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こころのみちしるべ  作者: 110108
アーケルシア編
63/102

061.『終戦』2

 リヒトは違和感にかられながら馬を駆っていた。彼はすでにフラマリオンを行き過ぎアーケルシアに迫っていた。しかしアーケルシア方面から戦火が上がる様子が見られない。では前線は一体どこにあるというのか。脇目に見たフラマリオンは陥落していた。であればアーケルシアまで撤退したアーケルシア軍が今頃追撃して来たルクレティウス軍相手にアーケルシアで籠城(ろうじょう)戦を繰り広げているはずだ。しかしその様子がまったくない。リヒトは途中何度もルクレティウス兵の姿を見かけた。しかし彼らがリヒトに襲いかかって来る様子はなかった。リヒトが(またが)るのはアーケルシアの馬ではないが敵軍大将リヒトの容貌(ようぼう)は広く知られていてもおかしくないはずだ。それなのに彼らには敵意がない。何かがおかしい。

 アーケルシアへの街道は遥か遠く続いていた。それが不気味なほど静かであることがかえってリヒトの胸中をざわつかせていた。




 マリアは中央の通りへ買い物に来ていた。小さな違和感を覚えたのは数店舗が店を閉めていたことがきっかけだった。彼女はその理由を考えたが戦争によって物資の流通がさらに悪化したこと以外に思いつかなかった。しかし中央のそれももっともメインの通りであるにも関わらず、その多くが予告もなく店を閉めているとは。

 すると彼女は次に大きな異変を目にした。数名のアーケルシア騎士がその通りを横切ったのだ。それだけなら平時と変わらぬ光景だが、彼らには平時とは異なる点が四つあった。一つは通常街の巡回は二名で行われるが、彼らが五名で行動していたこと。一つは彼らがキョロキョロとあちこちに目を向けながら歩いていたこと。一つは彼らが全員抜刀していたこと。最後の一つは、彼らが次のように叫んでいたこと。

「逆賊を探し出せ! ムーングロウの平和を(おびや)かす逆賊リヒトを探し出せ!」

 マリアはそれを聞いて慄然(りつぜん)とした。彼らはルクレティウスの兵なのだろうか。いやしかし彼らはアーケルシア騎士団の紋章が刻まれた甲冑(かっちゅう)(まと)っている。それにルクレティウス軍がアーケルシアに攻め込んで来たのならこの程度の騒ぎでは済まない。マリアは恐ろしくなって考えるのをやめて(きびす)を返し家へと駆け出した。

 家に向かう最中にも彼女の脳裏には嫌な想像が巡った。リヒトは、アーケルシアは負けたのか。リヒトは無事なのだろうか。彼女とリヒトの邸宅のある北区には混乱の(きざ)しはなかった。幸いなことに彼女はアーケルシア兵に見つからずに家に辿り着くことができた。

 家に着いたマリアはとにかく部屋にこもってしばらく大人しくしようと考えた。今アーケルシアの中央で、あるいは戦線で何が起きているのかわからない。混乱が収まるまでできるだけ安全な場所にいよう。

「遅かったではないかマリア殿」

 その声を聞いたマリアは心臓が飛び出るかと思うほど驚いた。声のした方を見るとリビングでくつろぐケーニッヒの姿があった。マリアは呆然とした。一方のケーニッヒは柔和な笑みを浮かべていた。

