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こころのみちしるべ  作者: 110108
ルクレティウス編
66/102

064.『冒険』1

 血が(したた)った。真琴が音の鳴った方に目を向けると、それは悠樹を殺そうとしていた兵士の腕からこぼれていた。兵士は腕を押さえて(うめ)いた。真琴と翔吾と琢磨と杏奈は驚愕(きょうがく)慄然(りつぜん)の色を顔中に(にじ)ませた。他の兵士たちもゲレーロも同様だった。

「何やってんだお前ら」

 低く鋭い声が響いた。声の主は部屋の入口にいた。彼が手にする剣からは兵士のもとの思しき鮮血が(したた)っていた。ゲレーロはその姿を見て驚きと(おび)えが混じった声を出した。

「スレッダさん…」

 スレッダと呼ばれたその男はゲレーロに鋭い視線を投げた。真琴はその顔を見て驚いた。先ほど通りで役場への行き方を教わった剣士だった。

「誰の許可得て市民に乱暴働いてんだ」

 ゲレーロは杏奈の首に据えていた剣を(さや)に込め(たたず)まいを正した。

「すいませんでした! ちょっと怪しかったんで…」

 スレッダは顔色一つ変えずに告げた。

「ああそうか、いいよ全然。とりあえずお前ら全員クビな」

 ゲレーロは言葉を失った。他の兵士たちも同様だった。スレッダは繰り返した。

「クビ。フラマリオン駐留軍全員やめてもらう。文句あるか?」

 スレッダはゲレーロを含めた兵士全員の顔に順番に鋭い視線を向けた。ゲレーロは硬直しかけた思考で必死に自分が解任される理由を考えた。それは無数にあった。ゲレーロはそれを一つ一つあらためて(とが)められるよりも大人しく解任される方が無難だと判断した。それは彼にとってフラマリオンで謳歌(おうか)した自由の終焉(しゅうえん)を意味していた。彼は悄然(しょうぜん)と答えた。

「…ないです」

 スレッダはさらに淡々と告げた。

「全員降格。新兵からやり直してもらう」

 ゲレーロはうつむいて返事をした。

「わかりました」

 他の兵士たちも神妙な面持ちでうつむいていた。悠樹や琢磨に(またが)っていた兵士たちは退(しりぞ)いて剣を(さや)に納めた。杏奈を拘束していた男も彼女から距離をとってスレッダへの恭順(きょうじゅん)を示した。スレッダは悠樹のもとに歩み寄りしゃがんだ。スレッダが悠樹を仰向けにすると、彼はうっすらと目を開けた。外傷は多いが命に別状はなさそうだった。スレッダは真琴と琢磨にも目を向けた。真琴は意識がはっきりしているようだった。琢磨は外傷もなかった。翔吾と杏奈も無傷だった。スレッダは悠樹を抱え上げて真琴たちに言った。

「さて、じゃ行くか」

 彼は歩き出した。真琴は「どこへ?」と問いたかったがひとまずここから出られるなら黙ってついて行く方が良いと思った。四人は黙ってスレッダに付き従った。ゲレーロとその部下たちは立ち尽くしたまま部屋に取り残された。




 スレッダは悠樹を抱えて建物の表に停めてある馬車に乗り込んだ。四人もおずおずとそれに乗り込んだ。(ほろ)のついた大きな馬車だった。馬車を見るのもそれに乗るのも初めてだったが、本来それに伴うはずの感動は喚起されず、先ほどの暴力の余韻が胸中を支配していた。先ほどのやりとりからこのスレッダという男が相当な身分の者だということが推測できた。だがそれでも、いやだからこそ四人はその状況に一層警戒心を(つの)らせた。知らない街に来てしまったかと思えば殺されかけた。今はこの場所をすぐにでも離れたい。だが次はどこに連れていかれてどんな目に遭うか知れない。

