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こころのみちしるべ  作者: 110108
アーケルシア編
61/102

059.『火花散る』

 その頃、一人の騎士がルクレティウスの西の壁の上にいた。こざっぱりした身なりに細い体。銀髪。彼はつまらないものでも見るような目を平原に向けていた。そこには無数のアーケルシアの騎馬が土煙を高く上げて迫り来る光景があった。騎馬での突撃であったが、高い壁の上から見下ろすそれは彼にとってさざ波のように穏やかなものだった。彼の隣には同じく座ってユスティファたちの突撃を眺める男の姿があった。長身に分厚い筋肉を(まと)い、髪は黒く短い。さざ波の先頭にはユスティファの姿があった。彼は馬を駆りながら勇壮に叫んだ。

「ルクレティウスはすぐそこだ! 勝利は目の前だ! 進めー!」

 やがてルクレティウスの壁から五十メートルほどの位置まで辿り着くと彼は馬を停め、全軍に向けて叫んだ。

「止まれー! 止まれー!」

 全軍は突撃の余韻を残し、水平の陣を保ったまま止まった。リヒトが立てたルクレティウス本国への突撃作戦。それはまさに賭けであった。彼の指揮下にあるすべての兵がそれをよく理解しており、彼らはみな緊張していた。ユスティファはルクレティウスの城壁の上に目をやった。弓兵がそこに待ち構えていることを想定していたユスティファはたった二人の騎士しかいないことを見て(いぶか)しんだ。

(たった二人だけ…?)

 しかし答えは(おの)ずと出た。おそらく二人は六大騎士クラスの使い手。弓兵さえも(わずら)わしいと感じるほどの力が彼らにはあり、であればこその少数精鋭での迎撃。(ひるがえ)って考えればあの二人さえ(ほうむ)ればこの壁は破れる。迷う理由はない。相手がどのような能力の持ち主であれ打倒するまで。ユスティファの心は決まった。彼は次の指示を出した。

「弓、用意!」

 すると百の弓兵が隊列をなし、前へと歩み出て矢を(つが)え始めた。

「馬鹿な連中」

 壁上の銀髪の男はそれを見てヘラヘラ笑いながらそう吐き捨てた。

「勝てると思ってるんだろうな。数が多いから? フラマリオンを取り返して勢いに乗ってるから? 関係ないよ。大事なのは量より質。なんで君たちがフラマリオンを取り返してもルクレティウスはそれを静観したんだと思う?」

 彼は胸に手を当てた。するとその胸は白く光った。その光に照らされて怪しく輝く瞳を(ゆが)めて彼は(つぶや)いた。

秘仏(ひぶつ)喘鳴(ぜんめい)

 彼の胸の光を投影するかのように彼の正面の虚空(こくう)には白い光の線が躍った。線は面となり質量をもった。そこに浮かび上がったのは一本の錫杖(しゃくじょう)だった。彼はそれを(つか)み取り(うそぶ)いた。

「いつでも容易(たやす)く取り戻せるからさ」

 彼はその錫杖(しゃくじょう)を高く掲げた。

「さようならみんな。楽しい夢だったね」

 その日はたしかに晴天だった。しかしその青い空に突如として紫電(しでん)が走った。音はなかった。アーケルシア兵のうちそれに気付いた者たちはそちらに気を取られた。しかし多くは見間違いと捨て置いた。

 しかし、さらに先ほどよりはっきりと上空に紫電(しでん)が走り、踊った。晴天に稲光、そんなことがあるだろうか。しかしこれをルクレティウスによる攻撃の予兆と判断できる者はほとんどいなかった。(ひる)むアーケルシア兵の姿を見たユスティファは叫んだ。

「構うな! 放て!」

 それを潮にアーケルシアの弓兵は慌てて弓を(つが)え直し、それを放った。ややタイミングはまばらになったが、空中に殺意の放物線が大量に舞い踊った。銀髪の男は(わら)った。