「何をしておる。さあ、茶でも()れなさい」

 マリアは混乱しつつもようやく口を利くことができた。

「ここで…何をなさっているんですか…?」

 ケーニッヒはわざとらしく驚いた。

「くつろいでおるのだが?」

「ここはリヒトと私の(やしき)ですよ?」

 ケーニッヒはにっこりと笑った。

「いいや違う。今日から私とマリア殿の(やしき)だ」

 マリアは小刻みにかぶりを振った。

「何をおっしゃってるんですか?」

「リヒト殿はムーングロウを混乱に(おとし)めた逆賊だ。彼はアーケルシア騎士団に追われている。見つかり次第処刑される」

 マリアは中央で見た騎士たちの恐ろしい言葉を思い出した。彼女は抗議した。

「リヒトはこの国のために今も戦ってるんですよ!? 本国の防衛を任されたあなたが何をおっしゃってるんですか!」

 ケーニッヒは鷹揚(おうよう)に首を横に振った。

「いいえ、戦争は終わりました。アーケルシアの負けです。すでにルクレティウスと私との間で仮の講和条約が結ばれました」

 マリアは唖然とした。

「そんな…アーケルシアが…リヒトが負けるはずないわ…!」

 ケーニッヒは微塵(みじん)も悪びれずに淡々と言った。

「アーケルシアの作戦を私がルクレティウスに漏らしました。ですからアーケルシアは負けたのです」

 マリアは呆れ果てた。

「あなたは…国を売ったのですか…!?」

 その問いには答えずにケーニッヒは言った。

「終戦後のアーケルシアの統治は私に一任されました。私はムーングロウを混乱に(おとし)めた逆賊としてリヒトを処刑することに決めたのです」

 マリアは叫ぶように訴えた。

「そんな決定は今すぐ取り消してください! リヒトはこの国のために命を懸けて戦ったんです! あなたもご存知でしょう!?」

 ケーニッヒは立ち上がった。彼の顔はにわかに険しくなった。

「マリア殿。彼をかばうならその妻であったあなたも逆賊として裁かねばならない」

 彼はそう言うと腰の剣を抜いた。マリアは血の気が引くのを感じた。

「そんな、やめて、お願い…」

 ケーニッヒはマリアに迫った。マリアは逃げ出した。彼女は二階へと駆け上がって行った。それを見てケーニッヒは鼻で笑い、悠然と彼女を歩いて追いかけた。二階の寝室にこもったマリアは自身が袋小路に追い込まれたことを悟り、窓から逃げるために窓の前にある物をどかした。彼女は窓の鍵を開けようとしたがそれより早く寝室のドアが蹴破られた。マリアはその音に(おび)え、振り返った。そこには柔和な笑みを浮かべ部屋に入って来るケーニッヒの姿があった。マリアはベッド脇にしゃがみこんで懇願(こんがん)した。

「お願いやめて!」

 押しかぶせるようにケーニッヒは言った。

「ご安心なさい。さっきも言ったでしょう。あなたがリヒトをかばうならあなたを逆賊として処刑すると」

 マリアは話が見えずに困惑した。

「つまり、あなたがリヒトの妻でなければ何もあなたが殺されることはないのです」

 なおもただひたすら(おび)えるマリアにケーニッヒは柔和な笑みで迫った。

「あなたは美しい。あなたはリヒトには惜しい。私の妻になりなさい。そうすればアーケルシアの統治者の妻としての輝かしい未来が約束されましょう」

 マリアは呆然とした。ケーニッヒは(あご)に手を当てて寝室を見渡した。

「少し狭いがまあそこまで悪い寝室でもあるまい。ここは今日から私とマリア殿の寝室だ」

 マリアはかぶりを振った。

「嫌…」

 ケーニッヒの顔から笑みが消えた。彼は剣を握る手に力を込めた。

「マリア殿。私と結ばれるのです。そうすれば——

「嫌!」

 ケーニッヒの顔に冷酷な殺人衝動が(たぎ)った。




 アーケルシアの東門に到着したリヒトが真っ先に向かったのは北区の自身の邸だった。取り返したいと思ったフラマリオンはすぐに取り返された。ともに戦った兵は(たお)れた。彼の希望はもうマリアにしかなかった。

「マリア…、生きていてくれ…」

 彼はそう(つぶや)きながら、アーケルシアの街並みを駆け抜けた。それはまるで過日のフラマリオンのような光景だった。絶望が街に重苦しい暗雲のように立ち込めていた。

 だが戦火はどこにも上がっていなかった。やはり何かがおかしい。違和感がリヒトを焦らせた。彼は私邸へ向かって馬を駆る間彼を追うケーニッヒの配下の部隊と遭遇せずに済んだ。

