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こころのみちしるべ  作者: 110108
ルクレティウス編
77/102

075.『自問自答の夜が明ける』

 他の訓練兵たちの間を()ってゲレーロは真琴の目の前に現れた。このとき真琴にとって意外だったのはこちらを向いたゲレーロの表情に何の変化もないことだった。真琴は怒りが(にじ)む声で対戦相手に向かって言った。

「久しぶりですね」

 ゲレーロは少し考えてから口を開いた。

「…え?」

 まさかと思ったが真琴は確かめてみることにした。

「俺を覚えていますか?」

 ゲレーロは目をしばたかせてから言った。

「いや? …全然?」

 真琴は呆然とした。ゲレーロが嘘をついているようには見えなかった。真琴の怒りは(つの)った。

「フラマリオンでお会いしました。歓楽街でも」

 ゲレーロは顔色一つ変えなかった。

「…」

「俺たちの仲間を殺しかけましたよね」

 ゲレーロは鼻で笑った。

「うん、ごめん、なんかよくわかんないけど」

 真琴の怒りはいよいよ頂点に達した。

「俺は忘れねえぞ」

 対照的にゲレーロは目を細めて笑った。

「ご自由に」

 そこでジンが二人を(さえぎ)った。

「そろそろ始めるぞ」

 真琴は構えた。剣を握る彼の手には自然と力がこもった。このときの真琴の作戦はこうだった。まず自分の方がやや上回ると思われるリーチを活かして突きを放つ。それを素早く繰り返し相手に反撃の隙を与えない。新兵とはいえある程度スピードとスタミナには自信がある。万が一相手がこちらの戦略に適応し対策を講じて来た場合はやはりスピードとリーチを生かして一旦距離をとり、その対策法を練り直す。一方のゲレーロも構えた、半身の小さな構えで一見すると隙はなさそうだったが、何より真琴を驚かせたのはゲレーロがその顔に浮かべた笑みだった。その笑みは先ほどのやり取りを受けてのものなのか、真琴を見くびってのものなのか、あるいは単に戦いを(たの)しむ者としてのものなのか判然としなかったが、真琴にわずかな畏怖(いふ)と強い怒りを覚えさせた。ジンは開始の合図をした。

「始めっ!」

 それとともに真琴は素早く距離を詰め、正確かつ素早い突きを繰り出した。

 しかしゲレーロは一歩横に踏み込みつつ半身になることでこれを難なく(かわ)した。それと同時にゲレーロは最短の軌道と最低限の力で真琴の剣を上から叩いていた。それは真琴の突きの威力をそのまま前方に助長させるような力のかけ方だった。真琴は当初自身が想定していたよりも剣と体が前方に流れ、バランスを崩した。彼は必死に力を振り絞り身を(ひね)りゲレーロの攻撃に備えるべくその姿を視認しようと努めた。しかしそのときにはすでに遅かった。ゲレーロは最小の動きで剣を上段に構えると、それを振り下ろして真琴の頭を打った。真琴は構えが遅れてこれに間に合わなかった。頭を打たれて脳震盪(のうしんとう)を起こした彼はその勢いのまま床にうつぶせに倒れた。

 デュエルに勝利したゲレーロはつまらなそうに元の位置についた。デュエルの作法として挨拶を行うためである。

 しかしそれを真琴が(さえぎ)った。彼は脳震盪(のうしんとう)に苦しみながらも腕の力だけで上体をもたげて言った。

「まだだ」

 ゲレーロは真琴の言葉の意図が理解できずに呆気(あっけ)にとられた。

「俺はまだ戦えるぞ」

 ゲレーロは鼻で笑って吐き捨てるように言った。

「頭打たれて倒れたんだから負けだろ。ルール的にもそうだし実戦でも死んでるよお前」

 ルールの話を出されたため、真琴は残された手段として審判に懇願(こんがん)せざるを得なかった。彼はジンに必死に懇願(こんがん)する目を向けた。

「お願いです! やらせてください!」

 ジンは実力差の明白なこの勝負を続けることに難色を示しつつも、真琴の気概を汲みプライドを尊重することを選んだ。

「…わかった」

 ゲレーロは呆れつつも審判であり上官であるジンの判断に黙って従い面倒臭そうに再び先ほどと同じ構えを取り直した。真琴はゲレーロを(にら)みながら立ち上がり、再び右手前で半身に構えた。ジンは真琴の回復の度合いを目の端で確かめつつ、ややためらいながら開始の合図をした。