「死ね。神仙杖技(しんせんじょうぎ)(とが)(おり)

 再び紫電(しでん)が上空で踊った。しかし今度はより強く、はっきりと光の成す複雑で鋭い折れ線が空に刻まれて明滅した。その次の瞬間——それは千々(ちぢ)に分かれてアーケルシア兵に降り注いだ。それに触れた者は電流により硬直し、身を焼かれ、倒れ、そのまま動かなくなった。それに触れずに済んだ者も唖然とし動かなくなった。彼らが放った弓もまた一本残らずその雷に捉えられて威力を失い、ボロボロに焼けて崩れながら地に落ちた。ユスティファは慄然(りつぜん)とし、周囲で次々と倒れる兵士たちの姿に目を泳がせた。アーケルシア軍は混乱した。これは天変地異か。それとも敵の攻撃か。アーケルシア兵の士気は(おの)ずと大幅に下がった。その一撃により九千いたアーケルシア兵のうちおよそ千が死亡したかもしくは戦闘不能に(おちい)った。

 ユスティファはしかし心を素早く立て直した。(ひる)んではいられない。あの敵さえ射止めればこちらの勝ちだ。数の利はこちらにある。彼は叫んだ。

(ひる)むな! 態勢立て直せ!」

 先ほどの一撃でアーケルシア兵が全軍撤退するものと思っていた銀髪の男はそれを聞いて心底呆れた。

「呆れた。力の差も理解できないなんて」

 ユスティファは叫んだ。

「弓兵全員第二弾用意!」

 すると最前列にいて生き残った弓兵と後方に控えていた弓兵、合わせておよそ二百が弓を(つが)え始めた。しかし彼らの多くは茫然自失(ぼうぜんじしつ)(てい)で、その手つきには明らかに動揺が見られた。銀髪の男はそれを見下ろして笑い、再び錫杖(しゃくじょう)を高く掲げた。

神仙杖技(しんせんじょうぎ)(とが)(おり)

 上空に紫電(しでん)が走った。アーケルシア兵はそれを見上げ混乱した。中には悲鳴を上げる者まで現れた。ユスティファは叫んだ。

(ひる)むな! 撃て!」

 紫電(しでん)はそれと同時に千々(ちぢ)に分かれて地上に落ちた。地上は(うめ)き声と悲鳴の(うず)に覆われた。アーケルシア兵のさらにおよそ千が死亡するかもしくは戦闘不能に(おちい)った。身を焼かれ甲冑(かっちゅう)の隙間から煙を上げる(むくろ)がそこかしこに転がり、地獄の様相を(てい)した。兵は完全にパニックに(おちい)った。それを見ていたユスティファは歯噛みした。このとき彼の脳裏に撤退の二文字が浮かんだ。完全に状況は不利。相手にすらなっていない。こんな途方もない能力をもった相手がいるなんて。しかしユスティファはリヒトから託された信頼を裏切りたくなかった。たった一矢でいい、ヤツに命中しさえすれば…。

「何をしてる! こんなことで負けるな! 立て! 勝利は目の前だぞ!」

 銀髪の男は今度は呆れさえしなかった。

「ばーか」

 彼は三度錫杖(しゃくじょう)を高く掲げた。

神仙杖技(しんせんじょうぎ)(とが)(おり)

 紫電(しでん)は上空に舞い、地に落ちた。するとさらにアーケルシア兵のおよそ千が死亡するかもしくは戦闘不能に(おちい)った。ユスティファはここへ来て弓によって状況を打開することがほとんど不可能に近いことを理解した。しかしむしろこうなっては後に退けなかった。彼は慌てて馬を駆ると声を振り絞って全軍に向けて叫んだ。