「安心しろ」

 スレッダは四人の胸中を察してかそう言った。真琴は半分ふさがった目でスレッダを見た。

「俺はお前たちの味方だ。アーケルシアの残党じゃねえんだろ? いや、だとしても捕虜は最大限厚遇する」

 真琴にはそれが本心から出た言葉のように聞こえた。杏奈はおそるおそる(うかが)った。

「どこに行くんですか…?」

 御者もスレッダに耳を傾けた。スレッダは笑ってこう言った。

「ルクレティウスへ」




 馬車は中央の市街地を抜け、住宅街を抜け、フラマリオンの東門を抜けた。門を抜ける際、門番は最敬礼でスレッダを見送った。門から向こうは建物がほとんどなく農地が広がっていた。イネ科の植物が多く、おそらく小麦だろうと真琴は思った。畑は風になびかれながらどこまでも広がっていた。しばらくは石で舗装された道が続いたが、やがて土の道になった。馬車の振動は激しくなり、それはもっとも体を痛めていた悠樹を苦しめた。ちょうどその辺りで畑も終わり道の周囲は雑草ばかりの平原になった。さらに行くと大きな川と橋があり、そこを越えると木々がまばらに見られるようになった。やがて木々は密度を増し、辺りは森になった。馬車は細かな木漏れ日の中を進んだ。森に入ると車内は少し暗くなった。杏奈は唐突にスレッダに話し掛けた。

「ここはどこですか?」

 外を見ていたスレッダは杏奈に顔を向けて答えた。

「ここはフラマリオンとルクレティウスを結ぶ街道だ」

 真琴はもう一つ踏み込んだ質問を投げかけた。

「この世界は何ですか?」

 スレッダはその横顔を少し神妙にした。

「ムーングロウだよ」

 真琴はあらためて(たず)ねた。

「ムーングロウ、それがこの世界の名前ですか?」

 スレッダは口の端を吊り上げて真琴を見た。

「まあ、世界をそう呼ぶこともあるし、この大地をそう呼ぶこともある。お前たち混乱してそうだし、疲れてるだろ」

 スレッダは後ろを振り返りながら言葉を継いだ。

「とにかく今は休め。ルクレティウスまでは長い。そんでルクレティウスは安全な国だ。まあ、アーケルシアやフラマリオンに比べればの話だけどな」

 スレッダは遠いどこかを見ていた。会話はそれで途切れた。




 馬車は暗くなってからも走り続けた。ランプの灯りは数メートル先までしか照らさなかったが、勘か慣れかそれでも馬と御者は躊躇(ちゅうちょ)なく走った。五人はいつしか眠ってしまっていた。馬車の振動は心地よいものではなかったが、それでも日中に神経を尖らせ続けた五人を眠りにいざなうには十分だった。

 馬車が停まったことに最初に気付いたのは真琴だった。続いて馬車から誰か出て行き、馬車に誰かが入って来た。入って来たのは御者だった。真琴は「どうしたんですか?」と聞こうとしたが、御者が人差し指を口に当てたため真琴は口を閉じた。何かが起きている。そう悟った真琴は隣の琢磨の体を揺すった。琢磨が細く目を開けると真琴は耳元でこう(ささや)いた。

「琢磨、声を出すな」

 琢磨は目を見開いてから何度も(うなず)いた。真琴は同様に杏奈も起こした。彼女も同じ反応をした。翔吾は御者が(ほろ)に入って来た時点ですでに起きて車内外に漂う緊張を感じ取っていた。音に気付いたのはそのときだった。激しく枯れ葉を踏みしめる人の足音。それも複数。さらに枝の折れる音、衣擦(きぬず)れの音、金属同士が鋭く激しくぶつかり合う音。

