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こころのみちしるべ  作者: 110108
アーケルシア編
30/102

028.『事件』1

「事件?」

 (いぶか)し気にリヒトが(たず)ねた。

「ああ、それは『事件』という言葉がもっとも相応(ふさわ)しい出来事だ。もうだいぶ前の夜だった。里に三人の男が来たんだ。俺はその場に居合わせなかったが、明らかに余所(よそ)者だったらしい。男たちは『扉』はどこだと誰にともなく里の人間に(たず)ねてきた」

「『扉』?」

 そう(たず)ねながらリヒトはフラマリオンの北の丘の上にある扉の神殿のことを思い出していた。

「ああ、この国には遺跡があって、扉の形をしてたんだ。で、観光客にしては出で立ちも様子もおかしい三人組だったから里の人間は『扉など知らない』と答えたんだ。すると三人のうちの一人が奇妙な術を使い雷を落としてその里の者を一瞬で半殺しにしたんだ。それを見ていた里の者は震えあがった。三人のリーダーらしい男が重ねて(たず)ねてきた。『扉はどこだ』と。里の者は仕方なく三人を扉の遺跡へと案内した。すると三人うち一人はまたも奇妙な術で雷を落とし、遺跡を壊してしまったんだ。さらに三人組のリーダーは木の実はどこだと(たず)ねてきた。里の者は意味がわからず困惑したが、殺されるのも嫌なので何となく思い当たったところで『里の祭祀(さいし)に使われる赤い木の実か?』と聞いたそうだ。するとリーダーらしき男は『そうだ。案内しろ』と言ったそうだ。里の者が干した木の実が(まつ)ってある蔵に案内するとまたも三人のうちの一人が雷で蔵ごと破壊したそうだ。三人はそれきり去って行って二度と現れることはなかった。自警団が結成されたのはそれがきっかけだ」

 リヒトは目を(すが)めて(たず)ねた。

「そいつらの目的は結局何だったんだ?」

「わからん。遺跡と祭祀(さいし)は重要な観光資源だったからビュルクの観光業を衰退させることが狙いだという意見もある。だが俺は目的は他にあると思う」

「何だ?」

「わからん。だが…」

 オルフェは苦い記憶を辿って険しい顔をしていた。

「俺は彼らが去って行く後ろ姿だけ見たんだが、彼らは多分…」

 オルフェは壁を(にら)みながら言った。

「ルクレティウス人だと思う」

 それを聞いたリヒトはルクレティウスの人間がそのような蛮行(ばんこう)に及んだ意図について考えてみた。しかし答えは容易に出そうにはなかった。沈黙が続いた。すっかり会話を楽しむ雰囲気ではなくなっていた。リヒトはそれを潮にオルフェの家を後にした。結局リサの住所は教えてもらえなかった。雨はリヒトが宿に着くと同時に降り出した。




 翌朝早くリヒトは宿を出た。再び宿の主人にリサについて(たず)ねたところによると、リサはこの国の戦士が代々身につけ、この谷あいの小さな国を大国から守るために(つちか)われた弓を主体とする戦闘術を早くから体現した若く優秀な戦士とのことだった。狩猟を生業(なりわい)としているが、自警団の要請により時に密猟者への威嚇(いかく)・制裁もしていた。森の入口は複数あるが、正式なものは一つしかない。正式というのはこの国の信仰において森の精霊の機嫌を損ねないという意味だ。他の入口の方が狩猟には都合がいいし、実際に森の精霊を信じている者は少ない。しかしリサは必ず毎朝正式な入口から森に入り、夕刻そこから森を出る。

