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こころのみちしるべ  作者: 110108
アーケルシア編
47/102

045.『凶刃』2

「クライス!」

 シェイドは素早くダガーを抜いて後方に宙返りし、元の立ち位置に戻った。ダガーを引き抜かれたクライスの腹からは(おびただ)しい量の血が噴き出していた。クライスはそのまま床に(くずお)れた。

 クライスの応急処置をしなくてはならないリヒトだったが、しかしその隙をシェイドが与えてくれるとは思えなかった。クライスは顔中から冷や汗を垂らしながら(うつ)ろな目をし消え入りそうな声で言った。

「気にすんな…俺なら平気だ…」

 リヒトはちらと横目でクライスを見たが、その姿から本当に彼がもちこたえられるか否か判断するのは難しかった。リヒトは思考を切り替えた。どのみち今からすることが成功しなければクライスは助からない。リヒトはリサに呼びかけた。

「リサ、やるぞ!」

 リサにも考えが伝わったらしく、彼女はリヒトが期待した通りの動きを見せた。

「ええ!」

 そう言って彼女は弓を(つが)えて一歩前に出た。二人に残された活路、クライスを救うただ一つの手立て、それは全身全霊を込めた間断のない挟撃で何としてでもシェイドを仕留めることであった。できるだけ早く勝負を決めることでしかクライスは助からない。加えていえばシェイドの異次元のスピードに対して防御策はもはや意味がない。残された手は攻撃のみであったのだ。先ほどゼロアを追い詰めた挟撃を再現できれば勝機はある。リヒトはそう判断した。

「新月の(またた)き」

 リヒトが胸に手を当てるとそれは白く光り、一本の細い刀をリヒトの目の前の空間に創出した。シェイドはその日初めて感心を示した。

「へえ…」

 リヒトは素早くその刀を(つか)み、叫んだ。

「妖魔刀術・這影(しゃえい)! 妖魔刀術・蝕樹(しょくじゅ)!」

 するとリヒトの持つ刀は急激に伸び、枝分かれし、シェイドに向かって突き進んだ。シェイドはさして驚きもせずその一本一本を最小の動きで(かわ)した。その姿は楽しそうでさえあった。そこへリサの矢が飛んで来た。シェイドは身をかがめてそれを(かわ)した。リヒトが伸ばした刃は光となって霧散し刀は元の長さを取り戻し、リサもまた矢を(つが)え直した。リヒトは間髪入れず次の手を繰り出した。

「妖魔刀術・這影(しゃえい)

 リヒトの剣は再び急激に伸びた。先ほどと違うのはそれが枝分かれせずにそのまま真っ直ぐに伸びたことだ。シェイドはつまらなさそうに横に跳んでそれを避けた。

「妖魔刀術・歪棘(わいきょく)

 しかしシェイドが元いた位置で刀の伸長する方向が九十度変わった。シェイドはこれまでになくはっきりと顔に驚きを見せた。シェイドの胸を貫かんと刀は角度を変えて伸び進んだ。シェイドはダガーをこれに合わせた。リヒトの伸びる剣、シェイドのダガー、両者はぶつかり合い、火花を散らした。ふと横合いから気配を感じたシェイドは目を見開いた。そちらに目をやったシェイドが視認したものは自身に向けて据えられたリサの(やじり)であった。リサはその矢を放った。シェイドは片手に持つダガーでリヒトの剣を受けながらもう片方の手でリサの矢を(つか)んだ。リヒトとリサは歯噛みした。一度ならず二度までも矢を(つか)んでしまうとは。シェイドはリヒトの剣を弾き返し、その勢いを利用して空中で身を(ひるがえ)し地に降り立ち、手にする矢を放り捨てた。リヒトは伸びた刀身を光に変えて消し、元の長さに戻した。リサもまた矢を(つが)え直した。二人は今の挟撃に手応えを感じていた。シェイドの顔には一瞬だが焦りの色が浮かんだ。しかし彼の身体能力は同時に二人の想像を超えてもいた。焦りはむしろ二人にこそあった。こちらは間断なく最高のコンビネーションを仕掛けているが、シェイドの底はまだ見えない。

