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こころのみちしるべ  作者: 110108
アーケルシア編
39/102

037.『赤』2

「あー、ドンマイだねー」

 ゼロアがそう言ったのを聞いてフアンとダヴィドは我に返った。二人はゼロアからやや距離をとった。それを見てゼロアはさわやかに笑った。

「二人には何もしねえよ」

 それを聞いてもフアンとダヴィドは微塵(みじん)も警戒心を(ぬぐ)えずにいた。

「こいつはなんか微妙だから殺しただけ。二人はそんなに微妙じゃないから多分大丈夫!」

 二人は唖然とするばかりで声を発することもできなかった。

「フアンくん!」

 ゼロアは元気よく彼の名を呼んだ。たじろぎながらフアンは返事をした。

「はい!」

「あなたの組織を…」

 ゼロアはたっぷり間を置いてから言った。

「僕にください!!」

 フアンはにわかにはゼロアの発言の趣旨を理解できずにいた。しかし何か返事をしなくてはゼロアの機嫌を損ねかねないと思った彼は勢い「はい!」と答えてしまった。その上で彼は「虎狼会の傘下(さんか)である以上私の組織はゼロア様のものです!」と言ってぎこちなく笑った。ゼロアも笑って大きく(うなず)いた。

「ありがとう嬉しいよー」

 するとゼロアはダヴィドの方へと急に顔を振り向け、苦い顔をした。ダヴィドはそれに(おび)えた。彼は恐ろしい予感に(さいな)まれた。フアンが目をかけられたことで自分は『選考漏れ』したのだろうか? ゼロアはさらに酸っぱい顔をダヴィドに向けた。ダヴィドはさらに不安になった。ゼロアは聞こえるか聞こえないかというくらいの声量のかすれ声をわざとらしく出した。

「ダヴィドくぅ~ん…」

「はい…」

 ゼロアはさらにふざけた。

「ダヴィドくぅ~ん…」

 ダヴィドは返事をすることもできずにいた。フアンは自身の『勝利』が近づいたことを感じて静かに心の内で喜んだ。

「ダヴィドくんの組織は、フアンくんの組織に比べて、ちっちゃいね~」

 ダヴィドは返答に(きゅう)した。しかし自身の信念に従った。

「しかし強いヤツらが(そろ)ってます」

「でもお金、ないもんね~」

「しかし成果で貢献します。それは虎狼会に大きな富をもたらします!」

 ゼロアは困ったようなふざけたような顔をダヴィドに向け続けた。

「うーん、でもフアンくんの組織の方が大きくて優秀だからなー…」

 ダヴィドは歯噛みした。

「ってことでフアンくんの組織をもらうことに決定します!」

 武闘派のダヴィドはゼロアと戦うことをこのとき覚悟した。しかしその必要は意外な形でなくなった。ゼロアがフアンのこめかみにナイフを突き立てたためだ。それは目にも止まらぬほどの妙技であった。突然重い肉の(かたまり)と果てたフアンは目を開いたままどさりと音を立てて横向きに床に倒れ、ぴくりとも動かなくなった。ダヴィドは呆然とそれを眺めていた。彼はいつゼロアがナイフを抜いたか視認することさえできなかった。ゼロアは優しい笑みを床のフアンに向けた。

「フアンくん、素敵な組織をありがとう。いただきます!」

 ゼロアは再びダヴィドに向き直った。ダヴィドは我に返った。

「最初に言ったじゃん。君が一番だよって」

 ダヴィドは返事さえできなかった。ゼロアは構わず続けた。

「だってさ。まずフランシスコ君はただの頭の悪いチンピラだもん。いらないよね」

 同意を求められたダヴィドは呆然と(うなず)いた。

「そんでフアンくん。彼は惜しかったよ。だって虎狼会最大の組織のリーダーだからね。でもすごいのは組織であってフアンくんじゃないもん。だからいらないよね」

 ダヴィドはおずおずと(うなず)いた。

「で、君。君は光ってるよ。だって俺が一番聞きたい言葉を言ってくれたんだもん」

 ダヴィドは自身の言葉のどこがそれほど気に入られたのかわからずにいた。ゼロアはそんなダヴィドを見て嬉しそうに笑った。

「君言ったでしょ? 騎士団を倒す、って」

 ダヴィドは自身の言葉と、それに感服するゼロアとカルメンの姿を思い出した。それでもダヴィドは目の前で行われた二度にわたる唐突な殺人の余韻のただ中から抜け出せずにいた。彼は呆然としつつ小声で「はい」とだけ返事した。ゼロアはさわやかに笑い、ダヴィドに近づいた。ダヴィドはにわかに警戒した。しかし組織の首領を無下(むげ)にするわけにもいかず、彼は(おび)えながら接近を許した。ゼロアは(よこしま)な笑みを浮かべて小声でダヴィドに言った。

