073.『この世界のかたち』1
ルクレティウス騎士団の新兵はトレーニングに先立ってまず講義を受けることとなる。真琴、悠樹、杏奈の三人にとって今日はその初日であった。講義は七十時間ほど行われる。その後講義の内容を理解したかを問う簡単な筆記テストが行われる。テストに合格すれば体力や戦闘術のトレーニングが始まる。不合格なら補講と追試が行われる。ただし、兵士は常に人手不足であるため、テストの難易度はさほど高くなく、およそ九十四パーセントの新兵が最初の筆記テストで講義を修了し訓練へと入る。講義の内容は「ムーングロウの情勢」「敵性勢力」「国内の反社会集団」「任務の概要」「健康管理」「訓練の概要」「訓練の注意点」「人命救助」「戦術」など多岐に渡った。その日はそのうち「ムーングロウの情勢」について話そうというわけであるが、それはすなわち三人にとって「この世界は何か」ということの一端を正確に知る最初の機会でもあった。ジンは講義を始めた。
「さて、まずは歴史と神話について話そう。この世界はムーングロウと呼ばれている。由来ははっきりとはわかっていない。月の光が大地に恩恵をもたらすからだという説もある。この世界の魔力の根源が月の光だからだという説もある。月から飛来した隕石が魔力の根源だという説もあるし、月の満ち欠けや月から来た女神がそうだという説もある。まあとにかくはっきりしたことはわかっていない。魔鉱石のことをみんなは余り知らないかもしれないが、あれは大昔に月から落ちて来たものだともいわれている。
さて、それはさておきこの世界にはもともと二つの種族がいた。一つは我々人間、そしてもう一つはオーガだ。人間は古くからオーガに支配されてきた。オーガというのは角と牙を生やした人間よりはるかに大きな生き物だ。人間のように文明をもち、言葉を話し、しかし同時に非常に凶暴で攻撃的だった。オーガは人間を弄んだ。虐げ、嬲り、あらゆる方法で苦痛を与えた。人間はオーガに生贄を捧げ、供物を捧げ、祈りを捧げた。身体能力に勝り、特殊な能力を扱えるオーガには逆らえなかった。特に『オーガの神と八体の悪鬼』と呼ばれるオーガはとりわけ神格的な存在だった。これは先ほどの大地の名前の由来と違ってはっきりとその痕跡が残っている。特にレオミュールという土地に残る遺跡には、夥しい数の人骨が埋められ、その多くには生前に拷問を受けた形跡があるという。また、その周辺にはオーガに対し人間が供物や祈りを捧げた呪術や祭祀の形跡が遺っている」
それを聞いていた真琴は柳原に古くから根付いた生贄を行う精霊信仰を想起していた。ジンの言葉は続いた。
「しかしあるとき、この地上に一体の精霊が舞い降りた。するとその威光に怯えたのかオーガはすぐさま一匹残らずこの大地から大人しく去って行った。それは本当に嘘のような突然の出来事だった。それまで大地の支配権を恣にしてきたオーガたちが忽然と消えたのだ。以降オーガの姿を見たものは誰一人いなかった。オーガに対する呪術や祭祀もその頃から失われ、今ではロイシュネリアの一部の地域に受け継がれるのみとなった。
しかしそれからしばらくして不思議な出来事が起こり始めた。人間に不思議な力が備わったのだ」
真琴はそれに興味を引かれた。
「どんな力なんですか…?」
ジンは真琴に笑顔を向けた。
「まあ簡単にいえば『剣』だよ」
真琴はその言葉の響きに引き込まれた。
「『心の剣』とか『祈りの刃』とかって呼ばれてる。胸に手を当て、言葉を唱える。すると胸は光り、体の前の空中に光とともに剣が姿を現す。剣——というより武器の形状は様々で、槍だったりロングソードだったり大剣だったりする。剣の力は強大だ。あるものは風を起こす。またあるものは雷を起こす。
人々はその力に畏怖し、酔った。その力を欲し、誇示した。オーガの消失により大地は平和になったが、しかしすぐに争いが始まった。人間同士の争いだ。オーガ消失による権力の間隙を埋めるように人間たちはぶつかり合った。そしてかつてのオーガの支配の凄惨さを遥かに凌駕するような血みどろの戦いが始まった。