「始めっ!」

 再び真琴は距離を詰めた。しかし先ほどの敗戦の(てつ)を踏まぬようそのスピードと距離感には慎重さを見せた。

 しかし次の瞬間には真琴は持っていた剣を床に叩き落されていた。さらに腹を突かれて(うめ)きながら体をくの字に折り曲げた。続いて頬を木剣で叩かれ再び脳震盪(のうしんとう)を起こしうずくまりながら床に倒れた。

「剣を落とした者に対する攻撃は反則だぞ」

 ジンがそう(とが)めることを知っていたゲレーロは悪びれもしなかった。真琴はまだ彼の足元で痛みと衝撃に(うめ)いていた。そんな真琴にゲレーロは平然と笑って吐き捨てた。

「良かったじゃん。お前の勝ちだってよ。復讐大成功だな」

 彼はそう言うと(きびす)を返して礼をするため元の位置に戻ろうとしたが、一歩目で立ち止まると再び笑みで(ゆが)めた顔を真琴に振り向けてこのような言葉を吐き捨てた。

「ごめん、お前ほんと誰だっけ?」

 脳震盪(のうしんとう)を起こしていた真琴は言い返すこともできなかった。




 その後も模擬戦を重ねた真琴はしかし七戦して一勝しかできなかった。その一勝は悠樹に対してのものだった。真琴の敗因は体の細さゆえのパワー不足と、技術と経験の不足だった。だが彼は元来背はどちらかというと高く、運動神経は良く、体力もある方だったため、リーチ、スピード、スタミナではある程度経験のある騎士とも互角以上に渡り合った。

 真琴は試合に際しては痛みも敗北も怖れず、負けても悔しがることも怒ることもなかった。また勝利や好成績に執着する様子もなく、悠樹からあげた初勝利にも喜ばなかった。

 真琴は力を欲していた。しかし勝利を欲してはいなかった。ゆえに彼は敗因分析をしなかった。どうして負けたか、どうしたら勝てるか、そういったことを考えなかった。ゲレーロとの初戦を除けば、彼には勝ちたいという意思も負けたくないという意思もなかった。

 だが試合内容は素晴らしかった。必ず見どころのある良い戦いをした。真琴には得意な戦法や型と呼べるものがなかった。()いていえば、相手の動きに合わせて戦術や型を変えるのが真琴の戦術であり型であった。攻撃が来れば防ぎ、攻撃が来なければ攻めた。相手が速ければ速さで応じ、試合が長引けばスタミナを活かした。相手がパワー型なら相応に攻撃をいなし、相手がテクニシャンなら相応に技術を封じるべく果敢(かかん)に攻めた。その結果として、相手が自分より強ければ相応に負け、弱ければ相応に勝った。

 それは真琴の生き方そのものの表れだった。彼は相手に合わせて生きてきた。相手の数だけ対処法をもった。

 相手に合わせて千変万化するという意味では万能だった。だが彼には勝利への欲がなく、どこまでも人畜無害であり、彼の万能さは相手に何かを譲るための無欲なものだった。

 教官のジンは真琴の性質を見抜いていた。戦績は悠樹の方が悪いが、将来戦場で命を落とす危険性が高いのは真琴だった。ジンは真琴の将来を案じた。

 そんな真琴を大きく変える事件が起きた。グラウンドの地面に白い線で描かれた十メートル四方の対人戦用のリングに、他の兵士が大勢見守る中で、ある日ジンは真琴を一人立たせた。誰が対戦相手になるかみながその指名を待っていると、真琴の前に金属の剣を二本持ったジンが立った。真琴はジンの顔を見た。ジンも真琴を見ていた。ジンの顔にはいつもの飄然(ひょうぜん)とした笑みがなかった。真琴はジンが自ら対戦相手になるのだと悟って目を(すが)めた。

