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こころのみちしるべ  作者: 110108
ルクレティウス編
73/102

071.『重さ』2

 翌朝には杏奈はいつも通り元気になっていた。みなは心配したが、彼女は何事もなかったかのようによくしゃべりよく食事を()った。対照的に琢磨は元気がなさそうで、朝から青白い顔をして食事を半分以上残してしまった。食事を終えた後も彼は作業にとりかかることができずに居間で寝転んでしまった。見かねた悠樹が琢磨に声を掛けた。

「おい居候(いそうろう)。働かねえと追い出すぞ」

 琢磨は仰向けになって顔を片腕で覆い寝たまま何も答えなかった。じれったくなった悠樹は琢磨の顔を(のぞ)き込んでこう言った。

「みんな辛いんだ、お前だけ——

 しかし琢磨が泣き()らした(うつ)ろな目で天井を見上げている様を()の当たりにした悠樹はそれ以上琢磨を責めることができなくなってしまった。悠樹は急いで何も見ていないフリをして(きびす)を返すと言った。

「しょうがねえからお前は寝てろ」

 悠樹はその日琢磨の分も翔吾の分も働こうと決めた。しかし夕方を迎える前に悠樹は肩と(ひじ)に強い痛みを感じた。それはフラマリオンで兵士に蹴られた箇所だった。

「くっそ、何で今になって…」

 彼はそう言ってうずくまった。真琴が悠樹のもとに駆け寄った。

「痛みがぶり返したのか?」

 悠樹は認めようとしなかった。彼はただ静かに悔しがった。

「くそ…!」

 真琴は彼の作業を切上げさせてその日は休ませた。悠樹が横になると入れ替わるように琢磨は起き上がり、家事を始めた。二人寝ているわけにはいかないと琢磨なりに思ったらしい。悠樹はもう一度(つぶや)いた。

「くそ…」

 彼はその日食事を()ることができなかった。琢磨も夕飯を半分以上残した。杏奈は完全に復調したようだった。




 翌日は四人とも食事を()ることができた。悠樹はまだ腕が痛むと言ったが日常生活に支障はなさそうだし、無理をすれば作業もこなすことができそうだったし、本人もそのつもりのようだった。

 しかし真琴はその日全員で作業を休むことを提案した。それを聞いた悠樹と杏奈は不思議そうに真琴を見て反対した。

「俺なら心配すんな。こんぐらい何でもねえ」と悠樹は言った。

「あたしももう平気だよ。昨日も作業したし」と杏奈も言った。琢磨は何も言わなかったが、休めるものなら休みたいと思っているように見えた。

 しかし真琴は譲らなかった。

「体はいいかもしれないけど、心のために一日休んだ方がいい。みんな顔が疲れてる」

 悠樹はそれに反対した。

「むしろこういうときこそ忙しく体を動かした方が余計なことを考えなくていいんじゃないか?」

 しかし真琴はやはり譲らなかった。

「それはそうかもしれない。でも一度吐き出すことも必要じゃないかと思うんだ」

 悠樹はそれに反対しなかった。彼から見ても杏奈と琢磨は少し疲れているように見えた。真琴は言葉を継いだ。

「忘れることも乗り越えることもきっとできない。でも分かち合うことはできる。そのために友達がいるんだ。翔吾ならそう言う」

 杏奈も琢磨もその言葉を深く受け止めて反対しなかった。

「で、吐き出すってどうする?」

 悠樹は真琴に(たず)ねた。真琴は答えた。

「うーん、まずは愚痴(ぐち)かな」

 杏奈は驚いた。

愚痴(ぐち)!?」

 しかし真琴は淡々と続けた。

「そう、愚痴(ぐち)。一人一つずつ、この世界に来てからの愚痴(ぐち)を言う」

 杏奈と琢磨は顔を見合わせた。真琴は平然と続けた。

「じゃ悠樹から」

「え、俺かよ!」

 悠樹はしばらく真剣に考え込んだあと、ぽつりと言った。

「スレッダさんの家汚ねえ」

 全員が常々思っていたが口に出さなかったことだったためみなそれを聞いて噴き出すように笑った。真琴は全員が楽しんでいるのを見て、その雰囲気を大事にしたいと思いすぐに琢磨に順番を回した。