 しかしリヒトはこの状況を打開する一つの突破口を見出した。素早さで勝てない相手なら、素早さに頼らなければ良い。リヒトの「新月の(またた)き」はスピードに頼らない変幻自在の剣である。それを(かわ)すにはスピードや技量だけでは足らない。現にシェイドは防御を強いられた。リヒトの「新月の(またた)き」の妙技とリサの奇襲でシェイドを追い詰める。

「妖魔刀術・潜牙(せんが)

 リヒトの足元の地面には黒く底の見えない小さな穴が開いた。シェイドは目を見開いた。リヒトは腰をかがめて刀をその穴に突き刺した。彼はそのまま刃を深く深く穴に沈めた。その刹那(せつな)、シェイドは右上から何か鋭利な気配を感じ取った。素早く右上を見たシェイドが目にしたもの、それはリヒトの足元の穴と同じような穴が空中に現出し、そこからリヒトが沈めたものと同じ切っ先が現れ、シェイドの側頭部を突き刺そうとする様だった。シェイドは素早く上体を左下にかがめ、その切っ先から逃れた。しかしそこへリサの矢が飛んで来た。シェイドはダガーでそれを弾いた。なおもリヒトは攻撃の手を緩めなかった。

「妖魔刀術・潜牙(せんが)

 再びリヒトの剣がシェイドの左上から現出した。シェイドは身を(ひるがえ)してそれを(かわ)したが、体勢を大きく崩し片膝をついた。そこへ再びリサの矢が飛んで来た。それを(つか)もうと考えたシェイドだが、彼は矢の姿を視認すると再び目を見開いた。矢の本数が二本だったためだ。リサの得意技の早撃ちである。シェイドは一本を左の手刀で弾くことに成功したが二本目は右腕を(かす)めた。彼は痛みに(うめ)いた。

「くっ…」

 それはリヒトたちが初めて与えるシェイドへのダメージであった。

「よし!」

 リヒトとリサは手応えを感じていた。特にリサは早撃ちが有効であることを知った。

「リサ、この調子で行くぞ!」

「ええ!」

 するとシェイドの様子が少し変わった。彼は悠然と立ち上がった。すでに痛みに(うめ)く様子はなく、彼はうつむいて笑っていた。彼の立ち振る舞いにはさほど大きな変化はなかった。大きく変わったのは彼の放つオーラのようなものだった。その異常さを同時に感じ取ったリヒトとリサは目を(すが)めた。そこにはゼロアの笑いのような狂気じみたものはなかった。代わりに彼の笑いにあったのは無邪気な愉悦(ゆえつ)であった。リヒトとリサはシェイドの挙動に注視した。

「いいね、君たち」

 そう言ったシェイドは顔を上げて言葉を継いだ。

「これならいいかもな」

 リヒトは彼の言葉の真意が見えずに(いぶか)った。シェイドは二人にとって信じられない言葉を口にした。

「ちょっとだけ本気出してみても」

 リヒトとリサは慄然(りつぜん)とした。今まで少しも本気を出していなかったというのか。しかし二人が真に驚くべきはここからだった。シェイドは胸に手を当て、目をつぶった。彼は(つぶや)いた。

「道化の切札」

 すると彼の胸が白く光った。リヒトとリサは同時にかつてないほどの戦慄(せんりつ)を覚えた。シェイドは目を開け、笑った。それは二人の心に死の恐怖をくっきりと刻む笑みであった。彼の背後には白い光が現出した。それは小さな何かを複数形作った。小さな何かは光りが止むとより鮮明にその姿を空間に刻んだ。それはナイフであった。その数は六。どういうわけか空中に静止し続けている。リヒトはその光景を見て(うめ)いた。

「そんな…あれは…」

 リサも同様だった。

「まさか…リヒトと同じ力…」

 形状も口上も異なるが本質的にそれがリヒトの力と同質のものであることは明らかだった。リヒトは四年前にフラマリオンで出会った少年のことを思い出していた。彼もまた胸に白い光を(たた)えて戦おうとしていた。リヒトは思わずシェイドに(たず)ねた。