まず大地は六つに分かたれた。すなわちルクレティウス、フラマリオン、アーケルシア、ビュルク、ロイシュネリア、レオミュール。すでにレオミュールはオーガによりほとんど滅んでしまった大地だ。まずロイシュネリアが強勢を誇った。驚異に感じたビュルクとアーケルシアはフラマリオンとルクレティウスに休戦と共闘を申し込み、連合軍を結成、見事ロイシュネリアを討ち滅ぼした。
しかしアーケルシアはロイシュネリアの支配権を独占し、ロイシュネリアを食い物にした」
興味本位から悠樹が聞いた。
「食い物って…具体的に何をしたんですか…?」
ジンは笑顔を悠樹に向けた。ジンの笑みと沈黙を悠樹は訝った。少し考えてからジンは答えた。
「…まあいいだろう。思いつく限りの極悪非道のすべてさ。まずロイシュネリアの市民のうち男は奴隷にした。若い女は娼婦にした。若い女の中でも容姿が悪い者はやはり奴隷にした」
悠樹は苦い顔をうつむけた。真琴は暗い顔をした。杏奈の表情はほとんど変わらず、彼女はただ真っ直ぐにジンに顔と耳を向けていた。
「奴隷にしても労働生産性の低そうな老人や病人は殺した。はじめは兵士の娯楽として皮をはいだり、目の前で恋人を殺したり、生きたままはらわたを取り出したり、毒で発作を起こしたり、できるだけ手の込んだ方法で苦痛を味わわせて反応を楽しんでから殺した。次第にそれに飽きると深く大きな穴に何十人も落として生きたまま焼くなどシンプルで大量に殺せる方法を選ぶようになった」
悠樹は眉を顰めた。
「さらにアーケルシアは王家、貴族、富裕商人、兵士、僧侶などの権力者をすべて公開処刑にした。ことに兵士は抵抗勢力として一人残らず処刑した。潔く自害を選ぶ者も多かった。そして統治機構を完全にアーケルシアと同じ構造にし、要職の首をすべてアーケルシアの貴族に挿げ替えた。国の代々の指導者を祀る肖像画、銅像、国を象徴する旗や紋章などはすべて破壊・没収・廃棄した。かつての統治者の悪行とアーケルシア支配の正当性を謳う歌をつくり、それを国民に覚えさせ、年中行事では必ず歌わせた。あらゆる店や事業所でも同旨のスローガンを高く目立つところに掲げさせ、毎朝所属者全員に暗唱させた。
さらにアーケルシアはロイシュネリアの産業構造も大きく変えてしまった。ロイシュネリアの気候や植生を無視し、アーケルシアにとって都合の良い作物の栽培を強要した。さらに一定量の作物をアーケルシアに無償で納めることを強要したため、貧困層には多くの餓死者や病人が出た。工業もアーケルシアが必要としているものを製造させ、他のものの製造は一切禁じたため、ロイシュネリアの産業は自力では成立しなくなってしまった。
精霊とオーガを両方崇拝する独自の宗教をもっていたロイシュネリアだが、アーケルシアはこれを廃止し、精霊のみを崇拝するアーケルシアの宗教を市民に強要した。宗教家や市民の中にはこれに抵抗する動きが根強く出たがすべて武力で鎮圧した。オーガ崇拝の象徴となる神具もすべて破壊・没収・廃棄した。
さらにアーケルシアは休戦協定を破って中立宣言していたフラマリオンを占領・支配した。ロイシュネリアとアーケルシアの中間に位置するビュルクもアーケルシアへ恭順していたため、大陸はルクレティウスとアーケルシアに二分された。実のところその時点でアーケルシアはこのムーングロウの大地の七割の面積と人口を支配していた。世界の覇権はそのままアーケルシアが握るかに思われた」
ジンが真琴たちを見ると彼らは少し辛そうな表情をしていた。アーケルシアによるロイシュネリア支配の話は彼らが元の世界で学んだ歴史がもつ響きに少し似ていた。ジンは授業を続けた。
「しかしここからアーケルシア凋落の歴史が始まった。まずアーケルシアはロイシュネリアとの間にあったビュルクを完全に属国化しようと攻め込んだが、谷あいにあるビュルクの難しい地形と彼らが培った独自の狩猟術と近接戦闘術を織り交ぜた戦闘法の前に苦戦し、長期戦の末、主権の一部を奪うに留まって撤退した。撤退の判断が遅れたため、アーケルシアは多くの兵と軍資金を無為に失った。貴族と騎士団を中心に成り立っていたアーケルシアの支配構造がこれにより大きく変化することとなった。騎士団は不足する軍資金を補うために商人、ことに度重なる紛争による特需を得ていた武器商人の協力を請うことになった。もちろん武器商人は金銭的協力の見返りに彼らの発言権の伸張を認めさせた。