「はい、次琢磨」

「えっと…、スマホないのマジ無理。あとゲーム」

 みな(うなず)いた。

「はい杏奈」

「えっと、牛丼食べたい。美容院行きたい」

 悠樹と琢磨がほぼ同時に同じツッコミをした。

「牛丼かよ」

 真琴は言った。

「はい、じゃもう一周」

「いやお前も言えよ」

 悠樹にそう言われたので真琴も考えた。

「えーっと。まず意味わかんねえなんだよこの世界」

 予想だにしない斜め上の発想のそもそも論が飛び出してみな驚きつつも笑った。真琴は悠樹にバトンを渡した。

「はい、じゃ悠樹」

「えっと、ゲレーロぶっ○す」

「はい琢磨」

「えっと女ほしい」

 悠樹がツッコんだ。

「それは普通に作れよ」

「はい杏奈」

「布団カビ臭え」

 悠樹が真琴に順番を回した。

「はいじゃ最後真琴」

「治安悪すぎ」

 みなが二周ずつ愚痴(ぐち)を言い合って大いに笑い合った。

「次はどうする?」と悠樹が(たず)ねた。真琴は少し考えてから次のお題を言った。

「そうだな…。元の世界に戻れたらどうする?」

 みな少し神妙になり、遠い目をした。

「はい悠樹」

「いやちょっと待ってくれ…。そうだな…」

 悠樹はしばらく考えてから言った。

「家族の無事を確かめる。家族に謝る。心配かけてるだろうからな」

「琢磨は?」

 琢磨はあまり迷わなかった。

「女作る。ゲームやる。好きな動画見る」

「なるほど。杏奈は?」

「えっと…。何だろ。わかんない。マック行く」

 悠樹と琢磨がほぼ同時に同じツッコミをした。

「牛丼じゃねえのかよ」

「じゃ真琴は?」と悠樹が(たず)ねた。

「えっと、そうだな。お墓参り行って…。あと謝るかな。多分たくさんの人に心配かけたから」

 少しだけ沈黙が訪れた。悠樹が(たず)ねた。

「他には何を吐き出すんだ?」

「えっと」真琴は少しだけ迷ってから言った。「翔吾に伝えたいこと」

 悠樹はどう反応すべきか迷った。しかし異を唱えないことにした。

「俺からか?」

「うん」

(かたき)()つ」

「琢磨」

「俺は…。お前みたいに強くなりたい」

「杏奈」

「心配しないで。大丈夫だから」

 みなの視線が真琴に注がれた。悠樹はまた真琴が自責の念にかられてネガティブなことを言い出さないかと心配した。

「お前の分まで俺が頑張る」

 心配が杞憂(きゆう)に終わって悠樹はほっとした。杏奈と琢磨も同じことを思っているようだった。一通り「吐き出す」作業が終わると、そのあとは談笑をしながら食事をした。それが済むと四人はその日好きに時間を使った。琢磨は寝た。悠樹は散歩とストレッチをした。杏奈と真琴は少し市場を見に出かけた。市場から帰って来ると杏奈は手の込んだ料理とお菓子を作った。真琴は草むしりをしたが「今日は休みだろ?」と悠樹にたしなめられてやめた。そのあとは悠樹と杏奈と三人で談笑をした。四人にとっては英気を養い体を休めるのに良い休暇になった。それ以上に心の傷の痛みが和らぎ、少し心の重荷が取れ、(きずな)が深まった。市場に行った際に真琴と杏奈は酒を買って来ていた。四人はその晩それを()んだ。安い果実酒だったが味は悪くなかった。四人に対して一本しか買ってこなかったため、ひどく酩酊(めいてい)する者はいなかったが、久しぶりの酒の味にみなが酔った。みなその晩はぐっすり眠った。




 その翌日、四人はいつも通りの日常に立ち返り、琢磨は川で魚獲り、杏奈は家庭菜園と買い出し、真琴は買い出しと料理、悠樹は掃除と四人は四様に別れて作業をした。翔吾がいないため単独行動を禁止するルールは維持が難しくなっており、その日から無効となった。

 それはもうだいぶ日が落ちてからの出来事だった。

——コンコン

 とドアをノックする音がした。真琴は枕元の武器を音を立てないように素早く拾い上げた。琢磨は裏口のドアを静かに開けた。杏奈はリビングに隠れた。悠樹はドアの脇に潜んだ。真琴は足音を立てないようすり足で玄関に近づき、ドアノブに手を掛けた。するとそのときドアの向こうから声がした。

「俺だ」

 スレッダの声だった。四人は急に安堵(あんど)した。武器を置いた真琴がドアを開けるとそこにはたしかにスレッダ一人の姿があった。四人の姿を見るなり彼は玄関先でこう言った。

