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こころのみちしるべ  作者: 110108
フラマリオン編
8/102

006.『彷徨い歩く』2

 リビエラは憔悴(しょうすい)して座り込んでいた。彼が(うつ)ろな目をちらと横にやるとそこにはリビエラ以上に憔悴(しょうすい)しきっている二人の若い女がいた。エレノアとレティシアである。オーガと思しき怪物が現れてから約一日。三人はフラマリオンの外壁までやって来ていた。しかし水分も食事も()らずに慌てて走って逃げた彼らの体力は限界を迎えていた。二人に比べるとまだ余裕のあるリビエラが二人に向けて言った。

「もうすぐ街外れだ。頑張れ」

 しかしエレノアはかぶりを振って否定的な言葉を返した。

「もう無理」

 一方のレティシアは声を発することさえできそうになかった。リビエラは迷った。このまま二人を無理にでも歩かせるか。それとも少し休ませるか。(うつ)ろな目をした横顔を心持ち上げたエレノアがぽつりと言った。

「ルナちゃんは、みんなは無事かな」

 リビエラはその疑問について考えてみた。二人ともオーガが現れた広場の近辺にいたはずだ。無事であってほしいがそんな保証はどこにもない。彼はエレノアを(はげ)ますための気休めの一言を探したがそんな安い言葉を言えば言うほど自分を含めた誰もが(むな)しくなる気がしてやめた。あの怪物は一体何だ。こんなことがどうして起こる。あれは人間への(いまし)めだろうか。伝承に聞くオーガであることは明白であろう。人類を淘汰(とうた)するために現れたのだろうか。だとしたらあれは俺たちを追ってくるかもしれないし、再びあれに会えば生き残れる保証はない。リビエラは迷った末に重い口を開いた。

「行こう」

「どこへ行くのよ」

 レティシアが間髪入れずに(たず)ねた。彼女の声音には苛立(いらだ)ちと(とが)め立てるような響きがあった。その苛立(いらだ)ちは怪物に向けられるべきであってレティシアを守ろうとしている自分に向けられるのは理不尽だという怒りを感じつつリビエラは答えた。

「安全なところさ」

 彼の答えは彼女の苛立(いらだ)ちをさらに募らせたようだった。

「だからどこよ?」

 リビエラは自分だけでも平静であろうとしたが難しかった。

「できるだけ遠くだよ。あのバカでかいオーガからできるだけ遠く」

 レティシアの追撃は続いた。

「街の外に出るの? 出てどこで寝るの? 何を食べるの?」

 三人はすでに街の外壁の目の前まで来ていた。これ以上オーガと思しき怪物から距離を取るなら街を出るしかない。

「ここにいたっていつ殺されるかわからないだろ?」

「あいつがあたしたちを殺すとは限らないでしょ?」

 今度こそリビエラの怒りは限界を迎えた。

「オーガが人を生かすわけねえだろ!」

 レティシアの言葉は体力のない彼女がこれ以上歩かずに済むための詭弁(きべん)であることは明白だった。彼女はそれをなおも言い続けた。

「あいつがオーガだってどうして言い切れるの?」

 それを聞いたリビエラはいよいよ呆れ果てた。話にならない。仮にあれがオーガでないとして、それが何の解決になる。しかしここでエレノアがリビエラに助け舟を出した。

「あれはオーガよ。見た目も伝承の通りだもん」

 歴史学に詳しいエレノアがそう言ってもレティシアはこれ以上歩かずに済むための希望的観測を述べ続けた。

「オーガが人を殺すとは限らないでしょ?」

 呆れ果てて言葉もないリビエラに代わりエレノアが答えた。

「オーガは人を殺す存在よ。現にあいつのせいで…」

 広場の近辺にいた他の人たちの姿が脳裏をよぎりエレノアはそれ以上口に出せなかった。なおもレティシアの抵抗は続いた。

「外に出たって野盗やルクレティウス兵に出くわすかも知れないじゃない」

 これにはリビエラが反論した。

「野盗に出くわすのはたしかに危険だけど、さすがにルクレティウス兵が民間人に手を出すことはないだろ」

 そう話しているうちにも門を出て街の外へ出て行く人の姿が彼らの視界の中を横切っていた。

「だったらしばらくここで待とう」

 それはエレノアの折衷案(せっちゅうあん)だった。

「しばらく待って、それでオーガがこちらに向かって来ている兆候(ちょうこう)が見られなければ留まる。少しでもオーガが追って来ている(きざ)しが見えたら街の外に逃げる」