「どこでその力を手に入れた」

 シェイドは平然と答えた。

「さあね。気付いたら使えたよ」

 リヒトは問答は無用と悟った。とにかく応戦するしかない。彼はリサに呼びかけた。

「リサ、俺の近くへ来い」

 リサはリヒトの意図を理解し素早く移動し彼の近くに立った。

「行くよ」

 シェイドがそう(つぶや)くと中空に浮かぶ六つのナイフの内の一つが真っ直ぐにこちらへ飛んで来た。リヒトは素早く盾を展開した。

「妖魔刀術・膨弧(ぼうこ)

 リヒトは先刻のゼロアとの戦いを思い出し、盾がナイフによって破損する事態を警戒したが、ナイフはあっさりと盾に弾かれて乾いた音を立て地に落ちた。リヒトはあまりにもあっけない幕切れに唖然とした。しかし真に驚くべきはここからだった。地に落ちたナイフがゆっくりとひとりでに浮かんだのである。二人は愕然(がくぜん)とした。

「!?」

 ナイフは再び切っ先をリヒトに向けると、真っ直ぐ飛んで来た。リヒトは再びそれに盾を合わせて防いだ。ナイフは盾に弾かれて再び地面に落ちた。リヒトとリサはシェイドの能力の真の恐ろしさに同時に気付いた。シェイドは再びニヤリと(わら)った。するとシェイドの背後の中空に控えるナイフのうちもう一本が素早くリサの方に飛んで来た。リサは体を小さく転がして素早くこれを(かわ)した。しかしナイフの攻撃はやはりこれだけでは終わらなかった。ナイフは地に刺さるとひとりでに抜け出して宙に浮かんだのだ。リヒトは叫んだ。

「リサ!」

 リサは応えた。

「私は大丈夫!」

 ナイフは再びリサに向かって飛んで来た。リサは再びそれを素早く(かわ)した。リヒトも必死に一本のナイフの絶え間ない攻撃に応じていた。二人は防戦一方に(おちい)った。その状況が真に恐ろしいのはシェイドがまだ二本のナイフしか使っていないことだった。リヒトは焦った。反撃の糸口さえ見出せない。防戦一方でいつかこちらの体力は尽きる。こうしている間にもクライスは死に近づいているというのに。リヒトは状況を打開できる方法を思案しようとした。しかし考える余裕さえシェイドは与えてくれなかった。彼はニヤリと(わら)うとついに背後に浮かぶナイフのうち三本目を動かした。その切っ先はリヒトに向けられていた。リヒトは目を見開いた。ナイフは突き進んで来た。それが一本目と同じ動きをし、一本目と同じ軌道をとるならまだ対処の仕様があった。しかし二本のナイフは軌道も動きもバラバラで、リヒトはそれぞれに注意を払い、それぞれを(かわ)し、盾でいなす必要があった。そのうちに三本目が飛んで来たらおそらく対処の仕様がない。リヒトは焦った。

(クソ! どうする…!!)

 対照的にシェイドは剣闘士を見物するコロシアムの客のように頭の上で腕を組み呑気(のんき)に笑っていた。リヒトは必死にナイフをいなしながら一か八かの反撃に出ることにした。

「妖魔刀術・無望(むぼう)!」

 リヒトがそう叫ぶと彼の日本刀の刀身が先端から徐々に崩れて消え始めた。シェイドは少しだけ目を(すが)めた。ついにはリヒトの日本刀は完全に姿を消してしまった。隣にいるリサはシェイドのナイフを(かわ)しながらその現象に唖然としていた。リヒトはシェイドに向かって突進した。シェイドは手にダガーを構え、空中のナイフをさらに一本リヒトに差し向けた。リヒトは刀を振る動作をした。するとまるでそこに刀身があるかのようにリヒトが振った手の先にあったナイフは弾かれて床に突き刺さった。シェイドは目を見開いた。リヒトはまったく速力を落とさずなおもシェイドに突き進んだ。シェイドはやや焦りの見える表情でさらにナイフを一本消しかけた。するとそのナイフをリサの矢が落とした。シェイドは歯噛みするとリサに向けてもさらに一本ナイフを差し向けた。リサはそれを(かわ)した。リヒトは突如シェイドへの突進をやめ、見えない刀をシェイドに向けて構えた。

