048.『前夜』2
アーケルシアの中央の馬車の停留所にリサはいた。無論彼女がそこにいるのはそこから出る馬車に乗るためだ。だが同時に彼女はそれに乗るべきか迷ってもいた。そこから出る馬車は北区ラムズデンを通り街道を進みビュルクの山脈の中腹へと至る。そこから先は牛車に乗り換え二日かけてビュルクに至る。リサが騎士団にスカウトされた理由は二つあった。一つは虎狼会に奇襲を仕掛けること。もう一つはフラマリオンを奪還すること。前者は成った。近いうちにその後者が行われる。アーケルシアとルクレティウスというムーングロウを二分する大国同士の最大の係争地がフラマリオンだ。そこの奪還作戦に身を投じることは死への片道切符を意味するかもしれない。彼女はそう思うとどうしてももう一度ビュルクの懐かしい景色と懐かしい顔を見たくなった。しかし彼女はためらってもいた。
馬車は彼女が停留所に来てから約二十分後にやって来た。彼女は迷いながらそれに乗り込んだ。馬車は一路アーケルシア北区を目指した。北区に入るとアーケルシアの街並みは次第にのどかなものになった。はじめは住宅街が続き、次第に畑の多い地帯に入って行った。アーケルシアは雨量が少ないため畑には乾燥に強い作物が植えられていた。馬車が目指す先にはなだらかな稜線があった。彼女の目的地はまさにその向こうにあった。彼女はその景色をぼんやりと眺めていた。
馬車はやがて大きな川を越えて深い森へと入って行った。山道をしばらく進んだところで馬車は停まった。そこからは牛車に乗り換える必要があった。実のところ彼女の身体能力と森での歩行能力をもってすれば自身の脚で移動した方が圧倒的に早くビュルクに辿り着けた。しかし彼女はあえてその日それをしなかった。彼女は牛車の荒く鈍い乗り心地に身を預けた。
牛車は馬車と違い定員は二名であったが、その牛車にはリサ以外に乗客がいなかった。彼女は一人だけの狭い空間を居心地よく感じた。彼女はぼんやりと窓外の見慣れた景色を眺めていた。
彼女の表情にはどこか一抹の憂いがあった。彼女の顔には木陰と木漏れ日の斑模様が交互に落ちた。彼女はその先にある薄曇りの陽光に目を細めた。
リサがアーケルシアを出て三日目の夜に牛車はビュルクの里の入り口に着いた。彼女は否応なくそれを降りなくてはならなかった。彼女はうつむけた顔をビュルクの里の中心に続く道の奥に向けた。彼女の目はいつしか憂いに満ちていた。彼女はその景色の奥に里の人々との思い出を見ていた。特にレオナと、オルフェとの。彼女はもう一度視線を落とした。
しばらくそうしたあと、彼女は不意に踵を返した。今牛車で来た方角にだ。彼女は迷いを振り払うように素早く強く歩を運んだ。それを正面から聞こえてきた声が遮った。
「レオナには会わないのか?」
彼女ははっとして歩を止めて顔を上げた。そこにはこちらを見て立つオルフェの姿があった。彼の目は彼女を咎めるでも許すでもなく、ただ平坦に彼女に据えられていた。驚きつつも彼女は答えた。
「彼女には…関係ない」
「何がだ」
彼の声にはしかしはっきりと彼女を咎める色が表れていた。リサは逡巡しつつも答えた。
「私が関わっていることに」
オルフェは少し声の調子を落として言った。
「レオナは君に会いたがっている」
リサは何も言い返せなかった。
「君だってレオナに会いに来たんだろう?」
リサは少し口を開きかけた。しかし声に出しかけた言葉を飲み込んだ。代わりに彼女が口にした言葉は、彼女の偽らざる本音であることをその苦し気な表情が物語っていた。
「今会ったら…、もう戦えない…」
そう言って彼女は涙を一粒こぼした。それを見てオルフェも眉根を寄せた。
「君が戦わなきゃいけないのか」
リサは一度目を閉じ、大きく頷いて答えた。作戦に自分が必要なことも、その仕事が自分にしかできないことも、その作戦がビュルクにとっても重要であることも彼女はよく理解していた。