 その折衷案(せっちゅうあん)でさえリビエラには受け入れがたかった。

「いやそんなの待ってたら間に合わねえだろ! オーガがうっすら見えたらもう助からねえかもしれねえんだぞ」

 リビエラはレティシアに目をやった。もう反論の気力も残っていないのか、彼女は(うつ)ろな視線をどこか地面の一点に投げて口さえ開こうとしなかった。

「とにかく少し休もう」

 エレノアが機転を利かせてそう言った。たしかにこれ以上の議論はエネルギーと時間を浪費するばかりか、三人の統率を損なう危険性を(はら)んでいるようにリビエラにも思えた。それにレティシアに今必要なのは正論ではなく休息に違いなかった。リビエラもそれには反論しないことにした。

 彼らはそれからしばらく壁に寄りかかって地面に座って休んだ。体力のないレティシアは先日見た絶望的な光景に対するショックも相まってか相変わらず(うつ)ろな目で地面を見ていた。普段から元気なエレノアは疲れてこそいたが、レティシアとは対照的に次の移動のために体力の回復に努めているように見えた。リビエラはそんな二人に気を配りながらも多くの時間を自分たちが逃げて来た方角、つまりオーガが現れた街の中心部を注視することに充てた。あれほどの巨体のオーガがこちらに迫って来ていたら遠くからでもその兆候(ちょうこう)が視認できるはずだ。今はそれが表れないことを祈りながらレティシアの心身の回復を待つ。彼らにできるのはそれだけだった。




 結局レティシアの体力と憔悴(しょうすい)具合を考慮してその日は近くの民家を訪ね、泊めてもらう交渉をすることになった。最初の三軒はすでに住人が出払ってしまっていたため、交渉することさえできなかった。おそらくオーガの噂を聞き付け街の外に逃げたのであろう。

「もうここに泊まっちゃう?」とエレノアが三軒目が留守だとわかったときに二人に聞いた。家主が留守ならそれもやむを得ないような気もしたが「もう少し探そう」とリビエラは言った。レティシアは二人について歩くばかりでもう声さえ発しなかった。もう少し探して何も見つかれなければリビエラは家主のいない家に忍びこんで泊まる判断をすることにした。レティシアに水分と食事を()らせないともう逃げるどころではなさそうだった。四軒目には住人がいたが、馬小屋か納屋になら泊めることが可能だと言われた。レティシアの疲れの具合を考えると馬小屋や納屋で夜を明かすことは難しそうだった。リビエラは丁寧に礼を言ってその家を辞した。結局泊まる家が見つかったのは五軒目だった。そこのご老人はオーガ出現の噂を聞きつけたものの街の外へ逃げてもそれはそれで生き残れないとの判断から街に留まることに決めたとのことだった。建物はレンガで造られていて丈夫そうだったが、怪物の脅威(きょうい)をもってすれば木造もレンガ造りも大して違いはなさそうだなとリビエラは思った。それでも雨風をしのげることは何よりありがたかった。さらに主人は三人に寝床と水と食事を与えてくれた。三人ともよく礼を言ってその好意に甘えた。レティシアは水を飲むと元気を取り戻した。元気とともに彼女は感情を取り戻した。彼女は子どものように泣いた。エレノアはレティシアの肩を抱いて(なぐさ)めた。彼女の心を支配していた恐怖と絶望の重さを知ってリビエラは先刻の強い物の言い方をひどく反省した。

