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こころのみちしるべ  作者: 110108
アーケルシア編
46/102

044.『凶刃』1

 王の間の裏口を抜けるとその先には細い上り階段があった。おそらく屋上へと続くものだろう。その先にはシェイドが待っているに違いない。ゼロアとの決着をアイシャへと預けたリヒトは彼女の身を案じるとともに、そうであればこそシェイドとの戦いに必ず勝って万一の際にはアイシャに加勢することを自らの内に静かに誓った。王の間の天井は高いため、階段もまた細いながらに長かった。クライス、リサとともにそこを駆け抜けると一枚の金属製のドアが目の前に現れた。それを開けると予想通りそこから先は屋上になっていた。黒く殺風景な城にあって屋上はさらに輪をかけて殺風景な場所だった。広大無辺(こうだいむへん)な夜空を反射する鏡のように黒く広く横たわる空間。

 その殺風景な屋上の真ん中にはしかしただ一人人間の姿をしたものが佇立(ちょりつ)していた。黒衣を(まと)い小柄なそれはリヒトたちが屋上に姿を現してもなおぼんやりとただ立って目をつぶっていた。シェイドの姿を認めた三人の目は神妙になった。リヒトは今一度じっくりとその黒衣に包まれた小さな体を見た。ゼロアとは対照的に飄々(ひょうひょう)としていてその内からは悪意を微塵(みじん)も感じないが、紛れもなく騎士王アストラを殺した男。アーケルシア最凶の暗殺者。シェイドはようやくこちらに目を向けた。しかし三人の敵の姿を認めたというのにまるで平然としている。その(たたず)まいには無駄な力みがひとつもなく、焦る様子もまったくない。

「気をつけろ」とクライスが言った。彼もまたその危険性を認識していた。

「あいつはやべえぞ。多分さっきのゼロアってのより」

 シェイドの表情からは何も読み取れなかった。クライスは剣を構えた。リサも矢を(つが)えた。リヒトも腰の剣に手をかけた。落ち着き払っているのはその腕によほどの自信があるからか。リヒトたちにはまず目の前の謎多き暗殺家シェイドの力量と戦法を探る必要があった。リヒトは一歩前に歩み出てシェイドに(たず)ねた。

「おい、お前は何でゼロアなんてヤツの下についてんだ?」

 その率直な疑問に対しシェイドは少しだけ社交的な笑みを浮かべた。

「別に? 雇われたからだし、楽しいからだよ?」

 少し期待していたのとは違う答えが返ってきてリヒトは調子を狂わされ目を(すが)めた。

「つまりお前は金と快楽のためにあんなヤツの下についてんのか?」

 シェイドは腕を頭の上で組んで少し考えた。

「まあそうかな。でも正直雇われれば誰でもいいよ」

 懐柔(かいじゅう)する気はまったくないリヒトだが、しかし一つ試しに聞いてみたくなった。

「そりゃつまり金さえ積めば俺たちでもお前を雇えるってことか?」

 シェイドは肩をすくめて申し訳なさそうに笑った。

「ごめん。俺一応殺人鬼だから。人殺しのために雇ってもらわないと」

 リヒトの顔から笑みが消えた。だが彼は興味本位でもう一つ聞いてみたくなった。

「俺たちはルクレティウスからフラマリオンを奪還しようと考えてる。それはそれで戦争だし人殺しには違いねえ。それに乗ってみる気はあるか?」

「まさかこんなヤツを雇うつもりか?」と問いたげな目をクライスがリヒトに向けた。

「ごめん。俺アーケルシア人しか殺さないことにしてるんだ」

 リヒトは(いぶか)った。その理由は二つあった。一つは目の前の小柄な男がおよそ殺人鬼のイメージには似つかわしくないほど表情豊かでさばけた人物だったこと。もう一つの理由は彼の「アーケルシア人しか殺さない」というこだわりがどこから出て来るものか想像もつかなかったこと。リヒトはさらに探りを入れてみた。

「何だ、お前ルクレティウスの間諜(かんちょう)か何かか?」

 シェイドはつまらない冗談でも聞いたような顔をした。

「スパイじゃないよちなみに」

「そもそもどうしてお前殺しなんかしてる」

 シェイドはやけにさばさばとした笑みを浮かべた。

「もう忘れたよ」

 シェイドはだんだん問答に飽きてきたように見えた。リヒトはもっとも気になっていた質問をした。

「どうしてアストラ殿を殺した?」

 シェイドは少しつまらなそうな顔をした。

「そりゃ仕事だからだよ。誰を殺すかは依頼主が決めることだし、それを俺はいちいち聞かないから知らないよ。ゼロアに聞けばよかったじゃん」

 シェイドは飄然(ひょうぜん)と喋った。

「ゼロアはどうしたの? 君たちがここに来たってことは死んだってこと? それともまだ誰かが戦ってるの? さっきから下でバンバン音が鳴ってたけど」

 リヒトには依頼主であるゼロアの死にすら特に頓着(とんちゃく)していなさそうなシェイドの様子が不思議だった。

「あんまり心配してなさそうだな。ゼロアが死んだら金もらえないんだろ?」

 シェイドは鼻で笑った。

「金なんてどうでもいいよ。彼には聞かなきゃならないことがあるから、それを気にしてるだけ。まあどうせお人好しの君たちのことだからゼロアは死んじゃいないんだろうけど」