「ええ、そうよ。私が必要なの」
オルフェもまた頷いた。
「君の無事を祈ってる。レオナのことは任せろ」
顔を悲しみで歪ませたままリサは礼を言った。
「ありがとう」
オルフェは表情を変えなかった。
「それは僕たちの言葉だ」
涙を拭ったリサは歩き出した。オルフェは動かなかった。二人はすれ違った。行きは牛車に身を預けた彼女だったが、帰りはその足で山を下ると彼女は決めた。狩人はやがて獣道へと歩を進め、音もなく木陰に姿を消した。風が吹いて木々を揺らした。
リサが去ってもオルフェはそこに立ち続けた。リサはどうなるのだろう。レオナは、ビュルクは、ムーングロウはどうなるのだろう。その淀んだ趨勢を見るようにオルフェは乱雑に散りばめられた星を見上げて呟いた。
「頼むぞ、リヒト…」
剣闘士を辞めてその身柄をリヒトに引き取られたクライスは騎士団庁舎の兵舎に住まうようになった。檻で囲まれ吹き曝しに近い剣闘士の控室とは対照的に、アーケルシアの兵舎は快適で何の不便もなかった。彼は剣闘士を辞めてからほとんど買い物以外には外出をしなかった。彼が剣闘士を辞めてなお剣闘士の格好をし続けており、その巨躯とも相まって通行人を怯えさせることがその大きな理由だが、それ以上に彼自身が俗世に興味をもたなかったことが大きかった。
虎狼会討滅が為され、いよいよフラマリオン奪還作戦の前日となったその日、クライスは久しぶりに買い物以外の用件で騎士団庁舎の敷地を出た。彼は庁舎の門をくぐると真っ直ぐ北へと向かった。騎士団庁舎のある中央区の北にはこの国最大の歓楽街がある。騎士や商人が夜ごと酒や女を愉しむ街だ。しばらく北を目指して歩くとその視界の中にその日の目的地が見えてきた。歓楽街の入口に位置し、石造りで三階建てから成り、五百人を収容するアーケルシア最大の娯楽施設は遠くからでもそのシルエットを確認することができた。コロシアムである。彼はそこを約一週間ぶりに訪れた。不思議なことにその日剣闘士の格好をして歩く彼を奇異の目で見る者は一人としていなかった。虎狼会討滅が成り、リヒトが英断を下したことで今やコロシアムは廃止されている。それから一週間と経たないうちに人々の記憶からはもうコロシアムや剣闘士が人々に与えた熱狂は忘れ去られてしまったのだろうか。コロシアムの前の通りを歩く者の中にさえ、その今はがらんどうとなった巨大な建造物にちらと目をやる者の姿はなかった。
彼はその場外で高く白い石の壁を見上げた。彼はそこで約三年に渡る長い歳月を過ごし、多くの者の命を刈り取ってきた。
だがどれだけ石の壁を見つめても何の感慨も湧かなかった。夕刻の陽は石の壁に刻まれた龍や鬼を模した悪趣味な意匠の彫刻とクライスの堀の深い顔と節くれた背中に深い陰影を刻んだ。砂埃舞うコロシアムの中央で聞いた歓声がかすかに脳裏に蘇ったが、すぐ後ろを走って行った馬車の蹄と車輪の音がそれをあっさりとかき消した。
彼はビュルクを出た日のことを思い浮かべた。何となくビュルクで狩人か農家をして生きていくのが嫌だった。
その後アーケルシアの貧民街で喧嘩と略奪に明け暮れた日々のことを思い浮かべた。彼は日々生きるため、自分の身を守るために生存本能の赴くまま戦っていた。もっと金がほしい。もっと食べるものがほしい。自分に逆らえば危険だと思い知らせたい。自分をナメたヤツにその罪深さを思い知らせたい。二度と逆らえないように。
彼は戦場でアーケルシアの傭兵として戦っていた頃を思い浮かべた。最前線で戦う彼は常に鬼神のようであった。何の恨みもないはずの敵兵に対し心の中で憎しみをでっち上げてそれに任せて剣を振るった。彼らを尊敬し、彼らを同じ命と思えば決して彼らを殺すことができないとわかっていたからだ。
「死ね! 死ね! 死ね! 死ね! ルクレティウスのゴミ共! 死ね!」
そう心の中で唱えながら、彼らの遺体をできるだけ見ないようにし、彼らの無念に心の中で手を合わせることもせず、彼らの体を力任せに切り刻んだ。