 その晩リビエラは一睡もできなかった。さすがに疲れたのかレティシアは赤ん坊のようにぐっすり眠っていた。エレノアが眠っているのかどうかはよくわからなかった。朝がくれば何もかも元通りになって元の日常が戻ってくるんじゃないか、そんな根拠のない期待が暗がりの中でぼんやりと目を開くリビエラの脳裏に浮かんで消えた。

 翌日もオーガが壁の方に来る様子はなかった。

「もうオーガはどこかへ行ったんじゃない?」とエレノアは言ったが、さすがに街の中央にある寮に戻ろうと言い出す者はいなかった。街の外に逃げ出した人々が門から街に帰って来る様子も見られるようになった。もしかしたら街の別の方にオーガは向かったのかもしれないとリビエラは思った。その日も三人はその家に泊まらせてもらうことにした。

 翌日もオーガが再び姿を現すことはなかった。自警団の兵士を見かけた三人は天恵とばかりに彼のもとに駆け寄って声を掛けた。彼によると中央の広場付近は大きく破壊されたものの、今はオーガもおらず安全とのことだった。では一体オーガはどこへ行ったのだろうかとリビエラは考えたが、それを聞いても兵士はわからないと答えるだけだった。その晩も念のため三人はその家に泊めさせてもらった。主人は快く受け入れてくれたが、その家の備蓄食料も尽き始め、市場も機能していないらしく、さすがにリビエラたちの心は痛んだ。

 その翌日には街はいつもの平穏を取り戻していた。市場も再開されたらしく、三人が身を寄せた地域の人々はいつも通りの生活を営んでいた。それを見てさすがに三人も自分たちも安全なんだと思うようになった。三人は中央へ戻ってみることにした。泊めていただいた宿の主人に厚く礼を言い、三人は中央の学生寮を目指して歩き始めた。




 それは三人が街の東門の前を通りがかったときのことだった。

「あれ何?」とレティシアが言った。彼女は先日よりはるかに生気を取り戻した目で門の方を見ていた。

「何が?」とリビエラが(たず)ねた。レティシアは答えずに目を細めて門の方を注視していた。リビエラはレティシアの見ている方を見たが、それはただの門であり、彼女が何を気にしているのかわからなかった。エレノアもレティシアの様子を気にしていた。リビエラはじれったくなって「何見てんの?」と再びレティシアに聞いた。

「あれ…」

 レティシアは指を差した。しかしやはり彼女が指す方には門があるばかりだった。

「門がどうしたの?」とエレノアが聞いた。

「門の向こう」とレティシアが(つぶや)いた。それを聞いて二人も門の向こうを見た。それは一見するといつも通りの景色に思えたが、エレノアはそこにたしかに何か一抹の違和感を覚えた。目を凝らした彼女が最初に視認したのは鈍色(にびいろ)の光だった。そこににわかに怖気(おぞけ)を覚えた彼女は「騎兵だ!」と低く鋭い声で言った。リビエラが目を()らすとそこにはたしかに騎兵の姿があった。それも一人二人ではなく、かなりの人数であるようだった。三人は恐ろしくなって後ずさりした。それは明らかに平生の光景ではなかった。

「どこの軍だ…?」とリビエラが(つぶや)くと「いや、あんたそれ専門でしょ!?」とエレノアが(とが)めた。リビエラが観察を続けると、彼らの鎧の形状は彼らがルクレティウス軍だということを示していた。

「ルクレティウスだ!」

「なんで!?」とエレノアが聞いた。フラマリオンはアーケルシア領ということになっているが、中立を保っている以上ルクレティウスが攻めて来ることはないはずだ。リビエラは「わかんない…」と答えるほかなかった。

 しかし門の外のルクレティウス兵たちはたしかに重武装をしていた。外交目的でこの国を訪れたわけではなさそうだ。

「逃げよう!」とリビエラが言った。エレノアも唖然として立ち尽くすレティシアの手を引いて走り出した。リビエラもどこか身を寄せる場所がないか探した。手近な建物と建物の間に身を隠せそうな頃合の細道が見えた。そちらへ向かって走るエレノアにリビエラも続いた。

