063.『囚われた先で』2
すると相手はようやく顔を顰め口を開いた。
「は?」
真琴にはその反応が意外だった。どうやら言葉が通じているらしい。いや、今の「は?」がどこかの外国語である可能性も否定はできないが…。真琴はさらに一歩踏み出した。
「いや、あの、すいません。ここって日本じゃないですよね…?」
相手はさらに露骨に訝しそうな顔をした。
「いや日本って何だよ」
「え…?」
言葉が通じたことに真琴は驚いた。と同時に、にもかかわらず「日本」という言葉が通じないことに驚いた。真琴はこれ以上質問を重ねて相手に疑念を抱かせることは得策でないと判断して「すいません、何でもないです」と言って引き返した。
男は真琴の背中を訝しそうにじっと見つめてから元の通りに歩を進めた。しかしすぐに立ち止まって後ろから真琴に声を掛けた。
「おい」
びくりと肩を震わせた真琴は怪しまれないようにと意識しながらも見開いた目で相手に向き直った。
「何かわかんねえことがあんなら役所行ってこいよ」
真琴は戸惑いつつも相手が好意からアドバイスをしてくれていることを理解すると、ひとまず礼を言った。
「ありがとうございます!」
相手はさらに言葉を継いだ。
「どうせ場所わかんねえんだろ?」
素直に相手の好意に甘えることにした真琴は苦笑を浮かべた。
「はい」
相手は再び一瞬怪訝な表情をしたが近づいて来て役所への行き方を教えてくれた。真琴は厚く礼を言って男と別れた。真琴はみなのところへ戻り、今起きたことをありのままに話した。悠樹はこう言った。
「役所の様子を見てみよう」
他の三人もそれに同意した。五人は周囲の目に気を付けながら役所を目指した。役所はすぐ近くにあった。四階建てで四角くこの街の中で見た中ではもっとも大きな建物だった。人の出入りは少ない。役所の手前には円形の大きな広場があった。広場の石畳には所々に陥没した跡が見られた。穴こそ石で埋められていたが、そこには放射状に亀裂が走り、そこがかつて強烈な衝撃で破砕されたことを物語っていた。真琴はそれを見て呆気にとられた。
(戦いの…跡…?)
真琴は遠くに目をやった。先刻から気になってはいたが、街を取り囲むように城壁が巡らされ、その四方には物見櫓が据えられていた。真琴はその光景に急に物々しさを覚えた。やはりここはテーマパークなどではない。しかし街行く人々にはその破砕の跡を一向に気に留める様子はなかった。
そのとき、不意に真琴の意識の中を様々な光景が急激によぎった。真琴は唖然とした。妖精のように宙を舞う小さな少女。白いドレス姿の美しい女性。腰の曲がった小さな老人。白い制服姿の剣士。白い光。灰色の巨体。赤々と燃えるような夕焼けの空の下で壊れゆく街と飛び交う悲鳴。
「真琴?」
杏奈にそう呼び掛けられて真琴は我に返った。いつしか彼の呼吸は荒くなっていた。杏奈は不安そうに真琴の顔を覗き込んだ。
「だいじょぶ?」
真琴はまだ急激なフラッシュバックの余韻の中にいたが杏奈を見て小さく頷いた。
「大丈夫」
真琴は再び注意を役所に向けた。しばらくそこを注視していた真琴は言った。
「特に怪しいところはねえな」
役所には普通の市民らしき人々が特に変わったところもなく出入りしている。その表情には歓喜の色もないが悲哀の色もない。警備もいない。特に違和感は覚えない。真琴は四人の顔を順番に見た。悠樹も杏奈も翔吾も異論はなさそうだった。琢磨はまだ覚悟が定まっていないようだが問題なさそうだ。真琴は短く言って歩き出した。
「行こう」
四人はそれに続いた。入口には木製の門があったが開け放たれていた。役所というにはやはり簡素な造りに見える。五人は緊張しながら、しかし平静を装いつつそれをくぐった。建物の中に入った五人はその内部について役所というより古い欧米の映画に出てくる銀行のような印象を受けた。木製のカウンターがあって、その向こうに係員が座っており、そのさらに向こうでは役員が書類仕事をしている。いくつか窓口がある。どの窓口に行くのが適切かは案内がないためわからない。真琴は目が合った正面の窓口の女性のところへ吸い寄せられるように歩いて行った。四人もそれに続いた。女性は笑顔で迎えてくれた。
「こんにちは」
やはり言葉は通じる。真琴が挨拶を返した。
「こんにちは」
「どういったご用件ですか?」
真琴は不自然な印象を与えないように意識して返答を試みた。