 リヒトはそこでリサを待つことにした。リヒトが待ち始めて四十分後に果たしてそこへ彼女は姿を現した。リヒトの姿を見つけるとリサは言った。

「あら、一昨日の覗きが趣味のお方、今日は直接会いに来るなんて心を入れ替えたのかしら」

 リヒトは単刀直入に切り出した。

「君の力を借りたい」

 リサの表情は変わらなかった。

「ごめんなさい、忙しいの。あなたの話を聞く暇はないわ」

 そう言ってリサはリヒトの前を横切って森に入ろうとした。

「今日は雨が降る」

 リヒトはぽつりと言った。

「どうしてわかるの?」

「肩の傷が(うず)くんだ」

 空は少し薄い雲が散在するものの、おおむね青く澄んでいた。見かけ上は雨が降るとは思えないが、気圧の変化に(さと)いリヒトの古傷はそれを正確に感知していた。

「…」

 リサは少し考えてからリヒトに目をやった。

「…いいわ。本当にあなたの言う通り雨が降ったなら仕事は早く切り上げる。そうしたら少しはあなたの話を聞く時間が作れるかもね」

 リヒトは笑った。

「そこのダイナーで待ってる」

 リサも笑顔を浮かべ、肩をすくめて森へ入って行った。




 それから約二時間後、森の中で昨日の川べりに来たリサは何気なく川の様子に目をやった。すると、流れが昨日より少し速かった。動物の姿はなかった。草木は落ち着きなくざわざわと揺れていた。森の鬱蒼(うっそう)とした緑の香りの中に湿った空気の臭いが濃く混じっていた。空を見ると遠くの稜線(りょうせん)からゆっくりと黒い雲が顔を覗かせて来ていた。リサは(つぶや)いた。

「驚いた…」




 リサが急いでダイナーの(ひさし)の下に駆け込むと、ちょうどそのタイミングで大粒の雨が落ちてきた。彼女は濡れずに済んだ安堵(あんど)と仕事の予定が台無しになった悔恨を込めて嘆息した。どうしてあの男には雨が降るのがわかったのかしらとリサが考えたときだった。彼女に後ろから声を掛ける者があった。

「お客様、食事のご用意ができております」

 リサが振り返って見るとそこには笑みを浮かべるリヒトの姿があった。小国のダイナーには似つかわしくないまるで大国の高級ホテルのボーイのような口上にリサはくすりと笑った。リヒトは胸に手を当てて(うやうや)しく礼をした。

「さあ、奥へどうぞ」

 すると目を細めてリサは手を差し出した。

「ええ、案内してくださるかしら」

 リヒトはそれを取った。

「喜んで」




 テーブルにはすでに食事が並んであった。野菜と鹿肉のスープとパンと木苺のジャムと山菜でつくったお茶だった。それを見たリサは素直に驚いた。

「よく調べたわね、私の好物」

「君は有名人だからね、簡単だったよ」

「あなたのことはオルフェから聞いてるわ」

 そう言ったリサとの交渉はうまくいきそうには思えなかった。しかしその心づもりはオルフェと話したときからすでにできていたためリヒトは冷静でいられた。もしかしたらオルフェの言葉にはそういった意図もあったのかもしれないと思うと余計にオルフェが小憎らしく思えてきた。席に着いて向かい合うとリヒトは早速本題を切り出した。

「では手短に。俺はアーケルシア騎士王のリヒトだ。就任したばかりだが少し大胆な作戦を行いたい。そして最終的にはルクレティウスに勝ちたい。そのためにはアーケルシア騎士団を変えないといけない。君にはそのための力を借りたい」

 リサは肘をつき、手に(あご)を乗せ、時折目を細めながらリヒトの話を聞いた。

「言える範囲でどんな作戦か話して」

 リヒトはリサにこちらの話を聞く姿勢があることをまずはありがたいと思った。

「大きな戦いだ。大きな相手とやり合う。アーケルシア騎士団が長らく懸案としていたが手を出せずにいた相手だ。膠着(こうちゃく)状態を崩す。作戦にはスピードとスマートさが求められる。具体的な作戦は今のところ正直ない。だが君がいれば心強い」

 リサは話を聞き終えると眉を上げて次の質問をした。

「アーケルシア騎士団をどう変えるの?」

 リヒトはリサの反応の薄さを見て勝算もまた薄いことを悟ったが、まだ問答は続けられそうだったので逆転に賭けた。どちらかというとこちらの方がリサの興味を引きそうだと踏んでいた方へ話が繋がったことはありがたかった。

「今の腐敗した騎士団を変える。中流市民以上でないと騎士団にすら入れない慣習を壊す。貧民もビュルクの者も騎士団に入る意思のある者は入れ、実力のある者はどの身分の出身であれ上に据える。君はその先駆けになる」