 ジンは六大騎士に次ぐ六中騎士の一人だった。ジンが模擬戦に参加することはまったくといって良いほどなかった。教官対新人、その組み合わせにその場にいたジン以外の誰もが驚いた。驚くべき点は他に二つあった。普通、模擬戦には木剣が使われるが、ジンは金属の剣を用意していた。模擬戦ではよく脳震盪(のうしんとう)や骨折が起こる。木剣でさえそうなのだから、金属の剣では想像するだけで恐ろしい。もう一つはジンの表情だ。普段からよく笑みを見せるジンだがこのときのジンの顔にはまったくそれがない。それどころか殺意さえ(うかが)える。その表情と(たたず)まいから(にじ)み出るオーラに、歴戦の兵たちまでもが(おのの)いた。

 よく見るとそれは刃のない、エッジが丸い剣だった。真琴が入団試験のときに振った剣だ。同じ種類というだけでなく、二日に渡って振ったのとまったく同一の剣だった。傷や変色の具合でそれとわかった。二百回も振った剣ならその特徴も覚える。真琴はその剣をじっと眺めた。

 そのとき、真琴の中に一つの疑問が湧いた。あのとき、俺はなぜあんなに必死になって剣を振ったのだろうか。あの名状しがたい感情は結局何だったのだろうか。

「始めっ!」

 審判役のベテラン兵士の掛け声が聞こえ、真琴が身構えると、五メートルほど向こうで小さく見えていたジンが急に大きくなった。一瞬で間合いを詰められたのだ。真琴が右に体を(よじ)ると、体の数センチ左を重たい空気が上下に走った。ジンが上段から剣を振り下ろしたのだと認識すると同時に左から重い金属の塊を叩きつけられ、真琴はよろめいてコーナーまで退(しりぞ)けられた。真琴は本能的に剣を縦にしてそれを防いでいたが、そうでなければ今頃重症を負って地に伏していただろう。

 よろめきながら必死に体勢を整えると、ジンはこちらを見てさえいなかった。先ほどの攻撃の際の身体の向きのままただ佇立(ちょりつ)して、剣を構えてすらいなかった。一見すると隙だらけ。普段の模擬戦なら真琴が間違いなく仕掛ける状況。だが先ほど()の当たりにしたジンの圧倒的なスピードとパワー。今までの模擬戦の相手とは次元が違う。戦闘が始まって一瞬で間合いを詰められた。一瞬で二度打ってきた。この状況で仕掛けても相手のカウンターが先に当たるように思えてならない。

 そんなことを考えていると、ジンはこちらに向き直った。悠然と仁王立ち。やはり剣を構えてすらいない。一見すると隙だらけだが、その姿勢から真琴のあらゆる攻撃に対処する自信があるのだろう。

 真琴は敗北を悟った。勝てない。そもそもジンより格下の相手にさえ負けてばかりの自分がどうしてジンに勝てる。技術、経験、パワー、スピード、スタミナ、すべてにおいて相手が上だ。あえて隙を見せている相手にさえ勝機を見出せそうにない。ジンが本気で仕掛けてこようものなら今度こそやられる。

 真琴は安全に負ける方法を思案し始めた。怪我せず負けるにはどうしたらいい? 降参するか? いや、自分との模擬戦をあえて設けたジンがそんなに簡単に降参を認めるか? こちらはまだ一度も打っていない。打ってもいないで負けを認めるなんて弱腰をジンが許すか? そもそもジンの意図は何だ? 何がしたい? 俺に何をさせたい? 何とか攻撃を剣で防いで、そのときどこか痛めたフリをして倒れるか? そうすれば中止になるだろ。だがそんな器用なことができるか? あのジンの剣に対して。ちょっと間違えれば重傷、下手したら死ぬぞ。負けるのもいい。痛いのもいい。だが重傷や死は避けなくては…。

 そこまで一瞬で考えた真琴の脳裏に、一つの疑問が浮かんだ。なぜ重傷を避けようとしている? なぜ死を避けようとしている? 他ならぬ、一度(みずか)ら死のうとした俺が。入団試験でも必死に剣を振った。あの時のあの感情は何だ? 戦いたい? 勝ちたい? 誰かを痛めつけたい? 悪を裁きたい? 何だ。俺は何がしたい。何を望んでる。

