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こころのみちしるべ  作者: 110108
アーケルシア編
32/102

030.『女難』1

 暖炉を背に座るケーニッヒは両脇に(はべ)らせた女の肩に腕をかけ、女の注いだ酒を(あお)り、飯を食っては哄笑(こうしょう)した。宴に参加していないリヒトについて彼は酒の勢いでこのように(うそぶ)いた。

「リヒトはただの飾り。本当の騎士王はこの俺よ。今はあの小僧に試しに騎士団を預けてやってるが、そのうちヤツもボロを出すだろう」

 彼の(そば)(はべ)る娼婦たちはそれをまったく真に受けていなさそうだったが愛想よく笑って話を聞いてはいた。

「さすがケーニッヒ様は寛大ですわ」

「そうだろそうだろ。ははははははは」

 騎士団庁舎で週ごと行われる酒宴は酒に強いケーニッヒが眠くなるまで続くのが通例だった。娼婦たちは毎週辛抱強くそれに付き合い愛想のよい笑みを保ったが、内心ではケーニッヒが早く潰れてくれればよいのにと願っていた。その思いはケーニッヒの機嫌を取らなくてはならないタルカスやユスティファを含む部下たちも同じだったが、ケーニッヒがそれを斟酌(しんしゃく)することはまったくなかった。

 突如として暖炉から緑色の粉塵(ふんじん)が舞った。ケーニッヒは酔い心地のまま(いぶか)った。

「ん…?」

 彼は戸惑いつつもそれを娼婦を斡旋(あっせん)した業者による演出か何かと考えた。一方の娼婦たちもそれを今晩の(もよお)しのケーニッヒたちによる演出と考えた。緑の粉塵(ふんじん)は霧のごとくあっという間に部屋中を広がり漂った。ケーニッヒはそれが広い修練場の端から端までを満たしていくのを呆然と見ていた。そのうち座っていた兵士の一人が眠るように倒れた。ケーニッヒはそれを見て嘲笑(あざわら)った。

「はっはっは。まったく情けない」

 するとまた一人の兵士が眠るように倒れた。ケーニッヒは再び「何だこいつもか」と(あざけ)ったが、その顔からは笑みが失せた。明らかに何かがおかしい。いずれも突然意識を失ったように見える。倒れる者は三名、四名と増えた。さすがにこの段になって(そば)にいるタルカスも慌てた。ケーニッヒはぽつりと(つぶや)いた。

「何だこれは」

 するとタルカスも突然倒れた。娼婦も倒れた。彼らには特に苦しむ様子もなく、ただ突然気を失い倒れた。ケーニッヒは再びぽつりと(つぶや)いた。

「何だこれは…」

 ついにはケーニッヒにも突然昏睡(こんすい)の波が押し寄せて来た。彼は抗いようもなくその海に沈んだ。




 修練場の棟の屋根の上で「仕事」を終えたリサは素早く(きびす)を返した。あとは手筈(てはず)通りに味方が動いてくれるはず。私の役目は終わった。これでアーケルシア騎士団は壊滅する。アジトへ戻ろう。彼女は屋根の縁へと歩を進めた。

 不意に後ろから若い男の声がしてリサは足を止めた。

「待て…賊め…!!」

 彼女は目を見開いて素早く振り返った。そこには若い騎士の姿があった。

「嘘でしょ…? あの毒を吸って立っているなんて…」

 彼女を呼び止めた若い騎士、それはユスティファだった。彼は(うつ)ろな目をし、立っているのもやっとの(てい)だった。

「お前は絶対に逃がさん…!!」

 その言葉を聞いてむしろリサは冷静になれた。

「あなたの抵抗力には感服するわ。でも一人で出て来たところで私は止められない。まして今のあなたじゃ何もできない」

 それは客観的に見て厳然たる事実であったが、しかし言われたユスティファ自身は微塵(みじん)もそうは思っていないらしく、彼は震える手で腰の剣を抜いた。それを見たリサは彼の覚悟に触れて神妙になった。

高潔(こうけつ)ね。なら(いさぎよ)く散るといいわ」

 リサは弓に矢を(つが)えた。彼女は静かに弦を引き、ユスティファの眉間(みけん)に照準を定めた。ユスティファは死を突き付けられた。しかし彼は臆するどころかさらに闘志を燃やし叫んだ。