「でさ、どんなふうに騎士団倒しちゃう?」

 ダヴィドはそれを聞かれてにわかに自身の内に燃え(たぎ)る闘争心を思い起こした。武闘派の組織を抱える彼は貧民街で騎士団員になれずにくすぶっている者たちや、アーケルシアの国の体制に反感をもつ者たちを多く部下にもつ。彼はそのトップに立つ者として騎士団の転覆を常に狙ってきた。その中で(つちか)ってきたアイデアを彼は口にした。

「虎狼会以外の組織と連携し、その武闘派をこの城に集めます」

 ゼロアはそれを聞いて少し眉を(ひそ)めた。

「興味深いな」

「騎士団はいずれここに襲撃に来ます」

 ゼロアはにわかに愕然(がくぜん)とした表情を浮かべた。ダヴィドはゼロアのその表情の変化に不安を覚えた。しばらくそうやって二人が視線を交わす時間が続いたあと、ゼロアは唐突に言った。

「天才」

 ダヴィドは反応に困った。

「マジで」

 ゼロアは急にまた表情を変えて微笑んだ。ダヴィドはその表情になぜか妙な親近感を覚えた。

「ダヴィどんさ」

「はい」

「継いでみない? 虎狼会」

 ダヴィドは驚いた。

「はい?」

「俺のあとを継がない?」

 ダヴィドはただただ呆然とした。しかし次第に自然と笑みがこぼれた。

「俺さ、今日後継者見つけたくてみんなを集めたんだよね」

 ダヴィドは今日の集会の意味と、彼が残りの二人を殺した理由を同時に理解した。ダヴィドはひとまず謙遜(けんそん)することにした。

「いえ私は…」

 するとゼロアは声を急に大きくして笑った。

謙遜(けんそん)すんなって。まあ、フアンとお前とどっちにするかかなり悩んだけど」

 ダヴィドはゼロアの率直な意見に触れた気がした。

「組織をあそこまで拡大させた手腕とカリスマ性でいえばフアン。だが俺の後継者として選ぶなら俺が人間として男として見込んだヤツがいいだろ?」

 ダヴィドは頭を下げて謝意を示した。

「恐縮です」

「カルメンもこれでいいよな?」

 そう言ってゼロアはカルメンの方を見た。カルメンは穏やかに微笑み、大きく丁寧に(うなず)いた。

「はい」

 ダヴィドは自身に起きたことが信じられなかった。しかしだんだんと自身の栄光が約束されたものであることを実感していった。彼の思考の中では『どのタイミングで自分が虎狼会を継ぐのか』という疑問が頭をもたげていた。するとゼロアがダヴィドの肩に手を置いた。ダヴィドは少しだけ体を震わせ緊張を見せた。

「でさ、具体的な条件について詰めていきたいんだけどさ」

「あ、はい」

 そのあたりの詳細が聞けるとあってダヴィドの表情と声は熱を帯びた。

「まず組織の名前は虎狼会のままでいい?」

「もちろんです!」

 ゼロアはにっこり笑った。

「ありがとう。けっこう虎狼会って名前浸透してるからさ。今更変えるのもあれじゃん?」

「おっしゃる通りです!」

「で、組織の体制なんだけどさ」

 組織の体制に話が及んでダヴィドは一段とかしこまった。

「はい」

「君の組織とフアンの組織とフランシスコの組織は君の直営ね。けっこう虎狼会にとってもデカくて重要な部分だからさ」

 ダヴィドはゼロアが二人を殺害した意図をさらに深く理解した。組織の重要部分を掌握(しょうあく)してそれを後継者に牛耳(ぎゅうじ)らせるためだったのだ。ゼロアはさらに話を続けた。