 ジンが剣を構えた。突きの構え。真琴の顔の高さ。真琴は体中の筋肉をこわばらせた。死にたくない。そう考えた次の瞬間にはもう目の前に金属の先端があった。真琴は体を再び右にひねった。ひねった勢いでジンのうなじを狙った。それは生まれて一度もしたことのない動きだった。今までの模擬戦の中でしてきたどんな動きよりも的確で俊敏だった。捕らえた、と思った。

 だが次の瞬間、重い衝撃が下から真琴の腕を襲った。さらに次の瞬間には真琴は自分の剣が宙を舞っているのを見上げていた。体は重力に従って腰から地面に落ちた。同時にどこかに自分の剣が落ちる音がした。真琴は慌てて立ち上がって後ずさりしてジンから距離をとった。

 ジンを見ると相変わらず剣を構えもせずにこちらを向いて佇立(ちょりつ)している。隙を作らないよう素早く目の端で右の地面を見る。剣が落ちている。腕はしびれているが痛みはほとんどない。打たれたのは腕ではなく剣だと理解する。腕を打たれていたら動かなくなっていただろう。

 剣を失った。これで誰の目にも勝敗は決した。模擬戦は終わりということでいいのか?

 だがジンの表情を見ると彼はまだ続ける気のようだった。突きを(かわ)したのも寸でのところだった。切っ先が眼前に迫るまで反応すらできなかった。(かわ)しながら放った一撃は自分なりに完璧に思えた。だがあっさり防がれた。どうする。剣はない。もう攻撃も防御もできない。剣を拾いに行けばそこを狙われる。ジンに先に攻めさせるか。それを(かわ)して剣を拾いに行く。いけるか? いやそんな隙をジンが作るか?

 ジンはおもむろに構えた。大上段。一撃必殺の構えだ。右か? 左か? どっちに避ける?

 初撃と同じ形になった。右に避ける真琴。わずかに外れて空を斬るジンの剣。さらに二撃目と同じ形になった。切り上げて真琴の胴を狙うジン。だが二撃目を防いだときにあった剣が今度の真琴にはない。真琴は必死に跳び退いた。できるだけ速く、できるだけ遠く。だがジンの剣の間合いから逃れきれなかった。跳び退いて空中にあった真琴の身体は、胴にジンの剣を浴びて勢いを急激に増して後方に飛ばされた。今度は背中から落ちた。腹と背に衝撃を受けて真琴の呼吸が一瞬止まった。喉から咳が漏れ出ようとしたときに、それを感じた。

 気配。すぐ左に誰か来た。その殺気に真琴は身を(よじ)って立ち上がり後ずさる。素早く体勢を立て直し、素早く顔を上げジンを視界に捕捉する。ジンは先ほどまで真琴が寝ていた地面に剣を突き立てていた。一瞬遅ければ剣は真琴の身体に突き立てられていただろう。

 先ほど出しかけた咳が今更出る。胴を打たれたせいで力が入らない。

 次の瞬間、目の前にジンの顔があった。再び一瞬で間合いを詰められたのだ。何だ? 何が来る? どこから?

 ジンは右の下段に剣を構えていた。斬り上げの構えだ。真琴は回避しようと試みたがほんの少し体を動かすのが限界だったためまったく間に合わなかった。腹と背中に衝撃を感じる。空が見える。倒れたのだ。ジンは見えない。まだ生きている。でも次の一撃を避けなければ死ぬ。ジンはどこだ。真琴は体を丸めようとした。どこから来るかもわからない追い打ちによる致命傷を避けるためだ。だが脚や腕を縮める力さえ入らない。

 クソ。畜生。なんだこの状況。なんで殺されなきゃいけない。死にたくねえ。

 そのときふと真琴は自身の矛盾(むじゅん)に気付いた。『死にたくねえ』って何だ?

 なぜ死にたくない? 一度死のうとしただろ。今死にたくないならなぜあのとき死のうとした?