「騎士が死を恐れるか!」

 ユスティファは剣を振りかぶった。両者の距離は十メートルほどあった。互いの間合いと武器種からして絶対的優位はリサにあった。ユスティファの剣はどう振っても当たらない。しかし次の瞬間、ユスティファの意図に気付いたリサは目を見開いた。ユスティファにとってその絶対的不利を覆す唯一の方法は剣を投擲(とうてき)することだけであり、彼はそれを迷いなく選択したのだ。しかしそんなことをすれば彼はリサの弓を回避できないし、防ぐこともできない。それに二度と剣で攻撃することもできない。つまり彼はこの一撃をもって差し違えるつもりなのだ。恐れ(おのの)いたリサは回避のために腰をかがめ下半身に力を込めた。ユスティファは迷いなく思い切り剣を投げ放った。夜空に円を描いて回転しながらリサへ真っ直ぐ向かった短剣を、彼女は小さく素早く横転することで回避した。

 回避を終えたリサはユスティファを(にら)んだ。すると彼はもう一本の腰の短剣を抜きリサに斬りかかろうとしていた。両者の距離はすでに三メートルほどに縮まり、間合いにおけるリサの優位は失われていた。リサは呆然とした。彼女はユスティファが双剣使いでありもう一本剣をもっていることを見落としていたのだ。やられた。そう悟った彼女をしかし思いがけないものが救った。突然ユスティファの全身から力が抜け、彼がリサの手前で(くずお)れたのだ。彼は剣を手からこぼし、それは床をすべってリサの足元で止まった。リサはそれを見つめた。ややあって冷静になった彼女は立ち上がり、念のためユスティファの剣を蹴り飛ばした。ユスティファは床を這いながら(うめ)いた。

「く…そ…」

 リサは冷厳と言い放った。

「見事ね。でももう何もできない。大人しくそこで寝ていなさい」

 ユスティファはなおもリサを(にら)み上げ、立ち上がろうと全身に力を込めた。しかしそれはどうしても叶いそうになかった。リサは今度こそ(きびす)を返した。すると正面に一人の男が立ちはだかっていた。彼女は度肝を抜かれた。

「ユスティファ、足止めご苦労だった」

 そう言った男の名をリサは顔を(しか)めながら呼んだ。

「リヒト…!」

 リヒトはリサの顔を見て少しだけ驚いたが、状況を素早く理解し目を(すが)めて眼前の敵を鋭く(にら)んだ。

「リサ…」

 リサもすぐに冷静さを取り戻し冷淡な目をリヒトに据えた。

「悪く思わないで」

 リヒトはリサを(とが)めた。

「君はビュルクを守るんじゃなかったのか…?」

「ビュルクを守るためよ」

 リサの性根をそれでも疑わなかったリヒトは問うた。

「誰に雇われた」

「あなたは何も知らなくていい」

 すると彼女は弓に矢を(つが)えた。リヒトは腰の剣に手をかけた。問う前からリヒトの中には確信があった。こんなことができて、なおかつリサを雇えるほどの力をもつ組織はこの国に一つしかない。

「虎狼会か」

 心を閉ざした彼女はもはや微塵(みじん)も表情を変えなかった。

「言ったでしょう?」

 リサは弦を引き矢をリヒトに向けた。

「あなたは知らなくていい」

 リヒトはためらいを捨てて剣を抜いた。

 しかし対照的にリサは攻撃の姿勢を解いた。唖然とするリヒトをよそに彼女は屋上の縁へと悠然と歩を進めた。リヒトは彼女の意図に気付いて慌てた。リサはリヒトの方へと顔を振り向けた。彼女の顔貌(がんぼう)には先ほどと変わらず冷厳な瞳があったが、そこにはほんのわずかに悲しみの色が(にじ)んでいるような気がした。わずかな逡巡(しゅんじゅん)のあと「待て!」と言いかけたリヒトはそれをやめた。リサは棟の下に身を躍らせた。リサの後ろ姿は黒猫のそれのように闇に溶けた。リヒトは屋上の縁に歩を進めて下を覗いたがそこにはもう誰の姿もなかった。冷たい風が横合いから吹きつけ、リヒトの髪と衣服を(いたずら)(もてあそ)んだ。