次にアーケルシア凋落の原因となったのは彼らが食い物にしたロイシュネリアの激しい抵抗運動だった。アーケルシアは武力をもってすれば必ずこれを鎮圧できると考えたが、ロイシュネリア市民の怒りの炎は決して絶えることはなく、むしろより激しく燃え盛った。各地で起こるゲリラ戦によりアーケルシア騎士団は疲弊した。また、住民に多数犠牲者が発生し、さらに産業の生産性は大きく損なわれた。
元来ロイシュネリアとの貿易に多大な恩恵を得ていたアーケルシアだが、しかしロイシュネリアの産業が壊滅するとその煽りでその恩恵も失われ、アーケルシアにも倒産や失業が相次いだ。同じことはアーケルシアとビュルクとの間の交易にもいえた。
ロイシュネリアの占領政策に失敗したアーケルシアはその反省をフラマリオン占領政策に活かし、フラマリオンの主権を広く認めた。しかしフラマリオンにもアーケルシアがロイシュネリアに何をしたかを知る者が多く、またそもそも中立国であるフラマリオンを攻撃・支配したことへの不信感もあり、アーケルシアがどれだけ懐柔しようとも彼らは頑なに非協力的姿勢を貫いたため、占領政策はやはり難航した。
騎士団がロイシュネリア、ビュルク、フラマリオンの三か所で苦戦すると、それにより必然的に国内の治安維持がおろそかになった。それにより国内、特に貧民街は犯罪組織の巣窟と化した。その勢力は大幅に伸長し、商会や貴族さえも一目置くほどの、もっといえば騎士団ですら制御不能の存在となった。
さらにアーケルシアを苦しめたのは難病・拘束斑だった。はっきりした治療法は確立されておらず、発症者は闘病生活の長短の差こそあれ必ず死亡した。発症の原因もはっきりわかっておらず、国民は恐怖と絶望に支配された。軍事費が国家財政を圧迫したため、産業の振興や学術の研究に割ける予算はなく、アーケルシアの技術や学術の進歩は止まってしまった。魔女の出現により拘束斑が根絶されたルクレティウスとはまさに対照的だった」
そこで真琴がジンに聞いた。
「魔女…?」
ジンは真琴を見て口元を綻ばせた。
「ああ、そうだ。拘束斑をルクレティウスから根絶した女性だ。まあそれについては後ほど話そう」
ジンは先ほどまでの平坦なトーンで続きを話した。
「とにかくアーケルシアは凋落の一途を辿った。そこへ一人の賢い王が現れた。騎士王アストラだ。アーケルシアは代々騎士団長がそのまま王を務める国だ。ゆえに騎士団長のことは騎士王と呼ぶ。で、このアストラという騎士王はそれまでのアーケルシア騎士王がしてきたこととまったく逆のことをしたんだ」
悠樹が呟いた。
「まったく逆のこと…?」
「ああ。つまり国を小さくしたんだよ。それまでのアーケルシアは国をとにかく無理矢理デカくして、それを維持することに躍起になってた。で、いろいろうまくいかなくなってた。それを見ていた冷静で賢いアストラはロイシュネリアの独立を認め、ビュルクの主権をほぼすべて返還し、フラマリオンの支配も名目だけのものにしてそれらの国から兵をすべて撤退させたんだ。特にフラマリオンの首長である神楽という方とは親交も厚く、互いの立場を尊重し合っていたらしい」
悠樹はまだ合点がいっていないようだった。
「国を小さくしてしまったらそれまでの苦労が無駄になっちゃうじゃないですか?」
ジンはニヤリと笑った。
「いや、兵を引き上げた結果四つの良い効果が生まれたんだ。まず兵力を引き上げたため当時激化していたルクレティウスとの戦闘に注力できるようになった。また、国内の犯罪勢力、特に虎狼会の取り締まりがしやすくなった。遠征や駐屯をやめることによりそれ以上の商人の発言力の増長を抑えることができた。最後に、ロイシュネリア・ビュルク・フラマリオンの産業が本来の姿と勢いを取り戻し、それらの国と交易を再開させたことで産業を発展させることができたんだ」
悠樹は小さく何度か頷いた。