コロシアムに来ると彼の戦い方は一変した。彼にはもはや対戦相手に対する敬意はもちろん、憎しみすら湧かなかった。彼はただ機械のように剣を振るい、無感情に勝利と死体の山を積み重ねた。
不思議な人生だったと思う。必死に生きて、そのたび翻弄された。抗おうとして、そのたび心を失くした。そこへリヒトが現れた。最期の最期に夢を見ろと言う。自分のために戦えと言う。俺にそんなことが許されるのかと巨躯の背中は自身に問う。
…わからない。男はコロシアムの脇にひっそりと佇む囚人棟に目をやる。その小さな窓を見る。つい先日まではあそこからこちらを見ていた。あの狭く暗い場所で希望に蓋をして生きてきた。解き放たれた今、俺の心にはまだ主体的に何かを望み求める心があるだろうか。もし完全にそれが失われてしまったなら、それはやはり死人と変わらないと思う。
もうすぐ戦いが始まる。ムーングロウの覇権を懸けた作戦。俺は死ぬのか。また生かされるのか。俺をどこへ連れて行く。次は誰を殺せばいい。この人生に意味があるならそれは何だ。石の壁に問う。答えはない。男は静かに踵を返す。
リヒトは騎士王になって以来多忙を極めていた。彼の執務室には次々に訪問者があった。訪問者は騎士団員であることが多かったが、商人だったり貴族だったりもした。もちろんアイシャやクライスも頻繁にそこを訪れた。逆にリヒトが騎士王に就任して以来他の者の執務室を訪れることはなかった。
コンコン——
その日、リヒトは久しぶりにその部屋を訪れた。それはリヒトが騎士王になるより前、より具体的にいえば中央の騎士団庁舎に初めて来た日に訪れた部屋だった。
「どうぞ」
渋い男の声がしてリヒトはドアノブに手をかけた。
ガチャリ——
ノブを回して開いたドアの先にあったのは初めて見た日よりも少し痩せた壮年の男の姿だった。彼はドアの向こうに姿を現したリヒトを見て驚嘆の色を浮かべた。一方のリヒトは予想通りの反応を見て気味が良かった。
アーケルシア騎士団の長年の懸案事項であった虎狼会討滅を果たした騎士王リヒトは世間からも騎士団内部からも信望を集めていた。それに反比例してリヒトの伴侶の誘拐を指示しリヒトを挑発した過去をもつケーニッヒの騎士団における影は薄くなっていた。
その褐色の肌と整えられた鼻ひげに似合わぬ頓狂な表情で固まる彼にリヒトは涼し気な顔で皮肉を浴びせかけた。
「ご健勝のようで何よりだ。ケーニッヒ殿」
ケーニッヒは喉から絞り出すように答えた。
「おかげさまで…」
リヒトは初めてこの部屋を訪れたときとの違いを痛快に感じながら遠慮なくケーニッヒの座す執務席の対面の椅子へと歩を進めて彼に断りなくそれに腰を掛けた。ケーニッヒはただただ戸惑いながらそれを見ていた。リヒトはくつろぎながら鷹揚な声と顔で皮肉を続けた。
「虎狼会討伐に際しては留守番ご苦労であった」
ケーニッヒは返答に迷った。彼は「ええまあ」という言葉を発するのがやっとだった。リヒトはケーニッヒを虐めるのに飽きて本題を切り出した。
「そなたには頼みたいことがある」
ケーニッヒはその言葉がもつ友好的な響きに歓喜して飛びついた。
「何でしょう! 何でもしますよ!」
リヒトは自分にじゃれつく仔犬でも眺めるような気分でそれを聞いた。
「そうだな。そなたに頼むことは簡単だ。だがそなたにしかできない。内容はあらためて伝える」
ケーニッヒはその言葉の響きにある種の緊張を覚えた。しかしかつてマリアを誘拐し、その上リヒトを挑発した彼が生き残るすべは騎士王の言いつけを守ることしかなかった。
「つつがなく遂行してみせます」
リヒトは目を細めた。
「頼んだぞ。でなければそなたは誘拐罪でゼロアと同じ房に入ることになる。そなたが娼館の経営に関わって私服を肥やしていたという噂も聞く。そなたが死刑台に括り付けられることがあれば断頭台の縄は俺が自ら切るつもりでいるから覚悟せよ」