 彼はそこで唐突に思い当たった。あの時も本当は死にたくなかったのか? 本当は生きたかったのか? その感情に(ふた)をしたということか? だとしたらなぜ? そもそもなぜ死のうとした? 決まってる。無力な自分が許せなかったから。家庭も、母さんも、由衣も守れなかったから。この上自分の命を守る道理がどこにある。そこまで行きついたとき、真琴は(うめ)くように言った。

「いや違う…」

 彼はもうまともに動かない手足に力を込めながら言った。

「逃げたんだ…」

 そうだ、俺は逃げた。死のうとしたんじゃない、逃げようとしたんだ。何て情けない。さっさと諦めて、高(くく)って、達観した気になって、何様だ。逃げんじゃねえ。ひたってんじゃねえ。カッコ悪くても生きて(あらが)え。そうだよ。みんなを守る。みんなと一緒に元の世界に帰るんだ。ゲレーロが何だ。ジンが何だ。知らねえ。悠樹、杏奈、琢磨、翔吾。あの四人を俺が巻き込んだ。あの四人は俺を守ろうとしてくれた。今度は俺が守るんだ。絶対に守る。生きて生きて生き延びて、絶対に守る。絶対に元の世界に連れて帰る。

 真琴をここまで追い込んだジンだが、もちろん殺すつもりなどなく、真琴の反応速度と体の強度をわきまえて、大怪我を負わせないつもりですべての斬撃を放っていた。先ほど斬り上げの構えで真琴に迫ったときも、結局斬り上げずに腹に峰打ちをしたのだ。峰打ちを受けて倒れた真琴が動けなくなるのを見て、ジンはそれ以上の追撃をやめていた。

 ジンは対人戦のときに見せる真琴の目つきに、いや、それよりずっと以前から彼の目にある種の既視感を覚えていた。

 それは、自分の弱さに絶望した兵士の目だった。強くなりたいと望み、にも関わらず戦いに敗れ、多くの仲間を失った者の目。心の奥底の希望の灯を失ってはいないものの、絶望の重みに耐えきれず、肩を落とし、うなだれた、そんな者たち。ジンはそんな兵を何人も見てきた。彼らは一様に自分の命に対する執着を失っていた。仲間が死んで、それを守れなくて、その上どうして自分ばかり永らえていられるものか? 彼らは自身を責め(さいな)み、死に急ぐように危険を(いと)わず戦い、結果命を落とした。それはある種の自殺であった。ジンは真琴の目を見て、彼らと同じ目をしていると思った。真琴を同じように死なせたくないと思った。この模擬戦のジンの狙いは、真琴の心に死にたくないという気持ちを萌芽(ほうが)させることだった。真琴は絶望していた。だがそれは希望を抱いたがゆえの絶望のはずだ。もう一度希望を取り戻せ真琴。心の奥底の灯を、再び燃え(たぎ)らせろ。ジンはそのためにあえて修羅になった。その結果、真琴は普段よりも必死に回避し、防御し、反撃した。その動きのすべてが普段の真琴よりも俊敏かつ正確だった。その反応も判断も初心者とは思えないほど()えていた。その様を見てジンは(たくら)みの成功を確信した。真琴は今日の動きと感覚を忘れないだろう。それを活かせば模擬戦でもいずれ勝てるようになるだろう。それは真琴に希望を与えるだろう。絶望を乗り越える力を与えるだろう。ジンは安心した。ジンは修羅を演じるのをやめ、いつもの飄然(ひょうぜん)とした(たたず)まいを取り戻した。ジンの本来の強さを知っていた周りのベテラン兵たちも、そうであればこそジンが加減していることを理解し、この一方的で非情な試合を止めなかった。

 ふとジンは気配を察知した。すぐ目の前から。それは真琴のものだった。ジンは(きょ)()かれた。真琴が音もなく立ち上がったのだ。もう絶対に立ち上がれないと思っていた。いやそのはずだった。真琴はジンを見ていた。その目には怒りも苦痛も恐怖もなかった。ただ自己の心の弱さを思い知ったことへの自省の念と勝利への執念だけがあった。