「ちょっとどこへ行けば良いかわからなくて。教えていただけますか?」
女性は一瞬だけ真顔になってすぐにまた弾けるような元の笑顔に戻った。彼女はこう言って席を立って奥へ消えた。
「お調べしますね、少々お待ちください」
真琴は女性が一瞬だけ見せた真顔が気になった。きっと怪しまれたに違いない。しかし今はあの女性を信じるしかない。それに自分たちにはやましいことなどない。ただここがどこで、どこへ行けば助かるか知りたいだけなのだ。女性はなかなか戻って来なかった。所在ないまま時間が過ぎ、それにつれて不安は募った。
違和感を覚えて後ろを振り向いたときには遅かった。入口から先ほど通りで見かけたような甲冑を着込んだ男が三人入って来ていた。真琴は彼らのうちの一人と目が合った。相手は冷厳な目をしていた。彼らは真っ直ぐこちらに向かって来ていた。翔吾も悠樹もそれに気付き、遅れて琢磨と杏奈も気付いた。五人は頭が真っ白になった。真琴と目が合った甲冑の男の一人が言った。
「はい、言う通りにしてね。ちょっと来てもらうだけだから」
男には有無を言わせぬ威圧感があった。テーマパークの演者には見えない。鎧も腰の剣もおそらく本物だろう。真琴は従順を貫くことにした。彼は諸手を挙げて言った。
「わかりました」
男は脇の階段へと歩き出した。五人が付いてくることを疑ってもいない、それがさも当たり前であるかのような歩き出し方だった。五人は先に行った男に遅れまいと歩き出した。そのあとを二人の男が付いて歩いた。五人は前後を挟まれるような格好になった。翔吾以外の四人は恐怖に顔をひきつらせていた。一行はフロアの脇の階段を上り始めた。琢磨は会話に活路を見出そうとした。
「ここはどこですか? 僕た——
「うるせえいいから黙って歩け」
先ほどまで黙っていた後ろの兵士の一人が押しかぶせて言った。低く重く、迷いのない声だった。五人は大人しく従うほかはないと悟った。二階より上には多くの兵がいた。その建物は兵士の詰所か兵舎かを兼ねているようだった。五人は先頭を歩く兵士に率いられるまま階段を四階へと上った。階段を上がって正面に扉があった。入口の衛兵と思しき二人がそれを開いた。八人はそこへ入って行った。
部屋の奥には三名の男がいた。大柄な兵士と小柄な兵士が一人ずつ立ち、その中央に中世ヨーロッパの貴族のようななりをした男が座っていた。中央の男は冷ややかな視線をこちらに送っていた。先頭の兵士は目の端で残りの七人が部屋へ入り切ったことを確認してから口を開いた。同時に入口の二人の衛兵が扉を閉めた。
「怪しい人物を連れてまいりました。ゲレーロ様」
真琴が抗議した。
「待ってください。本当に僕た——
「黙れ。殺すぞ」
それをゲレーロと呼ばれた貴族のようななりをした男が遮った。真琴は押し黙った。ゲレーロは淡々と語り出した。
「フラマリオンはルクレティウスやアーケルシアに比べると小さい。しかも大国に挟まれている。ここの土地の連中はこいつらなりに身を守るために自警団ってのを作った。小せえ組織だから大国を攻めるほどの力はない。代わりにこの小さな国を守るためのゲリラ戦に長けている。自警団なんてたいそうな名は付いてるが、その実そいつらがやってたことは姑息なレジスタンス活動だ。全員一度は牢獄にぶち込んでやったがアーケルシアの間抜け連中が解放させちまった。また一匹残らず捕まえなきゃならねえ。それを思うとどうも気分が悪い」
ゲレーロはそこで区切ってあらためて真琴を見た。ゲレーロの目には殺意が宿っていた。
「話が長くなったが要するに俺は今気分が良くないという話だ。そんでもって俺の許可なく口を開くなという話だ」
真琴は顔中に冷や汗を浮かべ、相づちさえ打つべきかどうか迷った。相づちを打てば「勝手に口を開くなと言っただろ」と言って殺されかねない、返事をしなければ「俺の言葉を無視するのか」と言って殺されかねない、選択を間違えば殺される、そんな緊張の中で真琴は指一本口一つ動かせずにいた。幸いにもこの場合沈黙がゲレーロの機嫌を損ねることはなかった。悠樹も琢磨も杏奈も怯えていた。ゲレーロは兵士を見て言った。
「報告を続けろ」
兵士は言った。
「はい。この者たちは先ほど役場に現れ、受付の女に対してこう言ったそうです。『ちょっとどこへ行けば良いかわからなくて。教えていただけますか?』。この狂気じみた発言から察するにこの者たちはアーケルシアの残党かフラマリオンのレジスタンスです。厳正な処分を」