「よお、大丈夫か?」

 家を借り、お金をいただいている以上「おかげさまで」と言うべきところかも知れないが、そんな余裕もないため素直に琢磨は「正直あまり大丈夫じゃありません」と言った。

「まあ、あんなこともあった後だしな」とスレッダが言うと「いえ、まあ、それもそうですが、お金がないんです」と琢磨は言った。それを聞いたスレッダは「まあ、そうだろうな」と事も無げに言った。四人は黙った。スレッダはこう続けた。

「実はそのことで話があって来たんだ」

 ひとまず玄関で話をさせるのは失礼だと思った杏奈がスレッダを中へ案内した。居間に案内されたスレッダが座ると四人はそれに向き合うように椅子を並べ替えて座った。スレッダは家の中を見渡して「だいぶ綺麗になったな」と感心した。

「だいぶ頑張りました」と苦笑しながら真琴が答えた。スレッダはそのあと早速本題を切り出した。

「前にも言ったが俺の支援にも限界がある。いつまでも四人を俺の給料で養っていくわけにはいかない。それに市民権のないお前たちはあくまでも今は『旅行者』だ。このままじゃいずれ滞在権を失う」

 資金的援助を得られると思い込んでいた琢磨はそれを聞いて暗い顔をした。スレッダは言い足した。

「お前ら働かないか?」

 四者は驚きつつも四様の反応を示した。真琴が(たず)ねた。

「どんな仕事をするんですか?」

 スレッダは事も無げにあっさりと答えた。

「兵士」

「兵士」という言葉のもつ恐ろしい響きに四人とも程度の差こそあれ(おのの)いた。一番冷静だった杏奈が聞いた。

「どうして兵士を(すす)めてくださるんですか?」

「いや、まずはっきりさせとくと兵士でなきゃいけない理由はない。他にも仕事はある」

 琢磨の表情の絶望の色はそれでいくらか和らいだ。しかしそれならばなぜスレッダは「兵士」を(すす)めたのか。四人はスレッダの言葉の続きを待った。

「今は戦争が終わったばかりだ。しかしこの国、いやムーングロウ全土にはまだ治安上の懸案(けんあん)事項が山ほどある。野盗、アーケルシアの犯罪組織、アーケルシアの残党、闇商人、魔女、オーガ。兵士はまだまだ必要だ。まあさっきも言ったが他にも仕事はある。でも戦争の混乱のせいでムーングロウの経済は安定してないし、そのせいで求人も安定してない。現状一番安定して求人があるのが兵士と復興土木だ。復興土木ってのは戦争のせいでいろいろムーングロウ全体が荒れちまった。建物が壊れたり、道が(ふさ)がったり、畑が荒れたりとかな。それを直して回るのが復興土木の仕事だ」

 四人を包む空気は重たかった。兵士にせよ復興土木にせよそれは自分たちに務まる仕事には思えなかった。

「兵士って、危険な仕事なんですよね?」

 当たり前のことではあるが、琢磨が念のためそう聞いた。

「まあそうだな。死ぬ危険はある」

 琢磨は悄然(しょうぜん)としそれ以上質問を続けなかった。スレッダの声音は少し重くなった。

「お前たちを兵士に誘った理由は他にもある」

 四人は彼をじっと見た。

「お前たちに良い仕事だと思ったからだ。このルクレティウスだって決して安全じゃない。お前たちはそれを身をもって味わった。騎士が堂々とこんなこと言うもんじゃないのはわかってるが、結局自分たちの身を守るのは自分たちってことになっちまう。お前たちはその力を欲してるんじゃないか? だとしたら兵士になるのが一番早い」

 真琴は心の奥底の難問に何か解を得たような気がした。

「確約はできないが、翔吾の死の真相にも迫れるかもしれない」

 悠樹の目が鋭くなった。

「まあ、俺が騎士やってて人手不足だからお前たちを誘ってるようなところも正直ある」

「杏奈にも、女子にもできる仕事はありませんか?」

 そう聞いたのは真琴だった。

「兵士が危険な職業であることは事実だ。少なからず戦場に身を置くことになるし、どんな職種であれ簡単な訓練は受けてもらうし基礎体力は必要だ。だが女性の騎士はいる。ただ人を斬ったり人に斬られたりばかりが兵士じゃない。衛生兵もいる。それに兵士でなくとも軍事関係の職業としては武器や防具の製造や馬の生産も需要がある」