「全軍、突撃!」

 ユスティファの指示を受けてまだ正気を保っていた一部の騎兵と半ばやけくそに(おちい)っていた騎兵が突撃を開始した。銀髪の男は唖然とした。

「全軍突撃? 嘘だろ…?」

 隣に座っていた大男がぽつりと言った。

「いや、正しい判断だ。ここまで兵の数を減らされてはむしろ撤退したとて立て直すのは不可能。しかも精鋭部隊はレオたちに足止めされてるはずだ。そうなればもう突撃に勝機を見出すしかない。あるいは他の手を用意しているという可能性もある」

 銀髪の男は(いぶか)った。

「は? これすら陽動だっていうのか?」

「たとえば、の話だ」

 銀髪の男は歯噛みした。

「だったら望み通り全滅させてやるよ!」

 銀髪の男は再び錫杖(しゃくじょう)を天に(かざ)した。

神仙杖技(しんせんじょうぎ)(とが)(おり)!」

 再び雷が上空に踊り、それは無情にも地に降り注いだ。技の名の通り(おり)の形を成した一撃はアーケルシア騎士たちを覆いユスティファにも命中した。彼は(うめ)き、落馬した。

「ぐあああああ!!!!!」

 銀髪の男はそれを見て(よろこ)んだ。

「よっしゃ大将撃破!」

 しかし隣の男は言った。

「いや」

 ユスティファは(うめ)きつつも体を起こした。銀髪の男は愕然(がくぜん)とした。

「嘘…だろ…」

 ユスティファは立ち上がり、剣を構えた。彼はちらりと倒れた馬を見たがそれはほとんど動いていなかった。馬が間もなく絶命することは察しがついた。仮に命をとりとめたとしても少なくとも今すぐ起き上がって走ることは無理だ。ユスティファは声を上げて真っ直ぐルクレティウスの城門へ向かって自身の足で駆け出した。

「うおおおおおおお!」

 銀髪の男は歯噛みした。

「くそが…! そんなに死にてえなら望み通り殺してやるよ!」

 彼は錫杖(しゃくじょう)を高く掲げた。

神仙杖技(しんせんじょうぎ)(とが)(おり)!」

 紫電(しでん)が再び上空に踊り、地に落ちた。今度はユスティファに当たらなかった。彼は(ひる)むことなく突撃し続けた。銀髪の男は(うめ)いた。

「くそがっ!」

 一部のアーケルシア兵はすでに自身の判断で逃げ始めていた。あるいは林の中に逃げ込む者もいた。雷に焼かれ平原からはところどころ火と煙が上がっていた。一部の勇猛なアーケルシア兵はユスティファとともに門に向かって突撃し続けた。銀髪の男は錫杖(しゃくじょう)を掲げた。

神仙杖技(しんせんじょうぎ)(とが)(おり)

 ユスティファはすでに木製の城門まで十メートルのところまで迫っていた。一度雷を受け、いまだにひりつくような痛みを覚える体は思うような速力を出せなかった。だが眼前の分厚い木の板を断ち切るだけの膂力(りょりょく)は残っている。双剣を抜き放ったユスティファはそれを握る手に力を込めた。紫電(しでん)が上空に舞ったのはそのときだった。地に落ちたそれを総身に浴びたユスティファは(うめ)いた。

「ぐああっ!」

 彼は膝から(くずお)れ、うつ伏せに倒れた。銀髪の男は歓喜した。

「はい終了―」

 彼は(さげす)むようにユスティファを見下ろした。しかし次の瞬間には彼は再び愕然(がくぜん)とした。ユスティファが再び立ち上がろうとしたのだ。銀髪の男は気色ばんだ。