 リサは少しだけ微笑んだ。

「あたしでなくてもいいでしょう?」

 リヒトも微笑んだ。

「そうだな。でも君が一番いい」

「アーケルシアにはたくさんの傭兵がいるじゃない」

「今の傭兵部隊には君ほどの実力者はいない」

「どうしてわかるの?」

「俺も傭兵の出身なんだ」

 リサは少し驚いた。リヒトは肩をすくめた。

「フラマリオン出身でね」

 リサの表情から笑みが消えた。どうやら四年前のフラマリオンの出来事はビュルクにも伝わっているらしい。

「…そう」

「それが理由で騎士団を変えたいと思ってるわけじゃない。変えないと勝てないから変えなきゃいけないんだ」

 リサは鹿肉の切り身に目を落とし、それをフォークでいじった。

「新しい騎士王さんは優秀な方のようね」

 リヒトは眉を吊り上げて笑った。

「先代騎士王の受け売りなんだ。騎士団を変えるのも、そのために今までに臨時の傭兵としてしか雇ってこなかった者に正式な騎士団員としてのオファーを出すのも」

「そう」

 リサの冷淡な反応を見てリヒトは彼女がこの話を断るつもりなのだと悟った。彼はそこをどう突き崩すか思案したが、良い案は出てこなかった。

「ごめんなさい、私はアーケルシアに(くみ)するつもりはないわ」

 リヒトは一度だけ食い下がってみることにした。

「長期的にはビュルクのためになる」

 リサは目を上げてリヒトを見た。

「どうして?」

「ルクレティウスはフラマリオンに悪政を()いているような国だ。ルクレティウスが勝てばビュルクもタダでは済まない。たしかにアーケルシアにも間違った政治を行った歴史がある。ビュルクの狩人である君にはよくわかるだろう。だがそれは俺が変える」

 リサは少し迷っているようだった。それはリヒトの提案に対する迷いであれば良いと彼は願ったが、同時に上手に断るための表現を探すための迷いであることを頭の片隅で悟っていた。

「信じるには不確定要素が多すぎるわ」

 リヒトは的を射た指摘に心の中で白旗を上げた。彼は諦観から笑った。

「なら君の狩人としての直感に従うといい」

 リサも笑った。

「そうね。検討ぐらいはしてみようかしら」

「ありがとう」

「どういたしまして。でもね」

 リサは目を細めた。

「私は狩人としてここで死にたいの」

 リヒトはいよいよ諦めざるを得なかった。

「わかった。ありがとう」

 そう言って差し出した手をリサは素直に握ってくれた。




 リサとの交渉が決裂した以上ビュルクに留まっていても意味がない。それに予定していた滞在期間はちょうど明日で終わりだった。

 本当に美しい場所だった。リヒトはフラマリオンともアーケルシアともまったく異なるこの場所でなぜか心が安らぐのを感じた。初めて訪れる場所であることには違いなかったが、しかしどこか初めて訪れる場所とは思えない懐かしさと居心地の良さがあった。ビュルクを訪ねた彼はお忍びではあったがアーケルシア騎士王である以上その意識は公人だった。しかしこの里に流れる穏やかな空気は彼にその堅苦しさを忘れさせてくれた。

 ビュルクで過ごす最後の晩に、リヒトは交渉がうまくいかなかった()さ晴らしというわけではないが、酒場に立ち寄ることにした。その酒場にはビュルクに来て以来ずっとなぜか()かれるものがあった。そこはビュルクで唯一の深夜まで営業している店だと宿屋の主人から聞いていた。すでに夜も()けていたし、遅くまで飲みたい気分だったリヒトに迷う余地はなかった。

 きっと同じ考えでゴロツキや不良が来ているだろうと思ってやや警戒していたリヒトだが、意外にも店の中には一般的なおとなしい里の人間しかいないようだった。客もまばらでカウンターにも二人しか座っていなかった。争いごとを避けたいリヒトはカウンターの中央の席を選んだ。

 リヒトはいきなり強めの酒を頼んだ。マスターは親切でもなければ不愛想でもなく、その点はアーケルシアともフラマリオンとも変わらないなとリヒトは思った。

「隣に座ってもいいかな」

 細い声が後ろからそう問いかけてきた。振り向くとそこにはグラスを片手にもつオルフェの姿があった。奥のテーブル席にいたらしいが、リヒトは気付いていなかった。リヒトが驚いているうちに彼は左隣に腰掛けてきた。リヒトは少し冗談めかして皮肉らしいことを言ってみた。