 死者はなかった。重傷者さえなかった。軽症者がわずかにあるばかりで、全員が昏睡(こんすい)した状態、もしくは一部については拘束された状態で見つかった。後ほどの見分でビュルク特有の植物から生成される眠り薬を煙突から屋内に()いての犯行と明らかになった。リサが、虎狼会がなぜこのような犯行に及んだかは騎士団員の治療が始まって数時間後、夜明けとともにつまびらかになった。騎士団庁舎の武器庫から武器や兵器の類の一切が盗まれていたのだ。弓も槍も攻城兵器も失われたそこはまさにがらんどうだった。

 そのあり様を見たリヒトはさすがに愕然(がくぜん)とした。弓も槍もなしにどうやってルクレティウスと戦えばいい? 攻城兵器もなしにどうやってフラマリオンを奪還すればいい? そこに居合わせたケーニッヒは「アーケルシア騎士団は終わりだ」と(つぶや)茫然自失(ぼうぜんじしつ)(てい)(おちい)った。普段は無表情のタルカスでさえもその(かたわ)らで悄然(しょうぜん)とうつむいていた。




 その日の昼過ぎ、リヒトは執務室で昨晩起こった虎狼会のものと思われる犯行について考えを巡らせていた。酒盛りに興じる騎士団を眠り薬を()いて昏睡(こんすい)させ、その間隙(かんげき)を衝き宵闇(よいやみ)に紛れて武器庫から武器や兵器の類の一切を盗みとる。彼らの犯行の意図は明らかに騎士団の無力化。ではこの犯行は何の前兆か。おそらく虎狼会の一斉蜂起(いっせいほうき)。ではそれに加担したリサの意図は何か。おそらく虎狼会に(くみ)することでアーケルシア騎士団がビュルクから奪い取った権益を奪還すること。それを否定したい気持ちもあったが、状況を(かんが)みるにその推察がもっとも妥当だった。リヒトは嘆息した。

 そのとき、執務室のドアをノックする音が聞こえた。

「どうぞ」

 リヒトがそう応え、ドアが開かれるとその向こうから姿を現したのはケーニッヒだった。(そば)にタルカスもいた。恐らく二人もリヒトと同じ推測をしていることだろう。それを伝えに二人は来たのだろうか。

「どうなされた?」

 思えばこの部屋にケーニッヒが来るのは彼が辞表を出しに来て以来のことだった。タルカスに至っては初めてのことだった。

「いやあ、昨晩は大変でしたな」

 今朝とはうって変わってケーニッヒは快活そうな笑みを見せた。リヒトは目を(すが)めた。昨晩はこの執務室にいたためリヒトは毒の粉塵(ふんじん)を吸わずに済んだが、昏睡(こんすい)状態で見つかったケーニッヒが「大変でしたな」という言葉をリヒトに向けることに彼は違和感を覚えた。タルカスも心なしかいつもより表情が明るいような気がした。リヒトは正直な疑問を呈した。