ただの脅しではない響きがそこにはあった。そう言い置いて立ち上がるとリヒトはさっさとその部屋を出た。ケーニッヒは半笑いを浮かべながらその背中を呆然と眺めた。
「はい…」
リヒトが後ろ手で締めたドアは大きな音を立てた。顔を蒼白にしたケーニッヒは目をしばたたきリヒトが去ったあともその脅し文句がもたらした恐怖の余韻の中で悄然とし続けた。
フラマリオンの街は荒廃していた。四年前のオーガによる襲撃の破壊の跡はほとんど改修されていなかった。一部の建造物は建て直されたが、それはほぼ例外なくルクレティウスの軍事と植民地支配の拠点となった。農作物の多くはルクレティウス軍に接収された。広場の跡地では市場も開かれたが、組合が機能を失っていたためそれはすべて不定期かつ非公式の闇市だった。アーケルシア本国との流通が途絶えたため、闇市に並ぶ物は多くが盗品かあるいは農家がルクレティウス軍に申告しなかった農作物だった。仕事にあぶれた者はルクレティウスの活動拠点を建てるための日雇い土木労働者か奴隷か娼婦か浮浪者になった。医療も機能を失っていたため浮浪者となった者は例外なくすぐに死んだ。死体は暗黙のルールとして近所の住民が共同墓地で焼いて埋めた。娼婦に限らず若い女はルクレティウス兵に体を売って金を稼いだ。アーケルシアに逃げ出す者も多かったが、捕まればやはり奴隷になった。
かつてフラマリオンの代表である神楽の邸だった建物は今はフラマリオン駐留軍最高司令官が住居としていた。彼は小高い丘の上にあるその建物のリビングの窓越しに街を見下ろしながら冷淡な目でこう言った。
「つまんねえな」
彼は大きく嘆息した。
「酒も飽きた。メシも飽きた。女も飽きた。やることねぇしつまんねぇ。なーんでこんなクソみてえな街占領しなきゃなんねえのかなホント」
ゲレーロはその憤懣の目を横合いにいる一人の金髪の少女に向けた。彼の顔には自然と好色の笑みが浮かんだ。
「なあおい」
彼女は裸に近い格好をさせられていた。胸と腰はほとんど紐に近いようなもので辛うじて覆われ、そうかと思えば手足や頭や胸元はきらびやかな装飾で飾られており、彼女の白い肌の美しさを扇情的に引き立てた。呼びかけられたレティシアは憎しみを何とか抑え込んだ顔で義務感から口を開いた。
「心中お察しいたしますゲレーロ様…」
ゲレーロはその言葉をにんまりと嗤って聞いた。ゲレーロはそのまましばらく視姦を愉しんだ。レティシアは眉を顰めて目を逸らしてそれに耐えた。それは彼女が四年前に彼の「召使」にされた日から続けられた地獄のような羞恥だった。彼女はそれに耐え続けたが、それに慣れることは決してなかった。ゲレーロはそのような視姦をしばらく続けると、あとは満足して別の遊びに興じてレティシアを捨て置くのが常だった。
しかしその日は違った。ゲレーロはしばらくレティシアを眺めまわすと、その顔からはふと笑みが消えた。そのまま彼はレティシアの白い肌と体のラインを双眸で嘗め回していたが、同時にぼんやりと何かを考えているようでもあった。彼の口はいつしか薄く開き、わずかだが彼の呼吸は荒くなっていた。初なレティシアはそれが男が扇情された際の生理的反応であると知らず、訝し気に彼の方をチラチラと見るばかりであった。ゲレーロはぼんやりとレティシアの白い肌に目をやりながらぽつりと言った。
「ワインが切れたぞ」
レティシアはそれを聞いてはっとすると彼に近寄り、食卓の上のワイングラスに赤ワインを注いだ。先刻からのゲレーロの反応もあって緊張していたレティシアの手は自然と震えた。レティシアはワインを注ぐ際によくゲレーロから胸や尻を揉まれた。時には肉がちぎれるかと思うくらい強くされた。その日もそうされると警戒したレティシアの心は恐怖に震えた。しかしゲレーロはワインを注ぐレティシアの胸や尻を眺めるばかりで何もしてこなかった。レティシアはかえってそこに気味の悪さを感じた。