「あとまあカルメンなんだけどさ」

 ダヴィドは急に秘書に話が及んで驚いた。彼はカルメンの方を見た。白く美しい肌をもつ彼女はダヴィドとヴェール越しに目が合うと恥ずかしそうに視線を逸らした。

「アイツの面倒も見てやってほしいんだよ。色んな意味で」

 ダヴィドは驚いてゼロアを見た。ゼロアがふざけているようには見えなかった。

「え!?」

 ダヴィドはもう一度カルメンを見た。再び目が合うと彼女は口元を(ほころ)ばせ、もう目を逸らそうとはしなかったが、その笑みにはやはり少し恥じらいが混じっているように見えた。彼女はゼロアの言葉の意味を深く正確に理解した上でダヴィドの方を見て笑っているようだった。

「そんな、ゼロア様が…」

「いや、俺は虎狼会のリーダーを退(しりぞ)いたらビュルクでのんびり暮らすつもりなんだよ」

 ダヴィドはさらに驚いた。

「意外か? 俺もこんな仕事ばっかりやってたらそりゃ疲れるからさ。引退後はのんびり庭いじりでもしたいんだよ」

 ダヴィドは同じ犯罪組織の頭目としてゼロアの辛苦(しんく)が痛いほどよくわかった。

「でもカルメンはここが気に入っててさ。ここを離れたくないって言うんだ。それに彼女は秘書として優秀だ。すでに組織内でかなり顔の利く存在だから新しい首領の(めかけ)としてここで組織を支える道を選ぶことにしたんだよ」

 ダヴィドは急にカルメンの話になったことに合点がいったが、それでも急に美しい女を(めと)ることになって戸惑っていた。ダヴィドは自然とカルメンと過ごす夜について思いを巡らせた。

「で、具体的な跡継ぎの時期なんだけどさ」

 甘い想像に酔っていたダヴィドはその言葉で我に返った。それはダヴィドが一番聞きたかったことだった。

「はい!」

 しかしそのあとにゼロアが放った一言はダヴィドを大いに困惑させた。

「君が最終試験に合格したらすぐにこの組織の首領になってもらう!」

 ダヴィドは呆然とした。『最終試験』とは何だ。首領を継ぐのにまだ試験があるのか。

「そして最終試験は今すぐここで行う!」

 ゼロアの目は鋭くなっていた。ダヴィドは試験の内容がどのようなものなのかについて想像の限りを尽くした。彼は先ほどまでのゼロアの蛮行(ばんこう)を思い出して恐ろしくなった。

「最終試験の内容は…」

 それは現実のものとなった。

「俺と戦って勝つことです!」

 ダヴィドはカルメンを(めと)甘美(かんび)な夢から急に地獄に突き落とされた。ゼロアはローブをさっと手際よく脱いだ。

「さあ来い!」

 ダヴィドはまだ状況を理解できていなかった。いや、理解してはいたが信じたくなかった。彼は必死に抗議した。

「待ってください!」

「いや待たん!」

「ゼロアさんと戦うなんてできませんよ!」

「男の子だろ! 覚悟を決めろ!」

 ゼロアは腰からナイフを抜き取って構えた。それはフアンを一撃で仕留めたものと同じ形状をしていた。ダヴィドは慄然(りつぜん)とした。

躊躇(ちゅうちょ)してたら死ぬだけだぞ!」

 ダヴィドは二歩三歩と後ずさった。彼の思考は目まぐるしく移ろった。このまま恭順(きょうじゅん)を演じるか、それとも応戦するか。相手が戦えと言っている以上戦っても良いようにも思えた。実のところダヴィドには勝算があった。彼は武闘派組織のリーダーだけあって、組織の経営手腕ではなく戦闘の実力でリーダーに(かつ)ぎ上げられた男だった。彼は戦闘において絶対の自信があった。

 またその一方でダヴィドはゼロアの戦闘術に強い警戒心をもってもいた。おそらくフランシスコの腕を吹き飛ばしたのはゼロアが手渡したものに含まれていた火薬の類。あれに関しては投げつけられたら避ければ良い。しかしフアンの頭蓋(ずがい)への一撃は脅威(きょうい)だ。短い刀身のナイフをまったく気取られずに人の頭蓋(ずがい)に突き立てることは難しい。しかし彼は汗一つかかず、息一つ乱さず、笑顔のままそれをやってのけた。だが真に警戒すべきはフランシスコにとどめを刺した心臓への投げナイフだ。あれだけ正確に素早く投擲(とうてき)できる力と技術は並のものではない。