「ゴキブリかこいつは…」

 果たしてユスティファは立ち上がったが剣を杖にして立ち上がるのがやっとだった。

「だったら今度こそ殺してやるよ」

 そう言って銀髪の男は錫杖(しゃくじょう)を振り上げた。

「やめろ、ハク」

 隣で座っている男がそう(いさ)めた。ハクと呼ばれた銀髪の男は隣の大男を見た。

「あ!? 何で止めんだよフェリックス!」

 フェリックスと呼ばれた大男は言った。

「もう充分だ、ハク」

 しかしハクは納得しなかった。

「ふざけんなっ! 俺の攻撃を受けて立ち上がるなんて生意気なんだよ」

 フェリックスは(さと)すように言った。

「それだけ敵の気概が強かったってことだ」

 その言葉はハクをなだめるどころかむしろ彼の神経を逆なでした。

「そこが生意気なんだよ! そんなヤツこの世に存在しなくていいんだよ!」

 フェリックスは嘆息した。

「まったくお前は。敵への敬意ってのはねえのか」

 ハクは吐き捨てた。

「ねえよ。無くていいんだよそんなもん」

 フェリックスは問答は無用だと察して立ち上がり、ハクに向かって(つぶや)くように言った。

「やめろ」

 ハクはさらに吐き捨てた。

「黙れ。俺に指図すんな。お前は座って見てろ」

 ハクは再び空に向けて錫杖(しゃくじょう)を掲げた。するとフェリックスはその腕を(つか)んだ。立ち上がったフェリックスはハクよりはるかに大きな体をもっていた。フェリックスはハクに顔を近づけて再び(つぶや)くように言った。

「やめろ」

 ハクはややたじろぎ、迷ったあと、フェリックスの腕を力任せに振り払おうとした。しかしフェリックスの(つか)む力が強すぎてそれは叶わなかった。それにいらついたハクは怒鳴った。

「わかったから離せ!」

 そう言ってハクは再び腕を振り払おうとした。するとフェリックスはハクの腕をようやく解放した。眼下でドサリ、と音がした。見るとユスティファが地に伏していた。

「ヤツめ、ようやく倒れやがった!」

 それを勝利宣言としたハクはそれでようやく留飲を下げた。ユスティファはルクレティウスの城門まであと数メートルのところまで迫っていた。フェリックスはそれを見て敬服の念を込めて言った。

「見事だな。ヤツはたしかに俺たちの喉元まで迫っていた」

 その頃、壁の下では大将が不在となったアーケルシア兵が指揮系統を失い各々の判断で逃走を始めていた。彼らは馬が無事な者はそれに乗り、そうでない者は自身の足で走り、フラマリオンの方へ真っ直ぐ帰って行った。ハクはそれを見て愉悦(ゆえつ)に浸るように言った。

「最初っからそうすりゃいいのに。でも、ちょっと遅かったね」

 ハクは壁の反対側、つまり壁内にいる兵に手を振って合図をした。すると合図を出された二名の兵は重い門を押し始めた。ルクレティウスの西の門が大きな口を開け始め、その向こうには出撃のときを待ちわびたルクレティウスの全軍五千が所狭しと控えていた。ハクは彼らに頭上から指示を投げた。

「そいつら追いかけて全滅させといて」

 それを潮に沈黙を保ってきた五千のルクレティウス兵は一斉に(とき)の声を上げ、門を出てアーケルシア軍への追撃を開始した。アーケルシア兵は後ろから迫り来る光景に恐れ(おのの)きながら逃げ惑った。

 残存するアーケルシア兵の数は約五千。対するルクレティウス兵の数もまた約五千。数では同じだが混乱し逃げ惑う士気の下がり切ったアーケルシア兵に対しルクレティウス兵は士気高く猛追を仕掛けていた。




「あなたも聖剣に挑みますか。結構なことです」

 背後から唐突に聞こえた声にゼロアは慌てて振り向いた。部屋の入口には声の主と思しき坊主頭の痩せた男がいた。色白で鼻が高く、頬はこけていて目つきは鋭かった。彼は白いシンプルな装束を(まと)っていた。ゼロアはそれがルクレティウスの執政官『賢者』の正装だと知っていた。ゼロアは聖剣に夢中になる余り背後を取られ退路を断たれた不覚を悔やみつつ、それを顔には出さないよう笑みを作った。