「おい」
レティシアははっとし、恐怖にひきつらせた顔をゲレーロに向けた。
「向こうの壁際に立て」
それはレティシアがゲレーロにされる初めての命令だった。彼女はこの四年間いつかゲレーロに殺される日が来るのではないかと怯え続けてきた。もしかしたらそれが今日かもしれず、この命令がその前段かもしれないと思うと彼女の顔はさらにひきつった。
「はい」
悄然と返事をした彼女は壁際まで歩いた。ゲレーロは歩く彼女の尻の丸さと腰の細さと髪の美しさをぼんやりと眺めた。レティシアは壁際まで行くとうつむきながら振り向いた。ゲレーロは先ほどよりやや神妙な顔をしていた。レティシアにはそれが恐ろしかった。
「この四年俺がどうしてお前を一度も犯さなかったかわかるか?」
レティシアは「犯す」という単語が彼の口から飛び出したことに恐怖を覚えた。しかしそれは彼女自身疑問に感じてきたことでもあった。単にレティシアに性的興味がないものとばかり思っていた。しかし同時に若い女は見境なく抱くゲレーロが自分に手を出さないことにやや違和感を覚えてもいた。もしかしたら自分はゲレーロの趣味に合わないのかもしれないとも考えたが、それなら専属の召使として置いておくのも不自然だ。ゲレーロはレティシアの答えを待たなかった。
「あのガキがいただろ。リビエラとかいったか。アイツと約束したからだ」
『リビエラ』という名前がゲレーロの口から飛び出てレティシアは目を見開いた。リビエラとエレノア、二人の親友がその後どうなったのか、レティシアは四年間知りたくても知ることができずにいた。
「リビエラが…どうして…!?」
「俺たちの目的はフラマリオンの占領とフラマリオンにある『扉』の破壊だった」
フラマリオンの占領が駐留軍の目的であることは明確だったため今さら驚かなかったが、『扉』の破壊にまで関わっていたことはレティシアを驚かせた。
「どうして『扉』を…!?」
「それは言えない。それにそんなことはどうだっていい。どっちにしろ扉はもう壊しちまった」
レティシアは愕然とした。北の丘の上にある神殿は街で随一の神聖な遺跡だった。その扉を壊すなどという暴挙をよくも。
「そんな…!?」
「驚くのはこっからだ。扉はリビエラが作った兵器で壊した。剣で斬っても傷さえつかねえような代物だ。魔鉱石の力が必要だった」
レティシアは目を見開いた。リビエラがそのような兵器を造るわけがない。一体どうして。そこでレティシアは一つの仮説に行き当たった。彼女の顔には怒りが滲んだ。
「あんたたちがリビエラに無理矢理そんなことさせたのね!?」
ゲレーロは少しだけ目を細めて笑った。
「いや、無理矢理じゃねえよ。取引をもちかけたんだ。『扉』を壊せってこっちは条件を出した」
「やっぱり無理矢理させたんじゃない!」
「いや条件を出したのは向こうだ。最初はガキは断ったよ。死んでも嫌だってな。でもお前とエレノアの無事を約束するなら兵器を造るって言ったんだ」
レティシアは再び愕然とした。
「そんで火薬と魔鉱石を使った装置を大量に造らせて扉を破壊した。今もガキには四六時中兵器を造らせていてそれをアーケルシアの犯罪組織に密売して俺たちは私服を肥やしてるってわけさ。ルクレティウス本国から送られてくる軍資金じゃこんな贅沢できねえからな。アイツはたまに兵器造りをサボろうとするが、そしたらムチで叩いて無理矢理働かせてる」
レティシアは目に涙を浮かべて顔中に憎しみを滲ませた。
「人でなし! アイツは軍事や兵器の研究が好きだったけど、それはただの憧れよ! ほんとは人畜無害の平和なヤツなの! それなのに無理矢理そんなことさせて!」
ゲレーロは笑った。
「そんなことはわかってる。俺も心が痛えよ。そこで交換条件だ」
『交換条件』と聞いてレティシアは唖然とした。
「お前、リビエラを救いたいと思うか?」
レティシアは毅然と言った。
「当たり前よ!」
「じゃあお前今ここで俺に犯されろ」