 この馬車からそう遠くないところで尋常(じんじょう)ならざる何かが起こっている。複数の人間による激しく殺伐(さつばつ)とした何か。これは何かと真琴は己の経験に問う。脳裏に浮かぶのは昼間の出来事。彼とその友人たちは間違いなく死の(ふち)(ひん)していた。兵士が剣を振り下ろすのがあと二、三秒早ければ真琴を含めた三人は死んでいた。真琴は自身を襲った兵士が剣を振り上げた際の平坦な目つきを思い出した。たった一枚の薄い刃物と兵士が何気なく抱いた悪意によって自分の命はあっさり(つい)えるところだった。そしておそらく今も——

 そう、この馬車の木と布でできた(ほろ)の向こうで行われていることもおそらく人の命を刈り取る行為。戦っているのはスレッダと誰か。音からしておそらく三人以上——

 そのとき琢磨が御者に(ささや)いた。

「逃げましょう!」

 真琴は琢磨の口を押えようとしたが、それより早く御者が口に人差し指を添えて琢磨に声を発しないよう促した。御者は(ささや)いた。

「そんなことしたら俺はクビだ」

 おそらく御者はスレッダに直接雇われているか、もしくはスレッダという人物を見殺しにしたら職を失いかねないほどスレッダは大物なのだろう。少し間を置いて御者は付け加えた。先ほどより強い声音だった。

「スレッダさんを信じろ」

 そのとき外で声がした。誰かの短く(はかな)(うめ)き声だった。

「かっ! …はっ…」

 どさり、と大きな音がした。おそらく誰かが(くずお)れたのだろう。それからすぐに足音がして、それは急速に遠ざかって行った。逃げたのだろうか。ところでスレッダは誰と戦っているのだろう。遠ざかって行ったのは誰だろう。

 それからすぐに足音がゆっくりと一つ近づいて来た。近づいて来る者は誰だろう…。真琴は口から心臓が飛び出そうなほど緊張した。おそらくみなも同じだろう。真琴は(よこしま)な意思をもった何者かがこの馬車の(ほろ)を開けたらどうしようかと必死に思考を巡らせた。間髪入れずに跳びかかるか。あるいは御者台の方の出入り口から逃げ出すか。そもそも相手はどちらから入って来る…?

「入るぞ」

 しかし不安はその一言で払拭(ふっしょく)された。外からそう呼び掛ける声は間違いなくスレッダのものだった。御者が(ほろ)を上げるとやはりそこにスレッダがいた。彼は馬車に乗り込むとこう言った。

「悪いな。時間かかった」

 御者はランプを点けると寝ている馬を起こして馬車を出した。真琴はスレッダに(うかが)った。

「どうしたんですか?」

 スレッダは事も無げに答えた。

「野盗だよ。戦争で職や財を失ったヤツが山ほどいるんだ。だから畑を荒らしたり街道で馬車を襲ったりするヤツが絶えない」

 琢磨が恐る恐る(うかが)った。

「殺したんですか?」

「多分死んでるな」

 少し間を置いてスレッダは付け加えた。

「夜だから加減できなかった。二人は逃げたけどな」

 馬車は先ほどより少し離れた森で停まった。スレッダと御者は横になって睡眠をとった。真琴たちもそれにならった。だが真琴はその晩それから一睡もできなかった。悠樹はたまに目を開くがまだ言葉をほとんど発しなかった。四人は早く馬車が安全な街に辿り着くことを願った。




 夜明けとほぼ同時にスレッダと御者は目を覚ました。昨日の緊張感が嘘のように二人はリラックスしていた。スレッダは干した木の実と水を朝食に分けてくれた。それが済むと馬車は走り出した。スレッダは言った。

「怖かっただろ。ごめんな」

 真琴はただ会釈するばかりで何も答えられなかった。




 さらに少し進むと馬車は森を抜けた。川が現れ、それに架かる橋を越えるとその向こうは草地になっていた。さらに行くと畑が現れ、農作業小屋や農夫の姿が見られるようになった。農夫たちは馬車が通ると作業の手を止めて馬車に向かって手を振った。スレッダはそれを見ても手を振り返そうとはしなかった。おそらく限られた身分の者だけが馬車に乗れるのだろう、またこの辺りの農夫にとってそれは羨望(せんぼう)憧憬(しょうけい)の対象なのだろうと真琴は推察した。

