら苦笑した。

「いいのに…」

 その顔は「本当にまったくあなたという人は」と言っていた。真琴は恩着せがましく思われたくない一心で慌てて言った。

「もしいらなかったら使わなくていいから」

 魔女は小さくかぶりを振った。

「ううん、全然…」

「ここに置いてくから」

 真琴は荷物を地面に下ろした。すると中からバサバサと音がした。鶏が(かご)の中で羽ばたこうとした音だ。

「何今の音?」

 魔女は体をこわばらせた。真琴は誇らしげに笑った。

「鶏」

 魔女は唖然とした。

「生きた鶏?」

「そう。メスの鶏だよ」

 魔女はまだ真琴の真意が見えずに唖然としていた。

「鶏をくれるの?」

「うん、玉子をたべてほしくて」

 魔女はつかの間驚いたあと、顔を(ほころ)ばせた。

「見てもいい?」

 真琴は(うなず)いた。

「いいよ」

 真琴は魔女が荷物に興味を示してくれたことが嬉しかった。魔女は荷物に近づき、ややおっかなびっくりになりながらそれを開いた。するとそこには木製の(かご)があり、その中に慌ただしく動く大きな影があった。魔女は驚きと好奇に目を輝かせた。しかし生き物に衝撃を与えてはいけないという気遣いと鶏に指を噛まれたくないという恐怖から魔女はなかなかその(かご)に手を伸ばすことができなかった。真琴は代わりに袋からそれを取り出して見せた。二人の距離は額を突き合わせるほど近くなった。鶏を出すと魔女は「かわいい」と言って喜んでくれた。次に真琴は袋から琢磨手製の魚獲り用の罠を取り出した。

「何それ…?」と魔女は聞いた。

「魚を獲るための罠だよ。琢磨が作ったんだ」と真琴は得意そうに答えた。魔女は再び目を輝かせた。次に真琴は野菜の種を取り出した。

「これ、野菜の種。これがあれば毎年野菜が食べられるでしょ?」

 魔女は嬉しそうに(うなず)いた。

「うん!」

 最後に真琴は袋の底から工具を取り出した。取り出す際にはあらかじめ「今からちょっと工具を取り出すけど驚かないでね」と断ったが、魔女は警戒をすっかり解いているようだった。真琴がもって来たのは金槌(かなづち)(のこぎり)とやすりと釘だった。

「鶏用の小屋が必要だと思って。さすがに小屋はもって来れないから道具だけもって来た。木は森にあるヤツを使って」と真琴は言ったが、工具が高価であることを知っていた魔女は急に悄然(しょうぜん)とした。

「こんなにもらえない…。悪いよ…」

 魔女がそう言いそうなことを予期していた真琴は驚かなかった。

「由衣は杏奈の命を救ってくれたんだよ?」

 魔女は真琴を見て申し訳なさそうに言った。

「私は…私にできることをしただけ…」

 真琴は微笑んだ。

「一緒だよ。俺もそう。俺にできることをしただけ」

 それでも魔女は逡巡(しゅんじゅん)した。

「…」

「受け取って?」

 魔女は返す言葉を見つけられずにいた。真琴はさらに笑って念を押した。

「いいから素直に受け取って」

 ついに魔女は苦笑いして観念した。

「はい」

 真琴は袋にお礼の品を詰め直した。彼はすべての品を詰め直すとやや心残りはあるもののそれを振り払うように別れの言葉を切り出した。

「これだけ。じゃあ、俺は帰るから。本当にありがとう」

 魔女は真琴を真っ直ぐに見てその言葉を聞いていた。それを潮に(きびす)を返して帰ろうとした真琴を魔女が呼び止めた。

「ねえ!」

 真琴は振り向いて不思議そうに魔女を見た。魔女は勇気を振り絞るように言った。

「重くて運べない!」

 真琴は唖然とした。

「運ぶの…手伝って…」

 真琴は少し驚いてから顔を(ほころ)ばせた。

「うん!」




 魔女の家はそこから百五十メートルほど先の森のただ中にあった。それを見るのは二度目だったが、その外観は家というよりはやはり小屋や納屋(なや)に近い大きさだった。獣の侵入を防ぐためか盛り土がしてあり、それを風雨から守るために石垣が(ほどこ)されていた。小屋は木の板を打ち合わせて造ってあり、工具を使ったとしか思えないほどその成形は見事だった。所々寸法の合っていないところもあったが、そこは土壁のようなもので補われていた。屋根には(かわら)の代わりに平らな石が並べてあった。魔女は家を見せるときに少し恥ずかしそうにした。美しい家ではなかったが、風雨や害虫はしのげるように見えた。スレッダの家に慣れていた真琴はそれをみすぼらしいとは特に思わなかった。

 入り口は引き戸になっていた。中は以前に感じた通り狭く、ベッドとテーブルと椅子、棚と釜戸があるだけだった。釜戸は暖炉の代わりも兼ねているようで、煙を逃がすために天井にフードと天窓がついていた。風呂がないのが気になったがあとで聞くと近くの川で水を浴びて済ませているとのことだった。荷物は入口のスペースに置いた。棚の上には様々な薬品が並んでいた。その中には杏奈のためにもらった薬と(おぼ)しきものがまだ並んでいた。先日の杏奈を救ってくれたときの様子や、そもそもの性格を(かんが)みると、魔女はルクレティウスの兵に追われて森に落ちのびた今でもきっと医者としてルクレティウスの人々を救うことを諦めていないのではないかと真琴は思った。

 魔女は野草のお茶をご馳走してくれた。椅子がひとつしかないため真琴がそこに、魔女はベッドに座った。まず鶏の小屋を作る位置の話になった。真琴は外に作ることを提案したが、魔女は外だと寒くてかわいそうだから家の入口に柵を作ってそこで飼うと言った。真琴はその柵を自分が作るよう提案したが魔女はさすがに悪いと言って(かたく)なに遠慮した。

 次に山での生活について真琴は聞いてみた。魔女の生活は(まき)、水、山菜、木の実を集めること、川での水浴び、森の獣の狩猟で明け暮れていた。真琴はそれを気の毒に思ったが当の魔女は当たり前のものとして受け入れているように見えた。

 真琴は次に来るときに遊び道具や本を持って来ることを提案した。魔女は遠慮したがまんざらでもなさそうだと感じた真琴は押し切ろうとした。すると魔女は申し訳なさそうに苦笑して了承してくれた。

 そんな話をしているうちにお茶を飲み終わり、雰囲気も和んだところで真琴は魔女に一番聞きたかったことを(たず)ねた。

「由衣、君の過去に一体何があったのか話してほしい」

 魔女はその質問を心のどこかで予期していたようだった。その質問を聞いた彼女はしばらく右下の床の辺りのどこかに視線を落としていた。彼女はその間数年の記憶を(さかのぼ)っていた。彼女はルクレティウスの病院で勤務していた。そこでは医療の研究と医務活動をしていた。彼女はその日夜勤だった。魔女は男に押し倒されたときの痛みを思い出した。押さえつけられて動けない圧迫感を思い出した。男に犯される恐怖を思い出した。男は言った。

『ほんとは君だって僕のことが欲しいんだろう?』

 細くしゃがれた声だった。さらに魔女は思い出した。

「やめて…、痛い…」という自身の(うめ)き声を。

「お願い、あたしの中に入ってこないで…」という自身の懇願(こんがん)の声を。腹部に感じた異物感を。

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