 (やしき)に着いたリヒトは何か違和感を覚えた。それは外観上いつも通りの(やしき)には違いなかったが、何か非常に空虚(くうきょ)な印象を覚えた。彼は馬を庭に繋ぎ止め、歩を進めた。家が荒れている様子はない。いつもならマリアは買い物に出ている時間か、もしくはそれから帰って来た頃だ。彼はドアを開け(やしき)に入った。リビングのテーブルに一人分の茶があるのが気になった。綺麗好きのマリアなら片づけるはずだ。彼は何か言い知れぬ違和感に導かれるままに二階に歩を進めた。階段を上がる途上でそれに気付いた。突き当りの部屋のドアが開いていたのだ。いや、よく見ればそれは開いているのではなく、蝶番(ちょうつがい)ごと破壊されていた。部屋の中にドアだったものがベッドに立てかけられるように倒れているのが見えた。リヒトは呆然としつつ足を速めた。部屋に入ると二人の寝室のベッドの上にマリアの亡骸(なきがら)があった。絶望に見開かれて虚空(こくう)に投げられた目には光がなく、その瞳孔(どうこう)は開ききっていた。もう何時間も前に胸を突かれたであろう体は血の気を失い、白く(こご)っていた。代わりに血を吸った布団はもとは白かったことが嘘に思えるほど赤く染まっていた。その布団に染み出た血液でさえ赤黒く乾き本来の生々しさを失っていた。元はリヒトの寝室に飾ってあったラベンダーは割れた花瓶ごと床に散乱し遺体に手向けられた花の様相を(てい)していた。ベッド脇に膝をついたリヒトは目の前に横たわるそれがマリアでないことを願った。しかしそれを視認すればするほどそれがマリアであることを確かめる結果になった。次にリヒトは彼女がまだ生きていることを願った。しかしそこに生命が宿っている兆候は微塵(みじん)もなかった。リヒトは次に彼女が何かの力で生き返る可能性を思案した。しかしそんなものは見つからなかった。リヒトは肩と膝が弛緩(しかん)し、力が抜けるのを感じた。

 すると背後から男の声がした。

「悪く思うな!」

 リヒトが振り返ると一瞬棒のようなものを振り上げるタルカスの姿が見えた。普段なら(かわ)すも反撃するも容易(たやす)くこなしていたはずのリヒトはしかしこのときその気力も体力も失っていた。リヒトは頭を強く打たれ意識を失いベッドにもたれかかるように倒れた。彼の頭部からは鮮血が流れ、マリアの血液で染まった布団に新たな血液を注いだ。




 開戦時一万いたアーケルシア兵は四千にまで数を減らした。一方ルクレティウス側は五千いた兵を四千五百まで減らした。フラマリオンの支配権は再びルクレティウスに渡った。ルクレティウスの象牙の塔で焼け死んだ男は虎狼会の元首領のゼロアであるとされたが、死体の損傷が激しく、またそもそも彼が極秘裏に幽閉されていたはずの闇社会の人間であることから断定には至らなかった。また、ルクレティウス北門付近で死んだ男もアーケルシア最強の暗殺者シェイドであるとされたが、彼も素性に不明な点が多く断定はされなかった。リサ、アイシャ、クライス、ユスティファの行方は不明である。アーケルシアで権勢をふるった商会はルクレティウスにより解体された。こうしてアーケルシアの独立は失われ、ムーングロウは実質的にルクレティウスにより統一された。




 リヒトが目を覚ますと、そこには黒い空があった。それは彼が待ち焦がれたフラマリオンの青い空とは似ても似つかないものであった。彼をまどろみの底から目覚めさせたのは床の固さと空気の冷たさだった。下を見ると自身がうつぶせになっているのは木製の台の上であった。視線を少し上げるとそこには多くの人がいた。彼らは一様にこちらを見ていた。彼らは何かをぼそぼそと話していたが、距離と語調の低さから彼らの話の内容まではわからなかった。それを(さえぎ)るように大きな声がした。