 リヒトは少しシェイドに興味をもった。

「金じゃないのか?」

「いらないよ金なんて。いつでも手に入るし、特に使い道もないし」

 リヒトは少し神妙になった。

「金がいらねえなら何で殺しなんかしてんだよ」

 シェイドも少し神妙になった。

「忘れた。もう質問に答えるのにも疲れたよ。そろそろ終わりにしていい?」

 リヒトはこれ以上の問答は無用と悟った。

「たしかにそれもそうだな。そろそろ決着をつけるか」

 するとクライスがリヒトの前に歩み出た。驚くリヒトを振り向き見ながらクライスは言った。

「俺が様子を見る」

 リヒトは視線で「わかった」と返した。クライスは攻撃の構えをとった。一方のシェイドは両手を頭の上で組んでぼんやりと笑ったまま動かなかった。今度はクライスがシェイドに(たず)ねた。

「ずいぶん余裕ぶってんな。問答が不要ならこちらは仕掛ける気でいるがいいのか?」

 シェイドはあっさりと答えた。

「いつでもいいよ。さっさと仕掛ければ?」

 それを聞いたクライスは最大限の警戒をしつつ数歩走ってシェイドとの距離を詰めた。まず彼にはシェイドのスピードと反撃の手口を知る必要があった。シェイドはゼロア同様武器を持たなかった。彼の得物は何か。攻撃の手段は? クライスが距離を詰めてもなおシェイドはまったく武器を構えなかった。クライスは試しに剣を振ってみた。しかし当てる気のない剣(さば)きであることを見透かしたようにシェイドは動きもしなければ表情も変えなかった。それを見たクライスは次に浅く当てる気で剣をもう一度振ってみた。しかしこれをシェイドは少し体を後ろに逸らして(かわ)した。クライスは目を(すが)めた。

(ヤツもこちらの出方を探ろうとしているな…)

 リヒトは剣を抜いた。いつでもクライスのバックアップをする構えだ。リサもいつでもシェイドを狙えるように弓矢を構えていた。クライスはさらにスピードを上げ大胆に踏み込んだ。二人の距離は一気に近づいた。ややクライス自身にもリスクのある行動ではあるが、彼はリヒトとリサが攻撃する隙を無理矢理にでも創り出さないと勝てる相手ではないとすでに気付いていた。クライスはシェイドの体を真っ二つにするほど深く踏み込んで斬りかかった。

(さあ、回避はもうできないぞ。どうする?)

 しかし次の瞬間、姿勢も表情も変えずに素早く横に跳んだシェイドにあっさり攻撃を(かわ)されてクライスは唖然としていた。クライスは相手の反撃を警戒して一気に後方に跳んで距離をとった。かなり近い間合いからの全力に近い踏み込みだったにもかかわらず、あっさり回避されたことにクライスは焦燥(しょうそう)と憎たらしさを覚え歯噛みした。加えて言えばおそらくシェイドがその気になればクライスの斬撃を横に(かわ)したあと、反撃することもできたはずだった。にもかかわらずシェイドは反撃の構えすら見せなかった。シェイドは月明かりに照らされて白く浮かぶあどけない少年のような顔貌(がんぼう)に笑みを刻んだ。

「今のさ、全力?」

 クライスもまた口の端を吊り上げて笑ったが、その顔にはやや焦りが(にじ)んでいた。

「なめんなよチビ。安心しろ。今のは全力じゃねえ」

 シェイドはその言葉を涼し気な顔で聞いていた。

「お前のその飄々(ひょうひょう)とした感じ、ゼロアそっくりだな。まさかアイツみてえに爆弾とかセコイもん使うんじゃねえだろうな?」

 するとシェイドは意外にもあっさりと自分の得物を(ふところ)から取り出して見せた。それは一本の短いダガーだった。クライスは唖然とした。

「これが見たくて必死に俺を追い回してたの? こんなもん最初から頼めば見せてたのに」

 クライスはなめられていると思いつつも、しかしその反面シェイドがゼロアのような火器の使い手でないことに安心した。

「そんなちっこい得物でいいのか? チビには似合ってるが俺と戦うには心許(こころもと)ねえだろ?」

 シェイドは顔色を変えずに答えた。

「試してみなよ」

 その挑発にいら立ったわけではないが、クライスは跳びかかった。

「あんま調子に乗んなよ!」

 クライスは剣を横に()ぎ払った。シェイドは小さく跳び退いてそれを(かわ)した。

(かわ)すだけか!?」

 クライスはさらに縦に斬り下ろすべく剣を振りかぶった。するとシェイドはそれに対してダガーで受ける構えを見せた。クライスの巨体から振り下ろされる大上段の斬り下ろしの威力は小柄なシェイドの体ごとダガーを吹き飛ばすのに充分なものに思われた。しかしシェイドは涼しい顔のままそれを受け止めきった。クライスは唖然とした。リヒトもリサも同様だった。この小さな体のどこにこれほどの重い攻撃を耐えうる膂力(りょりょく)が備わっているというのだろうか。唖然とする三人をよそにシェイドはクライスに向かって(たず)ねた。