「妖魔刀術・這影(しゃえい)!」

 それはリヒトが刀を伸ばすときの口上だった。リヒトが伸ばした見えない刀身はシェイドに向かって突き進んだ。シェイドはその気配を察知して必死に横転してそれを(かわ)した。しかしリヒトの攻撃はそれでは終わらなかった。

「妖魔刀術・蝕樹(しょくじゅ)

 その口上が意味するのは刀身の枝分かれであることをシェイドは覚えていた。見えない刀身が枝分かれしてシェイドを襲った。シェイドは超人的な気配察知能力でその一本一本を(かわ)し、(かわ)し切れない一本をダガーで弾いた。

 リヒトは歯噛みした。しかし彼の攻撃はこれでは終わらなかった。

「妖魔刀術・歪棘(わいきょく)!」

 枝分かれした見えない刀はその声を合図に曲がった。リサはシェイドの攻撃を(かわ)しながら、リヒトの怒涛(どとう)の連撃を見守り、それがこの戦いを終わらせることを願った。しかしシェイドはそれを寸でのところで(かわ)した。その恐ろしいまでの見事な体(さば)きにリヒトは呆れ果てて笑ってしまった。

「マジかよ…」

 リヒトは伸ばした剣を消して刀身を手元に戻し透明化を解いた。シェイドも同様に方々に飛ばしたナイフを頭上の中空に戻した。一瞬の沈黙が屋上に漂った。攻撃を(かわ)すことに意識を集中していたシェイドは体勢を立て直すと目に鋭い輝きを(にじ)ませた。リヒトは叫んだ。

「来るぞリサ!」

「わかってる!」

 シェイドは一気に四本の剣を動員し、うち三本はリヒトに、残り一本はリサに向けて放った。

「くっそ!」

 リヒトは(うめ)きながら必死に刀を振った。もはや三方向の攻撃を(かわ)すには盾では間に合わない。より小回りの利く刀で一本一本叩き落すしかない。彼はありったけの集中力を()してシェイドのナイフを弾いた。リサも同様だった。彼女の場合は近接武器を腰のダガーしかもたなかったのでナイフを撃退することに難儀(なんぎ)した。シェイドは二人のその様を見て微笑を浮かべた。

「すげえな二人とも」

 シェイドは一歩前に踏み出した。

「でも反撃もあれが限界か。ちょっとがっかりだな」

 シェイドはさらに一歩前に踏み出した。

「まあでも久しぶりだったよ。こんなに楽しめたのは。ゼロアとやってもこんなに楽しくなかっただろうからね。あいつを殺さなくて正解だった」

 シェイドはさらに一歩進んだ。彼の進む先にはリヒトの姿があった。

「感謝を込めてとどめを刺してあげよう」

 ナイフを叩き落すことに夢中だったリヒトは近づいてくるシェイドへの対処が遅れた。両者の距離はもうすでにお互いが手を伸ばせば触れ合えるほど近くなっていた。シェイドはリヒトの腹部にダガーを突き立てようとした。しかしそれを察したリヒトはシェイドのダガーを刀で弾いた。しかしそこへ三方向からナイフが突進して来た。リヒトは目を見開き、そのナイフを素早く三本とも弾いた。

 次の瞬間リヒトは目を見開いた。腹部に感じた致命的な衝撃のためだ。彼が下に目をやるとシェイドのダガーがリヒトの腹部に深々と刺さっていた。リヒトは呆然とした。シェイドは一息にそのダガーを引き抜いた。そこから大量の血液がこぼれた。リサも呆然としていた。リヒトは膝から崩れ落ちた。シェイドはその視線をリサに向けた。するとリヒトが弾きその周りを飛んでいたナイフはすべてリサに差し向けられた。リサは慄然(りつぜん)とした。必死に距離を取りダガーを振ったが回避のしようがなかった。もともとリサを襲っていた一本も含めた四本のナイフがリサの体を幾重にも擦過(さっか)した。彼女は悲鳴を上げ、痛みに(うめ)きながら(くずお)れた。彼女が倒れる様を見届けるとシェイドは空中に浮かぶ六本のナイフを光に変えて霧散させた。アーケルシア城の屋上に本来の暗闇と静寂が戻った。

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