「今さら止めに来ても無駄だ。俺はこいつをいただく。それで世界は俺のもんだ」

 しかしゼロアの予想に反して賢者は穏やかに笑った。

「欲しければ取りなさい。どうなるかはあなた次第です。それがあなたの宿業(しゅくごう)なのでしょう」

 ゼロアは賢者の余裕を(いぶか)った。聖剣を奪われても良いと言うのか。賢者は決して戦闘に()けているようには見えない。むしろ非常に弱そうに見える。男が(たた)えている余裕は強者としての自信からくるものではなく、すべてを達観した者としての心の落ち着きからくるもののようだった。

(こいつは一体何を言っている…?)

 しかしゼロアは考えるのをやめた。相手の意図はわからない。おそらく(たず)ねたところでこの男は真実を語らない。そもそもこの男にはほとんど力を感じない。男が変な気を起こしても俺の力なら簡単に勝てる。男はすでに奪われる運命にある宝物を奪われないようにするために余裕を演じているようにも思える。ゼロアは今一度足元の聖剣を見た。彼は迷いを捨てて目の前の欲望に従うことを選んだ。

 そこからの数秒はまるで時がゆっくりと流れるようだった。ゼロアは腹の底から湧き上がる黒く粘り気の強いタールのような欲望に従い、自身の宿願が叶う瞬間を祝った。彼は足を踏み出し、手を伸ばした。そうしている間にも彼の喜悦(きえつ)(たか)ぶっていった。彼はついにそれを(つか)んだ。

 するとその刹那(せつな)、ゼロアの体は燃え上がった。甘美な感覚とゆったりとした時の流れは唐突に途切れて日常のそれを取り戻した。

「え?」

 自身に起きたことが理解できずに呆然とするゼロアは唐突に熱さを知覚した。

「熱い!」

 彼は叫び、全身の肌が焼ける痛みに(もだ)えた。

「うわああああああああああああああ…」

 彼は床に剣を落とした。それでも彼の体を覆う炎が消えることはなかった。賢者は落ち着き払って笑みを浮かべていた。

「無駄です。資格のないものが剣を手にすればその体は燃える」

 床に倒れ、転げまわりながらゼロアは叫んだ。

「なぜだ! なぜ俺のものにならない!」

 白い清潔な装束に身を包む男は冷厳と言い放った。

「貴殿が器ではなかったということです」

 すでにゼロアの衣服と毛髪は燃え尽きていた。自身に起きたことが信じられずに彼は心中で叫んだ。

(何でこんなことが起きる? こんなことがあってたまるか!)

 するとゼロアは唐突に理解した。彼は心の中で(つぶや)いた。

(そうか、これは俺が今まで殺した者たちの呪い、彼らの復讐か…)

 そこに思い至ったゼロアは妙なことにその状況に喜悦(きえつ)を覚えた。彼は(わら)った。心の中だけでなく、声に出した。

「ははははははははははは!」

 賢者はそれを見て、聞いて唖然とした。

「自身の死さえ(たの)しむか…。恐ろしい男だ…」

「ははは…ははは…」

 次第にゼロアは言葉を発しなくなり、動かなくなった。

「…」

 ゼロアは自身を包む炎を見た。それは赤々として美しかった。彼は途切れゆく感覚の中で思った。

(燃えるように生きて、燃えて死ぬ。なんとも皮肉だな)

 彼は目を閉じた。

(俺にぴったりじゃねえか)

 ほどなく火は収まった。煙と油の焼けた臭いが部屋に充満していた。その床には人の形の炭が横たわっていた。驚くべきことに聖剣には(すす)の一つもついておらず綺麗なままだった。賢者はそれを冷ややかな笑みとともに見下ろした。炭の塊からはもう煙もほとんど上がらず(あぶら)がはじける音も聞こえなくなっていた。