 後ろを振り向くとすでにルクレティウス軍はフラマリオンの門に辿り着いていた。門には守衛がおり、彼らはルクレティウス軍の代表と思しき人物と何か話をしていた。おそらく守衛は中立国であるフラマリオンにルクレティウス軍がどういった用件で訪れたのか問い(ただ)しているのだろう。ルクレティウス軍を率いている男は(かぶと)をかぶっておらず、鋭い目と縮れた髪を(あらわ)にし、政治的な笑みを浮かべていた。フラマリオンの門には平時には守衛が多く駐在し、それ以前に物見櫓(ものみやぐら)の兵が平原の様子を監視しているはずであるが、その機能が損なわれてルクレティウス軍が接近できてしまったのはおそらくオーガが現れてその対策に多くのフラマリオン自警団の人員が割かれているからだろう。そういえば自警団のトップのリヒトは無事だろうか、リビエラはそんなことを考えながら建物の隙間に走り込んだ。そこに身を潜めた彼が次に門の方を見ると交渉にあたっていたフラマリオンの守衛がルクレティウスの代表に殴られて地に伏せる姿が見えた。リビエラは先日のオーガとは異質の恐怖を感じ、全身の肌を粟立(あわだ)たせた。エレノアとレティシアも慄然(りつぜん)としていた。彼らの目的はやはり政治的交渉ではなく侵略なのだと三人は理解した。

 それからルクレティウス軍は次々と街に侵入した。軍の総数は門越しにはわからなかったが実に(おびただ)しい数だった。彼らは速やかに街に展開した。彼らの一部はリビエラたちが潜む建物の影にも近づいて来た。フラマリオンの住人たちはそれに怯え慄然(りつぜん)としつつも、抵抗の意志がない一般市民であることをただ黙って佇立したり、諸手(もろて)を挙げたりすることで示していた。三人のように物陰に隠れたり、後ずさりしたり、家に逃げ込んだりする者も多かった。ルクレティウスの代表と思しき男が声高らかに言った。先ほど守衛を殴った男だ。

「俺はルクレティウス六中騎士ゲレーロ。先日この街にオーガが現れたと聞く!」

 市民たちはその言葉に黙然と耳を傾け、固唾(かたず)を飲んだ。

「我々はフラマリオンの安全の確保とオーガの調査のためにルクレティウスよりやって来た!」

 それを聞いた市民たちは一様に歓迎ムードに包まれた。彼らは笑顔を見せ、喝采(かっさい)し、ルクレティウス軍に歓迎の意思を示した。しかしリビエラと一部の市民はルクレティウス軍の意図を正しく理解していた。リビエラは(つぶや)いた。

「違う…。それはただの名目だ…」

 ゲレーロと名乗った代表の口上は続いた。

「貴殿らフラマリオン市民の安全は我々が保証する! 我々の指示に従い安全確保に努められよ!」

 拍手は先ほどより大きくなった。

 その人垣を押し退けて恰幅(かっぷく)の良い男がルクレティウス軍の代表の前に堂々とした立ち振る舞いで近づいた。彼はあらためて代表に進軍の意図を問い(ただ)すつもりのようだった。

「それはフラマリオンの要請によるものでしょうか?」

 ゲレーロは笑って答えた。

「人助けに要請は要らない」

 すると周りのルクレティウス兵たちはへらへらと笑った。男は間髪入れずに言い返した。

「そなたらの格好は人助けや調査をしに来たように見えない」

 ゲレーロは相変わらず薄笑いを浮かべていた。

「武装なしではオーガに太刀打ちできない」

 周りの兵たちは先ほどよりさらに露骨に笑った。男は詰問(きつもん)を続けた。

「さっきはフラマリオンの安全確保に来たと言いましたよね? 最優先すべきはそれでは?」

 それを聞いたゲレーロは腰の剣を抜いて事も無げに男の胸を刺し貫いた。

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