レティシアは愕然とした。
「ぶっちゃけリビエラはよく稼いでくれた。最近は衰弱が激しくて生産性が落ちてる。もうそろそろ使いもんにならなくなるだろう。そしたらアイツは用済みだ。それに大口の犯罪組織は潰れちまったらしい。もう兵器に価値はない」
レティシアは悲しみに顔を歪ませた。
「ひどい…」
「だがお前にはアイツを救うことができる。俺にここで犯されるという条件を飲むならアイツを解放してやってもいい」
レティシアは究極の選択を迫られた。しかし彼女は迷わなかった。
「…いいわ。好きにしなさい」
ゲレーロは満足そうに嗤った。
「その代わり約束は守りなさいよ!」
「わかってる。現に俺は約束を守ってお前を犯さなかっただろ?」
レティシアは緊張に体をこわばらせた。
「じゃあまず脱げ」
レティシアはうつむけていた顔をにわかに上げて驚きとともにゲレーロを見た。
「何驚いてんだよ。当たり前だろ。犯されるんだから」
レティシアは胸元と腰を覆う細い布に手を添えて顔中にためらいを浮かべた。
「早くしろ」
レティシアはその声にせかされて胸のあたりを隠していた布を結ぶ紐の結び目に手をかけ、それをほどいた。結び目は驚くほど簡単にほどけた。レティシアは胸を腕で隠したため、それが露になることはなかった。ゲレーロは満足そうな笑みを浮かべた。レティシアがそのまま動きを止めているとせかすゲレーロの声がさらに飛んできた。
「下も早く脱げ」
レティシアは目を一度固く閉じてから涙をこぼした。つかの間逡巡したのち、彼女は腰の紐に手をかけた。彼女はそれをほどいたが、素早く手で隠したため恥部が露になることはなかった。左腕で胸を、右手で恥部を隠して恥じらう彼女の姿を見てゲレーロは嗜虐心を満たし息を荒くした。がたり、と音を立てて彼は席を立った。レティシアはその音に身を震わせ、逃れようなく迫り来る恥辱のときに怯えた。しかしそんな彼女の仕草も表情もゲレーロにとっては最高の馳走だった。彼はその時間を愉しむようにゆっくり一歩ずつ装飾品しか覆うもののなくなった彼女の初な体に近づいていった。コツ、コツ…。レティシアが恥ずかしそうに身を捩らせる音とゲレーロの靴音だけが静かな空間に鳴り響いていた。彼が近づく圧迫感に彼女はひたすら怯えた。彼女はその羞恥と恐怖から逃れたかったが、後ろには壁があり、リビエラを救うには自分がゲレーロの体を受け入れる他ないという事実がジレンマとなって彼女の心をいたずらに責め苛んだ。コツ、コツ…。ついにゲレーロの体はレティシアと互いの体温が伝わり合うほどに近づき、彼は歩を止めた。華奢で小柄なレティシアと軍人らしく逞しい体をもつゲレーロの体格は対照的だった。レティシアは恐怖のあまり涙をもう一粒こぼした。ゲレーロは息を荒げながら手を伸ばした。彼の伸ばす手の先には彼女の丸く小さな乳房があった。
「いや…」
彼女は思わず声を漏らし体をさらに固くした。ゲレーロの手がついに彼女の柔らかく初な肌に触れようとしたそのとき——
「おーい」
あらぬ方から男の声がした。ゲレーロはそちらに目をやった。レティシアも顔を上げてそちらを見た。いつの間にかリビングの窓が開いていて、その前に不敵に笑う見知らぬ男が立っていた。ゲレーロは呆然と尋ねた。
「誰お前」
リヒトは平然と聞き返した。
「お前こそ誰だよ」
ゲレーロはやや戸惑いながら聞き返した。
「いやお前こそ誰だよ。俺はこの街の支配者だよ」
リヒトは笑って平然と言った。
「お前なんて知らねえよ。ここは俺の街だ」
ゲレーロは噴き出すように笑って言い返した。
「は? 何言ってんの? ルクレティウスが奪ったんだからルクレティウスのもんだし」
リヒトの目と声は鋭くなった。
「いやだから俺が今日お前から奪えば俺のもんだろ」
ゲレーロは奇妙な訪問者に顔を顰めて尋ねた。
「さっきから何言ってんだお前?」
「この街俺に返せって言ってんだよ」