 太陽の角度からして馬車は東へと進んでいるようだった。しかしこの世界における太陽は自分たちが昨日までいた世界の太陽とはまったく異なる存在なのではないかとも思えた。真琴は手をかざして目を細め、空を見上げた。それは今まで何度も見てきた空と微塵(みじん)も変わっていないようにも思えたし、どこか違うようにも思えた。もし本当に両者が異なるものなら、それは途方もなく恐ろしいことだと思った。

 やがて草地が見られなくなり農地ばかりの景色になった。南と思しき方角にはそれが延々と続き、西と思しき方角には街道が続き、北と思しき方角には農地と川と森と山が見えた。街はまだ見えなかった。

 ほどなく悠樹が目を覚ました。起き上がろうとする彼を杏奈が(いさ)めた。スレッダは悠樹の体の具合を見た。スレッダの見立てでは骨に異常はなく、打撲のみで済んでいるが、念のために医者に見せる必要があるとのことだった。ショックのためか、痛みのためか、スレッダや真琴たちの問いかけにも悠樹はおぼろげな反応しか見せなかった。




 やがて馬車の進む先に住居と思しき建物が見え始めた。それまで見えていた農具小屋とは明らかに(おもむき)や大きさが異なった。真琴たちは少し安心することができた。

 さらに進むと住居は密度を増し、街道沿いには住居が隙間なく建ち並ぶようになった。この辺りはみな裕福な農家の持ち家だとスレッダは教えてくれた。

 ほどなく遠くに城壁のようなものが見え始めた。フラマリオンで見たそれより低いようだが、周りの景色の平板さの中でそれは強烈なコントラストを放った。

 やがて馬車は門へと辿り着いた。兵士が馬車の中を(のぞ)き込んできた。真琴たちの姿を見て一瞬(いぶか)しげな表情を浮かべはしたが、スレッダを見ると兵士は会釈して何事もなかったかのように開門を始めた。

 門の周辺こそ物々しい雰囲気はあったが、街は昨日いたフラマリオンより美しく広く、整然としていた。街行く人々はやはり馬車に気付くと手を振ったり会釈したりした。特に兵士らしき人は敬礼を投げた。

「まずは病院へ向かおう」

 スレッダはそう言った。何の意図があってか悠樹は「いえ、多分大丈夫です」と遠慮した。スレッダはふっと笑ってから「金は俺が払う。腕も確かだ。安心しろ」と言った。すると悠樹はそれ以上異を唱えなかった。スレッダはさらにこう付け加えた。

「病院へ行ったあとはこの国の首長に謁見(えっけん)してもらう」

 真琴たちの胸に昨日の嫌な記憶がよみがえった。それを察したスレッダはやはりふっと笑った。

「大丈夫。フラマリオンと違ってここは安全だ。先の戦争でも敵の侵入をほとんど許さなかった。今では実質的なムーングロウの統治国家の地位を得ている。国力も民度も高い」

 真琴は一歩踏み込んで(たず)ねてみた。

「だったらなおさらわかりません。そんな国の統治者になぜ僕たちみたいな余所者(よそもの)謁見(えっけん)できるんですか?」

 スレッダは今度は笑わずに答えた。

「うすうす勘付いてるとは思うけど、俺もこの国じゃそれなりに顔が利く。この国のトップにもな。お前らの身分を俺が保証できるし、トップに面通ししといて損することはない。お前らは余所者(よそもの)だと謙遜(けんそん)するけど、俺に言わせりゃ余所者(よそもの)こそ客として厚遇されるべきだ。にもかかわらずお前らはフラマリオンであんな目に遭った。少しはいい思いもするべきだろ」