 ダヴィドはしかし両者の力量を総合的に見て自身であれば勝てると確信した。素早さとパワー、いずれも自身が上回る。ダヴィドは胸から一本のナイフを取り出した。ゼロアはそれを見て一瞬驚いたものの、しかしすぐににんまりとほくそ笑んだ。

 ダヴィドはそれでもまだ一抹(いちまつ)の不安を抱えていた。それはゼロアとの戦闘に関することではなく、そのあとに関することだった。万が一ゼロアを殺してしまった場合、約束はどうなるのだ? カルメンが保証してくれるのか? もしそうでなければ、虎狼会を継ぐ約束を果たしてもらえないどころか、虎狼会全体からゼロアを殺した反逆者として追われることになる。

 そんな不安を抱えながらも、しかしダヴィドは応戦することにした。いや、正確にいえばそうせざるを得なかった。笑顔のまま近づいて来たゼロアはナイフをでたらめに突いてきた。さすがに素早い突きだったが、戦闘経験に長けたダヴィドはその軌道を見切り、退(しりぞ)きながら(かわ)した。一撃も攻撃が当たらないにもかかわらず、ゼロアは笑顔のまま突きを続けた。ダヴィドはそれを(いぶか)りながらも、次第にゼロアの攻撃に目が慣れてきた彼は反撃のチャンスを(うかが)い始めた。手始めにダヴィドはゼロアのナイフに自身のナイフを合わせてガードを試みた。ダヴィドのナイフはゼロアの突きを見事に弾き、ナイフを持つ自身の手が宙を泳ぐのを見ながらゼロアは目を見開いた。ダヴィドが手応えを感じる一方、ゼロアは性懲(しょうこ)りもなく突きを続けてきた。疲労のためかだんだんとゼロアの突きは精彩を失っていった。素早さが失われ、攻撃の威力も落ちていった。ついにダヴィドは反撃の糸口を(つか)んだ。ゼロアが高めに突いたナイフを下から鋭く弾いたのだ。ゼロアは目を見開いた。それによってゼロアの腕は大きく体幹を離れた。彼にはもはや防御の(すべ)がない。対照的にダヴィドは素早く攻撃の体勢に入っていた。彼は一思いにナイフをゼロアの顔面に突いた。ゼロアは目を見開き、体を大きく()け反らせ、それを寸でのところで(かわ)した。しかしそのせいで体勢を崩した彼は仰向けに地面に倒れてしまった。ダヴィドはそのゼロアにまたがるように立った。彼は上から素早くナイフをゼロアの顔面に突き立てようとした。もはや逃げる(すべ)を失ったゼロアは目を見開いた。

 しかしナイフがゼロアに突き立てられるその直前に彼はニヤリと(わら)い、ナイフを持っていなかった方の手で何かを手繰るような仕草をした。すると次の瞬間には壁から放たれた矢がダヴィドの喉を横合いから射抜いていた。ダヴィドは目を見開き、喉を押さえた。しかしその手の隙間から鮮血がぼとぼととこぼれ落ちた。ダヴィドは自身に起きたことが信じられずにいた。彼は矢の飛んで来た方を見た。そこには壁に仕込まれた(いしゆみ)があった。ゼロアがテグスを引けば矢が放たれる仕組みだったらしい。ゼロアの雑なナイフ(さば)きはすべてこの場所へダヴィドを誘い込むための芝居だったのだ。途中から緩慢(かんまん)な動きをし出したのも反撃を誘発するため、倒れたのも矢が当たりやすい体勢にダヴィドを誘い込むため。ダヴィドはゼロアの(てのひら)の上で踊らされていた事実にようやく気付いた。ダヴィドは膝をついた。彼の額には血管が浮かび、彼の顔は紅潮した。ゼロアは何事もなかったかのように涼しい顔で立ち上がり、膝の汚れを払う仕草をした。彼は意識を失いつつあるダヴィドにも聞こえるようによく通るはっきりした声で言った。