「こんな時間まで里で呑んでるなんて意外だな」

 オルフェは口元を(ほころ)ばせた。

「今日は少し呑みたい気分でな」

 彼が「呑みたい気分」になった理由を詮索してみようと思ったが、少し野暮(やぼ)に思えてやめることにした。

「そうか。俺もだ」

 今度はオルフェが皮肉を言う番だった。

「リサにフラれたらしいな」

 リヒトは笑った。

「さすがに情報が早いな」

 リヒトはそれを「小さな里は情報の伝達が早い」という意味で言った。しかしオルフェには「情報収集に抜け目がない」という意味で伝わったようだった。

「俺は彼女の親友だぞ」

 リヒトは笑った。

「そうだったな」

 にわかに神妙な顔をリヒトに振り向けたオルフェはあまりにも唐突な質問を投げてきた。

「なぜ戦う」

 問われたリヒトは戸惑った。それは「リサを加入させようとした今回の作戦」に限った話か。それとも「そもそもなぜ戦争をしているか」という話か。あるいは「そもそもなぜ人は戦う生き物なのか」という哲学的問いか。リヒトはもっとも当たりさわりのない答えを選ぶことにした。

「アーケルシアの勝利のためだ」

 オルフェは続けざまに質問を投げた。

「どうして勝たなきゃいけない。どうして闘わなきゃいけない」

 リヒトは矢継ぎ早な問いかけに対し少し意地になった。

「それは長きに渡るルクレティウスとの因縁に決着をつけるためさ」

 オルフェはそこで仕掛けた。

「それはリサがやらなきゃいけないことでもないし、君がやらなきゃいけないことでもない」

 しかしリヒトの言うべきことは決まっていた。それはリヒトにとって明瞭な真実だった。彼の職業理念そのものであったし、その職業が存在している意義そのものだった。

「だが、誰かがやらなきゃいけないことだ」

 しかしオルフェの問いは続いた。

「どうして?」

 リヒトはそこで返答に(きゅう)した。そこを問われるとは思ってもみなかった。彼は何か他の切り口で反論を試みることもできた。しかし卑怯(ひきょう)を嫌うリヒトはそのような論法を意地でも選ぶまいとした。

 彼はオルフェに聞かれたことについてあらためて考えた。この際即答できないことは彼にとって二の次だった。いい加減な答えをして自身の哲学を曲げることこそ恥だった。どうして誰かが戦わなきゃいけないのか。どうして俺が。どうしてリサが。彼はそこまで考えて一つ答えを見出した。

「国が決めたことだし、国民の総意だからだ」

 しかしオルフェの追求は終わらなかった。

「本当にそうか?」

 リヒトはオルフェの質問を「国民の総意と言うがそれは本当の意味での総意か。戦争に反対する立場の人も少なからずいるのではないか?」という疑問だと解釈した。それはなるほどもっともな疑問だった。虎狼会のような集団もいるし、貧民街、貴族、商会、騎士団、様々な立場の人間がアーケルシアにはいて、たしかに彼らの中には戦争を望まない者もいる。しかしすべての者の意見を採用していては国は立ち行かなくなる。国民の意思を()み取って彼らに最大の利益をもたらすための施策をとることこそが責任ある立場にある者の役目であり、それこそが「総意」に他ならないのだ。彼はそれを信じてオルフェの投げかけた疑問に答えようとした。

「もちろん一部の国民にとっては不都合もあるだろう。だが——

 オルフェはリヒトが言い終わる前に押しかぶせてきた。

「兵士は死にたいなんて思ってないだろ」

 このときのリヒトの胸中には戦地から遠い平和な里の外れで農作物を作っているだけの男が兵士の生き死にを語ることへの怒りが湧いた。リヒトはその怒りを間接的に口にした。

「彼らは勇敢だ」

 しかしオルフェは引かなかった。

「勇敢であることと納得して死んだかは別だ」

 リヒトはついに本心をぶつけた。

「兵でもない君が兵を語るな」

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