 真琴はそこに嘘の響きを感じなかった。

 街はフラマリオンに比べて本当に美しかった。露店には食べ物が(あふ)れ、自然とその周りに笑顔が(あふ)れた。店や家の屋根は美しく(いろど)られ、いたるところに花が飾られていた。衣服も清潔で人々はそれに身を包んで表を歩くのを楽しんでいるように見えた。石畳を馬車が走っても砂埃(すなぼこり)が舞うことはなかった。つい先日まで戦争をしていた国とは思えなかった。おそらく本当にここは戦場にならなかったのだろう。

 そんなことに思考を巡らせていると馬車は大きな白い建物に着いた。柳原市立中央病院を一回り小さくしたような建物だった。無機質で妙に清潔なところはどの世界の病院も同じなのだなと真琴は思った。悠樹は自力で馬車を降りることができた。真琴はむしろ悠樹の心に刻みつけられた傷こそ心配で恨めしかった。五人とも病院の待合室に向かったが、診察まで時間がかかるとのことで、他の四人だけ先に首長に謁見(えっけん)することになった。四人は悠樹に付き添いたがったが、スレッダの説得に仕方なく応じた。




 馬車はそこからさらに街の中心部を目指した。中心部には一際高い白い塔があった。あれが目的地ではないかと真琴はあたりをつけたが、それが近づくにつれ本当にそうだと知れた。塔は先ほどの病院に輪をかけて白く無機質な表情をしていた。この白くて高くて無機質な塔を統治者の居場所に選ぶ動機はどのようなものだろうかと真琴は考えてみた。白は正義を表しているのだろうか、高さは権力を象徴しているのだろうか、無機質さは公正さを表しているのだろうか。入口に兵士はいたが、彼らはスレッダを見るなり顔パスで後ろに続く真琴たちをも通した。塔の二階は兵の詰所になっていた。そこにいる複数の兵の姿を見た真琴たちは否応なく昨日の恐怖を思い出して慄然(りつぜん)とした。階段には所々に窓があったため、それを上るにつれて自分たちがいる場所がいかに高いかが知れた。上から見るとルクレティウスの街はさらに広く美しかった。塔は十三階からなった。先を歩くスレッダと翔吾以外の三人は息を切らした。最上階に着くと階段の途切れた先に大きな扉があった。その前に二人の兵が立っていた。おそらくここが首長のいる部屋なのだろうと真琴は思った。兵はスレッダが近づくと無言で扉を開けた。意外にもその向こうはウッドブラウンを基調とした執務室になっていた。統治者がいるにしては狭い。中には大きな執務机とたくさんの本棚があるばかり。その執務机には男が二人と女が一人向かっていた。女性は美しかった。眼鏡をかけ、色白で、背はやや低く、小顔で、髪はやや短く、清潔な身なりをしていた。彼女は真琴たちに気付くとにっこりと笑って会釈をした。男のうち正面に座る一人は壮年で温厚そうな顔をして体型はふくよかだった。男のうちもう一人は坊主頭のやせ型の男性だった。三人とも白いジャケットに白いパンツという清潔感のある無機質な服装をしていた。やせ型の男はスレッダに気付くとこう言った。

「やあスレッダ。彼らは?」

「フラマリオンに行ったらゲレーロたちに殺されかけてたところを守ってやった。ゲレーロたちは駐留軍をクビにして新兵まで降格にしておいた。こいつらはこの街で手厚く迎えてやりたい」