「復興土木って…どんなことやるんですか…?」

 そう聞いたのは琢磨だった。

「俺も詳しいことは知らない。だが建物を建て直したり、道を直したり、体力的にはキツいことが多いと思うぜ。まあ知り合いにツテがあるから興味あるなら俺が取り次ぐ」

 スレッダから今聞いた話を四人はそれぞれ頭の中で反芻(はんすう)していた。

「まあ、時間は必要だよな。よく考えてみてくれ」

 杏奈が返事をした。

「わかりました」

 最後にこう言ってスレッダは帰って行った。

「もし自分の弱さに嫌気がさしてるなら、兵士はきっとお前たちにとって有意義な仕事になる。俺が保証する。迷ってんならとりあえず入団試験だけでも受けてみろ」




 その晩、暗いリビングで横になりながら、四人は話をした。悠樹が真琴にこう(たず)ねた。

「お前兵士になるのか?」

 真琴は迷わず答えた。

「うん」

 悠樹はスレッダの話を聞く真琴の横顔を見てその胸中を察していた。琢磨が割り込んだ。

「やめとけよ」

 琢磨の言葉は無視して悠樹は杏奈に聞いた。

「杏奈は?」

「あたしは…」

 一度寝返りをうってから杏奈は答えた。

「とりあえず受けてみる」

「俺だけ働けばいい」と唐突に真琴が言った。「俺が稼げばなんとか困らないだろ」

「俺たちは?」と悠樹が聞いた。真琴が何と答えるかすでに予想がついていた悠樹の語気は自然と荒くなっていた。

「わざわざ危ない仕事に就かなくてもいいだろ」

 間髪入れずに悠樹が言った。

「は? かっこつけんじゃねえよ」

「かっこつけじゃねえよ」と言う真琴の語気は弱かった。

「じゃあ何だよ」

「…」

 少し言い(よど)んでから真琴は口を開いた。

「俺が巻き込んだんだから、俺が危ない目に遭えばいいだろ」

 杏奈が(さと)すように言った。

「真琴を捜したのはあたしたちの意思だよ。誰のせいでもない」

「そうだぞ。思い上がるな」と悠樹が付け加えた。

「謝っても許されないだろうけど——

 その真琴の言葉を杏奈は最後まで言わせなかった。

「謝る必要なんてない」

 悠樹がみなに静かに、しかし強く語り掛けた。

「みんなで来たんだ。みんなで帰ろう」

 真琴の代わりに杏奈が返事をした。

「うん。そうだよ!」




 翌日の昼に真琴と悠樹が騎士団庁舎に行った。守衛は二人のことをよく覚えてくれていて顔パスで通してくれた。スレッダも快く二人を執務室に迎え入れてくれた。

「よく来たな」

 二人の神妙な顔を見た時点でスレッダは(おおむ)ね用件を察していた。何も言わずに会釈だけする二人にスレッダは席を(すす)めた。

「座ってくれ」

 二人は言われるままに椅子に掛けた。それを見てからスレッダは何気なく本題に入った。

「どうするか決めたか? 仕事」

 悠樹が答えた。

「四人とも受けます」

 スレッダは驚きもせずに答えた。

「わかった。一応落選の可能性はある。そのあとの職業についてもあらかじめ考えておいてくれ。兵士を(すす)めといてなんだが選択肢は多い方がいい」

 喜んでもらえると思っていた二人は少しだけがっかりした。

「念のために聞くが杏奈もそれでいいのか? 他に仕事の探し様もあるぞ」

 真琴が答えた。

「彼女も入団試験を受けることを強く望んでいます」

「そうか、わかった」

 悠樹は先日スレッダの話を聞いて以来ずっと気になっていたことを思い切って聞いてみた。

「試験はどのようなことをするんですか?」

 スレッダの表情が少しだけ曇った。

「今入団試験を担当してるのはジンってヤツだ。けっこうクセのあるヤツでな。まあ、まともな試験であることを願っておいてくれ」

 それを聞いて二人は顔を見合わせた。スレッダは二人の気持ちを察したのか気休めを言った。

「まあ、多少しんどかったりはするかもな。でもまあ死んだりはしないはずだから安心してくれ。多分怪我もしない」

 その言葉は二人にとって何の気休めにもならなかった。スレッダは少し考えてからさらに付け加えた。

「まあダメなら落ちればいいだけだ。当日会場に行って嫌だと思ったら受けなければいい。非礼には当たるが罰則はない」

 二人はそれで少し安心した。早速翌日に入団試験を受けることになった。二人は席を立って挨拶をし、早々にその場を辞した。

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