「大変だったのは貴殿であろう。お怪我はなかったか」

 ケーニッヒは一度鷹揚(おうよう)(うなず)いてから答えた。

「ありがたいことにこの通り無傷です」

 さらに沈黙が流れた。

「それで、何の用だ?」

 ケーニッヒは目を細め口角を上げた。

「ご心配の意をお伝えに参りました」

 まったく真意のわからないリヒトは(たず)ねた。

「心配?」

 ケーニッヒは眉根を寄せた。

「ええ、騎士王の座に就いてからいろいろ大変そうですから」

 リヒトはここへ来てケーニッヒの真意を理解した。

「貴殿の心配には及ばない」

 ケーニッヒは鷹揚(おうよう)にかぶりを振った。

「いえいえ、先代騎士王アストラ殿が暗殺されて騎士団が襲撃され武器をそっくり奪われたとあっては新しい騎士王の手腕が疑われます」

 リヒトは表情を崩さなかったが語気にはわずかに怒りが(にじ)んだ。

「昨晩の賊は幸運であった。俺が修練場にいれば斬り捨てていたところだ」

 ケーニッヒは柔和な作り笑いを見せた。隣でタルカスもめずらしく薄ら笑いを浮かべていた。

「しかし先代騎士王も守れない、武器も守れないとあっては何のための騎士団かわかりませんな」

「まったくだ。これまでの騎士団がたるんでいた証拠だ。俺のような力ある余所(よそ)者が変えてやらなくてはならない。貴殿も大いに精進されよ」

「騎士団が変わる価値はあるのでしょうか? 先代騎士王さえお守りできなかったのですよ? 仮に先代騎士王がご健在でもそれをお守りするための武器がないのですよ?」

「先代騎士王が崩御(ほうぎょ)されても守る民がある。そのための騎士団だ。それに武器がなければ拳で守るまでさ。貴殿にも後ほど体術の修練を施してやろう」

 ケーニッヒの目の色が黒く淀んだ。

「なるほど民のための騎士団。おっしゃる通りですな。力なき大切な人を守るのが騎士の在り方です。たとえばリヒト殿にとってはマリア殿がそれにあたりましょう。ときにマリア殿はご健勝ですかな?」

「ああ、俺が生きてる限りマリアには指一本触れさせない。そんな愚行に及ぶ(やから)は次こそ斬って捨ててやる」

 ケーニッヒは満足そうに(うなず)いた。

「結構なことです。それでは昨晩の事後処理もありますゆえ雑談はこれくらいにして私は失礼いたしましょう」

 ケーニッヒは慇懃(いんぎん)にお辞儀をして部屋を辞した。タルカスは口の端を吊り上げて一瞥(いちべつ)を寄越し、会釈すらせずに去った。それを見送ったリヒトに怒りに類する感情が湧くことはなかった。ケーニッヒの挑発をリヒトは騎士王の座をかすめ取られた者のせめてもの仕返しとばかりに解釈した。

 しかし彼の指摘はもっともだった。状況は最悪を極める。先代騎士王は暗殺された。武器は奪われた。騎士団の中には今でも余所(よそ)者のリヒトを認めず、ケーニッヒを支持する者も多い。戦力と見定めたリサはあろうことか敵である虎狼会に下った。国内の治安は混迷を極め、虎狼会・流星団・シェイドをどうにかしないといけない。フラマリオン奪還はそれらをすべてクリアしてこそようやく成立し得る。

 リヒトは腕を組んで白い平板な天井を振り(あお)ぎ、目を閉じて嘆息した。




 その日の帰り、騎士団庁舎の門を出たリヒトは夕闇に染まる道を一人で歩きながら先刻の思索の続きをしていた。この絶望的な状況を(くつがえ)す手はないか。彼は先ほどのケーニッヒとのやり取りから虎狼会討滅以前に騎士団をまず掌中に収めることが必要とさえ感じていた。前途多難。問題山積。彼は胸中で深く嘆息した。

 そのときふと彼の脳裏に一つの言葉がよぎった。

「何かに行き詰まったときに読め。お前が何かを判断する一助になるかも知れない」

 彼は(ふところ)に手を入れた。するとその手は固いものに触れた。彼はそれを取り出した。アストラからいただいた禁書だった。彼は手の上のその小さな本をじっと見つめた。一度これを読んでみるのも良いかもしれない。今晩か明日にでも。彼はそれを再び(ふところ)にしまうと、先ほどよりもわずかに力強い足取りで歩を進めた。

 リヒトが騎士団庁舎の裏手に差しかかると、忽然(こつぜん)と道の脇から一人の若い小柄な女が彼の行く手を(さえぎ)るように現れた。リヒトは足を止めた。女は微笑んでいた。ポニーテールのこざっぱりした顔には敵意はなさそうだった。リヒトは(いぶか)りつつ(たず)ねた。

「どうされましたか? お嬢さん」

 女はにっこりと笑った。

「あたしね、アイシャっていうんだ」

 リヒトは失礼に当たらぬよう自身も名乗ることにした。

「俺は——

「リヒトさんでしょ? 騎士王の」

 押しかぶせるように自身の名を口にした素性の知れない女の顔をリヒトは警戒の念とともに見た。何かおかしい。女はほとんど気配もなく現れた。彼女の腰の剣帯に二本のダガーが込められていることに気付いたリヒトの目はにわかに鋭くなった。

「誰だお前」

 対照的にアイシャと名乗った女は笑みを崩さなかった。

「リヒトさん、流星団って知ってる?」

 アイシャの口から事も無げにこぼれた二大犯罪組織の一つの名にリヒトは唖然とした。

「あたしね、流星団のリーダーなんだ」

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