「おめでとうダヴィドくん」

 ダヴィドは腕を地面についた。彼は途切れゆく意識の中で必死にゼロアを(にら)み上げた。

「後継者になりました!」

 ダヴィドはゼロアに何かを言おうとしたが喉を射抜かれて声は出せなかった。

「俺が! 君の組織の!」

 そう言ってゼロアはにんまりと笑った。

「君の組織はなかなか武闘派(ぞろ)いのようだ。ありがたくいただきます!」

 ダヴィドはついにうつぶせに倒れた。彼はそれきり動かなかった。ゼロアは彼をつまらなさそうに見てぽつりと言った。

「ダヴィド。微妙な強さだったね。まあでも君の部下は駒としてそれなりに活用させてもらうよ」

 ゼロアはカルメンを見た。

「楽しかった?」

 カルメンは相変わらず微笑を口元に(たた)えたまま答えた。

「ええ、とっても」

 ゼロアはさわやかに笑った。

「じゃ、片づけて」

「はい」

 するとカルメンはフランシスコのところまで歩を進めた。彼女はフランシスコから順に三名の亡骸(なきがら)を部屋の中央に集め始めた。ゼロアは玉座に着き、それを眺めた。カルメンは体のか細さに反して、フランシスコの大きな体を慣れた手つきで運んでいった。体のバランスをしっかり見極めれば力がなくても重い体を運ぶことは実際可能だった。彼女はその要領でフアンとダヴィドも中央に運んだ。ゼロアはそれを面白くもなさそうに平坦な表情で眺めていた。三人は(おびただ)しい量の血を流していたため、彼らの遺体を引きずると床に筆を払ったあとのように太い鮮血の筋が刻まれていった。それとともにカルメンの衣服や手足も血で派手に汚れた。彼女は三体の遺体を運び終えると、彼らの体にオイルを()き始めた。するとそこへゼロアが声を掛けた。

「待ってくれ」

 カルメンは手を止めて振り向いた。ゼロアは神妙な顔で言った。

「俺に火を点けさせてくれ」

 ゼロアは三人の部下の表情をじっくり見ていた。ゼロアなりに彼らに情が湧いたものと解釈したカルメンは言った。

「わかりました」

 カルメンは油を()き終えるとゼロアの方を向いた。彼は玉座から立ち上がり、彼女の(かたわ)らにやって来て火打石を受け取った。彼は三人の亡骸(なきがら)をじっと見つめて言った。

「ありがと、じゃあな」

 彼は一度だけ軽く火打ち石を打った。火花が散り、それはゆっくりとフアンの頬に落ちた。目を見開いたままの彼の顔は炎に包まれ、それは次第に体へと燃え広がっていった。やがて炎は三人の体を平等に包んだ。温かい炎を紅い双眸(そうぼう)に見てゼロアは心を和ませた。オレンジ色の光が彼とカルメンの白い肌を照らした。ゼロアは急にカルメンの腕を(つか)んで火の中に押し倒した。

「やだっ!」

 カルメンは仰向けにフランシスコの分厚い背中の上に倒れた。彼女の体を強烈な熱波が包み、彼女は反射的に手足をばたつかせて身を(よじ)り逃れようとしたが、その動作は唐突に止んだ。彼女は自身の腹を見た。鳩尾(みぞおち)にナイフが深々と突き立てられ、そこからは赤い血が(にじ)み出た。カルメンはゼロアを見上げた。ゼロアは赤い双眸(そうぼう)(ゆが)ませて(わら)っていた。カルメンの体はそうしている間にも炎に包まれていった。自身の運命を悟った彼女はもはや抵抗をやめた。

「君が燃えるところも見てみたかったんだよね」

 ゼロアは事も無げにそう言った。カルメンは微笑んだ。

「でも別に普通だわ」

 ゼロアはつまらなさそうに言った。カルメンのヴェールは燃えた。その下からは優しくゼロアを見つめる眼差しが現れた。彼女は涼しく穏やかな声音で言った。

「あなたはいつか欲望の炎に身を焼かれてしまうわ」

 ゼロアは笑って彼女の言葉に耳を傾けた。

「あなたが欲しがっているものはきっと手に入らない」

 ゼロアは目を細めて彼女が燃える様を眺めた。

「またきっとどこかで会いましょう」

 それが彼女の最期の言葉になった。ゼロアは肩をすくめた。

「別にいいよ。もう会わなくて。飽きたから」

 彼らの体の油が燃え尽き、炎はほどなく止んだ。ゼロアは炭の(かたまり)と化し区別もつかなくなった四つの遺体に背を向けた。ゼロアは伸びとあくびを同時にしながら部屋を出て行った。部屋のすぐ外は階段になっており、階下に下りて行ったゼロアが部下に命じる声が物言わぬ四つの亡骸(なきがら)が折り重なる部屋にもかすかに届いた。

「床きれいにしといて」

 部下の面倒臭そうな返事が聞こえてきた。

「えぇ~? またですかぁ~?」

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