 スレッダはそう言った。男はそれを聞くとにこっと笑った。

「なるほどスレッダらしいな。君がそう言うなら滞在許可をすぐに出そう」

 スレッダの言葉にも男の言葉にも嘘の響きはなかった。男は真琴たちに向けて会釈をして自己紹介をした。

「申し遅れました。私はルクレティウスの賢者をしておりますパウロと申します」

 真琴は自分たちがスレッダにさえ自己紹介をしていなかったことを今さらながら思い出した。彼は非礼を恥じて慌てて自己紹介をした。

「藤原真琴と申します。道に迷ってしまって。すいません、よろしくお願いします」

 それを聞いていたパウロは笑顔を見せたがその眉が少し動いたのを真琴は見落とさなかった。杏奈が真琴に続いて自己紹介した。

「真壁杏奈です。すいません、よろしくお願いします」

「阿久津翔吾です。よろしくお願いします」

「神代琢磨です。よろしくお願いします」

 パウロは爽やかな笑顔でこう言った。

「そうか、みな素敵な名前をもっているね。私たちは賢者といってこの国の政治を担っている。普段はこの執務室か下の議事堂にこもって仕事をしているけど、たまにふらっと街へ下りたりもする。まあそこらへんで見かけたら気軽に声を掛けてくれ。君たちには長期の滞在許可証を出そう。市民権に比べれば制限もあるが、しばらくは安全に過ごせる。ここはムーングロウで一番安全な国だ。何か困ったことがあればスレッダか僕に言ってくれ」

 パウロは親切で、その声音は柔和だった。真琴たちは素直に礼の言葉を述べた。パウロは中央に座る人物の紹介をしてくれた。

「中央にいらっしゃるのがペテロ様。この国の賢者長、つまり最高指導者にあらせられるお方だ」

 紹介されたペテロは座ったまま頭を下げ、温和な声で挨拶をした。

「ペテロです。よろしくお願いします」

 真琴たちは(うやうや)しくお辞儀をした。

「向かいにいる女性がシェリル。僕と同じ賢者だ」

 シェリルは立ち上がりにっこり笑って綺麗なお辞儀をした。

「シェリルです。よろしくお願いします」

 真琴たちは体の向きを変えて彼女にも深くお辞儀をした。

「堅苦しい挨拶はこれぐらいにしよう。じゃあなパウロ」

 スレッダはそう言うとパウロに背を向けて部屋を出て行った。あまりにも簡単な「謁見(えっけん)」に戸惑いながらも真琴たちはパウロたちに会釈してからスレッダのあとを追った。扉は不気味な(きし)みを上げて閉じられた。真琴がそれを後目(しりめ)に見ると扉が閉まる直前に中央に座るペテロの温厚そうな笑みと目が合った。




「さて、これでお前たちは晴れて正式なルクレティウスの賓客(ひんきゃく)になったわけだ」

 馬車に向かう途中でスレッダがそう言うと真琴は礼を言った。

「ありがとうございます」

 スレッダは振り返ってこう(たず)ねてきた。

「で、お前ら住む場所も仕事もないんだろ?」

 真琴はみなと顔を見合わせてから答えた。

「ええ、まあ…」

 するとスレッダはこんなことを言った。

「じゃあまずは寝床と食糧の確保だな。それとアイツのケガ」

 真琴はそれを聞いてたしかにその通りだと思うと同時に途方に暮れ、他の三人と顔を見合わせた。彼らは寝床にも食糧にも宛がなかった。それを見かねたスレッダが苦笑を浮かべて言った。

「パウロが言ってただろ、俺を頼れって」




 真琴たちが去ると象牙の塔の最上階、賢者の執務室に再び静寂が訪れた。その静寂を破ったのはペテロだった。彼は先ほどの温和な声と表情のまま、しかし対照的に物騒なことを口にした。

「パウロ、彼らに監視の目を付けておけ」

 パウロは窓際で笑顔を浮かべ眼下を見ながら答えた。

「はい」

 ペテロは付け加えた。

「彼らは持ってはいけないものを持っている」

 パウロの視界には馬車の側で話をする真琴たちとスレッダの姿が小さく映っていた。パウロは笑いの(しわ)を深くして言った。

「ええ、承知しております」

 尖塔の最上階に差し込む午後の穏やかな日差しはパウロの面相を不気味なほど白く染め上げていた。

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