 真琴はジンの顔面を殴った。強くなるだけじゃ意味がない。生き残るだけじゃ意味がない。絶対に勝つ。誰かを守るために。剣がないならこの拳で。

 その拳はジンの顔を捉えたが、その直後に力尽きた真琴の拳には力はなく、ジンの体をやや()け反らせはしたものの、彼を倒すには至らなかった。実のところジンはその拳を(てのひら)で受け止めることもできたが、あえてそうはしなかった。真琴はジンに叩きのめされ、地面に()いつくばり、その時点でもう動けないはずだった。最悪真琴が峰打ちで気絶するものとジンは思っていた。そんな真琴が気力だけで立ち上がり放った奇跡の一撃だった。それが限界だった。今回の非道な模擬戦を仕掛けた()びにジンはその拳を手で受け止めずに顔で受けることを選んだ。膝から崩れ落ちる真琴をジンは抱きとめた。糸が切れた人形のように真琴は全身の力を失った。だが意識だけは保っていた。真琴はジンの言葉を聞いた。強く、優しい声音だった。

「それでいい。よく頑張った真琴。お前はもっと強くなる。生きろ」

 真琴はその声を聞いてほどなくして意識を失った。


 


 真琴は全治二週間の打撲で済んだ。とはいえ怪我は怪我だ、安静にすべきところだが、起きたそばから彼は訓練を開始した。ジンとの戦いをきっかけに強くなり勝利することが真琴の希望になり、生きる意味になっていた。ジンは訓練を許可しなかったため真琴は家の庭でトレーニングした。まず基礎体力を鍛え、次に自己流の体術を試みた。その頃すでに真琴と悠樹は帯剣を許可されていたため素振りもした。

 その日は土砂降りの雨だった。だが真琴は雨も(いと)わず庭に出て素振りをし続けた。雨の感触も寒さも気にならなかった。体は冷えるばかりか熱くなった。回数は決めなかった。ひたすら納得のいくまで振ることにした。剣を初めて振った日は百回でも辛かった。今は二百回でも三百回でも平気だった。より速く。より鋭く。強くなるために。勝つために。ひたすら強くなり、もう二度と誰も失わない、その想いが真琴を突き動かしていた。

 一時間が過ぎ、二時間が過ぎ、もう何度振ったかわからなくなった。疲労は容赦(ようしゃ)なく真琴の体に蓄積した。やがて腕は垂れ下がり、両の脚で体を支えるのも辛くなった。荒い呼吸のために上下する視界がぼやけた。体力とは裏腹にそれでも真琴の気力は微塵(みじん)(おとろ)えず、彼は剣を振り続けた。やがてフォームは乱れ、キレも威力も(おとろ)えた。しかしフォームが乱れれば乱れるほど、キレと威力が(おとろ)えれば(おとろ)えるほど彼は意地になった。もっと強く、もっと速く、もっと、もっと、もっと。

 不意に体が軽くなる感覚を味わった。疲れていた体を何かが支えてくれている感触がした。ずいぶん楽だ。真琴は支えているものの正体を目の端で確かめた。それは遠くまで続く土の平面だった。真琴は立ち上がろうと仰臥(ぎょうが)した全身に力を込めた。だが膝と肘を曲げるのが精一杯だった。雨は仰向けに倒れた体をくまなく打った。真っ直ぐに空を見ると無数の雨が点と線を描出して落ちて来ていた。それは火照った体を心地よく冷やした。真琴は先日のジンの言葉を思い出した。

「真琴。お前はもっと強くなる。生きろ」

 真琴は少し笑った。そうだ、俺は生きてる。生きてれば強くなれる。強くなれば誰かを守れる。大切な人を、今度こそ。頑張ろう。強くなろう。激しい雨に打たれてなお真琴の体の熱は地表をわだかまった。その熱に浮かされるように真琴は一筋だけ涙をこぼした。涙はすぐに雨に(まぎ)れて流れた。




 一週間経つと彼はまた騎士団庁舎へ通った。あらゆる科目に対する真琴の態度は怪我をする前とほとんど変わらなかった。ただ目の色だけが少し違った。瞳の奥にかすかに、希望と勝利への情熱の灯がちらついていた。

 次の試合はすぐに訪れた。相手は()しくもゲレーロだった。

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