「あなたも不合格でしたか。残念です」

 塔の冷たい空間の中には再びそれに似つかわしい静寂が戻った。




 リヒトは愕然(がくぜん)としていた。西の空に走り地に落ちた紫電(しでん)は間違いなくアーケルシア軍に甚大(じんだい)な被害を与えたはずだ。それを潮にアーケルシア兵の(とき)の声が止んだ。おそらくルクレティウスの六大騎士の「剣」の力だろう。リヒトは歯噛みした。完全に見くびっていた。

 しかし彼が愕然(がくぜん)としていた理由はもう一つあった。彼は横にいるその元凶に(たず)ねた。

「お前何やってんだ?」

 そこにいたのはシェイドだった。彼は六大騎士に(にら)みをきかせたまま答えた。

「こいつらはアーケルシアに攻め込もうとしてるんだろ? それじゃこいつらは俺の敵だ。俺はこいつらに仕事の邪魔をされたくないからな」

 シェイドはそこで一つ区切ってから少し神妙な声音で言葉を継いだ。

「リヒト、俺はこれからも人を殺しまくるぞ。殺して殺して殺しまくって、ついでにこいつらも殺して、いつか俺も誰かに殺される。それが俺の生き方であり死に方だ。俺はもうそれでいい」

 リヒトはシェイドのその言葉の意味について少し考えた。

「そうか」

 リヒトは笑った。

「じゃあそうしろ」

 シェイドは言った。

「フラマリオンはおそらく陥落する」

 リヒトは神妙な顔で相づちを打った。

「ああ」

「アーケルシアもそうなる。そうなればアーケルシアは一時的に経済や医療が機能しなくなり、地獄の様相を(てい)する」

「…ああ」

「お前はアーケルシアへ戻れ」

 リヒトは驚いて再びシェイドを見た。シェイドは目の端でリヒトを見て言った。

「大切な人がいるんだろ?」

「…お前はどうする」

 シェイドは不敵に笑って(うそぶ)いた。

「俺の趣味は殺しだ。今日最高に楽しいオモチャを見つけた。俺はこいつらと遊ぶ」

 リヒトは痛む腹を押さえながら言った。

「シェイド」

「なんだ」

「お前やっぱ俺の仲間になれ」

 シェイドはふっと笑った。

「冗談じゃねえお断りだばーか」

 リヒトも笑った。彼はレオたちに向けて言った。

「悪いな。俺はアーケルシアへ帰らせてもらう」

 レオは別れを惜しむように目を細めた。

「そうか…達者でな…」

 リヒトはそれを潮に六大騎士に背を向けて体を引きずるように歩き出した。スレッダはレオとは違う反応を示した。

「馬鹿、あの野郎…。あんな怪我じゃ…!」

 スレッダがリヒトを追いかけようと一歩踏み出したそのとき、シェイドは胸に手を当て、そこに白い光を(たた)えた。スレッダは驚嘆(きょうたん)した。

「『剣』の使い手か…!?」

 シェイドは双眸(そうぼう)に鋭い光を宿し「剣」の口上を述べた。

「道化の切り札」

 彼の頭の背後には六本のナイフが現れた。ナイフはレオたちの方を向いて空中で横一列に並び静止していた。

「悪いがお前らには俺と遊んでもらうぜ」

 スレッダは「呆れた」という顔で言った。

「四対一で勝てるとでも?」

 シェイドは不敵に笑った。

「俺さ…」

 その笑みは狂気に(ゆが)んだ。

「複数人相手にすんの得意なんだよね」

 レオもまた槍を半身に構え、目を(すが)め胸中で(つぶや)いた。

(奇妙な「剣」だな…)

 先に動いたのはシェイドだった。彼はレオに向けて一本のナイフを飛ばした。ナイフは消えるような速度で風を切った。レオは目つきを鋭くし、槍を後方に(ひね)った。

「巨神槍技・剛風超禍(ごうふうちょうか)