「それでは、これより我が国を混乱に(おとし)めた逆賊であるリヒトの処刑を執行する」

 声のした方を見るとそこにはケーニッヒの姿があった。このときリヒトはケーニッヒの言った内容を正確に理解していた。しかしリヒトはたじろがなかった。死は恐ろしいもののようにも思えたが、同時に安らかなもののようにも思えた。リヒトは眼前の観衆へと再び目を向け、彼らの中に見知った者の姿を探した。しかし誰一人いなかった。彼らは自分の処刑を惜しんでいるようにも見えたし、また望んでいるようにも見えた。とにかく自分の処刑に強く反対する意思をもつ者はいなさそうだった。

 自分は何を守りたかったんだろう、とリヒトは自問した。アーケルシアの人々は守れなかった。フラマリオンの人々も守れなかった。神楽(かぐら)様も、樹李(じゅり)様も、飛茶(ひさ)様も、クライスも、アイシャも、リサも、ユスティファも、自分が戦場に送り込んできた部下の兵士たちも、自分自身さえも、マリアも。自分が守りたいと思った人々が今自分が処刑台に(くく)り付けられている様を黙認していた。自分は何のために戦ってきたのだろうかと自問した。しかしその問いの答えはもはや彼自身にもわからなくなっていた。

 今からでも何かができそうな気がした。体の力を振り絞って(かせ)を解いてみる。それが駄目なら近くにいる兵士に嘆願(たんがん)してみる。直接顔は知らないがおそらく自分の騎士団に所属した者だろう、情に訴えればあるいはうまくいくかもしれない。仮にそれが駄目なら自身の罪を認め、反省を口にし、アーケルシア復興やルクレティウスへの徹底抗戦を訴え、そのために自分が有用であり、その任務のために尽力することを誓ってみる。それが駄目なら自分が今までアーケルシアのためにしてきた努力とあげた功績と、それに(かんが)みて自分が置かれている状況が理不尽であることを観衆に訴え、自分を解放すべく一丸となって決起し戦うよう促してみる。

 しかしそのどれもやる気が起きなかった。それをすることで誰かが傷つくことを知っていたし、それほどの価値が自分にあるようには思えなかった。それに守りたいものはもうどこにもない。彼はすべてを諦観した。

 ケーニッヒは機械的な口調で処刑人に合図を送った。

「死刑、執行!」

 その合図を潮に兵がリヒトの頭上の刃を吊るす紐に斧を叩きつけた。紐はあっさりと切れ、重い金属の刃は摩擦によってきしみをあげながら、しかしその重みによってあっさりとすべり落ちた。




 戦いが終わったフラマリオンの街をスレッダは歩いていた。彼はフラマリオンの現状を視察する任を受けていた。通りを行く人々はまばらでその顔に覇気はなかった。誰もみな布切れを継ぎ合わせただけの簡素な服を着ていた。家屋はどれもほこりをかぶっていた。だがそういった街の荒廃の多くが今回の戦争ではなくゲレーロの圧政によるものであることをスレッダは知っていた。

 彼は細い路地に野良猫を見つけた。猫は体を丸めて日向ぼっこをしていたが、スレッダが通りがかったためだろう、体をこわばらせ目を大きく開いてこちらを見ていた。スレッダは目を細めて名状しがたい感慨に浸った。

 彼は空を見上げた。そこには薄く青い空があった。雲は薄くかかっているようだったが、その青に溶けてほとんど見えなかった。戦争の直後だとは思えないほど日は穏やかに街を照らしていた。

 彼はふとリヒトのことを思った。かの有能な騎士が生きていることを願った。心のどこかでフラマリオンに来れば彼に会うことができるような気がしたが、やはりそれは叶わないだろうな、と彼は思った。

 そんなことを思いながら街を歩いていると彼は一つの視線に気付いた。彼ははじめそれがフラマリオンのレジスタンスの残党によるものと思ったが、視線の主が放つ気配はそれにしては弱々しかった。視線は同じ通りのスレッダが向かう方から発せられていた。スレッダとその視線の主は目があった。

 すると相手はおずおずとこちらへ近づいて来た。それは若い男だった。先刻北の丘の神殿の中で目を覚ました若者、背の高い細身の青年であった。彼はスレッダに充分近づいてから声をかけた。

「あの…すいません…」

 スレッダは彼の言葉を待った。青年は続けた。

「あの…ここって…日本ですか…?」

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