「満足したかい?」

 クライスはその声で我に返り、次の攻撃に頭を切り替えた。

「あんまり調子に乗んな!」

 リヒトは(いさ)める声をかけた。

「クライス、先走るなよ」

 しかしクライスはそれを聞かなかった。クライスの攻撃はより鋭く強くなった。一撃で駄目なら連撃で相手を削るまで。袈裟(けさ)斬り、()ぎ払い、突き、逆からの袈裟(けさ)斬り。クライスは一撃一撃に力を込め、それらを叩き込んだ。しかしその連続攻撃をシェイドはあっさりと小さな体とダガーですべて防ぎきってしまった。彼は相変わらず最低限の挙動でその防御を行い、そよ風でも浴びているかのような涼しい顔をし続けた。クライスはさらに攻撃を重ねた。するとクライスの攻撃には粗さが目立つようになった。

 その隙を衝いてついにシェイドは反撃を仕掛けた。下方から腹部へのダガーの突き。クライスは目を見開いた。彼はこのとき剣を振りかぶっており、到底腹部のガードが間に合う体勢ではなかった。しかし、その瞬間をリサが待っていた。彼女は狙いすましたように矢を放った。リサの攻撃に気付いたシェイドは矢の方に目をやった。それは真っ直ぐにシェイドの顔目がけて飛んだ。リサは勝利を確信した。実のところクライスの怒りも粗い連撃もこの瞬間を創出するための演技だったのだ。

 しかしシェイドは顔色一つ変えずに体を後ろにそらしてその矢をあっさりと(かわ)してしまった。クライスもリサも唖然とした。

 そこへクライスの背後から彼を跳び越えてリヒトが攻撃を仕掛けて来た。シェイドが()け反らせた胴の真ん中を狙ってリヒトは剣を真っ直ぐに突いた。不自由な体勢になっているシェイドはそのリヒトの突きを回避できないかに思われた。

 しかし、シェイドはその剣を左脚で蹴り、その軌道を逸らしてしまった。リヒトの剣はシェイドの体に触れずに空をかすめた。呆然としたリヒトはバランスを崩し片膝をついて着地した。シェイドは脚を蹴り上げた勢いそのままに二度、三度とバク転してクライスとリヒトから距離をとった。

 すでにそのときにはリサが第二撃を構えていた。彼女はバク転の終わり際に合わせて矢を放った。いくら身軽なシェイドでも回避行動の終わり際でそれを(かわ)すのは不可能であるはずだ。回転の終わりに目の端で矢を視認したシェイドは、それを右手の人差し指と中指で挟んで止めた。リサは呆然とした。クライスもリヒトも同様だった。(かわ)すのさえ難しい攻撃を指で挟んで止めるなど熟練の手品師ですらできない芸当だ。バク転の直後で片膝をついていたシェイドは悠然と立ち上がった。

「何だ。がっかりだな」

 挑発ではなく心底落胆している響きがそこにはあった。リヒトは歯噛みした。シェイドはクライスに冷ややかな笑みを向けると付け加えた。

「今度はこっちから行くよ」

 クライスを含め三人とも身構えた。リヒトが全員に注意を促した。

「来るぞ!」

 シェイドはダガーを悠然と構えた。それはほとんど「ただダガーを持って立っているだけの状態」に近かった。その構えの余裕について皮肉の一つでも言ってやりたくなったリヒトであったが、その反面彼は構えに(にじ)む隙はシェイドの強さに裏付けられた自信からくるものであることを痛感していた。

 一瞬にしてシェイドは消えた。リヒトは目を見開いた。他の二人も同様だった。恐るべきことにシェイドは初速だけでなく目にも止まらぬほどの速度をその後も維持し続けた。リヒトは慄然(りつぜん)としつつも集中力を保つよう努めた。他の二人も各々そうしていた。どこからどう仕掛けてくるか、それはわずかな足音と気配からしか判断できなかった。

「うっ…」

 短い(うめ)き声と鈍い音がした。異変はリヒトの左で起こった。そこにはクライスが立っていた。彼の目の前にはいつの間にかシェイドの姿があった。目を見開いたリヒトはシェイドがクライスの腹に深々とダガーを突き立てているのを見ていた。

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