 一度そこで静止した彼は、一気に力を込めて体を(ひね)り直し、槍を前方へと突いた。それに呼応して強大な風が巻き起こった。その強烈な波動は壁のようにナイフの突進を(はば)んだ。一気に勢いを減じたナイフは、力の均衡(きんこう)により一瞬空中に静止したのち、風の勢いに(あらが)えずおもちゃのように吹き飛んだ。しばらく宙に身を躍らせたナイフはやがて地に落ち激しく転がり、身を引きずらせた。

 風はシェイドにまで達し、彼の前髪を撫で服をはためかせた。攻撃を防がれたにもかかわらず彼は涼しい顔をしていた。レオは悠然と構えを解いた。シェイドは口の端を吊り上げた。

「君、強いね」

 シェイドは明後日の方向に吹き飛ばされたナイフを光となして消した。それは再び彼の後方に顕現(けんげん)した。

「君にだったら六本全部差し向けてみても良さそうだ」

 レオの目つきは鋭くなった。両国を代表する手練れによる凄絶な戦いはこのようにして幕を開けた。




 シェイドに後を託してアーケルシアへ向かったリヒトだが、彼の足取りは重かった。ムーングロウ史上最大規模の戦争の舞台がすぐそこにあるというのが嘘のように森は美しく穏やかだった。実のところ彼は立っていることさえままならないほどに憔悴(しょうすい)していた。彼は足を半ばひきずるように、左右によろめきながら歩いていた。彼の呼吸は非常に荒く、額には脂汗をかき、(はや)る気持ちだけが彼をなんとか突き動かしていた。

「せめて…馬があれば…」

 彼がそう(つぶや)いた直後、()しくも少し先の木々の間に乗り手を失った馬が姿を現した。リヒトはその奇跡に感謝し、力を振り絞って歩く速度を上げた。ほとんど速度は変わらなかったが、それが今のリヒトの精一杯だった。馬はその拍子にリヒトに気付いた。馬の(くら)にはアーケルシア騎士団の紋章が刻まれていた。おそらく主をルクレティウス兵に討たれて失った馬だろう。リヒトは主人と馬のことを(あわ)れに思った。同時にリヒトは馬が逃げてしまうことを恐れた。リヒトは肩で息をしながら馬をなだめるように言った。

「大丈夫だ。俺はアーケルシアの騎士王リヒトだ。俺は味方だ」

 リヒトと馬の距離は三十メートルほどに迫っていた。リヒトが近づいても馬は逃げるそぶりを見せなかった。

「俺がお前の新しい主人になってやる。俺を乗せてもう一度戦場を駆けてくれ。俺がいつの日かお前に勝利を味わわせてやる」

 リヒトと馬の距離は二十メートルほどに迫った。馬はまだリヒトを見たまま動かない。

「俺に力を貸してくれ。俺は助けなきゃいけないんだ…。フラマリオンとアーケルシアの民を…。マリアを…!」

 馬との距離は十メートルに迫った。しかしそのとき突然、馬は(きびす)を返して歩き始めた。リヒトは愕然(がくぜん)とし、焦った。

「待ってくれ! お前が必要なんだ…。お前がいないと…、マリアを…」

 リヒトは力を振り絞った。馬は決して走らず歩いていた。しかし手負いのリヒトの速力を馬の歩く速度がやや上回っており、両者の距離は少しずつ開いた。それはリヒトに絶望感をもたらした。

「待ってくれ…。待ってくれ…」

 体力はとうに限界を超えていた。それを支えていた気力も今まさに折れてしまった。リヒトは膝を地についた。そのままうつ伏せに倒れそうになった彼は上体が地に着かぬように両肘で支えていたが、そこから起き上がることはどうしてもできなかった。ついに彼は上体さえも支えきれなくなって伏せた。彼は薄く開いた目で前方を見た。馬との距離はすでに最初それを見かけたときよりも開いていた。馬はなお歩くことをやめなかった。視界は急激にぼやけた。彼は(うつ)ろな目で(つぶや)いた。

「マリア…」

 彼は暗いまどろみの底に落ちていった。

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