「これによりアーケルシアの国力は安定を取り戻しつつあった。しかし皮肉なことにそんなさ中にアーケルシアの衰退を決定づける事件が起きた。それがオーガと思しき生物によるフラマリオン襲撃だ」
「オーガは地上から去ったんじゃないですか?」
杏奈が率直な疑問を投げた。
「うん、いい質問だな。オーガは地上から去ったと思われたが、それはほとんど記録にも残らない伝承の話でしかない。どんな理由でどんな風に地上から去ったのかははっきりしてないんだ。わかってるのはかつて地上にいた痕跡があること。そしてその痕跡が突如途絶えたことだけだ。しかしある日突然、伝承にあるオーガとまったく同じ特徴をもつ生物がフラマリオンで多くの生存者に目撃された。彼はフラマリオンの住民を殺害し、街を破壊した。今から四年前のことだ。フラマリオンから来たという君たちは街でその痕跡を見たんじゃないか?」
真琴は役場の手前の円形広場にあった破壊の跡を思い出した。簡易的に石で埋められただけで未だ綺麗な整地が施されていない陥没の跡が広場の地面にいくつも見られた。
「その混乱に乗じ、ルクレティウスはフラマリオンを解放すべく軍を送り込んだ。ルクレティウスはそのままフラマリオンの保護政策を開始した——
ジンはそこで言葉を区切って苦笑した。
「…と言えば聞こえはいいんだがな。まあ軍でもそう教えるようになってはいるんだが、先日スレッダさんが査察したところ実のところはかつてのロイシュネリアほどではないが、ひどい支配が行われてたらしい。ルクレティウス支配に反対する者はレジスタンスと呼ばれ収監され奴隷以下の扱いを受けた。男は奴隷。女は娼婦。農民の収穫は兵糧として徴収。職業選択の自由もなく有用な施設は半ば強制的に接収された。接収された建物の中にはアカデミーも含まれていた。フラマリオンは学問が盛んな国だがその学府でさえ兵舎に転用された。中には兵器を造らされていた人もいると聞く。ゲレーロたちはそれをアーケルシアの犯罪組織に売って私服を肥やしていたそうだ」
憎たらしい男の名前が挙がって悠樹は鼻に皺を寄せた。
「まあ要するにアーケルシアもルクレティウスも本質は変わらないってことだな。
さて、フラマリオンを奪われたアーケルシアはフラマリオンを奪還すべく兵を送り込んだがルクレティウスに撃退されてしまった。その後も順調に伸長を続けるルクレティウスに対しアーケルシアが抗戦する情勢が続いたが、あるときそこに二つの大きな変化が起きた。
一つはアストラが騎士王を自らの意思で退いたこと。退いた理由はわかってないが、ある日突然いろいろなことがどうでも良くなったらしい。そしてもう一つはアストラが後任の騎士王にフラマリオン出身者のリヒトという男を立てたこと。
このリヒトという男も切れ者だった。傭兵上がりの彼は貧民の犯罪組織の人間や剣闘士やビュルクの狩人などを自らの作戦の要職に就けて国内の犯罪組織を壊滅させ、フラマリオンをルクレティウスから奪還した。それは見事な作戦だった。物見櫓の見張りの兵士を駆逐し情報を遮断、兵舎に兵を軟禁しフラマリオン駐留軍を無力化、刑務所を襲って収監中のレジスタンスを解放、そして支配者であるゲレーロを襲撃し指揮系統を混乱させる、彼らはそれらを同時に遂行し、すべて成功させた。
しかしこのあとが良くなかった。アーケルシア騎士王リヒトはルクレティウスへの全軍突撃を敢行。返り討ちに遭い軍は瓦解。ルクレティウスはそのままの勢いでフラマリオン、ついでアーケルシアに進軍。アーケルシアはついにその支配権をルクレティウスに譲ってしまったわけだ。こうして長きに渡るムーングロウの人間同士の争いはルクレティウスの勝利で一応の決着を見た」
「それにしても、最後はずいぶんあっさりですね…」と悠樹が言った。
「国の最後なんてそんなもんだよ」とジンが言った。彼は急に声の調子を明るくして講義を続けた。
「さて、ここまでが表向きのムーングロウの歴史の概要だ」
真琴はその言い方に違和感を覚えた。
「表向き…?」
「ああ、今のは表向き。お前らも感じてるだろうが、ムーングロウには謎が多い。つまりはっきりとわかってないことだな。俺も六大騎士に次ぐ立場だ。それなりに知ってる裏事情も多い。それを君たちに話しておこうと思う」