男は言いながら含み笑うような節があった。それを受けてゲレーロは顔色一つ変えずに言った。
「よし。五人とも死刑。この場で即時執行」
五人は耳を疑った。
「かしこまりました」
「きゃっ!」
杏奈の悲鳴が聞こえた。真琴が振り向くと一番後ろを歩いていた長身の兵士が乱暴に杏奈を組み伏せていた。悠樹はそれを見て激昂した。
「何すんだてめえ!」
すると先頭を歩いていた兵士が悠樹の顔面を殴った。悠樹は顔を手で覆った。続いてその兵士は悠樹の腹を殴った。たまらず悠樹は頽れた。ゲレーロの脇にいた二人の兵士はそれぞれ剣を抜き真琴と琢磨のもとへと向かって来た。真琴には懇願することしかできなかった。
「待ってください! 俺たちほんとに何もしてないんです!」
するとゲレーロはあっさりと言った。
「だめだめ。怪しいから死刑」
琢磨は叫んだ。
「お願いします! 助けてください何でもします!」
しかし琢磨も真琴も杏奈と同じように床に組み伏せられた。真琴は左を向いた。悠樹はまだ兵士によって顔や腹を蹴られていた。杏奈と琢磨は兵士によって組み伏せられている。真琴はちらと翔吾に目をやった。すると彼は五人の後ろを歩いていた兵の一人をむしろ逆に組み伏せていた。組み伏せられた兵は呻いた。
「何だてめえ! くそっ!」
翔吾はその顔に容赦なく拳を浴びせた。骨の砕けるような鈍い音がした。その様子を俯瞰していたゲレーロが言った。
「おいちょっと待て」
その一言でその場の全員が動きを止めた。組み伏せられた四人の若者はゲレーロの温情に期待を寄せた。しかしそれは裏切られた。
「その女は俺のペットに加える」
「わかりました」
長身の兵士はそう言うと杏奈を乱暴に起こして服を引っ張ってゲレーロのもとへ連れて行った。
「ふざけんじゃねえ!」
真琴が吼えた。するとすぐに背中の兵士から頬を殴られた。杏奈は真琴を振り返りながら抗議した。
「やめてください! 私は何をされても構いません! だからみんなは許してください!」
どれだけ殴られたかわからない悠樹はもうぴくりとも動かなくなっていた。琢磨はただただ震えていた。真琴はなおも叫んだ。
「杏奈今助けてやる。そんなヤツらの言うことなんか聞く必要ねえぞ!」
彼は暴れた。しかし甲冑の重みと体勢の不利が真琴に自由を許さなかった。さらに真琴は先ほどよりも強く頬を何度も殴られた。杏奈は真琴に訴えた。
「やめて真琴! あたしはいいから!」
しかし真琴はなおも暴れた。彼はさらに兵士に殴られ、彼の意識は次第に朦朧としていった。翔吾に組み伏せられて殴られた兵士は動かなくなっていた。翔吾は立ち上がって他の四人の援護に入ろうと素早く視線を走らせて状況を確認した。それらのやり取りをゲレーロが言葉で制した。
「はいはい、うるさいうるさい」
その場にいる全員が再び動くのをやめてゲレーロの方を向いた。ゲレーロは立ち上がり、杏奈の脇まで歩いた。彼は腰の剣を抜き、それをためらいもなく杏奈の首筋に据えた。
「おい、そこのチンピラ」
それはゲレーロが翔吾に向けた言葉だった。翔吾は静かにゲレーロに鋭い視線を投げていた。
「それ以上暴れたら女殺すぞ」
翔吾はゲレーロを睨んだまま何も言い返さなかった。ゲレーロは翔吾以外のその場の人間に順番に視線を向けて言った。
「とにかく女はペット。男は死刑。この場で即時執行」
すると三人に跨る兵士たちは起き上がって剣を抜いた。琢磨は命乞いをした。
「あああ! やだ! やめてください!」
真琴はなおも身を捩り、兵士から逃れようとしていた。しかし兵士は真琴を蹴ったり踏みつけたりしてそれを許さなかった。悠樹はやはり動かない。翔吾は杏奈を人質にとられて動けずにいるもどかしさに顔を顰め肩を震わせた。ゲレーロの傍らに連れて来られた杏奈は目一杯声を張り上げて懇願した。
「お願いしますやめてください!」
しかし三人の兵士たちは無情にも剣を振り上げた。彼らの顔には歓喜の色も狂気の色も怒りの色もない。ただ冷淡に無機質に作業をまっとうしようとしている。それを眺めるゲレーロも同じ顔をしていた。琢磨は念仏のように命乞いをした。
「お願いしますお願いしますお願いします…」
翔吾は叫んだ。
「やめろ!!!!」
しかしそれに構うことなく三人の兵士は同時に剣を振り下ろした。杏奈は悲鳴をあげた。無機質な空間に肉が裂ける音が響いた。血が噴き出して床を派手に赤く染めた。




